質問者:ハイル禅師 蜀の初代皇帝劉備の息子である
二代目皇帝劉禅は本当にアホだったのでしょうか?
私:蜀の二代目皇帝劉禅は政治を重臣たちに任し
宦官に政治への口出しを許し将軍姜維が魏との奮戦中に
降伏したことで幼名で「阿斗」と呼ばれた皮肉を込めて
「阿保」と呼ばれて中国ドラマでも定番であります
私が冷静に見ると劉禅は遊び好きだったが話し相手が
宦官ぐらいであり父親の劉備のように人脈も戦勲もない
ことから政治に口出ししても最後には暗殺されるのが
関の山だったでしょう
孔明も劉禅に対して王家簒奪もせず劉備の遺言を守り
魏に対して北伐を貫いた義に因り死後は昌佐神という
神になっている
国力の劣る蜀が数倍の国力をもつ魏に対する勝てない
戦争により国は疲弊しており孔明の後を継いだ姜維の
戦力が喪失しないうちに魏に降伏したのは結果的には
賢明だったと思います
劉禅は人徳があり聡明だったからこそ暗殺を免れ
降伏後の談議で自分に野心も蜀への拘りもなく
無能な形骸皇帝だと思わせており危険視させなかった
ことも蜀で培った教訓だろう
さらに宦官の助言通りに話したのを見破られ司馬昭に
笑われながらも魏で爵を貰って終生まで過ごせたのです