ハイル禅師語録

ハイル禅師語録で奇跡の開運

1941年夏ナチスドイツは なぜモスクワ攻撃をしなかったのか

2022年02月14日 | 教え

質問者:ハイル禅師 1941年の夏ナチスドイツは
なぜモスクワ攻撃をしなかったのでしょうか?

私:1941年6月22日バルバロッサ作戦が発動され
150個師団320万の枢軸軍がソ連領に侵攻しました

ドイツ軍ではヒトラーと将軍たちがスモレンスク(ミンスクと
モスクワの中間)付近以西の包囲殲滅戦の議論ばかりが
先行しており 当初からヒトラーにはモスクワ攻略の意図は
なかったのである

これが争点となり二個装甲軍の配置効果で包囲殲滅により
中央だけが突出した為 ヒトラーはスモレンスクを攻略した
中央軍集団の第二装甲軍を南のキエフに 第三装甲軍を
北のレニングラードへの侵攻を指示しました

しかし将軍たちは冬を恐れモスクワが先だと猛烈に反論し
ヒトラーもモレル医師の薬剤の後遺症の下痢で弱気になり
1か月以上も互いが譲らず時間浪費の膠着状態となったが
8月20日以降にヒトラーの体調回復により南北への進撃を
厳命したのです

ヒトラーはモスクワ攻撃は補給問題があるからレニングラード
とキエフ攻略が先だと主張していた

確かにモスクワへの攻撃は補給が問題でしたが空輸で可能
であり後のデミャンスクやビヤズマの包囲戦でも空輸だけ
で持ちこたえているからである

モスクワ攻撃を遅らせた為に米製の高射砲や英製の戦車が
モスクワ全面に展開された上に冬の寒さと泥濘に加え
シベリア軍団まで到来して勝利を逃しました

1か月の無駄な議論が致命的な遅延を招いたのであり
ヒトラーの指示通りに8月初旬に南北に装甲軍を進めても
モスクワ攻撃は間にあった可能性が高いと思います



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