前回、虹口地区の旧日本租界を街歩きしましたが、
第2回目は、旧フランス租界の街並みを歩いてみました。
今回は、前回一緒だった案内人のLeeさんや、一緒に歩いたekkkoやKANAちゃんはおらず、
本と地図を見ながら一人だけでの街歩き。
フランス租界は、イギリスに遅れること4年後の1849年に、イギリス(共同)租界の南、
黄浦江沿いの地区を皮切りに、西へ西へと拡張していきました。
「フランス」っていう響きだけで何かおしゃれな雰囲気な気がしますが、
それはその通りで、上海一のおしゃれストリート、淮海中路は、フランス租界当時も
租界のメインストリートとして、ブティックやカフェ、レストランなどが軒を連ねていました。
上海の観光スポット「新天地」も、フランス租界時代の建物を復元した、いわゆる
ミニ・テーマパークです。
しかし、一口にフランス租界といっても場所によっては事情が違いました。
フランス租界東部は、わずか3ブロックほどの距離で、北の共同租界、南の南市(中国人街)に
挟まれていて犯罪者たちが逃げ隠れするには絶好の条件だったため、かなり治安の悪い地域でした。
このように、エリアによってフランス租界の景色はだいぶ違ってきます。
今回は、旧フランス租界の西側、租界当時も今も高級住宅街となっているエリアを歩きました。
このエリアは、西に行けば行くほど高級感が増し、これこそイメージ通りの「フランス租界」に
来たという実感が持てます。
①静安寺
街歩きは静安寺からスタート。
静安寺エリアは、上海が経済発展を始めた1980年代からすでに開発が進んでいた地域。
今では商業ビル、オフィスビルが建ち並び、上海の代表的な繁華街となっています。
静安寺には上海在住日本人御用達のデパート「久光」があります。
落ち着いた雰囲気の静安公園。
華山路の歩道橋より静安寺を望む。
②フランス租界の西の果て、華山路
静安寺から華山路を南へ進む。
華山路はすぐに西へ弧を描くように曲がり、南へ伸びている。
華山路は、租界当時アベニュー・ヘイグと呼ばれていて、フランス租界の西の果て、
この通りの西側はもうすでに租界ではない。
しかし、このエリアは豪邸が建ち並ぶエリアだった。
華山路でまず見えてきたのが、枕流公寓(旧名ブルックサイド・アパートメント)。
アメリカ建築家エリオット・ハザード設計のスペイン風アパートメント。
地下1階、地上7階。建物の面は曲線形、8の字形。1930年建造。
今でもかなりの存在感を示す建物です。
その後も華山路を南西へ進む。
華山路から見た長楽路の街並み。
途中、フランス租界当時の豪邸が並ぶエリアを通ります。
これは今は廃屋になっているが、1918年竣工のスペイン様式建築という由緒ある邸宅だ。
ちゃんと「上海歴史建築物」のプレートが壁に掲げてある。
③武康路、五原路の豪邸エリア
この後、武康路に入る。
ここもヨーロッパ風建築の建物が建ち並び、まるでヨーロッパの街並みのようだ。
武康路に入るとさらに高級感が増し、人、車などでごちゃごちゃした上海からはかけ離れた世界。
高い塀と大きな樹木に守られた豪邸がたくさんある。
しかし、ここはやはり中国。
中国らしい景色もこの中に混じってしっかり存在する。
散歩中のワンちゃん。
武康路から東へ伸びる五原路へ入る。
ここもフランス租界当時の高級住宅街。
租界当時のレトロな建物や豪邸は、今、中国の政府関係の施設になっていることも多い。
ここは、中国商務部駐上海特派員弁事処。
その向かいにある、チョコレート色の高い建物は1937年竣工の自由公寓。
レンガ造りのこの建物は、かつて文化人が多く住んだという。
今も高級マンションとして整備され、右側奥の新しいビルに負けない輝きがある。
④プラタナス並木の復興西路
五原路から永福路を通って、今度は復興西路へたどり着いた。
復興西路は、美しいプラタナス並木の通りとして有名。
復興西路沿いにあるジャズ・バー、「JZ Club」。
気軽にジャズの生演奏を聴きながらお酒が飲めるオススメのジャズ・バーです。
復興西路から一歩路地へ入ると、ここは古い老房子を改造して住んでいる人たちのエリア。
見た目は古くても、内装はきれいにされていて、レトロな家具などを配置し、雰囲気ばっちり。
こんな家に住んでみたかったな~。
このあたりの老房子には外国人も多く住んでいます。
復興西路を南東へ進むと烏魯木斉中路との交差点にイラン駐上海領事館があります。
その向かいに、租界時代のマンション、麦公寓がある。
麦公寓は1937年竣工。
当時流行っていた直線と曲線を合わせたデザインを取り入れていて、当時のモダンデザインの
最先端をいっていた建物だったそうだ。
⑤淮海中路のはずれを西へ
上海の目抜き通り、淮海中路の西のはずれをさらに西へ進む。
目抜き通りの淮海中路も西のはずれまで来ると、繁華街の華やかさはなくなり、
一転落ち着いた雰囲気となる。
目の前の建物はフランス領事公邸。道を挟んで隣はアメリカ領事公邸。
どちらの領事公邸も「上海歴史建築物」に指定されている租界時代の古い建物。
ところで、今上海市内は、2010年の世界博に向けて地下鉄の整備が急ピッチで進められている。
どこもかしこも穴が掘られて、道路は塞がれている。
ついこのあいだの年末にも、一気に3つの路線が開業した。
最終的には14以上の路線ができるそうだ。
しばらく上海に来なければまったく違った街になってしまう。
そんな街、上海。
淮海中路沿いも、一歩路地へ入れば落ち着いた邸宅が並んでいる。
⑥諾曼第公寓(ノルマンディー・アパルトマン)
淮海中路を西へ進むと、武康路・興国路、余慶路といった通りが交わる五差路がある。
この角に、ものすごい存在感を放つ大きな建物がある。
これが、現在は武康大楼と呼ばれる、旧ノルマンディー・アパルトマンというマンションだ。
1924年竣工、ルネッサンス様式建築。
それにしてこの存在感はすごい!
まわりに高い建物が無いというのもあるけど、この建物を見ると、租界当時の雰囲気が
伝わってくる。
建物の前の通りを、シルクハットとステッキを持った紳士たちが歩き、
レトロな路面電車なんかが走ってそうな雰囲気だ。
この日の街歩きで一番のお気に入りの建物でした。
しつこくもう一回写真!
⑦豪邸通り、興国路
淮海中路から北へ伸びる興国路を歩く。
ここも今も昔も豪邸が建ち並ぶ通り。
租界時代の豪邸がそのまま使われていたり、新しい豪華なマンションが建っていたりする。
通りの雰囲気もすごく落ち着いている。
レトロ・ホテルで有名な興国賓館。
元スワイヤー・ハウスと呼ばれる邸宅。
広大な敷地のお屋敷はすべてスワイヤーグループ総帥スワイヤーさんの別荘だった。
スワイヤーグループは、イギリスのリバプールに拠点を構える巨大コンツェルン。
アジアの拠点は香港。
香港系企業のの香港上海銀行やキャセイ・パシフィック航空の大株主。
中華圏では太古集団と呼ばれる。
この興国賓館、今はVIP専用のホテルとなっていて、一般ピーポーは泊まれません。。
興国路を北へ進むと華山路へぶつかる。
ここからタクシーへ乗って、次のエリア、永嘉路へいっきにワープ!
(その2へつづく…)
第2回目は、旧フランス租界の街並みを歩いてみました。
今回は、前回一緒だった案内人のLeeさんや、一緒に歩いたekkkoやKANAちゃんはおらず、
本と地図を見ながら一人だけでの街歩き。
フランス租界は、イギリスに遅れること4年後の1849年に、イギリス(共同)租界の南、
黄浦江沿いの地区を皮切りに、西へ西へと拡張していきました。
「フランス」っていう響きだけで何かおしゃれな雰囲気な気がしますが、
それはその通りで、上海一のおしゃれストリート、淮海中路は、フランス租界当時も
租界のメインストリートとして、ブティックやカフェ、レストランなどが軒を連ねていました。
上海の観光スポット「新天地」も、フランス租界時代の建物を復元した、いわゆる
ミニ・テーマパークです。
しかし、一口にフランス租界といっても場所によっては事情が違いました。
フランス租界東部は、わずか3ブロックほどの距離で、北の共同租界、南の南市(中国人街)に
挟まれていて犯罪者たちが逃げ隠れするには絶好の条件だったため、かなり治安の悪い地域でした。
このように、エリアによってフランス租界の景色はだいぶ違ってきます。
今回は、旧フランス租界の西側、租界当時も今も高級住宅街となっているエリアを歩きました。
このエリアは、西に行けば行くほど高級感が増し、これこそイメージ通りの「フランス租界」に
来たという実感が持てます。
①静安寺
街歩きは静安寺からスタート。
静安寺エリアは、上海が経済発展を始めた1980年代からすでに開発が進んでいた地域。
今では商業ビル、オフィスビルが建ち並び、上海の代表的な繁華街となっています。
静安寺には上海在住日本人御用達のデパート「久光」があります。
落ち着いた雰囲気の静安公園。
華山路の歩道橋より静安寺を望む。
②フランス租界の西の果て、華山路
静安寺から華山路を南へ進む。
華山路はすぐに西へ弧を描くように曲がり、南へ伸びている。
華山路は、租界当時アベニュー・ヘイグと呼ばれていて、フランス租界の西の果て、
この通りの西側はもうすでに租界ではない。
しかし、このエリアは豪邸が建ち並ぶエリアだった。
華山路でまず見えてきたのが、枕流公寓(旧名ブルックサイド・アパートメント)。
アメリカ建築家エリオット・ハザード設計のスペイン風アパートメント。
地下1階、地上7階。建物の面は曲線形、8の字形。1930年建造。
今でもかなりの存在感を示す建物です。
その後も華山路を南西へ進む。
華山路から見た長楽路の街並み。
途中、フランス租界当時の豪邸が並ぶエリアを通ります。
これは今は廃屋になっているが、1918年竣工のスペイン様式建築という由緒ある邸宅だ。
ちゃんと「上海歴史建築物」のプレートが壁に掲げてある。
③武康路、五原路の豪邸エリア
この後、武康路に入る。
ここもヨーロッパ風建築の建物が建ち並び、まるでヨーロッパの街並みのようだ。
武康路に入るとさらに高級感が増し、人、車などでごちゃごちゃした上海からはかけ離れた世界。
高い塀と大きな樹木に守られた豪邸がたくさんある。
しかし、ここはやはり中国。
中国らしい景色もこの中に混じってしっかり存在する。
散歩中のワンちゃん。
武康路から東へ伸びる五原路へ入る。
ここもフランス租界当時の高級住宅街。
租界当時のレトロな建物や豪邸は、今、中国の政府関係の施設になっていることも多い。
ここは、中国商務部駐上海特派員弁事処。
その向かいにある、チョコレート色の高い建物は1937年竣工の自由公寓。
レンガ造りのこの建物は、かつて文化人が多く住んだという。
今も高級マンションとして整備され、右側奥の新しいビルに負けない輝きがある。
④プラタナス並木の復興西路
五原路から永福路を通って、今度は復興西路へたどり着いた。
復興西路は、美しいプラタナス並木の通りとして有名。
復興西路沿いにあるジャズ・バー、「JZ Club」。
気軽にジャズの生演奏を聴きながらお酒が飲めるオススメのジャズ・バーです。
復興西路から一歩路地へ入ると、ここは古い老房子を改造して住んでいる人たちのエリア。
見た目は古くても、内装はきれいにされていて、レトロな家具などを配置し、雰囲気ばっちり。
こんな家に住んでみたかったな~。
このあたりの老房子には外国人も多く住んでいます。
復興西路を南東へ進むと烏魯木斉中路との交差点にイラン駐上海領事館があります。
その向かいに、租界時代のマンション、麦公寓がある。
麦公寓は1937年竣工。
当時流行っていた直線と曲線を合わせたデザインを取り入れていて、当時のモダンデザインの
最先端をいっていた建物だったそうだ。
⑤淮海中路のはずれを西へ
上海の目抜き通り、淮海中路の西のはずれをさらに西へ進む。
目抜き通りの淮海中路も西のはずれまで来ると、繁華街の華やかさはなくなり、
一転落ち着いた雰囲気となる。
目の前の建物はフランス領事公邸。道を挟んで隣はアメリカ領事公邸。
どちらの領事公邸も「上海歴史建築物」に指定されている租界時代の古い建物。
ところで、今上海市内は、2010年の世界博に向けて地下鉄の整備が急ピッチで進められている。
どこもかしこも穴が掘られて、道路は塞がれている。
ついこのあいだの年末にも、一気に3つの路線が開業した。
最終的には14以上の路線ができるそうだ。
しばらく上海に来なければまったく違った街になってしまう。
そんな街、上海。
淮海中路沿いも、一歩路地へ入れば落ち着いた邸宅が並んでいる。
⑥諾曼第公寓(ノルマンディー・アパルトマン)
淮海中路を西へ進むと、武康路・興国路、余慶路といった通りが交わる五差路がある。
この角に、ものすごい存在感を放つ大きな建物がある。
これが、現在は武康大楼と呼ばれる、旧ノルマンディー・アパルトマンというマンションだ。
1924年竣工、ルネッサンス様式建築。
それにしてこの存在感はすごい!
まわりに高い建物が無いというのもあるけど、この建物を見ると、租界当時の雰囲気が
伝わってくる。
建物の前の通りを、シルクハットとステッキを持った紳士たちが歩き、
レトロな路面電車なんかが走ってそうな雰囲気だ。
この日の街歩きで一番のお気に入りの建物でした。
しつこくもう一回写真!
⑦豪邸通り、興国路
淮海中路から北へ伸びる興国路を歩く。
ここも今も昔も豪邸が建ち並ぶ通り。
租界時代の豪邸がそのまま使われていたり、新しい豪華なマンションが建っていたりする。
通りの雰囲気もすごく落ち着いている。
レトロ・ホテルで有名な興国賓館。
元スワイヤー・ハウスと呼ばれる邸宅。
広大な敷地のお屋敷はすべてスワイヤーグループ総帥スワイヤーさんの別荘だった。
スワイヤーグループは、イギリスのリバプールに拠点を構える巨大コンツェルン。
アジアの拠点は香港。
香港系企業のの香港上海銀行やキャセイ・パシフィック航空の大株主。
中華圏では太古集団と呼ばれる。
この興国賓館、今はVIP専用のホテルとなっていて、一般ピーポーは泊まれません。。
興国路を北へ進むと華山路へぶつかる。
ここからタクシーへ乗って、次のエリア、永嘉路へいっきにワープ!
(その2へつづく…)
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