☆あと1ヶ月
潤「おはようございます。
8/1 土曜日の朝いかがお過しですか? 松本潤です。
若干噛みましたけど、ハイ。 8月です。
えーいよいよ今月ですね。えー 僕のカウントダウンが始まりました。
25歳、あと1ヶ月でございます、ハイ。
まっ 楽しく過ごしていきたいと思っております。
では 約30分間、僕松本潤とお付き合い下さい。
JUN STYLE スタートです」
♪♪♪
☆月イチ嵐
潤「今日のオープニング曲は、2002年の曲ですね
嵐で<ナイスな心意気>聴いてもらってます!
では今日は<月イチ嵐2002>ということで早速いただいてるメールご紹介します!」
メール紹介(要約)
2003日から<Cの嵐!>がスタート。
そこで潤くんに問題。
2回目の放送で、潤くんは区役所にクレームを出してるクレーム主の元へ話を聞きに行ったが
それはどんなクレーム?
① 放置自転車
② 建設現場の騒音
③ ゴミ問題
潤「これはね、覚えてますよ。
1回目が確かね、赤羽かなんかに行って放置自転車のやつやってたんですよ。
で、僕はそんときたぶん担当ではなくて
2回目に板橋区のゴミ問題かなんかのクレーム処理に行ったんだと思うんですね。
で、こうゴミのネットをどうする?みたいなこととかを、やってた気がしますね。
さ、答えいってみましょう。
これたぶん合ってると思います。自信ありますね、僕」
答え
③ ゴミ問題
①の放置自転車は初回の放送で、北区の駅前の放置自転車クレーム処理
潤「ハイそうですね、2回目のことについては一切触れてないですけど、ふふふっ。
ハイ、正解しました。ありがとうございます。
そうなんですよ、クレームね~大変でしたね~、あの番組も、ええ。
懐かしいですね、ハイ。
ではここで1曲聴いていただきたいと思います。
今日は2002年の月イチ嵐ということで、2002年の曲かけたいと思います。
嵐で<a Day in Our Life>」
♪♪♪
潤「えー<木更津キャッツアイ>の主題歌でしたね。
嵐で<a Day in Our Life>聴いてもらいました。
さ~それでは2002年の嵐について、振り返ってみたいと思います。
まず、え~2001年の年末から1月にかけて
ライブ<ARASHI ALL Arena tour Join the STORM>
Join the STORM ね~。こないだねー、ちょこっと映像見たんですね、僕。
<時代>から始まるんですね、アクセントダンスやってて。
そのアクセントダンスが、櫻井くんがぜんっぜんできなかったっていうことを
こないだ思い出してみんなで笑ってたんですけど、ハイ。
1月の2・3・4と横浜アリーナでやり、4日に
<嵐のなりきりバラエティー犬の気持ちになってみました!ワン>っていうのをやりまして。
え~2月の6日、シングル<a Day in Our Life>をリリース。
そして3月の20日から、え~第33回春の高校バレースペシャルサポーターをやらせていただき。
え~3月30日31日とハワイでファンツアーを<STAND UP HAWAII!!>ですね、これ・・・をやりまして。
4月の17日、シングル<ナイスな心意気>をリリース。
アニメこちら亀有・・・ちがう<こちら葛飾区亀有公園前派出所>
こち亀さん、ハイ・・・のタイアップで主題歌を歌わせていただいて。
声優もやらせてもらいましたね、こん時アニメのね、1話だけ、ハイ。
そして4月の17日からドラマ<ごくせん>がスタートされたと。
そんな年ですよ、2002年、ハイ。
そして5月16日、え~ベストアルバム
<嵐 Single Collection 1999-2001>をリリース。
あの~2002年にJ-Storm に移籍したんですよね、僕ら。
今はま~もう自分達ずっとやってますけども。
J-Storm に移籍して、その今までの出してたシングルを1枚にまとめて出したっていうことですね。
そして6月の15日に、1st写真集<in a rush!>を発売。
懐かしいですね、POPEYEですね、確か。
さ、ということでメールご紹介していきたいと思います」
メール紹介(要約)
私の嵐との思い出は2002年<HERE WE GO!>
友達に誘われて行った初めてコンで衝撃。
こんなに楽しい空間が世の中にあるんだと感動。
10周年楽しみにしてる
個人的には伝説のスケスケ衣装でA・RA・SHIを歌ってほしい。
潤「ということです。懐かしいですねー、ハイ。
もう1枚ぐらい読みます」
メール紹介(要約)
<HERE WE GO!>がいちばん好きなコンサート。
アルバム曲の素晴らしさか? MCが楽しくなってきたからか?
5人が空中を移動してきたことも衝撃的。
赤いカブトムシのような独創的な衣装が忘れられない。
2年ぶりの夏コンを5人が楽しんでた。
DVDになってなくて残念。
これからも嵐の風になって応援していきます。
潤「懐かしいですねー。
そう、なんかねー鎧みたいの着てたんですよ。
非常に覚えてますけど僕も。
あんね、この時はねーすごかったですね。
最後後半こう盛り上がるメドレーとかやるんじゃなくて
最後の最後20分強ぐらいダンスメドレー作って
ダンスメドレーやったら本編が終わるっていう・・・
非常にこう、攻めてましたね・・・あの当時、コンサートを・・・ええ。
楽しかったです。
僕も楽しい思い出がありますね~。
あと何を覚えてるかなー・・・
ソロ曲で、なんか<Key of life>って曲をやったりとかですね。
たまになんかあの曲を、櫻井くんがなんか口ずさんでるなー。
なんで、なんでその曲なんだろうと思うんですけど、ええ。
<いま愛を語ろう>とかね。
オープニングで<眠らないカラダ>やったりとかね。
懐かしいですね、ハイ。
えーではここで1曲。
えーこの曲もなんか曲の中に2002年というのが出てくるんで2002年の印象が強いんですけど。
嵐で<Tokyo Lovers Tune Night>」
♪♪♪
潤「引き続き2002年の嵐についてお話ししていきたいと思います。
7月の3日<C(クレーム)の嵐!>スタート。
7月の17日、2ndアルバムですねー<HERE WE GO!>をリリース。
そして7月の21日<嵐のなりきりバラエティー犬のキモチになってみましたワンワン>
そして8月の6日から<ARASHI SUMMER 2002 HERE WE GO!>ツアー。
えー8月の17日18日、埼玉スーパーアリーナと。
ちなみに18日は<嵐と一緒に犬のキモチになってみたりしてワンワンワワワワン>という・・・
これなんか覚えてます。
<11時11分に開演しよう>って言うの。
ワン・ワン・ワン・ワンでっていう・・・。
(エコー付き)そんな早くやんなくていいだろ>って、
すごい思ってましたね、僕は、ハイ。
(笑)そして9月え~15日<pino スーパードッジボール大会>
ってやりましたねー、これも。
これもスーパーアリーナですね。
そして10月の4日<ピカ☆ンチ>の写真集を発売。
えー10月の5日<JUN STYLE><なまあらし>スタート。
こっからですよ。
JUN STYLE 長いですね、2002年からですから。
そして、えー10月の17日シングル<PIKA☆NCHI>をリリース
18日から、え~東京グローブ座で、
映画<ピカ☆ンチ LIFE IS HARDだけどHAPPY>を公開しました。
そして10月の30日にサントラ<ピカ☆ンチ>をリリースし。
えー12月の29日に<ごくせんリターンズ>オンエアということですけど。
ではメール紹介したいと思います」
メール紹介(要約)
2002年で思い浮かぶのはごくせん。
小6で1話を見て、潤くんを知り嵐を知り大好きになった。
潤「ごくせんね。
この当時 小学6年生で7年後? 19歳! それでも19歳ですか
19・・・ そうだね・・・とかだね。
スゴイですねー。
えーでは、もう1枚」
メール紹介(要約)
ピカンチがとても印象に残ってる。
シュールなキャラクターやストーリーはもちろんだが、なかでも
<屋形船には乗らない。ああいう大人にはならない>といった台詞やシーンが強烈に残っている。
当時高校生で映画に影響を受け、屋形船に乗るような大人にはならないと言っていた。
あれから7年。社会人になったがいまだに<屋形船=乗ってはいけない>
というイメージが抜けてない。
そのため以前<嵐の技ありッ!>で屋形船に乗っているのを見たときはちょっぴりショックだった(笑)
潤くんは仕事以外で乗ったことありますか?
潤「僕は仕事でしかないですねー。
僕も~ ピカンチとかはやっぱりアレですね。
屋形船から飛び込んだところとかがいちばん印象的かなー、ええ。
ほんとに死にかけましたからね、あの時、ええ。
ちょうど、だからそれこそ<ピカ☆ンチ>の撮影が
<ごくせん>のドラマ撮ってる最中とまったく一緒だったんですよ。
ずーっと同じ時期にやってた記憶がありますね。
なんか<ごくせん>ですごくクールな役をやってて
<ピカ☆ンチ>の現場に行って堤さんの言われることをやってた印象ですかね。
もちろんその台本読んで行くんだけど
堤さんってすごくこう現場でコロコロ変わるし。
逆になんかこう、クールな役をやってるからこそ、こう幅のあるというか
全然違う役でやりたいと思ってたんで。
堤さんの、なんかそこはギャグセンスを非常に信頼していたので。
言われたとおりにやっていたら・・・はっ(笑)
あんなヘンな役になったっていう、感じですかねー。
堤さんがすっごい嬉しそうに、あの蟹とかカブトムシとかだっけ!?
ベルトをさ、1回目がカブトムシだったのかな?
2で蟹だったのかな?
なんかそのベルトに(笑)ものすごいこだわりを持ってた記憶がありますねー、ええ。
懐かしいですね。
そんな2002年でございました。
2002年はそうですねー。
ほんとに、自分の中でもいろんなことがこう変わった年だったかもね。
あの、嵐としてもこうJ-Stormに移籍したり<a Day>みたいな曲をやったりとか
すごく音的にもこう変わった年だったと思うし
<HERE WE GO!>のツアーですごくいろんなことを悩んだり
それこそメールでさっき読んでった中にありましたけど
前半大阪の公演はもう毎回毎回セットリストが変わってたりとか
そういうこともありましたし。
いろんなことがあった夏だったしね・・・うん。
なんかすごく、そうですね~・・・
この年もほんとに今の嵐を作った1年なんじゃないかなーと
今振り返ると思います、ハイ。
では以上<月イチ嵐2002年>でした。
ではここで1曲、2009年夏の曲でございます。
嵐でEverything」
♪♪♪
エンディング<PIKA☆NCHI>
潤「おはようございます。
8/1 土曜日の朝いかがお過しですか? 松本潤です。
若干噛みましたけど、ハイ。 8月です。
えーいよいよ今月ですね。えー 僕のカウントダウンが始まりました。
25歳、あと1ヶ月でございます、ハイ。
まっ 楽しく過ごしていきたいと思っております。
では 約30分間、僕松本潤とお付き合い下さい。
JUN STYLE スタートです」
♪♪♪
☆月イチ嵐
潤「今日のオープニング曲は、2002年の曲ですね
嵐で<ナイスな心意気>聴いてもらってます!
では今日は<月イチ嵐2002>ということで早速いただいてるメールご紹介します!」
メール紹介(要約)
2003日から<Cの嵐!>がスタート。
そこで潤くんに問題。
2回目の放送で、潤くんは区役所にクレームを出してるクレーム主の元へ話を聞きに行ったが
それはどんなクレーム?
① 放置自転車
② 建設現場の騒音
③ ゴミ問題
潤「これはね、覚えてますよ。
1回目が確かね、赤羽かなんかに行って放置自転車のやつやってたんですよ。
で、僕はそんときたぶん担当ではなくて
2回目に板橋区のゴミ問題かなんかのクレーム処理に行ったんだと思うんですね。
で、こうゴミのネットをどうする?みたいなこととかを、やってた気がしますね。
さ、答えいってみましょう。
これたぶん合ってると思います。自信ありますね、僕」
答え
③ ゴミ問題
①の放置自転車は初回の放送で、北区の駅前の放置自転車クレーム処理
潤「ハイそうですね、2回目のことについては一切触れてないですけど、ふふふっ。
ハイ、正解しました。ありがとうございます。
そうなんですよ、クレームね~大変でしたね~、あの番組も、ええ。
懐かしいですね、ハイ。
ではここで1曲聴いていただきたいと思います。
今日は2002年の月イチ嵐ということで、2002年の曲かけたいと思います。
嵐で<a Day in Our Life>」
♪♪♪
潤「えー<木更津キャッツアイ>の主題歌でしたね。
嵐で<a Day in Our Life>聴いてもらいました。
さ~それでは2002年の嵐について、振り返ってみたいと思います。
まず、え~2001年の年末から1月にかけて
ライブ<ARASHI ALL Arena tour Join the STORM>
Join the STORM ね~。こないだねー、ちょこっと映像見たんですね、僕。
<時代>から始まるんですね、アクセントダンスやってて。
そのアクセントダンスが、櫻井くんがぜんっぜんできなかったっていうことを
こないだ思い出してみんなで笑ってたんですけど、ハイ。
1月の2・3・4と横浜アリーナでやり、4日に
<嵐のなりきりバラエティー犬の気持ちになってみました!ワン>っていうのをやりまして。
え~2月の6日、シングル<a Day in Our Life>をリリース。
そして3月の20日から、え~第33回春の高校バレースペシャルサポーターをやらせていただき。
え~3月30日31日とハワイでファンツアーを<STAND UP HAWAII!!>ですね、これ・・・をやりまして。
4月の17日、シングル<ナイスな心意気>をリリース。
アニメこちら亀有・・・ちがう<こちら葛飾区亀有公園前派出所>
こち亀さん、ハイ・・・のタイアップで主題歌を歌わせていただいて。
声優もやらせてもらいましたね、こん時アニメのね、1話だけ、ハイ。
そして4月の17日からドラマ<ごくせん>がスタートされたと。
そんな年ですよ、2002年、ハイ。
そして5月16日、え~ベストアルバム
<嵐 Single Collection 1999-2001>をリリース。
あの~2002年にJ-Storm に移籍したんですよね、僕ら。
今はま~もう自分達ずっとやってますけども。
J-Storm に移籍して、その今までの出してたシングルを1枚にまとめて出したっていうことですね。
そして6月の15日に、1st写真集<in a rush!>を発売。
懐かしいですね、POPEYEですね、確か。
さ、ということでメールご紹介していきたいと思います」
メール紹介(要約)
私の嵐との思い出は2002年<HERE WE GO!>
友達に誘われて行った初めてコンで衝撃。
こんなに楽しい空間が世の中にあるんだと感動。
10周年楽しみにしてる
個人的には伝説のスケスケ衣装でA・RA・SHIを歌ってほしい。
潤「ということです。懐かしいですねー、ハイ。
もう1枚ぐらい読みます」
メール紹介(要約)
<HERE WE GO!>がいちばん好きなコンサート。
アルバム曲の素晴らしさか? MCが楽しくなってきたからか?
5人が空中を移動してきたことも衝撃的。
赤いカブトムシのような独創的な衣装が忘れられない。
2年ぶりの夏コンを5人が楽しんでた。
DVDになってなくて残念。
これからも嵐の風になって応援していきます。
潤「懐かしいですねー。
そう、なんかねー鎧みたいの着てたんですよ。
非常に覚えてますけど僕も。
あんね、この時はねーすごかったですね。
最後後半こう盛り上がるメドレーとかやるんじゃなくて
最後の最後20分強ぐらいダンスメドレー作って
ダンスメドレーやったら本編が終わるっていう・・・
非常にこう、攻めてましたね・・・あの当時、コンサートを・・・ええ。
楽しかったです。
僕も楽しい思い出がありますね~。
あと何を覚えてるかなー・・・
ソロ曲で、なんか<Key of life>って曲をやったりとかですね。
たまになんかあの曲を、櫻井くんがなんか口ずさんでるなー。
なんで、なんでその曲なんだろうと思うんですけど、ええ。
<いま愛を語ろう>とかね。
オープニングで<眠らないカラダ>やったりとかね。
懐かしいですね、ハイ。
えーではここで1曲。
えーこの曲もなんか曲の中に2002年というのが出てくるんで2002年の印象が強いんですけど。
嵐で<Tokyo Lovers Tune Night>」
♪♪♪
潤「引き続き2002年の嵐についてお話ししていきたいと思います。
7月の3日<C(クレーム)の嵐!>スタート。
7月の17日、2ndアルバムですねー<HERE WE GO!>をリリース。
そして7月の21日<嵐のなりきりバラエティー犬のキモチになってみましたワンワン>
そして8月の6日から<ARASHI SUMMER 2002 HERE WE GO!>ツアー。
えー8月の17日18日、埼玉スーパーアリーナと。
ちなみに18日は<嵐と一緒に犬のキモチになってみたりしてワンワンワワワワン>という・・・
これなんか覚えてます。
<11時11分に開演しよう>って言うの。
ワン・ワン・ワン・ワンでっていう・・・。
(エコー付き)そんな早くやんなくていいだろ>って、
すごい思ってましたね、僕は、ハイ。
(笑)そして9月え~15日<pino スーパードッジボール大会>
ってやりましたねー、これも。
これもスーパーアリーナですね。
そして10月の4日<ピカ☆ンチ>の写真集を発売。
えー10月の5日<JUN STYLE><なまあらし>スタート。
こっからですよ。
JUN STYLE 長いですね、2002年からですから。
そして、えー10月の17日シングル<PIKA☆NCHI>をリリース
18日から、え~東京グローブ座で、
映画<ピカ☆ンチ LIFE IS HARDだけどHAPPY>を公開しました。
そして10月の30日にサントラ<ピカ☆ンチ>をリリースし。
えー12月の29日に<ごくせんリターンズ>オンエアということですけど。
ではメール紹介したいと思います」
メール紹介(要約)
2002年で思い浮かぶのはごくせん。
小6で1話を見て、潤くんを知り嵐を知り大好きになった。
潤「ごくせんね。
この当時 小学6年生で7年後? 19歳! それでも19歳ですか
19・・・ そうだね・・・とかだね。
スゴイですねー。
えーでは、もう1枚」
メール紹介(要約)
ピカンチがとても印象に残ってる。
シュールなキャラクターやストーリーはもちろんだが、なかでも
<屋形船には乗らない。ああいう大人にはならない>といった台詞やシーンが強烈に残っている。
当時高校生で映画に影響を受け、屋形船に乗るような大人にはならないと言っていた。
あれから7年。社会人になったがいまだに<屋形船=乗ってはいけない>
というイメージが抜けてない。
そのため以前<嵐の技ありッ!>で屋形船に乗っているのを見たときはちょっぴりショックだった(笑)
潤くんは仕事以外で乗ったことありますか?
潤「僕は仕事でしかないですねー。
僕も~ ピカンチとかはやっぱりアレですね。
屋形船から飛び込んだところとかがいちばん印象的かなー、ええ。
ほんとに死にかけましたからね、あの時、ええ。
ちょうど、だからそれこそ<ピカ☆ンチ>の撮影が
<ごくせん>のドラマ撮ってる最中とまったく一緒だったんですよ。
ずーっと同じ時期にやってた記憶がありますね。
なんか<ごくせん>ですごくクールな役をやってて
<ピカ☆ンチ>の現場に行って堤さんの言われることをやってた印象ですかね。
もちろんその台本読んで行くんだけど
堤さんってすごくこう現場でコロコロ変わるし。
逆になんかこう、クールな役をやってるからこそ、こう幅のあるというか
全然違う役でやりたいと思ってたんで。
堤さんの、なんかそこはギャグセンスを非常に信頼していたので。
言われたとおりにやっていたら・・・はっ(笑)
あんなヘンな役になったっていう、感じですかねー。
堤さんがすっごい嬉しそうに、あの蟹とかカブトムシとかだっけ!?
ベルトをさ、1回目がカブトムシだったのかな?
2で蟹だったのかな?
なんかそのベルトに(笑)ものすごいこだわりを持ってた記憶がありますねー、ええ。
懐かしいですね。
そんな2002年でございました。
2002年はそうですねー。
ほんとに、自分の中でもいろんなことがこう変わった年だったかもね。
あの、嵐としてもこうJ-Stormに移籍したり<a Day>みたいな曲をやったりとか
すごく音的にもこう変わった年だったと思うし
<HERE WE GO!>のツアーですごくいろんなことを悩んだり
それこそメールでさっき読んでった中にありましたけど
前半大阪の公演はもう毎回毎回セットリストが変わってたりとか
そういうこともありましたし。
いろんなことがあった夏だったしね・・・うん。
なんかすごく、そうですね~・・・
この年もほんとに今の嵐を作った1年なんじゃないかなーと
今振り返ると思います、ハイ。
では以上<月イチ嵐2002年>でした。
ではここで1曲、2009年夏の曲でございます。
嵐でEverything」
♪♪♪
エンディング<PIKA☆NCHI>