ななくろん+ちびとまる

我が家で起きた出来事をかわいい動物を中心に書いていきます

家で看取ったこと

2018年12月06日 | おしゃべり
きゆこの記録です
ブログを始めた頃のコンセプトとはものすごくズレてますが
これもまた、きゆこ自身の月日が流れたということじゃないかなあ、、、、ということで
母(ばあちゃん)の記録を


母は、浜松から8月終わりに千葉に移動
それは、電話で母の様子を聞いていたきゆこが
母の健康に対して危機感を抱いたことが第一の理由で
何が何でもって感じで移動してもらい
ホッとして気持ちが緩んで9月、薬があることをいいことに何もしなかったのがいけなかったのかな
10月に入って、足のむくみが顕著になり
これは異常だと思って病院に連れて行っても
なかなか入院にならず
19日に連れて行った時も
このまま入院でもいいし、明日でもいいとか言われて
何を言ってるの?歩くのもままならない
この状態で、また家に戻って明日??
そんなことより、1日でも早く治療を開始してくださいよ!って
あの頃の、なんでどの病院も助けてくれないの?みたいな思いは一生忘れられない

でも、治療が1週間早く始まってても
きっとダメだったんだろうなあとは頭ではわかってはいます

病院には20日間入院して
あと9日間は家で

退院を本当に喜んでた
ばあちゃんは、退院するとは、快方に向かっているということと思ったようで
だからこそ、退院が決まってからの5日間くらい?
不思議なくらい調子が良くなって、おしっこも出て、ご飯も食べて

その前には、幻覚とかせん妄とか面白いこともたくさんあって
ばあちゃんの闘病は、思い出をたくさん残してくれました
幻覚中のおしゃべりもすごかった
でも悪いことはいっさいなくて、しゃべる内容は、孫のこと、きゆこと旦那のこと、ばあちゃんの弟のこと
ろんちゃんや猫ちゃん、
あとは、黒いコートの人、ポケットに手を入れてるとか
ピンクの頭とか、虫なんかも出てきました
そのうちに、手も浮腫んで血管も見えなくなり
点滴しようにもできないから、静脈カテーテルをするしかないというのをお断りしました
なぜなら、その時、もう余命1週間と言われたから
余命1週間の人に、静脈カテーテルが必要なの?って思いがあってお断りしたんだけど
そのせいか、とうとう点滴が出来なくなった後、口の中が急に乾いたようになって
あ、脱水になっちゃったんだ、静脈カテーテル断った私のせいだ
脱水で死んじゃう!って考えが頭をよぎった時は
恐怖でしかなかったし、
後悔して、わあわあ泣いて朝一番で旦那に病院に連れて行ってもらったり、、、
でも、そのときドアを開けて目の中に飛び込んできたのは
ベット直角に上げてちゃんと座って
ご飯を食べてるばあちゃんで
むしろ、点滴が外れてご飯食べたりするようになっていたという、不思議な?良い感じに変わっていったのでした

その後、きゆこの家に退院してきて
喜んで泣いて
感謝しかない!って何度言っていたことか
嬉しいって、あんた達のおかげだと
すぐ泣いて喜んで
退院祝いはお寿司
アナゴとイクラが食べたいって
3つくらい食べたかな

介護ベットはレンタルで
ばあちゃんは、借り物は嫌だから、買おうか?いくらするんだろ?とか言って
長くないとわかっているからそこらへんを誤魔化すのが辛かった、、、
買ったことにしてあげれば良かったのかなあ
本当にばあちゃんは死ぬなんて思ってなかったんだよね
今考えてもかわいそう


兵庫の弟のおじさんも、短期間に2回もお見舞い来てくれたし
きゆこの姉達も長野から来てくれたし
変だなと思ったのか思わなかったのか、そこらへんはわからないけど
ばあちゃんは最後まで希望は捨ててなかった

でも、15日の朝、治るかねえってきゆこに聞いて
治るよ時間はかかるけど、と答えたけれど
きっと不安だったのかもしれない
気の強い人だったし、弱音は吐かなかったけどね
さすがです、ばあちゃん


家での9日間は
訪問看護師さん、訪問医さんとの契約
お薬屋さんとの契約
あと、ケアマネさんとの契約で
色々とやっていただき、成り立っていました
病院からの退院は、介護タクシーで
重いので二人でとお願いし
でも、来てくれた介護タクシーの方が、お一人女性で
大変なんじゃないかなーと思っていたら案の定
相当大変そうでした
ばあちゃんは、もともと太ってて、年取ってから随分小さくはなっていたけれど
まだまだ体重もあり、そこにもってきて、浮腫みが出ちゃって
足も体も相当むくんでたので、我が家の外の階段を上がってくるのは大変そうでした

一番お世話になったのは、訪問看護師さんたち
あの方達が来てくれなかったら
家での介護はできなかった
最後の何日間は、横を向くのも大変でしたから
一人でオムツ交換は絶対無理だったので、看護師さんが頼りでした
我が家には、きゆこのほか、男二人いるけど
女の人のことはやはり抵抗がありますし、
息子は椎間板ヘルニアで苦しんでたし
手助けを頼むこともできなかったのでね
どうにもならないとき、友達に来てもらったこともありました
そういうのを訪問看護師さんは逃さず聞いてきて
お近くに手伝ってもらえる人いるの?って確認された
やはり、介護力というのか、そういう情報をしっかり把握しようということなんだと思います

16日は二回来てもらって
でも、考えたら亡くなる前日なんですよね
看護師さんの方から、今日は夕方も来ましょうか?と言われた
そして、夜はここで寝てくださいねと
あのとき、すでにその時が近いことをちゃんとわかってらしたんですね
その夜は10時過ぎたころから苦しそうになり、
二回吐いたり、
翌17日を迎えた3時頃には電話して看護師さんに来てもらい注射をしてもらいました
24時間の契約で、そういう訪問看護師さんたちなんだけど
夜中に電話するのは勇気がいりました
でも、苦しそうなのを放っておくわけにもいかなくて
あの晩は二回電話しちゃったな
そして、17日の6時50分
お医者さんが来たのは1時間後だったので、
書類上は7時47分になってました

きゆこもシモの世話をさせてもらえたことは
最初はやだよーって思っていたけれど
ありがたいことだったと思えます

介護士で介護の仕事をしているのに
親のオムツ交換はできればしたくないよと思ってた
それは別物って感じで
やればできるんだけど、嫌だった
それに、ばあちゃんに対しては出来るか自信もなかった
体型的に一人でやる人ではないなって感じで
二人組じゃないと厳しいだろうと
介護の仕事をしているからこそ、逆に不安だった
今、仕事に復帰しましたが、
ばあちゃんほどに大きくなっちゃってる人はいないものね
仕事場で、重い、大きいと言われている人が
ばあちゃんと比べてみて小さく見えるくらい

あはは、ばあちゃんごめんよ
でもね、やっぱり、あんまり太っちゃダメだよ
今回、改めて思いました
これは、ばあちゃんからの教訓と受け止めて
きゆこもこれ以上太っちゃいけないね
ついでに、旦那さんもこの頃太ったので
こちらも気をつけていただきたい

病院からは、面白い力のようなものが働いて
退院させられた感じがあるのだけれど
あれは、何だったのか?
もう余命1週間なら病院で最期までと、
個室に移って看取る気持ちのきゆこだったのに
帰りたいという、ばあちゃんの念力が何かを動かしたのか?
結果、きゆこの家に戻せて良かった
家で看取ることができて良かったと
終わってみて思うわけです
それはもしかしたら、家での介護が短かったからなのかもしれないけど、
長い介護をしていれば、困ることもでてくるし
一人ではどうしようもない状態になったかもしれないし、
仕事はどうしようとか悩むことになったかもしれないし、
きゆこの場合は、大したこと出来てなかったからこそ
あの9日間が必要だったのかなと思うわけです

ばあちゃんの念力?を、もう1つ
ばあちゃんは荷物が多い、あんたの家では入らないというのが主張で近くにアパートを借りて住んでいたのですが
霊柩車で葬式会場から火葬場に行く時
通る道が渋滞で横道を行くことに、、、
その横道こそがアパートの前を通る道で
知っている者たちは、みんなばあちゃんすごい!と
念力でこの道を通らせたねと、思ったのでした







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2 コメント

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Unknown (おばあちゃま、強い人。素晴らしい人。)
2019-05-19 04:22:43
おばあちゃまの心、精神の強さに感動しました。
余命宣告の意味とは、その時の患者さまの状態と、その状態に対する治療法があるかないか。または、できるかできないか。を客観的に見て判断しているだけで、その後の患者さまの生命力や運命は神のみぞ知るのだと思いました。
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Unknown (きゆこ)
2019-05-20 21:49:17
コメントを下さった方へ
最後まで諦めていなかったと思うので、
母は強かったかもしれません
どんなに頑張ってもどうにもならないものがあって
半年過ぎましたが、まだ残念な気持ちが残ります
私の記録としてのだらだら書いただけのものを
読んでいただきありがとうございました
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