__ 「こーゆー」とか「どーでもいー」なんてゆー「ー」の使い方は、歴史的には「棒引き仮名使い」という名前があるのだが……
それを知ってて使ってたわけではないし、何故こー書くよーになったのか、自分でもフシギに思っていた。(ネットの文章でしか使わない)
「棒引き仮名使い」の典拠はこちら参照。
> 1904 (明治37) 年度から使われた『尋常小学読本』には、このようないわゆる棒引き仮名遣いが書かれていた。
たしかに、「病気」は「ビョーキ」と発音するので、じっさいの発音に近い表記にしたのだろう。
しかし、日本の仮名の歴史において、棒引き「ー」は使われてきたことがない。
[※ 沢辺有司 『日本人として知っておきたい〜 日本語150の秘密』 より]
…… この実用例は、明治時代の後期のことだから、もっと最近の実例を探れば、一時期モーレツに流行って……
泡沫(うたかた)のように消えてしまった
【昭和軽薄体】 という文体に辿り着くであろー。
昭和の時代に突然あらわれた、新しい「言文一致体」なんですね。
わたしが、この「棒引き仮名使い」を使ったりするのは、振り返ってみると、昔大好きだった南伸坊と橋本治(『桃尻娘』シリーズ)の文体が深層心理に食い込んでいたからだと思う。
まー、歴史ある文体であるということは、ここで高らかに言っておかなくちゃならんだろうね。
ただし、いわゆる「おじさん構文」とは、まったく別物だから、お間違えのなきように。
> 「昭和軽薄体」の隆盛
昭和軽薄体の代表作とされるのは、1979年に刊行された、
椎名誠『さらば国分寺書店のオババ』です。
「とつぜんこういうことを申しあげるのもなんですが、わたくしはだいたい、鉄道🚃関係の人々、というものはあまり好きではないのです」
と始まるので、です・ます調かと思いきや、
だ・である調も混じり、
そこに「…… なのね」や「…… だって」といった純正口語体もスパイスとしてふりかけられる。
さらには「おまえら」が「おまーら」になったり
「憂鬱」が「ユーウツ」になったりと、
「ー」やカタカナの使用法もユニークであり、一人称は「おれ」ということで、やんちゃ感も加味されます。
目黒考二との対談において椎名は、当時の読者からのハガキに「椎名誠の文章はシニカルな軽薄体とでも言うんでしょうか」とあり、
「それを読んで『昭和軽薄体』ってひらめいたんだ。うたかたのように消えていくエッセイにはふさわしいって気持ちもあったんだよ」
と語っています。すなわち昭和軽薄体は、「自称」でした。
[※ 酒井順子『日本エッセイ小史』より、以下の引用も同書より]
…… なにやら懐しいのう、「昭和軽薄体」、重厚長大よりも軽薄短小が好まれた時代風潮だったんだよね。
日本中が、「シャイネス・ボーイ」から「パフォーマンス・ボーイ」に変貌しようとしていた、明るい🔆日本が見られた最後の時期ですな。(この後十数年で、バブル崩壊を迎える)
> 『さらば国分寺書店のオババ』の文庫本あとがきーより
「嵐山光三郎さん、糸井重里さん、東海林さだおさんの影響を色濃く受けている。もっともいま名前を挙げたこの三名の文章はけっして軽薄体ではないが__ 。まあ今思えば、テレの文体と考えていいのだろうな、と自分で自分を分析している」(椎名誠)
> 椎名が影響を受けたと書く嵐山光三郎といえば、
「…… でR」という文章が印象的な、椎名と共に昭和軽薄体のツートップ、という印象があります。
嵐山の最初のエッセイ集である『チューサン階級の冒険』は『さらば国分寺書店のオババ』の2年前、1977年の刊行。
「チューサン」の語を見てもわかるように、昭和軽薄体的な言語使用法は既に始まっていて、です・ます調と、だ・である調も、混在している。
椎名が「昭和軽薄体」と絶妙な名付けをしたことによって有名になった文体は、少し前から萌芽を見ていたのです。
…… 嵐山光三郎は、深沢七郎の文章からも凄く影響を受けていて、深沢も昭和軽薄体の淵源であろうな。
「…… でR(である)」は、「ABC文体」と言われたんでしたね。
・A画=映画🎞️
・B人=美人
・おいC=美味しい
・気持ちE!=気持ちいい
…… って、こんな感じでしたね。なんか、同じ時期かはハッキリとしないが、アメリカ🇺🇸のプリンスの曲名も、この昭和軽薄体の匂いがするものだったねえ、
・Live 4Love (for love)
・2You (to you)
プリンスは、17歳でデビューしたんだよね。
マイケル・ジャクソンと同年代で、ライバルだった男でした。ついでに、最初は一緒にやってたアレクサンダー・オニールとも張り合っていましたね。
大ヒットしたビッグ・プロジェクト「We Are The World」は、クインシー・ジョーンズ率いるマイケル陣営だったから、裏の事情もあって、プリンスは強く誘われていたのに参加しなかった(参加出来なかった)と言われています。プリンス傘下の女性ドラマーであるシーラ・Eは、プリンスに相談しながらかろうじて参加できたみたいね。
これは至極残念だったね、黒澤映画『影武者』で勝新太郎が降ろされたほどに、大ショックだったものです。
プリンスは入れなきゃならないだろう、この後、マイケルからプリンスに猛烈にアプローチがあったそうなんだけど、とうとう二人の共演は成就しなかった。
プリンスは天才だから、わたしもアルバム💿が発売されたリアルタイムで、彼の音楽性を理解することは適わなかった。
プリンスの曲は、5年遅れで聴くくらいで丁度いいような感じがする。NHK・FMで渋谷陽一の「サウンド・ストリート」で初めて逢った同級生だからね。最初はスティービー・ワンダーみたいなメロディアスな楽曲を歌ってたんだけど、いつの間にか「ダーク」な面を押し出してきたのは、やっぱりマイケルの影響だったのかしら。
面白いお二人でしたね。
> 嵐山光三郎の他に椎名が影響を受けた人物として名を挙げているのは、糸井重里、東海林さだおです。
糸井重里の最初のエッセイ集『ペンギニストは眠らない』(1980)を見ると、「小エッセイのよーなもの」「エッセイのよーなもの」といった文言が目次に並びます。
もちろん「影響」は「ー」の使用法にとどまらないと思われますが、そこには共通する時代の雰囲気が漂うのでした。
彼らの一世代上である東海林さだおの最初のエッセイ集は、『ショージ君のにっぽん拝見』(1971)。
昭和軽薄体を読んだ直後に、
「ダレでも一度は釣り🎣をしたことがあると思う」
とその一行目を読むと「あ」と思わされるものがありますが、それ以前に「ショージ君」という語がそもそも、その「ー」使いといいカタカナ使いといい、後の世代に与えた影響が絶大の単語であったのではないか。
我々は長年にわたって「ショージ君」という単語を見続けていますが、その一語には、後に昭和軽薄体に移植されるエッセンスが詰め込まれていたのです。
…… 最近の「棒引き仮名使い」の使用者は、
さんまちゃんの盟友「村上ショージ」(本名;村上昭二)もそう。これも「ショージ君」から由来するのかしらね。
カタカナにすると、従来の漢字の意味とズレる感じで使用できる利点はたしかにあったのです。
昔、「フォーク」音楽🎵とか「ニューミュージック」の流行は、誰でも歌を作っていいんだと、日本国民のクリエイティブな意識を変革したものです。
おなじように、80年代の「昭和軽薄体」は、手軽に創作なるものをしてもいいんだと、プロでなくとも文章を自由にモノしていいんだと、大いに私たちの詩魂に火を点けてくれたのだと今にして思います。
随筆=エッセイ(散文)は、動く映像表現であり、詩歌(韻文)は写真の如き表現であるそうな。
詩人・萩原朔太郎は、自らの詩論『詩の原理』のなかで……
「文学の両極を代表する形式は、詩と小説との二つ」
・詩→主観主義
・小説→客観主義
と言い、評論・随筆等は「その中間的のものにすぎない」として、主観精神に属していると言ったそうです。
そして、ひとつの公式を導き出しています。
> 「評論等の栄える時は、必然に詩(及び詩的精神)の栄える時である」(萩原朔太郎)
80年代は、エッセイ/コラムも栄えましたし、短歌(『サラダ記念日』など)も栄えた、軽い時代だったようです。
それ故に、軽い口語体やわかりやすいカタカナ言葉が好まれたのでしょう。
ただし朔太郎は流石に、和歌は「主観」だけれども、俳句は「客観」であるのを見抜いていました。
俳句は口語体にならないのです、だから大流行した『サラダ記念日』は短歌だったのです。
今の時代はやはり重いのでしょう、夏井先生の俳句がもてはやされるのは鳥瞰図的な客観(=世界の断面)が求められているからかも知れません。
研ぎ澄まされた客観に向かおうとすると、詩やエッセイは筆が進まなくなります。
このブログも、どちらかというと検証精神で書いているので、エッセイというよりも論文に近くなって来る傾向があるようです。
知らず知らずに、「昭和軽薄体」で文章を書いていたことに、今回気がついたのは収穫でした。
なにやら、失われた三十年がすんなりと胸におさまった感じがしてます。
やはりマイカル・ジャクソンよりプリンスであり、
SMAPより男闘呼組であると。(ジャニーズで唯一好きなグループです、いやジャニーズであることすら忘れていた程に、実力のあるロックバンドでした。この度イエスの復活みたいに突然渋いバンドになって復活してくれて嬉しい。ジャニーズも崩壊しつつあるが、少年隊やKing & Princeのダンスには瞠目したものだ。やっぱり造られたアイドルは、自然発生的な芸能🎭とは違うよな。あの、礼儀正しさとストイックな鍛錬は高く買うけど。芸者にそーゆーのは当たり前だからね、そろそろ藝を身につけた達人・名人を輩出してほしいところ)
硬軟両様が書ける、時代精神に流されないで、普遍を見つめる自分であり続けるつもりでいます。
_________玉の海草