


島の生活に必要な物資は全て船で運ばなければなりません。飛行機も定期便が毎日就航してますが、運搬できる重量に制限がありすぎます。全ての生活必需品は那覇から船便で運ばれています。那覇と南大東島の間は大東海運(鹿児島に本社のある大東海運産業とは別のもの)の不定期便が就航しています。だいたい、週一便の割合で就航してますが、気象条件によっては変更になる場合もあり、旅行客にとってはあてにできないものです。
この大東海運は南大東村、北大東村などが株主となっている半ば村営の会社なのです。とても採算の取れる航路ではないため、島民のために運営しているのが実情でしょう。多分、大赤字なので税金を投入して航路を存続させ、島民の生活を維持するために支援しているのではないでしょうか。この船会社が生命線なのです。不思議なことに、大東海運は村営なのですが、法人登記は那覇市になっています。保有しているのは690トンの貨客船「だいとう」だけです。万一、保有船が故障したり沈没したりしたらどのような対策を取れるでしょうか。多分、海上自衛隊の船舶で緊急輸送するかもしれません。
大東海運が設立したのは1986年(昭和61年)のことで、比較的最近なのです。それよりも前は民間海運会社が不定期便を就航させていたようです。戦前は島を管理していた大日本製糖が契約した定期便が就航していて、その時は1200トンクラスの比較的大きな船だったそうです。戦後になると、船舶の不足から就航していた船舶は100トン程度の木造船だったそうです。さすがに木造船では物資輸送には不便なため、1957年(昭和32年)以降は300トンクラスの船舶が就航した経緯があります。
現在、「だいとう」は週一便の就航であるため、短期の旅行客が「だいとう」の寄港を見ることができる機会は少ないと思われます。私が滞在していた間に、「だいとう」が寄港したので早速港に出掛けてみました。
「だいとう」が南大東島に寄港すると、島内の主要な業者(ホテル、商店、建築業者など)には一斉にファックスが入って到着の時刻と港を知らせる仕組みになっていました。島には東西南北にそれぞれ港があり(漁港とは別の場所)、その日の風向きによって寄港する港を決めるのだそうです。当日は午前6時30分に寄港する、というファックスがホテルに入っていたので、午前9時に港に到着すると「だいとう」は出港してしまった後でした。台風が近づいている、とのことで早々と出ていったのです。
南大東島の周囲は岸壁であり、港と言っても船舶を接岸することができません。このため、「だいとう」はロープで岸壁から少し離した状態に係留し、旅客、物資は全てクレーンで積卸し、積込みをしなければなりません。この作業は全国でもここだけ、と聞いていたので、一度は見ておきたかったのですが。旅客が乗下船する際には、左側にある檻のような籠に乗ってクレーンで吊り下げられます。右側にあるコンテナは旅客の手荷物を収納するためのもので、このコンテナに手荷物を預けて船上で受け取るようになってます。