YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

ロンドンを間もなくして去るその日々~火事騒動とシーラとの別れ

2021-11-05 16:26:47 |  「YOSHIの果てしない旅」 第6章 ロンドン滞在
        △私の部屋の上、4階部屋の火事騒動(Painted by M.Yoshida)

・昭和43年11月6日(水)曇り(火事騒動とシーラとの別れ)
 朝の5時頃か、はっきりは分らないが、「ファイアー、ファイアー(火事だー、火事だー)」と家主のおばさんの悲鳴に近い声と同時にドアを激しく叩く音がして、眠りから覚めた。窓の外を見ると火の塊が、1つ又1つと、上から落ちてくるのを確認した。私の部屋の上、4階が火事現場と推測した。私はズボンを前と後を逆に履いてしまうほど慌ててしまい、そして一瞬何をしたら良いか分らなかった。直ぐ気を取り戻し、現金、トラベラーズチェック、旅券、乗船券類を腹巻に押し込め階段を駆け下りた。階下でおばさんは、「ファイアー、ファイアー」と言いながら、半狂乱の状態であった。
 火事現場がどんな状態であるか分らないが、私はおばさんに、「Call the fire station!(消防署へ電話しろ!)」と指示した。それから3階へ駆け上がり、消火用に自分の部屋にあるポリバケツを持って、4階へ駆け上った。アメリカ人夫婦が住んでいる部屋から出火していた。その部屋へ入ると、家主のおじさんとこの部屋のおじさんが、果敢に燃えている家具類等を外へ投げ下ろしていたのだ。
私は持って来たバケツが空なので消火の為、水を汲もうと再び階下へ。3階の私の部屋を通り越して(私はまだ相当動転していたのだ)、2階に住んでいる部屋(1ヵ月半住んでいてこの時、初めて女性が住んでいる事に気付いた)のドアを開けさせ、水道水を汲んで、再び4階へ駆け上って行った。 
水を掛けようとしたら大家に、「水を掛けるな」と怒鳴られてしまった。私は何して良いか分らず、呆然と立っていた。2人は燃えている物を放り投げ、或いはカーテンやじゅうたん等を洋服で叩き消して消火していた。そして火事はそれらを燃やしただけで延焼は免れた。私は動転して、消防車の手配を奥さんに言っただけで、何ら消火活動に役立たなかった。
私は、『火事と言えば水を掛ける、或は消火器で消火する』と言う発想しかなかった。動転していたとは言え、燃えている物を手で抱え放り投げる、或いは叩き消して消火する方法は、考えられなかった。
そうこうしている内に、消防車2台が到着した。幸いにもこの時は既に鎮火していた。このアパートは、日本の家屋の様な木造作りでなく、又、部屋の中に燃え易い物(障子、襖、畳等)がなかった為、延焼は免れた。叉、石油製品類や新建材等の燃え易く猛毒な煙が発生しない古いレンガ造りが幸いした。
 火事の原因は、住民が昨夜から古いタイプのラジオを点けっ放しにして寝てしまい、真空管が過熱して回りの物に燃え移り火事になったとの事。家具類等は燃え、或いは投げ落され、室内は消火の為、かなりメチャメチャになってしまった。
それにしても早朝から本当にビックリした。階下の私の部屋まで延焼せず、そして私の持ち物に何の影響も無く、本当に良かった。
 ここの大屋はとても火の元を心配性なほど注意していた。ある時、私が少し酔って帰って来て、料理(ジャガイモを煮ていた)していたのだが、煮えるまでベッドに横になっていたら、家主のおじさんがノックもしないで入って来て、ガスを止めてしまったのだ。
「ノックをしないで部屋に入るな」と私。
「酔ってガスを使うな。しかも寝込んでしまっては危険だ」とおじさん。
「大丈夫だ。ただ横になっていただけだ。それより無断で私の部屋に入るな」と私はキッパリ言った。
ガスや火の元を心配してくれるのは有り難いが、黙って部屋に入られるのは、良い気持はしなかった。私が居ない時、おばさんが部屋に入って掃除してくれるのは有り難いが、掃除の為に最低限、私の物を触り、又それを移動したりするのはまだ許されるが、荷物を開けたりしている様な感じがした。
ある日、万年筆がなくなっているのに気付き、部屋中捜したが見付からなかった。おばさんに話したら、おばさんの娘(小学2・3年生の感じ)が持ち出していた。返して貰ったが、不愉快極まりなかった。
大屋夫婦は、人に部屋を貸していても、自分の部屋と思っているのだ。部屋(家)は、その人の『城』と言う概念があり、『誰からも侵されるべきではない』と言うのがイギリスの考え方なのだ。大屋がイタリア人だから、その辺が理解していないのか。それとも私が何処の者とも分らない、東洋人だからであろうか。賃貸人とは言え、イギリス人にこんな不法侵入をしたら、黙っていないであろう。
 干渉はこればかりで無かった。電気を点けたまま一寸トイレへ行ったら、「部屋の電気を消して行け」と言うし、又ある日、2階のマリアンの部屋に遊びに行った時、直ぐに戻って来る予定であったので、電気を消さなかったら、大家は黙って部屋に入って消したのだ。如何もここの大家は、少し常軌を逸脱した管理方をしていた。いくら「経済的な使用方をしてくれ」と言っても、管理方が行き過ぎではないかと思われるが、如何であろうか。
「トイレへ行くにも、電気をこまめに消し、少しでも消費電力を減らす」と言う心掛け(習慣)は、普段の生活の中で、私には無かった。しかし無理もない点もあった。週3ポンドで掃除はしてくれるし、生活必需品は全て整っていた。おまけに部屋を借りる際の契約書の取り交わしはなかったし、保証金、権利金、敷金等も無かったので、大屋さんも何かあったら大変だと思っていたのでしょう。
 午前中、火事を起こしたおばさんは、髪を乱して放心状態で汚れた階段の掃除をしているのを見掛けたが、哀れさを感じた。その彼女に向かって大家のおばさんが怒鳴っていた。そしてこの日以来、大家のおばさんは火事を起こしたおばさんに見ると寄ると罵声を浴びせ、「出て行け」と怒鳴り散らしていた。私は大家のおばさんの方が行き過ぎではないかと感じた。
 早朝から火事騒動があって落ち着かなかったが、午前中イラン大使館へ査証申請に出掛けた。「17時に出来るので、その頃に再度来て下さい」と言われた。
その足でレイセスタ スクウェアの本屋へ外国の道路地図を買いに行った。ヒッチの旅になるので地図が如何しても必要であった。何軒か行ったが、ヨーロッパ諸国の地図はギリシャまでならあったが、中近東、インドや東南アジア諸国の地図は無かった。仕方がないのでそれらの諸国の道路地図は、現地で買い求める事にした。  
 私は一旦アパートへ帰り、そして16時頃、査証が出来るので再び出掛けた。お陰で出来ていた。
 今夜は、シーラとの最後の会う日になってしまった。いつもの様にいつもの時間、ブレント駅19時に会う約束になっていた。以下、『シーラ、ジャネットとの永遠の別れ』を参照。


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