アメリカ!編みんぐ_AMING

アメリカ/ 魅了された編み物生活

アメリカの不動産、その1.

2010-01-13 12:00:20 | Weblog
                                                

昨年の8月に不動産投資の目的で一軒家を買った。敷地はおよそ240坪で建坪は約55坪。4寝室に3箇所バスルーム、リビング、ダイニングキッチン。リビングと2階のマスターベッドルームにデッキが付いていて、裏庭に続く湖が美しい景色のパノラマを楽しめる。家は築44年で、以前の持ち主たちが手を入れずに借家にしていたのでなんとも醜い現状だった。せっかく、プライベートレイクが裏庭にあって、ボート遊びや、カヤック、釣り、水泳などで楽しめる個性ある場所にありながら、長らく、持ち主に愛されず、みすぼらしく佇んでいた家だった。この家を見るまで、他に50件くらいは見て回っていたのだが、他の家と比べると、きたな~~っという思いにかられながらも湖の景色に惹かれて売買の価格オファーしてしまったという感がする。
不動産屋にすると、もう24人ほどが売買オファーしていてオファー<売買価格提示>は打ち切り。後は提示価格の高い人か、高くてもすでにローンが確定している人に絞られますということであった。

2007年の末から忍び寄ってきていた景気の後退と2008年に起こったリーマンの破産を決起に、全くといっていいほど不動産ローンを組むのが難しい状態になって来ていた。だから、ローンを事前に組むことが確定している人<プリアプルーブという>しかこの売買オファーに参加できない。買う物件が決まってその売買価格の何割を銀行や公庫から借り入れる交渉をするという日本とは逆である。
家が見つかる見つからないは別に、予算に応じて大体の購入価格帯の家のローンを組み、銀行や貸付側の<あなたには3000万のローンが可能です>というような認定証を持って、不動産屋と話を進めるのが通常である。
だから、不動産屋もこの認定証があるか現金がある人しか話をしない。

ここ2年はそんなプリアプルーブされている人でも家が見つかっていざローンの話に行くと、その物件の価値や将来のマーケットで付加価値を生むかなどという概算でローンを断られるということも多く、そうなるとせっかく10人もオファーがあって売主はその中の一人に決めたものの、1ヶ月後にやはりローンが組めませんでしたといって売買が解消することがしょっちゅうなので、売主はどうしても慎重になり、確定買主とだけと話をすすめるという傾向になってきた。

そんなこんなで、不動産屋は不動産屋でできるだけ手数料をたくさんもらいたいので、お互いの顧客のオファーを吊り上げさせたりと、シテを思わせる手練手管を使うものもある。<ちなみにこちらの不動産屋はバイヤーとセラー両方につくと3%ずつの手数料だ。中にはセラーとバイヤーの不動産屋が同一人物だと、6%>
この家の最終持ち主は、ジーマックといってアメリカ最大の自動車ローンの会社でかつては自動車メーカーのGMが大量株を維持していた。
なぜ、売主がオートローンの会社だったのかというと、持ち主がローンを返済できずに差し押さえになったからである。これがいわゆるフォルクロージャー<差し押さえ物件>といわれ、2008年の末から、市場に出回りだしたのだが2009年になって市場に大量に放出された。売り物件の在庫整理みたいなものである。

しかし、銀行は家の価格下落を恐れて、差し押さえ物件の優良物件は市場に流さずホールドしている。ある説によると2009年の不良資産の放出は全体の3割にしか過ぎず<いわゆる氷山の一角>本年、2010年に本格的な、差し押さえ物件の在庫処理が始まるという危惧さえある。

そんなわけで、24人のオファーの中から選ばれてラッキーだったのかどうだかは?まだ定かでないのだが購入することになった。差し押さえ物件の場合は売主のタイトル<日本で言う登記簿謄本>が公開され、<ディスクロージャーといって>売り手が買い手に家の悪い所、修理が必要なところ、または合法でない部分の改善を要するところ、などをつぶさに公開しなければいけない。が親切に公開するわけでもないので買い手はインスペクター<建築検査官>をやとって2重にチェックする。
と同時に買い手も自分に買うだけの経済的な根拠があるかどうか、銀行預金や毎月の入出金の残高、年収、他の借金の有無、勤続年数、退職金などのコピーを提出して本契約までに売り手に現実的な売買の意欲と能力を伝えるプロセスを踏むのだ。
売主と買主の間でアデンダム<Addendum、日本語では追加事項とでも言おうか>を何回も取り交わし、買い手が納得できるまで、家の情報を聞くことができ、それが売主側から回答されるとその返事に対してまた両者のサインを交わして本契約に進むのでおよそ本契約までは1ヶ月はかかる。私の場合はもっぱらメールのPDFファイルやスキャナーで書類を作成したりしていたから、こういった手続きは不動産屋の事務所にいかずともスピードも速く往信できた。しかし、自分の寝る時間はこういったパソコンの交信に費やされてほとんどなかった。

30~50ページ渡る書類に辞書を片手に読み通したが中には不動産用語もあって、辞書にも載ってない。そういう時はインターネットで随分助けてもらった。時々は頭が痛くなり、こんなときほど痛切に<ああ!!また結婚してアメリカ人の旦那がほしい!>と思ったことはなかった。ま、そんな御都合で結婚してもまたダンナを首にしちゃうからこんな不謹慎なことは考えないようにと、ひたすら書類との戦いに勤めた。

こういうところは日本と違って契約社会のアメリカ、<この条項を読んだらサイン、次の条項に納得したらサイン>とがんじがらめである。良いところは情報の公開が徹底していて、<この地域に住む登録されているセックスオフェンダーを事前に調査するか?調査の結果の内容によってはこの契約を破棄する。>なんていう条項もある。セックスオフェンダーとは性犯罪者のことで、犯罪暦のある性犯罪者はどこに住んでいるか登録されて、インターネットでも公式公開されいるウエッブサイトで誰でもチェックできる。これはミーガンズローによって合法的な調査権として認められているのだ。私も興味しんしんで調べたが、なんと怖ーい顔したおじさんやおばさんたちの顔が勢ぞろいであった。
なんでも知りたがりの私はしつこく、ここはどういう意味だとかイーメールで往信していたから、2週間の超特急でクロージング<売買本契約のこと>をして引渡しが終ったときには不動産屋もさぞかしほ~~っとしていたことだろう。おまけに、高島こよみで選んだ大安のこの日にクロージングしてくれなんていう変な日本人の買主にもへきれきしていたに違いない。

話は長くなったが、差し押さえ物件を上手に買うにはいろんな、経験と感が必要だ。以前は差し押さえ物件はオークションで不動産屋が競り落として、その家を改造、中古マーケットに出品という感じで在ったが、いまや個人でも買える。
しかし、大方の差し押さえ物件は<As is>といって、現状のままの引渡しになるので、どれくらいの補修工事費用がかかるのかざーっと概算できないと、差し押さえでも御得に買ったのか、損したのかということになる。

今回の買い物で私が、目安としたのはリターンが10%になる投資としての購入だったから、もしこの1軒家を購入して借家とした場合どれくらいの家賃が見込めるのかというのが、最初のリサーチだった。アメリカでも、54坪の家というとかなり大きい床面積のほうだったから、その地域での借家と家賃リストを調べると月で18万から20万というデータだった。それと、アメリカでは、日本と根本的に違うのは、中古の家は何年たっても改造していく限り、価値が上がる。日本のように築30年で家の価値がゼロになるということはないのだ。
その背景には、新築で家を建てるとなると、最低500万は行政に払う建築許可費用に消えコスト高になる傾向があるし、新しい開発の建築は敷地がコマ切れにされて景観の良い環境が望められないということもあって、アメリカでの中古市場は非常に強いマーケットでもある。
だから、このマーケットをターゲットにウオール街のかしこい人々が手練手管でサブプライムローンのシステムを作り、それに保険をかけて、世界中の投資家に証券会社を通じて金融証券として売りさばいていたのだから、いかにアメリカの中古家屋市場が人気であるか納得できる。

なんで経済アナリストみたいに、購入した家のことをごたごたと書きたがるのか?と思われるかたもあると思うが実は、この私の借家に今月借り主が決まり、またまたこの悲惨なバブルの疵あとを認識せざるを得なかったからである。

次回に続く。


クリスマス

2009-12-26 07:29:46 | Weblog


長年、小売業界で働いていると普通のカレンダーの日程が頭にプログラムされない。日祭日やホリデイは出勤のスケジュールだから、ああ、クリスマスだ感謝際だといった社会の風習が遠のいて、他人事のような感じである。もちろん、家族が少ないという理由もあるが、ちょっとした室内の飾りはするけれど昔のように祭日の料理だ、家の飾り付けだのという責務に追われることがなくなって気楽と云えば、気楽だがなんだか寂しいものだ。同居の息子も22歳、ガールフレンドや友人の付き合いのほうが一番で、家族でともにするクリスマスというお年頃でもない。それでも、毎年、クリスマスにはちょこちょこっとプレゼントをしてくれるのは本当に嬉しい。
本年も、特別にギフトラップしてあるものでもなく、どこかそこらのスーパーのプラスティックの袋に入ったものを<ハイ、お母さんのプレゼント。>と無造作に手渡してくれた時は、母も去って誰もクリスマスプレゼントをしてくれる家族がいなくなった身分には本当に嬉しい。

クリスマスのイブにアルバイトから帰って来た息子からもらったものは<デジタルフォトフレーム>だった。2週間前<ベストバイ>という電化製品の大型ストアにプリンターのインクジェットを買いに行った折、ちょうどデジタルフォトフレームの商品の前に足が止まった。私の商品を選ぶ条件はもう10年前から決まっていて、フレームは10インチ、メモリーは2ギガ、FMがついているということである。もちろん10年前にはデジタルフォトフレームなんて存在してなかったが、これは私個人の<こんなものがあったら良いなあ!>というドリーム思考の想像力で考えていたモノである。もう一つは前もブログでおしゃべりしたが瞬きのモーションセンサーでシャッターできる眼鏡のカメラ<これは未だに開発されていない!!>
そんなわけで、10年前に自分でこんなモノがあったらと思っていた商品が、今棚にどっさりと現れる時代になって写真好きの私は1時間あまり、値段やいろんな機種を見て回った。いや100ドル以上は高いなあ、いや7インチはだめだとかぶつぶつ云いながらの挙句、結局は決断がつかなかったのだ。3年前にソニーが出した、最初のデジカメの画像を見るサイバーステーションというものを買ったが実用的ではなかったし、リビングに家族の写真を飾って見て楽しむというデザイン性からは離れていてお気に入りになるようなものではなかった。しかし、昨今のフォトフレームはダントツに優れものだ。日本ではアメリカのように部屋のそこらじゅうに家族の写真を飾る習慣がないが、アメリカではこのペーパーレスアルバムのすぐれものは2年前から現れて瞬く間にクールなギフトになりつつある。もうパソコンに釘付けで写真のスライドショーを見なくっても、リラックスして家族の団欒のひとつとして見られるのは、もう今までのように重たいアルバム本を見るという範疇から卒業した、デジタルフォトの文化革命とも言える。

プラスティックの袋からこの箱を取り出すなり、悲鳴をあげると息子はびっくりして戸惑いながら私を見つめた。<お母さん、コンピューターの周辺機器が好きやろうと思って、、、、?>私は息子につい2週間前にストアで買い損ねたことを言った。息子のくれたデジフォトフレームは私のきびしい条件に見合うものでもなかったが、さっそく息子が画像を私のパソコンからインポートしてくれて、リビングのコーヒーテーブルの上に置くととっても可愛い家具のアクセサリーとなった。
電源を入れたままで置いておくと、静かにスライドショーで画像が流れ、テレビのように見なければいけないという<強制力>もない。BGMならずBGPだ。仕事をしながら束の間の変わる画像を見ていると現代版の万華鏡か走馬灯を思わせ、ゆっくりとした楽しみを味わえる。
昨日の夜は、本を読んでいるときも、つめを切っているときも、携帯でしゃべっている時も、部屋の中をうろうろしながら、立ち止まっては一こまの写真を楽しんでいた。FMはついていなかったけどきびしい予算で買ってくれた息子に感謝した。
静かでほのぼのとした、クリスマスイブでした。

Happy Christmas !!!

下はそのデジフォトフレームを飾ったコーヒーテーブルとその写真です。


<ahref="htt//blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/39/ff4005a0f1631e06df8a78477f006e56.jpg">

Wikipedia ウイキペディア

2009-12-22 04:23:53 | Weblog
昨日、テレビで<Into the wild >という映画を見て、久しぶりに涙を流した。最近ではなかなか涙も枯れ果てたのかと思うときがあるくらい、涙が恋しくなることがあるのだが、この映画でノックダウンという感じで、ソファーの上で毛布で顔をこすりながらすすり泣きしてしまった。これこそ、友人の本<話があるの>で書いてあった<アダルトチルドレンの犠牲者>ともいうべき青年が社会との断絶を決心して全米の大自然を放浪した挙句、最低の量の米を持ってアラスカの荒野へと踏み込んでいく。2年後に、彼はアラスカの原生のなかに廃棄されていたバスの中で死んでいるのをムースハンターに発見されるという大まかな物語だが、これはノンフィクションをもとに映画化されている。最後に主人公アレックスをアラスカまで送った老人のロンが、アレックスと知り合った間なしに、自動車の中で<今時、なぜこんなお金もなく、食べるものもろくにない放浪の生活をするんだい?>という問いに対して、アレックスが自分のおさない子供時代から両親の喧嘩を見て育ってきたこと、両親の欺瞞に満ちた愛のない生活に疲れ果てたことを告白するシーンがある。これに対して老人のロンは大きなため息まじりにたった一言<Shame !!>とつぶやくところは心打つシーンである。愛を求めて与えられなかった青年とその赤の他人の青年に祖父のような愛を抱く老人。彼はアレックスに<何もかも、人を許すと自分の目の前に光が輝き、見えてくるものがあるんだよ>と彼を諭す。<こんな映画を見逃してたのかと思って、お気に入りのウイキペディアの検索に行った。

http://en.wikipedia.org/wiki/Into_the_Wild

そして、これは日本語の<Into the wild> のウエッブサイト
http://intothewild.jp/top.html

日本語のウイキペディアではあまり詳しく紹介されていなかったが、英語版はなかなかのものだった。そうこうしているうちに、一番上に大きな字で<PLEASE READ A PERSONAL APPEAL FROM WIKIPEDIA FOUNDER JIMMY WALES >という見出しが飛び込んできた。初めてウイキペディアの設立者の名前が登場して寄付金のアピールだった。長年ウイキペディアの恩恵を預かった私はすぐにこのオンライン寄付に参加した。まだまだ日本語版の記事を書くボランティアが少ないのか、時々、英語版と比べて内容が浅いと思われることがあるので、私の退職後にはぜひ参加して、書きたいと思っている。
このオンライン寄付のリアルタイムでのページもなかなかおもしろくできていて、世界中の寄付者のコメントや名前が秒刻みで表されて同じ時刻に、世界中の人が草の根運動のように寄付しているのがわかる。こういうアイデアはさすが、アメリカらしい。人様にさらけ出してと思われる方もあるでしょうが、私は世界中の人がこうやって励ましていることを共有し体感することができるのはすばらしいことだと思った。
自己自慢するつもりではないのですが、下のページで見てください。

http://wikimediafoundation.org/wiki/Special:ContributionHistory/en

話があるの、日本の友人よりの便り

2009-12-16 14:47:35 | Weblog
11月13日の金曜日にうちのストア、ニーマンマーカスで怪我をした。右腕と両膝を思いっきり大理石の床で打撲、1月たつが出勤していない。怪我した日が魔の13日の金曜日だったことに帰属するのか、何一つとっても、労災医、会社の人事との連絡も保険会社の対応もギクシャクとしてスムーズに運ばない。
家に引きこもり症候群になると、なんでもがネガティブになってポジオーラが沸いてこない。やっぱりなあ~~あ、11月の23日の金曜日もケネディーが暗殺されたしなあと想像はたくましく広がっていく、<ほんなら、わては女ケネディーか?そんな良いものでもない!>とひとり笑ってしまう。
ふと、長年メールしていない友人のアドレスにメールを打った。まだこのアドレス存在してるのかなあ?と思いつつ。明けて翌日、彼女からの返信、なんでも<話があるの>という本を出版したので読んでみてとのこと。アマゾンでも買えるということで見つけたけど、最近の日本は外国発行の決済カードを受け付けないし、アメリカまで発送してくれない。
じゃあ、送ってあげるよとのメール。
しばし、このタイトルの前にちょっと<ちょっと>ってつけてくれたら良かったんじゃあなんて思ったけど、日ごろからひやかしや、ジョークがすきな私のような不謹慎さはこの内容にはもってのホカロンかもと思い直した。

その当時、はるかになる学生時代、彼女と2条寺町東入るのうなぎの寝床と言われる穴倉のように1日中真っ暗な下宿生活を共有したことがある。隣は志津家というパン家が在って、寺町通りの駸々堂や百万遍の駸々堂と一緒で私たちのお気に入りのパン家だった。昨年、帰国した折、2条のホテルフジタに宿を取り、晩秋の小雨交じりの中、2条通りを散策した。昔、ラリックと伊万里の皿にあこがれて、よく覗き込んでいたギャラリー田澤も存在。方丈記のうたい文句ならず、<よどみに浮かぶうたかた>とならず昔のままの佇まいに思わず、胸が熱くなった。恥ずかしさを忘れて、裏の中庭のお井戸さんの写真を撮らせてもらった。その前日は、六角堂から拾ったタクシーのおじさんの昨今の京都観光、ギャル嵐の旋風の話を聞いていたものだから、2条通りの閑散とした佇まいは私にとっては昔のままという感じで風情にひたることひとしおだった。なんでも、最近は京都観光の週刊誌が若い人のナビゲーターで、一度紹介されようものなら、そこを目指して怒涛のような観光ギャルがおしかけるそうな。狭い路地裏に入り込めないタクシーはお手上げ、その逆手を行く貸し自転車業が発達し、若いチャリンコギャルの探索が盛んなのだそうだ。
へ~~~っと、意外な文化の到来に改めてびっくり。そういうと、昔の4条烏丸の東側は友禅の染め問屋の陣地でもあったが、すっかり着物産業の衰退でべんがら格子の家々は商いを閉じて、フュージョン風の割烹料理やバー、フランス料理のランチプチレストランなどに様代わりしていた。私の学生バイト時代はお金がなかったということと同時に、にぎやかしい商いの車で一方通行の通りがひどい渋滞になることが理由で自転車を駆使して路上の隙間をぬってこの友禅の問屋街を走り回っていたものだが、なんと今は観光の道具として復活しているのだ。

数日して、ノックノック、ロスモアの我が家に郵便物が届いた。
うちの玄関には、5年前セイフウエーで5ドルで買った小さな鉢のクリスマスカクタスが馬鹿でかく成長して、たれ松のように垂れた枝にしたたかな花芽がどっしりとついている。外の玄関先から中にとりこんだら、硬いつぼみが美しいサーモンピンクに開きだした。去年この大鉢を2つに包丁で切って2つの鉢にわけたら、ぐんぐん成長してもう一人では動かせられないほどの大きな鉢になってしまったのだ。<Just a minutes please !>あわてて、カクタスで立混んでいる玄関のドアを開けると小さなパッケージを手渡せられた。

オンラインで注文した、スパイスかと思ったが友人からの本だった。
先週の今日のことなので、さっそくに投函してくれた手早さがとっても嬉しかった。

      

ひさしぶり

2008-04-25 04:37:44 | Weblog
ひさしぶりにブログに戻ってきた。書くことに時間を持てることはとてもリッチになった気分だ。書き出すと1日中でもタイプ打ちして止まらないから、息子にまたオブセッシブ症候群といわれそうだ。本年は東京の次男が渡米し、ワイナリーの案内から始まるや、母の急去、お葬式、納骨、相続の手続、秋の結婚式とまるで冠婚葬祭のオンパーレードの年回りとなって、日本との往復が老体の身にこたえる。わが高級ストアもアメリカの経済レセッションの旋風でさっぱりである。昨年はトップ1億円セールスマングループに選ばれたが本年は8千万のセールスゴールも難しそう。スローダウンしていろいろ整理やリサーチに情熱を傾ける年のようだ。
エッ!ところで写真狂はどうなった?編み物狂はどうなったって??
写真は相変わらず、ファイルが重たくなりすぎるほど、ビデオも。でもまだ整理していないのです。すみません。バスフィッシングも水温がなかなか上がらず、スポーンニングのまっただ中でデカバスが釣れているようだけど、まだ本腰になっていないのです。
でも5月のかかりには、ナパの北のクリアレークに行く予定です。サンフランシスコ界隈は例年になく寒く、本来なら半そでで良いのにコートが放せない毎日、インターネットで東京の気温と比べると、もう5月の気温でうらやましい限り。気候もアメリカはリセッションのようだ。