もう30年以上も前になるが、FMラジオからエレキギターの荘厳で神秘的なメロディーが流れてきた。
ロックオペラ「ジーザス・クライスト スーパースター」の序曲である。強烈なインパクトを受けて、さっそく、発売されたばかりのLPアルバムを買ってきて、聞き込んだ。当時、主題曲と「私はイエスが分からない」がヒット曲としてよく知られるようになった。
英語の歌詞が口ずさめるくらいになり、おおよその意味が分かったものの、歌詞が表しているシーンやその背景は良く分からなかった。(いまだに舞台は見ていないが、アルバムの発売時点ではまだ舞台化されていなかったらしいのだが。)まして、聖書にどれだけ忠実で、コンポーザーであるアンドリュー・ロイド・ウェッバーのオリジナルの解釈がどのようなものであるのかも理解していなかった。ともかく音楽性は最高。ピラトの夢やゲッセマネの祈りの音楽は、背筋がぞくぞくする感性に満たされている。
話題をよんだのは、「私はイエスが分からない」を歌っているのはマグダラのマリアであって、人間イエスに対する恋心を歌っている、ということだったと思う。
主題曲は後半、イエスが磔刑に処せられる直前に歌われるが、自殺したユダが天国から現代の視点で、イエスにこれら全ての意味を問いかける内容になっている。
アンドリュー・ロイド・ウェッバーはこの後、「エビータ」「キャッツ」「スターライトエクスプレス」「オペラ座の怪人」などヒットミュージカルを出し続けることになる。彼は、自分の業績を映像メディアにとどめるため、できる限り舞台版に忠実に、改めて舞台俳優を集めて演出、製作し始めた。昨年公開された映画「オペラ座の怪人」は記憶に新しい。
最近、改めてDVD化されている「ジーザス・クライスト スーパースター」を見てみた。このDVDは(ネットで一部間違って紹介されているような)以前1974年に映画化されたもののDVD化ではなく、2000年のブロードウェイでのリバイバル上演をベースに、新たによりリアルな演出を加えたものだ。
オープニングの序曲のシーンでは、ローマの官憲に対する反乱を予兆させる情景が示され、使徒たちは、マシンガンなどの現代兵器を準備している。ユダが、このような事態になったことを嘆いてイエスに訴える歌から、このミュージカルの一連のシーンが始まる。このミュージカルでは、イエスは平和主義者であるが、群集や使徒たちが、ローマの圧制から開放してくれる救世主である、と持ち上げ始めてしまった。前半は、ユダの視点に重点が置かれて展開し、ユダは、このような目立つことにならないよう、イエスに行動を自重するよう求める。
また、イエスはしばしば、女性の信者(使徒?)たちに取り巻かれ、マグダラのマリアは、イエスの寝顔を眺めながら「私はイエスが分からない」を歌う。
ユダは、イエスが自分を理解してくれない、このままではとんでもないことになる(ローマに対し、民衆がイエスを指導者として反逆行為を起こしてしまう)という考えにとらわれ、次善の策として?密告を決意する。後半、ユダの裏切りの後、"Could we start again, please" (もう一度すべてをやり直せたら)という、新しい曲が挿入されている。
鞭打ちと磔刑のシーンは非常に迫力があり、以前の劇場ではどのように演出されていたのか知らないが、この演出で毎日演じるのは大変だろう。
さて、このDVDの特典映像によると、最初に映画化されて公開されたときに、あちこちの映画館が焼き討ちにあったそうだ。このときの理由は、イエスを神ではなく人間として描いていることであって、ユダやマグダラのマリアの立場の描き方はあまり問題ではなかったようだ。最近の「ダ・ヴィンチ・コード」などの内容は、史実としての可能性を突っ込んでいるので、話題となるのは当然だが、全体の印象としては、「ジーザス・クライスト・スーパースター」は、時代を先取りして、イエスの歴史解釈の問題を多くの人たちに提起した話題作といえそう。
ロックオペラ「ジーザス・クライスト スーパースター」の序曲である。強烈なインパクトを受けて、さっそく、発売されたばかりのLPアルバムを買ってきて、聞き込んだ。当時、主題曲と「私はイエスが分からない」がヒット曲としてよく知られるようになった。
英語の歌詞が口ずさめるくらいになり、おおよその意味が分かったものの、歌詞が表しているシーンやその背景は良く分からなかった。(いまだに舞台は見ていないが、アルバムの発売時点ではまだ舞台化されていなかったらしいのだが。)まして、聖書にどれだけ忠実で、コンポーザーであるアンドリュー・ロイド・ウェッバーのオリジナルの解釈がどのようなものであるのかも理解していなかった。ともかく音楽性は最高。ピラトの夢やゲッセマネの祈りの音楽は、背筋がぞくぞくする感性に満たされている。
話題をよんだのは、「私はイエスが分からない」を歌っているのはマグダラのマリアであって、人間イエスに対する恋心を歌っている、ということだったと思う。
主題曲は後半、イエスが磔刑に処せられる直前に歌われるが、自殺したユダが天国から現代の視点で、イエスにこれら全ての意味を問いかける内容になっている。
アンドリュー・ロイド・ウェッバーはこの後、「エビータ」「キャッツ」「スターライトエクスプレス」「オペラ座の怪人」などヒットミュージカルを出し続けることになる。彼は、自分の業績を映像メディアにとどめるため、できる限り舞台版に忠実に、改めて舞台俳優を集めて演出、製作し始めた。昨年公開された映画「オペラ座の怪人」は記憶に新しい。
最近、改めてDVD化されている「ジーザス・クライスト スーパースター」を見てみた。このDVDは(ネットで一部間違って紹介されているような)以前1974年に映画化されたもののDVD化ではなく、2000年のブロードウェイでのリバイバル上演をベースに、新たによりリアルな演出を加えたものだ。
オープニングの序曲のシーンでは、ローマの官憲に対する反乱を予兆させる情景が示され、使徒たちは、マシンガンなどの現代兵器を準備している。ユダが、このような事態になったことを嘆いてイエスに訴える歌から、このミュージカルの一連のシーンが始まる。このミュージカルでは、イエスは平和主義者であるが、群集や使徒たちが、ローマの圧制から開放してくれる救世主である、と持ち上げ始めてしまった。前半は、ユダの視点に重点が置かれて展開し、ユダは、このような目立つことにならないよう、イエスに行動を自重するよう求める。
また、イエスはしばしば、女性の信者(使徒?)たちに取り巻かれ、マグダラのマリアは、イエスの寝顔を眺めながら「私はイエスが分からない」を歌う。
ユダは、イエスが自分を理解してくれない、このままではとんでもないことになる(ローマに対し、民衆がイエスを指導者として反逆行為を起こしてしまう)という考えにとらわれ、次善の策として?密告を決意する。後半、ユダの裏切りの後、"Could we start again, please" (もう一度すべてをやり直せたら)という、新しい曲が挿入されている。
鞭打ちと磔刑のシーンは非常に迫力があり、以前の劇場ではどのように演出されていたのか知らないが、この演出で毎日演じるのは大変だろう。
さて、このDVDの特典映像によると、最初に映画化されて公開されたときに、あちこちの映画館が焼き討ちにあったそうだ。このときの理由は、イエスを神ではなく人間として描いていることであって、ユダやマグダラのマリアの立場の描き方はあまり問題ではなかったようだ。最近の「ダ・ヴィンチ・コード」などの内容は、史実としての可能性を突っ込んでいるので、話題となるのは当然だが、全体の印象としては、「ジーザス・クライスト・スーパースター」は、時代を先取りして、イエスの歴史解釈の問題を多くの人たちに提起した話題作といえそう。