『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

惚けた母がつぶやいた〜 「 生きてるだけが仕合せだ 」♨️

 「こーゆー」 のって、泡沫の 「昭和軽薄体」

2023-06-27 01:30:48 | 日本語

__ 「こーゆー」とか「どーでもいー」なんてゆー「ー」の使い方は、歴史的には「棒引き仮名使い」という名前があるのだが…… 

それを知ってて使ってたわけではないし、何故こー書くよーになったのか、自分でもフシギに思っていた。(ネットの文章でしか使わない)

 

「棒引き仮名使い」の典拠はこちら参照。

> 1904 (明治37) 年度から使われた『尋常小学読本』には、このようないわゆる棒引き仮名遣いが書かれていた。
たしかに、「病気」はビョーキ」と発音するので、じっさいの発音に近い表記にしたのだろう。
しかし、日本の仮名の歴史において、棒引き「ー」は使われてきたことがない。
[ 沢辺有司 『日本人として知っておきたい〜 日本語150の秘密』 より]

 

…… この実用例は、明治時代の後期のことだから、もっと最近の実例を探れば、一時期モーレツに流行って…… 

泡沫(うたかた)のように消えてしまった

【昭和軽薄体】 という文体に辿り着くであろー。

 

昭和の時代に突然あらわれた、新しい「言文一致体」なんですね。

わたしが、この「棒引き仮名使い」を使ったりするのは、振り返ってみると、昔大好きだった南伸坊と橋本治(『桃尻娘』シリーズ)の文体が深層心理に食い込んでいたからだと思う。

まー、歴史ある文体であるということは、ここで高らかに言っておかなくちゃならんだろうね。

ただし、いわゆる「おじさん構文」とは、まったく別物だから、お間違えのなきように。

 

「昭和軽薄体」の隆盛

昭和軽薄体の代表作とされるのは、1979年に刊行された、

椎名誠『さらば国分寺書店のオババ』です。

「とつぜんこういうことを申しあげるのもなんですが、わたくしはだいたい、鉄道🚃関係の人々、というものはあまり好きではないのです」

と始まるので、です・ます調かと思いきや、

だ・である調も混じり、

そこに…… なのね」…… だって」といった純正口語体もスパイスとしてふりかけられる。

さらには「おまえら」が「おまーら」になったり

「憂鬱」が「ユーウツ」になったりと、

「ー」やカタカナの使用法もユニークであり、一人称は「おれ」ということで、やんちゃ感も加味されます。

目黒考二との対談において椎名は、当時の読者からのハガキに「椎名誠の文章はシニカルな軽薄体とでも言うんでしょうか」とあり、

「それを読んで『昭和軽薄体』ってひらめいたんだ。うたかたのように消えていくエッセイにはふさわしいって気持ちもあったんだよ」

と語っています。すなわち昭和軽薄体は、「自称」でした。

[※  酒井順子『日本エッセイ小史』より、以下の引用も同書より]

 

…… なにやら懐しいのう、「昭和軽薄体」、重厚長大よりも軽薄短小が好まれた時代風潮だったんだよね。

日本中が、「シャイネス・ボーイ」から「パフォーマンス・ボーイ」に変貌しようとしていた、明るい🔆日本が見られた最後の時期ですな。(この後十数年で、バブル崩壊を迎える)

 

『さらば国分寺書店のオババ』の文庫本あとがきーより

「嵐山光三郎さん、糸井重里さん、東海林さだおさんの影響を色濃く受けている。もっともいま名前を挙げたこの三名の文章はけっして軽薄体ではないが__ 。まあ今思えば、テレの文体と考えていいのだろうな、と自分で自分を分析している」(椎名誠)

 

 

椎名が影響を受けたと書く嵐山光三郎といえば、

…… でR」という文章が印象的な、椎名と共に昭和軽薄体のツートップ、という印象があります。

嵐山の最初のエッセイ集である『チューサン階級の冒険』は『さらば国分寺書店のオババ』の2年前、1977年の刊行。

「チューサン」の語を見てもわかるように、昭和軽薄体的な言語使用法は既に始まっていて、です・ます調と、だ・である調も、混在している。

椎名が「昭和軽薄体」と絶妙な名付けをしたことによって有名になった文体は、少し前から萌芽を見ていたのです。

 

…… 嵐山光三郎は、深沢七郎の文章からも凄く影響を受けていて、深沢も昭和軽薄体の淵源であろうな。

「…… でR(である)」は、「ABC文体」と言われたんでしたね。

A画=映画🎞️

B人=美人

おいC=美味しい

気持ちE!=気持ちいい

 

…… って、こんな感じでしたね。なんか、同じ時期かはハッキリとしないが、アメリカ🇺🇸のプリンスの曲名も、この昭和軽薄体の匂いがするものだったねえ、

・Live 4Love    (for love)

2You     (to you)

プリンスは、17歳でデビューしたんだよね。

マイケル・ジャクソンと同年代で、ライバルだった男でした。ついでに、最初は一緒にやってたアレクサンダー・オニールとも張り合っていましたね。

大ヒットしたビッグ・プロジェクト「We Are The World」は、クインシー・ジョーンズ率いるマイケル陣営だったから、裏の事情もあって、プリンスは強く誘われていたのに参加しなかった(参加出来なかった)と言われています。プリンス傘下の女性ドラマーであるシーラ・Eは、プリンスに相談しながらかろうじて参加できたみたいね。

これは至極残念だったね、黒澤映画『影武者』で勝新太郎が降ろされたほどに、大ショックだったものです。

プリンスは入れなきゃならないだろう、この後、マイケルからプリンスに猛烈にアプローチがあったそうなんだけど、とうとう二人の共演は成就しなかった。

プリンスは天才だから、わたしもアルバム💿が発売されたリアルタイムで、彼の音楽性を理解することは適わなかった。

プリンスの曲は、5年遅れで聴くくらいで丁度いいような感じがする。NHK・FMで渋谷陽一の「サウンド・ストリート」で初めて逢った同級生だからね。最初はスティービー・ワンダーみたいなメロディアスな楽曲を歌ってたんだけど、いつの間にか「ダーク」な面を押し出してきたのは、やっぱりマイケルの影響だったのかしら。

面白いお二人でしたね。

 

 

嵐山光三郎の他に椎名が影響を受けた人物として名を挙げているのは、糸井重里、東海林さだおです。

糸井重里の最初のエッセイ集『ペンギニストは眠らない』(1980)を見ると、「小エッセイのよーなもの」「エッセイのよーなもの」といった文言が目次に並びます。

もちろん「影響」は「ー」の使用法にとどまらないと思われますが、そこには共通する時代の雰囲気が漂うのでした。

彼らの一世代上である東海林さだおの最初のエッセイ集は、『ショージ君のにっぽん拝見』(1971)。

昭和軽薄体を読んだ直後に、

「ダレでも一度は釣り🎣をしたことがあると思う」

とその一行目を読むと「あ」と思わされるものがありますが、それ以前に「ショージ君」という語がそもそも、その「ー」使いといいカタカナ使いといい、後の世代に与えた影響が絶大の単語であったのではないか。

我々は長年にわたって「ショージ君」という単語を見続けていますが、その一語には、後に昭和軽薄体に移植されるエッセンスが詰め込まれていたのです。

 

……  最近の「棒引き仮名使い」の使用者は、

さんまちゃんの盟友「村上ショージ」(本名;村上昭二)もそう。これも「ショージ君」から由来するのかしらね。

カタカナにすると、従来の漢字の意味とズレる感じで使用できる利点はたしかにあったのです。

 

 

 

 

 

昔、「フォーク」音楽🎵とか「ニューミュージック」の流行は、誰でも歌を作っていいんだと、日本国民のクリエイティブな意識を変革したものです。

おなじように、80年代の「昭和軽薄体」は、手軽に創作なるものをしてもいいんだと、プロでなくとも文章を自由にモノしていいんだと、大いに私たちの詩魂に火を点けてくれたのだと今にして思います。

随筆=エッセイ(散文)は、動く映像表現であり、詩歌(韻文)は写真の如き表現であるそうな。

詩人・萩原朔太郎は、自らの詩論『詩の原理』のなかで…… 

「文学の両極を代表する形式は、詩と小説との二つ」

・詩→主観主義

・小説→客観主義

と言い、評論・随筆等は「その中間的のものにすぎない」として、主観精神に属していると言ったそうです。

そして、ひとつの公式を導き出しています。

> 「評論等の栄える時は、必然に詩(及び詩的精神)の栄える時である」(萩原朔太郎)

 

80年代は、エッセイ/コラムも栄えましたし、短歌(『サラダ記念日』など)も栄えた、軽い時代だったようです。

それ故に、軽い口語体やわかりやすいカタカナ言葉が好まれたのでしょう。

ただし朔太郎は流石に、和歌は「主観」だけれども、俳句は「客観」であるのを見抜いていました。

俳句は口語体にならないのです、だから大流行した『サラダ記念日』は短歌だったのです。

今の時代はやはり重いのでしょう、夏井先生の俳句がもてはやされるのは鳥瞰図的な客観(=世界の断面)が求められているからかも知れません。

研ぎ澄まされた客観に向かおうとすると、詩やエッセイは筆が進まなくなります。

このブログも、どちらかというと検証精神で書いているので、エッセイというよりも論文に近くなって来る傾向があるようです。

知らず知らずに、「昭和軽薄体」で文章を書いていたことに、今回気がついたのは収穫でした。

なにやら、失われた三十年がすんなりと胸におさまった感じがしてます。

やはりマイカル・ジャクソンよりプリンスであり、

SMAPより男闘呼組であると。(ジャニーズで唯一好きなグループです、いやジャニーズであることすら忘れていた程に、実力のあるロックバンドでした。この度イエスの復活みたいに突然渋いバンドになって復活してくれて嬉しい。ジャニーズも崩壊しつつあるが、少年隊やKing & Princeのダンスには瞠目したものだ。やっぱり造られたアイドルは、自然発生的な芸能🎭とは違うよな。あの、礼儀正しさとストイックな鍛錬は高く買うけど。芸者にそーゆーのは当たり前だからね、そろそろ藝を身につけた達人・名人を輩出してほしいところ)

 

硬軟両様が書ける、時代精神に流されないで、普遍を見つめる自分であり続けるつもりでいます。

          _________玉の海草

 

 

 


【自分回帰】 伊勢白山道とは〜 渡ったら 「筏」 はいらなくなる

2023-06-02 20:17:37 | 小覚

__ おもえば、伊勢白山道のコメント欄📝で、出禁を喰らったのが、このブログを始めるキッカケでありましたな。

ほぼ二年を経て、伊勢白山道へ投稿した拙稿をまとめたり、加筆🖌️したりして、まあまあの密度の記事が書けたかと思う。

ブログ『伊勢-白山 道』なくば、この程度の記事すら書けなかったことは確信がもてる。まとめられて良かったと芯から思う。

 

伊勢白山道のコメント欄📝に投稿するということは、どーゆーことだろう、いまどのくらいの人数が閲覧しているだろう?

稲垣足穂は、みずからの読者が4000〜5000人位であろうとの実感から、その心ある少数の読者に向けて執筆していたものである。

わたしも、それに似た思いはあった。伊勢白山道では、かなりの初期に5000人の読者はクリアしていたから、コメント欄投稿の初手から、作家としての足穂より恵まれた環境だと思ったものだ。

 

どうしても、同胞たる日本人(まっとうな日本人)の耳に入れておきたい逸話なり物語があった日本が大好きな人びとと、そのエピソードを共有したかったのである。

その対象となる読者としては、伊勢白山道を読むほどの日本人なら資格充分じゃないかと思い、読書三千冊のうちに胸にあたためてきた「ある意地やある粋」を披瀝してみたいと思った。

その反応も、即座に得られるのがコメント欄の良い処でもある。けっこう励まされたし、血肉となった貴重な識見も多かった。(あくまでも初期〜中期の頃の話です)

 

目的は叶えられた、第二の目的ではあったが。

第一義は、やはり秘儀参入である。霊的な境涯を上げることで、新たな景色を見ること。これについては、何とも言えない。すでに、リーマンさんから授かっているようでもあるし、気づいてないだけかも知れない。

 

本来の目的は、ほぼ完遂できたようなので、ここで一度もとに還ろうと思う。伊勢白山道から距離をおく。

いままで通り、記事は毎日拝見することは変わらない。

・国難の予知

・防災グッズの情報取得

などの霊視情報は貴重なものだからだ。幾つか取り寄せて使ってみたことがあるが、とても重宝している。(そもそも、伊勢白山道で「Amazon」を推薦されなければ、ネット通販を利用することはなかったであろう。)

 

さて、「伊勢白山道から離れる」 と一言でいっても…… 

自分の祭祀と伊勢白山道の祭祀とが渾然一体となって、分離しようにもそれは不可能である。

意識の持ち方とかは、まるで伊勢白山道を知る以前とは別物なのだが、祭式や外的な要素はあんまり変わりはない。

見た目で、一般家庭といちじるしく異なるのは、『短冊🎋位牌』くらいのものだ。

いま、やめようと思い立っても、ほぼ対外的には変更していないので、問題は無い。

伝統的な神祭りと先祖供養も、なかなか馬鹿にならないものだ。基本は伊勢白山道を学んだ後でも変えなくとも良かったのだから。

 

嗚呼、伊勢白山道読者なんて気を張って、あたかも新宗教に臨むが如く真剣に取り組んでいたが……   傍目からは、そんなに違和感はなかったのだ。

な〜んだ、いつ止めてもモーマンタイだったのだ。

ちょっと安心した。

 

伊勢白山道にお金💰払っているわけではないし、入会していない以上、脱会届けも不要である。

なにやら、コメント欄の読者がよく言っている「イセハクサンダー」というのは、いたって根拠の薄いものだったんだと改めて気付かされた。

 

これで、身軽になって、自分本来の湧き上がる気持ちで生きることとなる。

何故、こんな形式的な宣言めいた断りが要るのかというと、やはり伊勢白山道には多大なる恩義を感じているのだ。

実際、伊勢白山道に出逢う以前の私とは、別人になった思いがある。その有り難みもあって、やっぱり伊勢白山道を守ろうとするだろうから、そんな気持ちからも離れるために、止める意識は明確にしておかなければならない。

 

 

まー、何が変わるわけでもない。

根源神、天津神、国津神、眷属神に対し奉り、なにも崇敬の姿勢に変わりはない。

変わるのは、リーマンさんに対する姿勢だけであろう。

個人的に、リーマンさんの選択したやり方には不満があるし、文章をはじめとする左脳的な習熟度には不信感が絶えない。(まともに学校🏫の勉強をしていない)

阿難尊者もけっこう「お間抜け」だったが、リーマンさんも先行する社会常識に対する如才なさが欠如している。それなりに精巧なコノ世の仕組みに合わせて、ご自分を落とすことがお出来にならない。

証拠も幾つもあるが、いまは時節柄遠慮しておこう。

静かに烈しく、批判的精神(検証しようず)で臨めば十分であろう。

縁がないのかも知れんし、腐れ縁なのかも知れなかった。よく分からん。

 

 

というわけで、熱き思いの外、いたって殺風景ではある文面だが、ケジメとはそんなものである。

もう、コメント欄を守ったり、不埒な読者を諌めたりする義務はなくなった。やるべきことはやり終えたといってもよいのかな。

それにしても、リーマンさんのバイアスで操作されたコメント欄に成り果せたのだけれど、ポリティカル・コレクトネスもあり、コンプライアンスもあり、不自由なコメント欄になって仕舞ったものだ。

風俗資料としては、もはや二流になってしまった。

遺憾である、さまざまな日本人の精神内容や潜在意識を知ることのできる、得難きブログであったというのに!

 

わたしは、15年読者だが、伊勢白山道ブログの歴史は16年になるわけですね。

いまだに公的には、有名なブログではないが、なかなか強力な推薦人があらわれないからなんだろうな。

 

「絶対に引用禁止🈲」も、ハードルが高い。

著書を出版する際にも、編集部の校正が入らないのは致命的である。(眷属神からの啓示で書いている、日々の記事なので、編集部で推敲することは出来ない)

たとえナチュラルスピリット社のような、大手の出版社であっても、例を挙げればスピリチュアル界にあって「遍在」と「偏在」を取り違えるような編集者では使い物にならない。(同音で、まったく反対の意味を持つ語)

出版界の知的なレベルも、かなり落ち込んでいる。(紙の媒体の衰退が大きい、優秀な人材が入って来ないのだ)

リーマンさんのおかしな文体も、そうした編集事情のために、素通りして世間に上梓されてしまう。

日本語の執筆レベルが低いのである。

 

 

伊勢白山道の著書の場合、いままでに本📕の帯に推薦文を書いてくれた作家は、吉本ばなな女史しかおられない。

老子の柔訳にしても、初期仏教の経典の柔訳にしても、斯界の専門家からは完全無視されている。

ネットで、素人読書家の口の端にものぼらない。

批判や論考の対象にすらなっていないのだ。

世間の人びとは、信頼できる重要な誰かの「お墨付き」がないと、信じられないものである。

 

ー 藤井・新名人は、将棋を「技術」と言明していた。

さすれば、eスポーツも「意識だけで、体術の伴わない技術(指の反射神経は使うが)」と呼んでもよかろう。

脳の進化は、脳🧠単独ではありえない、身体の進化に伴って起こるものである。末端からのフィードバックが司令塔の存在感をいやましに増幅させる。

ひとつの思想が成立するには、その思想特有の体術(身体の操法)が内包されているというのが、私の持論である。

「武」においても、その特有の認識が現象化したものが「奥義🪭」であり「極意」であろう。

さて、伊勢白山道の体術とは何か?

なんの体系も、システムもない。毎日の記事によってもたらされる「思い癖」(弛緩リラックス系の言葉が多い)で、心身統一できるものだろうか?

 

ここまで思いを巡らせて、ある決定的な違いに初めて気がついた。

リーマンさんが幾度となく繰り返して「読者への返答」のなかで述べた、ある言明に重大な秘密がある。

直近の言葉を挙げれば……

このブログも、大神から、1度の縁を示せ。

が任務です。

1度だけ知らせれば、私の任務は終わり。

あとは個人次第のことです。

 

…… つまりは、原始キリスト教でたとえるならば、

・リーマンさんは「お知らせ」が使命であるということ。

・いわば、バプテスマ(洗礼)のヨハネであり、

救世主としてキリスト=イエスとして受肉したわけではないということ。

・では救世主とは誰か? それはリーマンさんが縁を示した一人ひとり、つまり(神性を預かった)私たちであるということ。

 

そういうことならば、単純な事実だが…… 

・リーマンさんは、霊的な指導者として露われたわけではない。

・伊勢白山道とは、リーマンさんの「スクール」ではない。

・伊勢白山道に、秘儀参入のプログラムはない。

 

 

__ 単純なことだったのです、

リーマンさんとは【メッセンジャー】だったのです。「お知らせ」するために来たということです。

まとめれば、次の拙稿(これはリーマンさんに掲載されました)となります。

 

🔴 明らめ(諦め)

たとえ、和歌も詠めず文章も日本語の流れるような調べのない拙いもので、その伝え方は情緒とは程遠いものであったとしても……

その伝えようとしている本源、つまり根源神が悪いわけではない。

ただ、間に入った人の伝え方が悪いだけなのです。

 

素晴らしい人がいる、しかしその人を伝えてくれたインフルエンサーが気に触るイヤな奴だとしても……

素晴らしい人は、素晴らしい人なのに変わりはないのです。

 

太陽☀️に、雲☁️がかかったようなものです。

薄暗い雲越しにも太陽の眩しさは充分伝わります。

それと同じことです。私はそーゆースタンスです。

 

…… これはつまり、

・リーマンさんを拝んではいけない。

・リーマンさんを信仰するわけではない。

ということです。

たとえ「聖なる道具」(易行道の「船」のたとえや、対岸へ渡す筏など)であっても、河を渡ったら要らなくなることが往々にしてあるのです。

自転車乗りを覚えるときの、補助輪に似ています。

 

そういう「キッカケ」によって、遺伝子🧬が変異することもあるでしょう。

すべての経験を刻んで、いまの遺伝子があります。

そのようなベクトル(力✖️方向)が〜 「往相」や「還相」のようなものが〜 ある流れの方向があるということです。

グルジェフの「創造の光」、グノーシスの「流出」、あるいは「滲透(オスモーズ)による認識」もそうであろう。

        _________玉の海草