れいわ新選組の演説に
芸人ぜんじろう
が現れた。
上岡龍太郎の弟子のぜんじろう。
上岡龍太郎は大阪で権力があった。
。
ぜんじろうは
MBS毎日放送の近畿ローカル「テレビのツボ」
の司会に抜擢された。
MBS毎日放送で月曜から金曜まで深夜1時から放送していた
近畿ローカル「テレビのツボ」の司会だったぜんじろう。
MBS毎日放送で深夜1時から放送していた「テレビのツボ」は視聴率が10%を超えていた。
ぜんじろうも自由に伸び伸びやっていた。
「テレビのツボ」高視聴率を受けMBS毎日放送は夕方に
ぜんじろう司会の情報バラエティ「屋台の目ぇ」を開始した。
しかしMBS毎日放送の夕方情報バラエティ「屋台の目ぇ」はすぐに打ち切られた。
ぜんじろうに人気があったわけではなかった。
企画が面白かっただけだった。
ぜんじろうは
日本テレビ「天才たけしの元気が出るテレビ」出演が決定する。
ぜんじろうは東京進出を決める。
しかし日本テレビ「天才たけしの元気が出るテレビ」は
視聴率がかなり悪化してきていた。
ぜんじろうは
せっかく東京進出を決意し日本テレビ「天才たけしの元気が出るテレビ」に出たのに
日本テレビ「天才たけしの元気が出るテレビ」はすぐ終わってしまった。
ぜんじろうは東京を意識し、大阪に帰ってくることを面倒くさがるようになる。
MBS毎日放送で月曜から金曜まで深夜1時から放送していた「テレビのツボ」を
金曜だけの「週刊テレビのツボ」
にしてもらった。
東京に進出し大阪を無意識にバカにするようになっていた
ぜんじろうは
金曜だけの「週刊テレビのツボ」すら露骨に手を抜くようになって
まったく面白くなくなっていた。
金曜だけの「週刊テレビのツボ」も打ち切りになった。
東京で相手にされず
大阪をバカにする
ぜんじろう、
東京でも大阪でも仕事が無い。
ぜんじろう、
東京でも大阪でも人気が無い。
れいわ新選組の演説にやって来た
ぜんじろう。