南大東島・沖縄の旅情・離島での生活・絶海の孤島では 2012年

沖縄から南東に400キロ。太平洋に浮かんだ絶海の孤島でも人々の暮らしがありました。2012年の情報をお知らせします。

このブログの趣旨と目的です。

2012-12-18 19:38:26 | 旅行


 南大東島の全景です。まさに絶海の孤島という感じです。

 私は2012年(平成24年)9月に南大東島を訪問した。この島には親戚・縁者などはおらず、縁もゆかりも無い島である。この離島に渡ってみようと考えたのは、単なる気まぐれであった。陸軍士官学校を卒業され、終戦時にこの島に駐屯していた老人から、遠い昔に戦時中の思い出話を聞いたことがあった。単なる昔話を聞いただけであったが、その時に耳にした「南大東島」という地名が頭の隅に強く残っていた。2012年の夏になって、その記憶が思い出され、「行けるうちに旅行してみよう」という気分になった。世間には、「離島マニア」と称する人達もいて、交通の便の悪い離島だけに目標を絞って旅行される方もお見えになるが私の旅行の趣旨とは全く違っている。
 さて、南大東島にでかけようとしたのだが、旅行の参考となる資料がほとんど入手することができなかった。同じ沖縄県の離島であっても、石垣島、宮古島、西表島などには懇切丁寧なガイドブックがあり、定年後の移住を勧める案内書も出回っている。南大東島について書店で入手できる書籍は、旅行マニアが取材した2、3冊の旅行記の中にある数ページの記載だけであった。南大東島は観光地ではなく、交通の便が悪すぎてガイドブックが売れるような市場が無いためである。
 ネットで検索すると、過去に現地を旅行した先達の記録が複数件ヒットした。それを読むとおぼろげながら、現地の状況を理解することができ、参考にはなった。しかし、ネットに上げられている旅行談や案内は古すぎるのである。10年前の体験がそのまま更新もされずに残っているホームページもある。実際に現地で見聞すると全く違っている状況が多く見かけられた。また、離島特有の文化、生活があるのだが、それらは日々変わっていくのである。意外にも変化が早い場合もあれば、本土から比べると古すぎる習慣も残っている。
 このブログでは、2012年9月の時点における南大東島の社会、生活を記録したものである。この記録は正確に記載したつもりであるが、1年後、2年後には大きく変わっていると思われる。それはそれで、本ブログは社会風俗史と考えて、ご容赦下さい。

 

 このブログをご覧になり、南大東島にでかけられた方がお見えましたなら、感想をコメントに入れて下さい。

 


今年は東京で大東会が開催されます。

2012-09-12 12:31:35 | 旅行

 9月下旬になって、南大東島から葉書が着きました。今年の10月に東京で大東会の総会と懇親会を開催するのでご参加しませんか、という案内でした。私は3泊4日の短期の村民でしたが、このようなお誘いがあるのは嬉しいことです。但し、ご招待ではなく、参加費用は自己負担となるのですが。  大東会は、現在の島民と関東近郊に在住する元島民の親睦会のようなもので、2年に1度開催されているようです。東京には全国の地方出身者のための県人会があり、故郷を同じとする人達が交流する場が設けられています。大東会も県人会を同じような性格なのですが、規模が極めて小さいのが特色でしょう。  私は6年前に一度参加させていただきました。この時は、南大東島から村長以下30名近くの島民が上京され、関東近郊に在住する元島民100名近くと交流されていました。大東小学校の小学生による島太鼓の演技などが披露され、楽しいものでした。皆様、島とは無関係の私を暖かく迎えて頂きました。  私は当日は予定があるため、今回の参加は見合せることになりました。かって南大東島に旅行に行かれた方で、大東会にご関心があるのであれば、是非ご参加下さい。当日の飛び込みでも、きっと大歓迎してくれるでしょう。