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設計部長 語録「日本の伝統?(長話し)編」

2008年04月22日 10時32分17秒 | 営業こぼれ話
こんにちは♪ 奈村工務店の近藤です
前回のブログのつづきで「日本の伝統について」またまた、お付き合い頂ければと・・・・。

部長:「明治時代のガス灯!街灯の灯りの始まりは『ガス灯』なんですよ!それから時代が変わって・・・・」
近藤:「・・・『ガス灯』が『電灯』になった!ですか?その『でんとう』ですか?」
部長:「冗談、冗談!」
近藤:「真面目にお願いします!(おやじギャグは勘弁して下さい・・・心の声)」
部長:「日本の『伝統』と言えば“茶室”ですよ。茶室は、畳の大きさが6尺3寸×3尺1寸5分の畳を使用してるんです。
一般的な建物は“柱間”に合わせて畳を切って使うが、茶室は畳の大きさが決まっているんです。それに合わせて建物の大きさが決まるんですね。
入り口の“亭主畳”と(てまえ畳)と“客畳”。入り口の配置において亭主は“客畳”を踏んではいけない。客は“亭主畳”を踏んではいけない。ルールにのっとって“茶道口”、“貴人口”の位置を決めます。“床の間”の種類では亭主床、下座床、床があります。
一般的な茶室の大きさは(通常は)4畳半がお奨めです。住宅の場合は座敷として使用するので8畳間ぐらいの広間で使います。
茶室の材料としては元々は質素なものを使用していて、柱も皮付き・面皮柱を使用していたんですよ。武家屋敷のような大きな柱でないものを使用していたんです。」
近藤:「専門用語が多すぎですよ!意味わかりません。」
部長:「この話し・・・面白くない?近藤さん歴史オタクやから、歴史からめて話そうか?」
近藤:「わかりやすくお願いします
部長:「茶室の始まりは、応仁乱前後の足利義政から始まったとも言われていますが定かじゃないんですけどね。(銀閣寺から?)
現在の茶室の考え方は“千利休”の『わびさび』の心で造られているんです。
お金のかからないように下地窓は元々そこだけ壁を塗らなくて窓にした。(材料の節約の意味で)柱も杉の9寸の丸太や面皮柱を使用していました。
“茶室”といえば今では敷居の高いイメージですが元々はそういうものだったみたいです。」
近藤:「いつぐらいから変わってきたんですか?」
部長:「わからないけど、武家社会に“茶の湯”が広まったぐらいから高級志向になったと思いますよ。現に豊臣秀吉の大阪城にあった“黄金の茶室”が有名ですよね。私はあんまり好きじゃないけど・・・。私は千利休の造った『二畳の茶室・待庵(たいあん)』が好きなんですよ!」
近藤:「待庵?なんですかそれは?」
部長:「“大山崎”にありますわ。見に行きはったらよろしいねん。国宝ですよ。明智光秀と豊臣秀吉の『山崎の合戦』にも登場してますわ。たぶん我が国最古の“茶室建造物”やったと思うよ。ちなみに日本最古の“木造建造物”は『法隆寺』ですわ。」
近藤:「・・・ひょっとして、次は法隆寺について話がつづくのでしょうか?」
部長:「お寺の『枝割り(しわり・きわり)』について話ししましょか?」
近藤:「いや、いいですわ。何の事か全然わかりませんし・・・。」
部長:「だから教えたる言うてますねん!」
近藤:「勘弁してください。もう、お腹いっぱいです(泣)
 
 
山手ヒルズ モデルハウス「APELO」の和室写真です。
秀吉の黄金の茶室とは申しませんが趣のある仕上げとなっております。 
 お待ちしております 
コメント
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