南大東島・沖縄の旅情・離島での生活・絶海の孤島では 2012年

沖縄から南東に400キロ。太平洋に浮かんだ絶海の孤島でも人々の暮らしがありました。2012年の情報をお知らせします。

義務教育。

2012-11-11 19:33:10 | 日記


 国民の義務は教育を受けることであり、そのために地方公共団体は学習をするための学校施設を用意しなければなりません。島にも義務教育の施設が整っていて、小学校、中学校がありました。義務教育の施設は戦前からあったのですが、戦前は島全体が東洋製糖という民間会社の所有であったため、何と「私立南大東小学校」が設置されてたそうです。驚いたね、このような離島に私立学校があったなんて。逆に考えると、その頃の製糖業界は相当に儲かっていて、私立学校を運営するのは大きな問題では無かった、と言えるかもしれません。戦後になると、島は米軍に接収されたので、今度は村営の小学校が始まりました。以降、沖縄本土復帰まで米国民政府による教育指導があって、教育関係者は右往左往させられて大変困ったらようです。当時は、島に日教組なんていなかったのだろうか。
 小中学校は丘の上にあり、県道と接する校門の前には立派な交通信号機が設置されています。島で唯一の信号機であり、ここで生徒は交通教育を受けることになります。交通量が極端に少ないため、信号を守っている生徒がいるかどうか疑問ですが。なお、島民が運転する自動車の速度は遅く、最高でも50キロメートル以下ではないかと思われました。島が狭いので、高速で走行する必要がないからでしょう。東京の交通事情からするとスローな運転でした。そもそも、高速で走れる直線道路がないためかもしれません。
 小中学校の建物は立派であり、体育館は生徒数に比べると大きなものでした。これも離島対策なのかもしれません。中学の卒業生は毎年20名前後であり、全員が高校に進学します。しかし、島には高校がないため、那覇の高校に進学しています。余裕のある家庭では本土の高校に進学させるところもある、という話を聞きました。高校生から島を離れて生活すのは大変だな、と思ったのですが、島の人達の中には那覇付近に別宅を所有している人も多いらしく、それほど不便なことではないようです。


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