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日々触れる情報から様々なことを考え、その共有・一般化を図る

行動を抑制させるためには、その行動を「損」に持っていけばいい

2006-09-14 22:11:53 | 社会
(このエントリーは9/22に書いたものです)

9/11のYahoo!ニュース-社会ニュース-の全65件のうち、「飲酒(酒気帯び)運転」に関連するニュース(重複分は除く)が6件あった。12日は65件中4件。13日は74件中5件、14日は120件中10件・・・と連日、個別の事故のみならずそれらの後の経過や行政・司法の対応等も含め最近やけに飲酒運転がクローズアップされている。

警察庁のこの資料(*pdfファイル)を見ると、3ページ目に各年7月末時点での飲酒死亡事故の発生件数のグラフがあり、3年前から今年までは400件強でほぼ横ばいになっている。
危険運転致死傷罪が施行されたのがH13.12.25、罰則の対象となる酒気帯び運転のアルコール体内保有濃度の基準値が引き下げられた改正道交法が施行されたのがH14.06.01であり、翌15年度からは7月末までの件数の統計とはいえ3割強一気に減ってそこから横ばいな訳だから、一応法改正は一定の効果を見て、今は罰則強化はドライバーであれば誰もが認知するところとなっているのでそろそろ効果が切れかかってきたところ、といったあたりだろうか。


アメリカでは、無論州によって道交法も異なるが、飲酒運転で死亡事故を起こした場合は殺人罪が適用されることもありそうだ。
厳しいね、と思う方も多くおられるだろうが、私は、これくらいで当たり前だと思っている。法に明るい人からは「未必の故意を客観的に立証すんのは難しいから・・」なんて言われそうだが、殺意を持っていなくたって、飲酒運転による死亡事故は故意と認められなければ、いつまで経っても被害者は減らないだろう。

何故なら、言うまでもなく、アルコールを摂取すれば身体(脳)にどんな影響が出てくるのか、医学知識を絡めてまでは知らなくても酒を飲む人間は経験的に知っている。その酒を嗜む人間が、酒を飲めば運転において判断・操作共にミスを起こすリスクが高まることはリクツとして分からないと言うことはできない。そしてこれも言うまでもなく、車を運転して、(特に、自分の意図しないような)ミスが起きればどういう事態になり得るのか、免許を持ったドライバーであれば推測できないと言うことはできない。

自分だけが怪我、或いは命を落とすリスクが高まるだけというのであれば、本来、国家や社会が個に対して過度にパターナリスティックな干渉を行うべきではないだろう。
しかし、飲酒運転は、明らかに不特定の他者に害を与える可能性を上げる訳で、キツい表現を使うなら、「思想・主張なき無差別テロ」のようなものなのだ。今年の5月に宮城県で早朝、飲酒運転のRV車が高校生の集団に突っ込み3人死亡15人重軽傷という痛ましい事故があったが、この事故などは規模は小さくても正に無差別テロと表現し得るものだ。


既に周知の事実であるが、現行の危険運転致死傷罪の法定刑は最高でも懲役20年、一方で、通常の業務上過失致死罪と不救護・不申告の道交法違反の併合罪である「ひき逃げ」の法定刑は最大で7年半だ。
そのため、飲酒運転で人身事故を起こした際には何故か負傷者を放置して逃げた方が得という不可解な捩れがあって、実際にひき逃げ件数が増加してしまっている。

当然この捩れは解消されなければならない。日本の法律・制度が多分に抱えていることだが、何か現行のもので現実の対応が上手く立ち行かなくなった時に、不具合の部分を根本から見直すことをせず、短絡に接ぎ木をして誤魔化そうとするからこういった捩れも生じる。

本題に戻れば、(素人の意見ではあるが)まず「飲酒」運転は、"故意"の注意義務"放棄"に他ならないという観点に基づいて、例えば事故は起こしていないが検問で飲酒運転だとバレたような場合のみこれまで通り道交法で裁き、人身事故の場合はより厳しくした危険運転致死傷罪のみで一本化して裁いた方がいいと思う。(当然、合わせて「ひき逃げ」の方も、道交法ではなく刑法で厳しく裁くべきだ。単にミスによって死傷させた場合でも、死傷させておいて気づかないのは常態なら有り得ない訳だし、負傷させた相手を放置するのも未必の故意の殺人と捉え得るからだ)

入院を要するような怪我を負わせた場合は懲役10年以上(有期懲役最長の)20年以下、死亡させた場合は無期懲役ぐらいでも適当だと個人的には考えている。
重罰化すれば抑止力になるのかという点は正直微妙だし、現実的には強盗殺人だって必ず無期懲役になる訳でもないから私の考えは厳し過ぎるという反論は間違いなくあるだろうが、少なくとも、今の法では余りに行為と刑罰が「結果的に無差別になる」点で不釣合いなことは確かだ。


もっとも、飲酒運転を減らす・なくすことを根本的に考えるならば、我々国民の飲酒及び車の運転に対する意識を変えなければ-とは常識的によく言われることだけではあるが、モラルそのものを向上させるのが本当に有効かどうか疑問だし、有効だとしてもそれには相当な時間を要するうえ、国の施策としてトップダウンにやろうとしてもあらぬ方向に行く可能性も高い。(日本ではそこら中に標語や教育的アナウンスが存在しているがその割に日本人の公共の場でのモラルが特段高いとは言えないことからも分かるだろう)

問題なのは、「飲酒運転を容易にさせてしまう街の状態」で、そのハード面を変えることにもっと目が向けられてもいいのではないか。要するに、特に酒を扱う「飲食店」が、車で行き来するのが効果的なロケーションにある、或いはお店自体が駐車場を保有している、といったことだ。
どれだけ厳罰化したり政府やマスコミがモラルの向上を訴えたとしても、飲みに行くお店そのものが車を使った方が手っ取り早い幹線道路沿いなどの場所に多数あれば、いくら運転代行業者がいても飲酒運転が減る筈などないのだ。

勿論、街づくりのシミュレーションゲームのように無数の飲食店の位置をポンポン移動させることは容易ではない。それこそ大地震や戦争でも起きて焦土にならない限り街を一から作り直すことはできないが、じゃぁ、特に飲酒運転の頻度が高くなり易い地方(イナカ)で、自営の小規模の飲食店が景気いいかと言えば少なくともいいとは言えないだろう。
であれば、条例なども絡めたうえで、それぞれの地域の実情に合わせて、街の機能分化を進めて飲食街はターミナル駅周辺のみに少しずつ集中させていく、なんてことはやろうと思えばできないことではないと思うのだが。


日本人は民族的に酒が弱いくせに、酒自体や飲み会の場が好きな人は多い。飲みたい欲求や、接待或いは仕事の後はとりあえず会社の人間と飲みに行くという慣習の前では、モラルなんてものは吹っ飛ぶ。
なら、飲みに行く際に、車を移動手段で使うのは効率が著しく悪くなるような方策はもっと考えられてもいい筈なのだ。