第4章 日本の危機
第5節 日本の危機 北朝鮮
2000年代 2
北朝鮮
は
日本
の
政界、
官界、
学界、
マス・メディア、
司法、
財界
への
浸透工作
や、
非合法の資金調達手段としての偽造紙幣流通、
サイバー攻撃、
麻薬・覚醒剤売買、
軍事関連機器購入
を
続けている。
北朝鮮
は
1992年
には
射程距離1000km
の
ノドン1号弾道ミサイル
を
完成させ、
日本の大半を射程に収めた。
1993年3月
には
能登半島沖
に
ノドン1号
を
試射し、
日本に脅威を与える
弾道ミサイルの完成に成功した。
北朝鮮
の
ノドン1号
は
核弾頭、
化学兵器弾頭、
生物兵器弾頭
が
搭載可能
で、
落下速度は非常に速く、迎撃は困難である。
また
発射プラットフォームは移動式で早期発見は困難である。
ノドン1号
は
200基を超える数
が
実戦配備された
模様である。
1999年8月31日
には、
日本全土を射程におさめる
テポドン1号
が
日本国土を通過するかたちで試射され、
日本だけでなく
同盟国アメリカ
にも
脅威となった。
さらに
2000年代
北朝鮮
は
テポドン2号、
ムスダン
を
開発中で、
脅威の広範囲化をはかっている。
北朝鮮
は
早い時期
から
化学兵器、
生物兵器
を
保有していた。
北朝鮮
は
1994年
に
国際原子力機関(IAEA)
による
原子力施設
への
特別査察
を
拒否、
妨害し、
核兵器開発への疑念は深まった。
国連、
国際社会
は
北朝鮮
を
非難、
経済制裁
を
決定
実施した。
さらに
国連、
国際社会
は
ほぼ全会一致
で
北朝鮮
への
軍事制裁
の
支持へ動いた。
1994年、
北朝鮮爆撃、
朝鮮半島有事
が
ほぼ決定したため
アメリカ
は
日本
に、
在日アメリカ軍航空基地、海上自衛隊航空基地、航空自衛隊基地
以外に
3000m級滑走路のある
東京国際空港(羽田空港)、
新東京国際空港(成田空港)、
大阪国際空港(伊丹空港)
を
合衆国海軍、
合衆国空軍、
合衆国海兵隊
の
航空機が使用できるよう
日本に打診した。
またアメリカ
は
1994年、
北朝鮮爆撃、
朝鮮半島有事
が
ほぼ決定したため
在日アメリカ海軍基地と横浜港
以外に
海上自衛隊舞鶴基地、
海上自衛隊呉基地
と
東京港、
大阪港、
神戸港
を
合衆国陸軍、
合衆国海軍、
合衆国海兵隊
が
使用できるよう打診した。
アメリカからの打診を受け
日本政府
は
大阪市
に
大阪港のアメリカ軍艦艇入港
を
打診、
大阪府警察第1機動隊、大阪府警察第2機動隊
が
全面的に投入され
左翼過激派
左翼活動家
左翼市民団体
の
妨害、暴動
を
厳重に警戒する中、
合衆国海軍オリヴァー・ハザード・ペリー級フリゲート
が
20年ぶりに
合衆国海軍艦艇として
大阪港に入港した。
さらに
大阪府警察の機動隊が若干数投入され
左翼過激派
左翼活動家
左翼市民団体
の
妨害、暴動
を
警戒する中、
合衆国海軍アーレイ・バーク級駆逐艦
も
大阪港に入港した。
その後は際立った警備もされることなく
合衆国海軍
の
巡洋艦、駆逐艦、フリゲート、強襲揚陸艦、補給艦、給油艦
が
大阪港に入港できるようになった。
ジミー・カーター元大統領
の
訪朝
と、
ビル・クリントン大統領
の
米朝合意
によって
アメリカ
は
北朝鮮
へ
石油を無償提供した。
日本と韓国
は
北朝鮮
に
軽水炉型原子力発電所を建設することになり準備を急いだ。
北朝鮮
は
本来、
核開発を中断すべきであったが、
ジミー・カーター元大統領とビル・クリントン大統領
の
北朝鮮
への
甘い態度
は、
北朝鮮の核開発継続を許し、
北朝鮮は黒鉛減速炉の燃料棒からプルトニウムを抽出し、核爆弾の製造をおこなったと思われる。
2000年代、
アメリカ
は
北朝鮮危機、
朝鮮半島有事
に
おいて
アメリカ軍基地
を
攻撃する
朝鮮人民軍特殊部隊、
朝鮮人民軍コマンド部隊、
在日朝鮮人ゲリラ部隊、
主体思想派ゲリラ部隊、
親北朝鮮派日本人ゲリラ部隊、
親北朝鮮派在日韓国人ゲリラ部隊
への
対処
として
作戦計画5055
を
策定、
陸上自衛隊に協力を打診した。