祖父の回顧録

明治時代の渡米日記

第53回(1913年秋から1914年六月までマーシャル家に働く:第二学年Sophomore時代)

2011-12-11 09:29:50 | 日記
52.1913年秋から1914年六月までマーシャル家に働く:第二学年Sophomore時代

 
 1913年(大正二年)の暑中休暇はサンバラデノ(San Baradino)の農園で蜜柑摘みをして八月中旬学校の開始日に間に合うようバークレーのクラブに帰った。労働のお蔭で懐も温かくなり、ゆっくり静養した。またクラブには学生もぼつぼつ帰ってきて賑やかになり、皆元気そのものだった。

 私は二年生となって校庭でもソフォモア・ハットを被れるようになった。

 前期には思いきって十八単元を取ったが、中でも印象に残る学科は、
Crook教授のMoney and Banking(貨幣論と銀行論)、Marshall教授のHistory of Political Economy(経済学史)、Stephens教授のEuropean History(欧州史)、Barrows教授のEuropean Government(欧州政体論)等々で幸い皆パッスした。

 後期にも十七単元とって、Reed教授のEnglish Economics(英国経済史)、ではAdam SmithのWealth of NationsとRicardoのPolitical Economyを習って皆パッスして二学年の単元三十五単元、一学年を加えて七十二単元で三年に進級して、Junior Courseを修了して1914年初夏三年生となってSeniorとなった。この間幸いにもバークレーの名家マーシャル家(Marshall)の世話になった。

 マーシャルは、サンフランシスコのマーケット街で文房具店Marshall Field Companyを経営してる一家で、私の働いた家は息子のMarshallの方で、夫婦に四歳の男の子の三人家族だった。若夫婦とも加大の卒業でインテリであるから、私にも同情してくれたので幸せだった。

 主人のMarshallはかつてはフットボールの選手で、センターとして全米にも有名だった人で、時々日曜日などには昔の友人達が来訪しては家の内も賑やかで楽しかった。

 夜は殆ど図書館で勉強し、試験前は無理をいって四,五日休ませてもらったりしたが、彼等もその経験があるから快く私の希望を許してくれた。

 私は家の仕事は全部引き受けてやったから、夫人も大変助かったことだろう。料理はもとより、屋内の掃除などもやったから喜んでくれた。

 主人が朝出勤する間隙にパンツのアイロンなどもしてやり、感謝された。

 子供のジョンは可愛らしい坊やだったが、いたずらっ子で、私がガスで煮物をしている時に勝手に来て、眼を離すとガスの火を消したり、遊び廻ったりして、母親から
“Very naughty kid.”としかられたが、今は立派な紳士になっていることだろう。

 この一家は今でも最も印象に残るものの一つである。

 私が東洋汽船社員時代、毎日この店の前を通って出勤したので、度々Marshallに会って挨拶したが、店員達に私を加大の同窓生として紹介してくれ面目を施したことがある。

 アメリカでもCollege manというと、社会的にも尊敬してくれる時代だった。

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