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バラのキャンピングカー BLUE1

初めてのキャンピングカーでの出来事や旅行、日常生活などを綴って行きます!

今日は亡くなった父の誕生日

2017年07月07日 | 介護

7月7日は父の誕生日

亡くなる前は糖尿の為 + 胃がんも見つかり認知度が進行してしまった

主侍医の先生からは甘い物は絶対に食べさせないように言われた 

その為に実家のキッチンから食べ物を無くした。

仏壇にお供え物まであげられなくなってしまった。

 

夜中になると起き出して冷蔵庫あさりをするようになり

よろめいて倒れ、ドアの角に頭をぶつけて怪我をするようになった。

夜中、実家から電話があり呼び出され、救急箱をもって駆け付けた事も

治療のため外科に通い連れて行った事も、今では思い出になった。


父が入院してから病院へ行く時も差し入れはできず・・・

お菓子が食べたいと私や母に訴えていた事も思いだします。


入院してからは栄養管理のもと病院の食事以外は食べる事ができなくなり

差し入れ出来ない私達も辛かった。


今日は仏壇に沢山のお菓子をお供えしてあげるね    


母の認知症に付き合うには~試行錯誤しています

2017年07月05日 | 介護

洗面所にカギを閉めておかないと母が勝手にお風呂にお湯を入れ、

お湯が満杯になっても止めに行く事を忘れてお湯が溢れだし、何時も甥が止めてくれる


誰かが母と一緒にいれば補助でき、お湯を止める事も出来るが・・・

しかし、今の現状はそうはいかない!!

私も別世帯で仕事にいくので早く帰れる時は様子を見に行くが遅くなると実家に行けない!

甥や姪も仕事に行くので空白時間は母一人


毎日、デイサービスに通わせてはいるので昼間は問題ない 

問題はデイサービスの迎えが930分頃

甥も姪も仕事に行くので朝8時には家を出る~

その間の空白時間に問題を起こす恐れがある

そして、デイサービスから帰るのが1630分頃です~

この時間はみんな仕事中

早く終わって帰ってくるのは17時~18時頃

しかし、姪は母の面倒は見ない 

私の場合は18時に終了しても帰りつくのに19時は過ぎてしまう

早く帰れる時は実家に立ち寄ることもできるが毎日は無理・・・

 

先日、母が又問題を起こしてしまった!

しばらく洗面所を閉鎖していたが洗面化粧台の水漏れの修理に来てもらい

部品交換して使用できるようになった為

甥に頼んでしばらく洗面所の閉鎖を解除してもらう事にした。

これから暑くなるのでお風呂に入りたい時も有るだろうから、

母がお風呂に入りたい時は入れるようにしてあげて欲しいとお願いした。

最初は甥もOKをだしてくれた。

そのかわり、甥が家にいる時に限るという条件で受けてくれた。

母と一緒にいる時に話したが、洗面所が空いていれば母は勝手にお風呂にお湯は入れるし、洗濯機も勝手に作動させてしまう

ここで問題がある お湯を出しっぱなしにする事だ 止めるのを忘れてしまうから

洗濯は甥がするので触らない様に言い聞かせていたが、それもすぐに忘れてしまう

認知症の母ではしかたがない事だが、その事が甥を怒らせてしまう  結果になる

 

話を聞くと夜スーパーに買い物に行き 帰ってくるとお風呂のお湯が満杯で出しっぱなし満杯状態~この時は止める事が出来たようだ 


そして、お風呂を入れた理由を聞くと甥や姪の為にお風呂を沸かしたと言う

ここで、甥がカチンと来た そうです 

この時、お風呂に入りたかったからと母が言えば問題にはならなかったが・・・

母は上手く言えなかったのか~孫の事を思って言ったのかもしれない言葉に怒りをかう

その日は結局、甥も姪も母もお風呂に入らず お湯を無駄にしたと・・・

 

せっかく母がお風呂を沸かしたなら母だけでも入る様に

すすめて はいらせてくれても良いのにと話したが

甥や姪はそんなことまでいちいちかまってくれないようだ 



認知症の母は今の出来事を忘れてしまう為 昔の記憶と今を混同してしまう

母の病気を受け入れて考え方を90度 変えないと生活できない

ハッキリ言って母一人では生活できない状態 

 

私も両親が認知症になり受け入れるまでに1年以上かかった。

まして世代の違う孫と同居している 


私達も初めての経験で他から聞いてはいたが、いざその時が来たときは戸惑うばかり

試行錯誤して何とか生活しているが無駄な事が沢山ある

 

(母)本人はその場の対応は出来るが、すぐに忘れてしまう

結局、洗面所+お風呂は甥がいない時は閉鎖

カギを閉めて入れなくしてしまった 

 

母がお風呂のお湯を入れてお湯を出しっぱなしにして、止める事を忘れてしまうためだ 

 

また、冷蔵庫を開けてお茶やバターなどをテーブルに出しっぱなし 

そして、冷蔵庫の扉もあけっぱなしの状態が月に数回ある 

 

先日、甥が仕事から帰ってくるまでそのままの状態だった事があった

冷蔵庫の中は水浸しになっていたそうで、甥が後始末をしてくれた。

逆算すると母がデイサービスから帰宅してからだと4時間は開いた状態になる

甥に聞くと月に6~7回はあるそうだ!


その為、冷蔵庫にも以前は扉を開けさせない様にカギをかけていたが

母が試行錯誤してカギを壊して扉を開けられるようにした。

又カギをしたら今度は冷蔵庫を壊す恐れがある(母が)

これから暑くなるし冷蔵庫は開けられる様にして欲しいと

私が甥に話して解放できるようにしたが、洗面所閉鎖は出来そうにない!!

さらに甥が嫌がる事がある


*玄関内に内水をして水浸し・・・綺麗にふきあげれば問題ないのですがそれはしない

古い記憶がそうさせていると思う

 

*玄関外に置いている植物及び植木鉢

母は夕方になると植物に水やりをする その後、植木鉢を玄関内に入れてしまう

濡れた植物の葉が甥の靴の中に入り濡れてしまう

何度も注意するが~その記憶がなくなる

これも認知症の特徴

甥は何度も注意して話してもすぐ忘れるのなら無駄だと・・・

植木鉢を裏へ持って行っても、いつの間にか玄関内に入っている

いずれ植物も甥の怒りに触れたら捨てられてしまうだろう~


でも私は老い先短い母と一緒にいたいと思っている


実家の祭壇

2017年02月13日 | 介護


こじんまりとしていますが、祭壇を置き飾って

お参りできるようにしています。


飾っている祭壇は自宅マンションの隙間を利用して

新築時にオーダーで作って頂いたものを父の四十九日の法要までの間

飾る為に持ってきたものです~~~

(普段は両家を祭る様にしています)

葬祭場でかりると高くつく為 今回は利用できるもので対応させて貰いました。

遺影の写真が大きいので ・・・? いいえ 祭壇が小さいので~

こんな感じで設置しています。

隣の部屋には仏壇も有り ご先祖様が入っておられます

四十九日の法要が終わり納骨すると一緒の仏壇へといれます。


さ~あ!これから四十九日の法要の準備に取り掛かります。


ちょっと話は戻りますが

父の葬儀の時に親戚と主人の会社からスタンド付の供花を頂きました~ 

 (名前は隠しています)

私は働いていても派遣なので休みは取れても 電報も花もなにも有りません 

こういう時はつらいですね

同じく甥も姪もやはりアルバイト等なので私と同じです~~~

これが正社員だったらもっと沢山の花が来たのでしょうが・・・

残念ですが考えてもしかたがないですね!

妹夫婦は生活保護なのでもちろんなにも有りません


すべて私達夫婦に金銭面も介護も親戚付き合いも

父が亡くなった以上 世代交代 私が父に代わり

すべてを取り仕切る事になります。


認知症になった母には頼れない! でも私の愚痴は聞いてくれます。

話してストレス発散です~


母の介護認定が今月決ります

病状は進んでいるようですが手足はしっかりしているので

このまま要介護1のままでいて貰いたいですね!

 


父の要介護の過程と闘病~そして葬儀

2017年02月04日 | 介護

父が認知症になり 要介護1~5までの過程が

思い返すと早く進行したと思う


 

ここで父が認知症になり他界するまでを簡単に経過をまとめます。


思い返すと認知症と判断されるまでが大変でした!

本人は正常と思っていますので先生に診断されるのを拒否

簡単に病院へは行きません 


父よりも早く母が認知症を発症

デイケアにも素直に従ってくれますが父 一人残して行くのが心配

一緒に通いたいと私達やケアマネージャーさん達に訴えます

あの手この手で色々 試しますが最初は上手くいく事が出来ず

大変な思いをしました 


ようやく診断して貰うと結果は要介護1の認定でした


 

2015年3月 要介護1の認定が通知される

 

2016年1月 要介護3の認定

 

2017年1月 要介護5の認定

 

要介護5の通知を貰い父の体調が変わり

 

1月25日17時7分 父は他界しました。


※以前 役所で手続きをした時

 要介護5の認定を貰った方は短命が多く長生きできないような事を聞いた事を

 思い出しました!

 ただ 父の場合は認知症の他に糖尿と貧血で緊急入院その後

 貧血の原因がガンではないかと詳しい検査の結果 胃がんが見つかりました。


 胃がんが見つかった時は転移はしておらず 胃を全摘出する事も可能

 しかし、高齢の父の事を考えると 痛い思いと食事をする楽しみを奪うのは

 辛く 延命治療はしない方が良いと考えました。

 父にも確認しましたが、考え込んで何も言いません

 帰る時 車の中でもう一度確認した時 父が

 「なるようにしかならない」と一言 私に話しました。

 それを聞いて私は感じました。

 父は延命治療は望んでいないと ・・・

 親族や周りの方の意見も聞きましたが やはり皆さんの意見も答えは同様です

 しばらくは父の事を思うと涙か出て悲しみに浸っていました。

 昨年の5月に入院 9か月の闘病生活でした。

 

 父は7の数字が好きなようで生年日がラッキーセブン

 S7年7月7日 生まれ 死亡時刻が17時7分とこれまた7がつき

 やはり7が好きなのね~

 葬儀の日も7が付くようにバタバタと日程を決め

 病院から自宅に戻った父のしたく準備をしてお寺へ連絡

 枕念仏を和尚さんが唱えに来て貰い その時に

 通夜 26日

 葬儀が27日に決めて 和尚さんの都合を確認 斎場も大丈夫と言う事で

 午前0時すぎに斎場の営業さんと打ち合わせが終了

 一番遠い大阪の親族に電話連絡して

 父方 母方への連絡はもう深夜になっていたので翌朝

 日程時間の連絡をしました。


父の闘病

2017年02月01日 | 介護

昨年 5月に入院 長い闘病生活の父が亡くなりました!


今年に入り父の状態が悪化

病院から緊急呼び出しがあり

呼吸が苦しそうなので酸素マスクを付け楽に息が出来るようにしていますと

CTの画像を見せながら説明~

肺や体に水がたまり 何時急変するか分からない状態なので覚悟をしていて下さいと通告

先生が今までの治療の事を説明されました!

専門用語など入り?の所は有りましたが 予断が許されない状態を知らされました。


昨年のクリスマスから家族の面会はインフルエンザやノロウイルスの影響で

終息するまで面会禁止になり しばらく父と面会していません 


私の家系は冬に亡くなる親族が多く

もってくれればと思っていましたが ・・・

とうとう最後の時が来たようです 


父の兄弟姉妹で実の妹(叔母さん)のみ生存

残りの兄弟姉妹はもう他界され

見送りしてくれるのは叔母さん一人になってしまいました!

後は兄弟姉妹の連れ合の叔母さん達です。

長生きすると自分より先に兄弟達が先に行き

自分の時は寂しい葬儀になる感じです。

また一番下も同じようで兄弟が先に旅立ち やはり寂しい ・・・

私は父の葬儀をして感じました!


※キャンカーネタでなく申し訳ないですが

しばらく父の事を書きたいと思っています!