南大東島・沖縄の旅情・離島での生活・絶海の孤島では 2012年

沖縄から南東に400キロ。太平洋に浮かんだ絶海の孤島でも人々の暮らしがありました。2012年の情報をお知らせします。

空路の予約を入れるまでが大変だった。

2012-12-17 15:48:03 | 日記


 南大東島に渡るには空路と海路がある。海路は那覇から船に乗船して渡るのだが、出航が月数回の不定期便であり、15時間もかかるため、金の無い学生か余程の旅行マニアしか利用していない。常識を持った日本人であれば、当然のように飛行機を利用して渡航することになる。
 ここまでは理解できるのだが、空路の予約をするのが大変なのである。私は日本航空(JAL)を利用する場合にはネットで予約し、カードで決裁している。日本航空のネットの予約画面には羽田と南大東島の地名が表示でき、往復路をクリックすると予約できるようになっている。

 ところが、何度クリックしても「予約完了」にはならなかった。予約画面の下にある細かい文字を注意深く見ると、「那覇・南大東島の間はお近くの旅行代理店でご予約して下さい」という但し書きがあるのを見つけた。ネットでは予約できないようになっていたのだった。この措置の理由は不明であるが、地元や官用の人の搭乗を優先させるため離島特有の事情が絡んでいるのではなかろうか。

 それではと、近くの日本交通公社(JTB)に出掛け、旅行代理店の専用端末で予約を申し込むと一発で予約が完了した。ただ、予約できたと言っても希望した日は満席で、一日ずらしての予約であったが。JTBでは予約券を発行してくれたのだが、これが複雑で、
 羽田 → 那覇     21,970円 先得割引
 那覇 → 北大東島   15,800円 往復割引
 北大東島 → 南大東島  8,300円 普通運賃
 南大東島 → 北大東島  5,200円 先得割引
 北大東島 → 那覇   15,800円 往復割引
 那覇 → 羽田     20,470円 先得割引
 合計が、87,540円となり、安いパックのハワイ旅行並となってしまった。それでも往復割引があるので2万円ほど安くなっていて、普通運賃で購入したなら10万円は軽く越す合計金額となります。
 南大東島の居住者には補助金が出ているようで、南大東島と那覇の間は特別割引料金があって、往復で2万円弱になるらしい。この特典を得るためには、住民票に顔写真を添えて役場に申請すると割引の証明書を発行してくれる、とのこと。正規運賃との差額は役場が負担しているらしい。


 JTBで発行してもらった予約券を飛行場のカウンターに持参し、読み取り機にかざすと搭乗券を発行してくれます。予約券と搭乗券の引き換えは、羽田、那覇、北大東島のそれぞれのカウンターで行うことになった。3段目の写真は那覇の飛行場のカウンターで、ドアーの後ろはバス乗り場となっていました。


旅情のあるプロペラ機と空路の事情。

2012-12-16 17:32:04 | 日記



 羽田から那覇は日本航空ですが、那覇から南大東島には琉球エアーコミューター(RAC)が運営する小型機に乗り換えます。琉球エアーコミューターは那覇を起点にして、沖縄県各地の離島を結ぶローカル航空会社です。この会社には日本トランスオーシャン航空という航空会社が出資していて、その日本トランスオーシャン航空には日本航空が株主となっていて、何のことはない日本航空の子会社のようなものです。
 那覇から南大東島に向かうにはRACが運行するボンバルディア機(DHC8型機)を利用します。プロペラ機であるためボーディングブリッジは使えず、バスに乗って駐機場まで移動しなければなりません。徒歩でタラップを登るのは珍しいことで「これから離島に向かうのだ」、という高揚した気持ちになるものです。


 このDHC8型機は座席が39席しかなく、1日2便しか飛行しないため常に満席のようです。私が搭乗した日も満席でした。また、2便の内で1便の航路は北大東島を経由するという変則的なもので、北大東島を経由する場合は、乗客全員が一旦は降機してから乗り換えることになります。機内では飴、絵はがきのサービスがありました。島でお祭りがある時には臨時便も出るのですが、この臨時便は那覇の旅行会社が席を押さえていて、ほとんど予約はできないのが実情のようです。
 2009年(平成21年)の南大東島での発着階数は1434便で、乗客数は1万9284人、降客数は1万9143人という統計になってました。この乗降客数の大部分は島民か商用での利用者であって、純粋の観光客は1千3、4百人ではないか、と推測されています。その根拠は、南大東島にある唯一の有料観光地である星野洞の入場者数からの推計でした。星野洞には年間2千3、4百人が入場するのですが、地元の人達や工事などの商用で来島した人達が入場した人数を1千人と見て差し引いているからです。このような観光客数では、島は観光地としては成り立たないと考えられます。  

 現在、RACが使用している機体は39人乗りのDHC8型機ですが、それ以前は19人乗りのDHC6型機であり、予約するのが非常に困難であったようです。1974年(昭和49年)までは64人乗りのYS11が就航していたのですが、安全基準により機体が変更となったとのこと。そもそも、南大東島に定期空路ができたのは1965年(昭和40年)からであり、それ以前は船便しかなかったため、島民の方が沖縄本島に渡るには相当な苦労をされていたようです。

 機体を大型にできないのは飛行場に問題があり、滑走路の長さが足らず、ジェット機の離着陸ができないからだそうです。以前は島の中央にあった飛行場を廃止し、1997年(平成9年)に現在の飛行場が完成したのですが、早くも新飛行場の建設が必要である、と島内では叫ばれているようです。


南大東島の飛行場に到着しました。

2012-12-15 17:23:35 | 日記





 那覇から琉球エアーコミューター(RAC)のプロペラ機に乗って、1時間強で北大東島飛行場に到着し、ここで30分ほど便待ちをして、10分くらい搭乗すると南大東島飛行場の到着します。航空運賃がバカ高いのに比べ、この空の旅は呆気なく終りました。
 飛行場ビルは上部が半円形となった二階建てのモダンなものです。玄関口にも駐車場などが整備されて立派なものです。一階のロビーは待合の座席が30席ほどありますが簡素なもので、地方の飛行場施設としてはこんなものかと感じられます。しかし、外国の飛行場ビルに比べれると相当に豪華なもので、私が以前出掛けたことのある東南アジアや中米の飛行場(国際線であり、税関、入国管理局などもそろってました)ではバラックのような建物も珍しくはありませんでした。利用客が少なければそれだけの設備投資しかしない、というのが世界の常識のようです。或る熱帯の国の飛行場ビルのロビーは屋根だけで、外気とはもろ丸出しというところもありました。乗客もそれを不便とは思わず、飛行機に搭乗できればいいんだ、という考え方でしょう。乗降客の少ない地方の飛行場であっても、東京と同じ基準で施設を整備する、というのは日本の役人の発想でしょうか。


離島の航空会社のカウンターと喫茶店です。

2012-12-14 17:26:33 | 日記


 南大東島の飛行場でも航空会社のカウンターがあります。ここでチケットの購入や予約ができます。そのカウンターの横を見ると、何と台ハカリが置いてありました。これで乗客の手荷物を計るのです。目分量なので、重量オーバーしても馴れ合いで通してくれるかもしれません。私の手荷物は少しオーバーしてましたが何も言われませんでした。以前は重量オーバーには厳しかったようで、15キログラムを越すと超過料金を徴収されていたようでした。現在は20キログラムまでの手荷物は無料です。


 飛行場ビルには喫茶店がありました、いたって簡素な設備であり、メニューには軽い食事もありました。しかし、私が滞在していた間にこの店は営業していませんでした。そもそも観光客が極端に少なく、乗降客の大半は地元民か商用で来島した人達なので、コーヒーを飲んでいるような余裕はありません。全くの開店休業といったところでした。不思議なことに、喫茶店の前にあるみやげ物店はいつもおばさんが店番をしていましたが。

宿、ホテルよしざと。威容のある本館でした。

2012-12-13 18:36:22 | 日記



 南大東島での宿泊先はかなり制限されます。それは宿屋が少なく、旅行者のほとんどが「ホテルよしざと」に宿泊せざるを得ないからです。その理由は、ホテルとしてのフルサービスができるのは、島ではこのホテルしかないからです。本州の、どこの観光地にでも見かけられる平凡なホテルでは、観光案内、レンタカー、食堂、喫茶店などの付帯サービスの全てが揃っているのですが、この島の他のホテルではどこかのサービスが欠落しているのです。このため、旅行客は選択枝が無くなっています。すると、ホテル側では、「お客さまに泊まっていただく」というより「泊めてやる」という姿勢となり、サービス精神はゼロに近いものとなっています。この辺の事情は他のブログを参照されると良いかと存じます。

 島には公共交通機関は一切ないため、ホテルよしざとに予約しておくと、飛行機の到着時刻に合わせてホテルから送迎バスが迎えにきてくれます。「ホテルよしざと」は、本館、新館、旧館、別館、民宿、と増築増築を重ねていて、宿泊客数は60名以上であり、島ではトップクラスです。前社長(現、会長)が島ではやり手の経営者だったようで、小さな民宿から始めて、次第に大きくしたようです。島内では唯一の4階建てビルで、ここはエレベーターもついていました。資材の全ては沖縄本島から船で運んだため、相当な建築費ではなかったか、と想像されます。



 ホテルよしざとの新館の4階には食堂があり、食堂の片隅みには畳敷きの部屋もありました。離島の宿泊施設では、食事を出していただけるだけでも有り難いことです。後で説明するのですが、南大東島では旅行者が食事を摂るのが大変なのです。私が渡航した時期には豊年祭があり、ホテルの2日間の夕食は弁当でした。これには理由があって、豊年祭りのために全館が満員となり、調理場の仕込みができる能力をオーバーしてしまったことと、祭りのためにパートの従業員が不足したことによるようです。2日間とも、夕食は500円弁当になるとは情けないことでした。しかし、2食付いて5250円という、内地のホテルで考えられない低価格であっては致し方ないとも言えますが。なお、朝食はウインナー、卵焼きなどがついて、量は十分ありました。