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日々触れる情報から様々なことを考え、その共有・一般化を図る

「心の傷」で"本当に"済んでいるなら社会が無理に関与すべきでない

2006-07-19 22:41:05 | 社会
ちょっと遅いが、日本のマスメディアまで詳しく報じてしまっている『ジダンの頭突き事件』について、私見を述べておこうと思う。
(*読者の方々にとってはどうでもいい情報だが、サッカーの枠を越えて語られていることが多いので、このエントリーは「スポーツ」のカテゴリーではなく「社会」のカテゴリーにさせて頂く)


まず、今回の事件、私が感じたのは何でこんなに皆騒いでいるのかってことだ。当事者が関わってるイタリアとフランスの国民マスコミだけがやりあっているならまだしも、日本のマスコミも、例えばTVの夜のニュースなどでわざわざ時間を割いてインタビュー映像やジダンの生い立ちのドキュメンタリー映像を流すなどしていた。
ジダンが引退ってことでジダンのプレイヤーとしての過去を振り返る特集っていうなら分かるが、今回の件に託けて彼の生い立ちまで探るってのは、殺人事件の被疑者の過去を暴いて喜んでるワイドショーのようでどうにも気に入らない。

何よりも、今回の事件は、「初めて起こった類の事件」では全くない。
マテラッツィの挑発的行為・暴行やジダンの暴行は確かに過去に既に何度かあったのだが、そういう選手個々のことではなく、『サッカーの試合中での、選手の(差別的な意味合いのものも含めた)挑発的発言・侮蔑、又は挑発に対する暴力での報復行為』という事象は昔からあった、ってことだ。

昔からあったから問題ではない、許されると言いたい訳ではない。
加えて、今回の事件を更にややこしくしてしまってるのだが、FIFAは大会前に懲罰規定を変更していた。NIKKEI.NETの『World Cup2006特集』のコラムから引用すると、

《改定された懲罰規程第55条は以下のとおり(大住訳)。

1 人種、肌の色、言語、宗教、出身民族を理由に、公の場で他人をけなし、差別し、あるいは中傷する者は、また、どんな形においても差別や軽蔑を示す行動を取る者は、いかなるレベルでも5試合以上の出場停止とされる。同時に、その者は、スタジアムへの入場を禁止され、2万スイスフラン(約180万円)以上の罰金を申し渡す。違反者が役員である場合は、罰金は3万スイスフラン(約270万円)以上とする。

2 観客が、人種差別スローガンを記したバナーを掲出したり、試合中に差別あるいは軽蔑を示す行動をとったときには、その観客が応援する協会あるいはクラブに対し3万スイスフラン(約270万円)以上の罰金を申し渡すとともに、そのチームの直近の公式試合を無観客試合とする。違反を犯した観客がどちらのチームを応援しているか区別できないときには、ホームチームの責任とする。

3 第1項および/あるいは第2項の違反を犯した観客は、すべてのスタジアムへの入場を2年間禁止される。

4 プレーヤー、協会またはクラブの役員、あるいは観客が、第1項および/あるいは第2項に該当する差別あるいは軽蔑を示す行動をとった場合には、それに関与するチームは、最初の違反であれば、自動的に勝ち点3を差し引かれる。2回目の違反があったときには、自動的に勝ち点6を差し引き、それ以上の違反に対しては降格処分にする。勝ち点のシステムが使用されていない試合であれば、失格とする。

5 各地域連盟および各国サッカー協会は、それぞれの懲罰規程を本規程に合わせたものにしなければならない。これに違反する協会は、国際大会から2年間除外される。
(コラム172. FIFAの人種差別との戦いへの期待と危惧)

(*ちなみに、この「FIFA懲罰規定」の原文(英語)のpdfファイルはこちら

今回のドイツW杯の試合を数多く観ていた方ならお気づきだろうが、試合前、選手の入場後に両国のキャップテンの選手が人種差別を排除しようという声明文を読み上げていた試合もあったし、FIFAは特に「観客から選手に対する差別的言動」を排除しようとしていた。

但し、例えば今回のように、試合中の第三者が誰も聞いていなかった当事者間だけの言葉のやりとりも「公の場」に含めるのかどうかとか(原文にもpubliclyの一語しか確認できない)、或いはジェスチャーなどを伴わない言葉だけによる差別的表現において、実際にどういう言葉・表現がそれに該当するのかとか、そういった細部は不明瞭だった。

つまり、今回の事件のタイミングもまずかったのでFIFAが悪いという訳ではないが、「ルールそのものの不備」や「ルールをしっかり稼動させるシステムの未整備」が混乱の一つの原因になっているとは言えるだろう。


別の解釈をすれば、FIFAは、試合中に選手が口走ったことについては、容認とまでは行かなくてもある程度は内容は不問に付す態度だったとも取れるだろう。(しつこいがどんな内容でも許されるという訳ではなくても)試合=勝負を行っている選手は普段とは異なる興奮状態にあると認められるし、苛立ちや焦りなどから「捨て台詞」をつい吐いてしまうことは現実的に避けられないからだ。

仮に、今回の事件において、例えばジダンが聞き流していたら、暴力行為でなく言葉でやり返してマテラッツィと2人でイエロー止まりだったら、当事者が「現役最後の名プレイヤー」ジダンと「過去にもトラブルを起こしている」マテラッツィじゃなかったら、フランスがジダンが抜けても勝っていたら、W杯の決勝じゃなかったら・・・断言してもいいが、こんなに騒ぎが大きくはなっていなかった筈だ。

「初めて起こった類のこと」でもないのに、そういった特殊な偶然が重なって騒ぎが大きくなっている=下手をすれば試合中の選手の挑発的差別的言動がこれだけ問題にされるのは今回限りになる可能性もある、その点が私が何よりも気に食わないところなのである。
問題にするというならばとうにしていなければいけないし、今回大会前に懲罰規定が変わったからより注視するというのであれば、全試合においてチェックがなされなければ公平性がない。「これまでの決まり」で頭突きという暴力に走ったジダンが一発レッドで退場になった、それで不利になったフランスが負けた、じゃぁ問題にしましょうってのはリクツとしておかしい。


[ゴーログ]ジダンの頭突きをどう評価する???』では今回の件についてのブロガーの方々の見解主張が紹介されている。私が評価する資格はないのだが、まぁそれらは、極々「常識的」なものばかりである。と言うよりも寧ろ、サッカーとかルールとかって視点を外してストーリー性のあるものとして捉えたもの、とでも言うべきか。
皆仰っていることには一理あって別に間違ってはいないのだが、ここまで述べた通り、今後のサッカー界・その運営ってことを考えるのならば、今回に限って当事者がジダンだったからって彼の心情を慮るような世論が大勢を占めるのは好ましくない。

今回の事件は、「挑発に対する報復であろうと暴力を振るったプレイヤーがルールに則って退場になった、一方の挑発した側のプレイヤーは、差別的発言を行ったことが100%確実であれば、今大会前に変更された懲罰規定によって処分される可能性も出てくる、ただ100%でないし差別的発言の定義が曖昧だし他の試合でのチェックがなかったからややこしいことになっている」、あくまでそれだけのことである。

だから、今回の件がきっかけで実際考えるべきことがあるとすれば、それは差別をなくしていく名目において「試合中の選手の発言」に対してルールを厳密にどうするかというソフト面、そして決めたならどうやってチェックしていうかというハード面のことだけである。


ただ、困ったことに、これを「まともに」考えると、有効な手段というのは余りない。

まずチェックをどうやって行うのか、その際公平性をどうやって担保するのかって問題がある。チェックは行われるならば、最低限、FIFAの公式試合全てにおいて、そこに出場する全選手を対象になされなければならない。
何故なら、言葉は時として身体に受ける傷よりも暴力になることはあるが、逆に個人差もあって同じ言葉でもそれを侮辱差別と感じる人間と何も感じない人間が必ずいるからである。同じような差別的な言葉を吐いたのに、ある時は相手が聞き流したから問題にならずに、ある時は相手がキレたから問題になったらそれこそおかしい、というより「キレ得」にもなりかねない。

無論、「侮辱罪」でも「名誉毀損罪」でも(少なくとも日本の法律では)親告罪ではあるが、差別を排除しようという名目である以上親告罪の扱いでは新たな差別・逆差別を誘発しかねないってことだ。
加えて、今のところ選手の差別的発言に対する処分は出場停止も含まれるので、全選手の全発言にという公平性を欠いていると、例えばライバルチームの中心選手を出場停止にさせて自チームを有利にしようと考える選手が出てきてしまう可能性がある。そんなことになっては本末転倒だ。

で、チェックを完璧に行うとなると、ピンマイクでも選手に着用させて、彼らの発言を記録して、新たに設けられたオフィシャルがそれをチェックするなんて方法くらいしか現実的にはなかなかないが、これでもちょっと無理がある。


公平性を保ったチェック体制の整備がクリアされたとしても、まだ問題はある。「差別的な言葉・表現」には何が該当して何が該当しないのかという線引きの問題だ。
勿論、ある程度はどの言語でも明らかな「差別的な言葉・表現」だとコンセンサスのあるものはあると思うので、その場その場で調査委員会なり規律委員会なりの機関が判断してもいいんだが、余り恣意性が入ってしまうのは好ましくないだろう。少なくとも、基準は作っておく必要がある。現実的には、まぁ今回のようなことが起きるたびに(そう何度も起こっても困るのだが)判例が増えていってある程度基準が明確になっていく形になるんだろう。

それでもデリケートなのは、基準が明確になり過ぎる、それこそ一つ一つの言葉・表現に対してこれはいいあれはダメとなると、セーフとアウトの境目ギリギリの差別的と取られないものを意図的に使って挑発行為を行おうとする選手が出てくる可能性があるってことだ。
いや、単純に、例えば「さすがアフリカンはバネが違うね」といったような一見賛辞の言葉も、状況・文脈によっては差別的思想が混じった挑発とも受け取れることもある訳で、そのような微妙な発言自体に悪意が含まれていたかどうかを客観的に判断するのは容易でない点もある。


いずれにせよ、言葉による暴力は、扱いが難しい。
あくまで私見であるが、社会として、国として、世界として取り組まなければならない差別や暴力は、まずは基本的人権の中でも生命や財産に関するものや社会権が優先されるべきだろう。人としての名誉も守られなければならないのは当然だが、優先して守られるべき名誉は、それこそ社会的評価・信用を著しく損ねられ今後の社会生活に明らかに(実質的に)不利益になるような場合だ。

で、今回の件は、別にジダンは、マテラッツィに何を言われたからって彼のこれまで得てきた名声や実績・評価に傷はついていないのである。