未知との遭遇・見えないイメージの探索

主人公ロイは、日常生活に見え隠れする奇妙なイメージを追い求め、ついに未知のターゲットに遭遇する

原石+ミニグリーン4

2006-09-24 21:33:21 | Weblog
編集になれていなくて、一つの記事に画像を複数選択するすべが分からないので、改めて、紅茶セットの缶の本体にセットした石庭を追加紹介します。
プラントはコーヒーの木。メノウのピラミッドとエメラルドで、砂漠とジャングルのイメージが共存しています。
手前は、オパールなど。

原石+ミニグリーン3

2006-09-24 21:28:14 | Weblog
前前前回に紹介したマングローブと卵を、紅茶セットの缶の蓋にアレンジしてみました。写真の左にあるのは。百均で見繕ったブランデーグラスにクリスタルブロックを入れ、これもホームセンターで以前買った貝に苔を貼ったミニグリーンに付いていたプラスチック製貝殻と更に‘石に住む魚’(アクリル絵の具の自然絵購入品)をあしらったものです

イエスのミステリー・・・ダ・ヴィンチ・コード以前

2006-09-24 09:03:06 | Weblog

「イエスのミステリー:死海文書で謎を解く」 高尾利数 訳、NHK出版1993年(Jesus the man: A new interpretation from the Dead Sea Scroll, Barbara Thiering 1992)は、1994年、新聞の書評を見てからずっと気になっていた。以前、「死海文書」についての新書?を読んでいたことが動機として働いていたと思う。買おうと思っていたが、いつもの金欠ですぐに手が出なかったところが、そのうちに親父が買っているのに気が付いた。それで買うのはやめにしたが、読むのはいつでもできると思って、そのままになっていた。やっと読んだのが2005年の春。(このとき、「ダ・ヴィンチ・コード」については、知らなかった。)
読み始めると内容がセンセーショナルでびっくり。センセーショナルな部分をまず紹介してみよう。
簡単のため、付録の最後にある「諸事件の概要」から、引用してみる

AD30年9月: イエスとマグダラのマリアの結婚。試行的結婚が始まる。だがAD32年の12月までは、妊娠は見られなかった。
AD33年3月: シモン・マグス、ユダ、そしてイエスが、クムランの不浄の地域で十字架に架けられた。・・・四分領主アンティパスは、この事件をユダヤ教の律法の下で片付けることを許可するようピラトを説得した。それは、処刑の方法を生き埋めに変更することを意味していた。三人の男たちは、遊歩道の終わりにあった洞窟に入れられた。・・・解毒剤として大量のアロエが、洞窟に置かれていた。夜中にシモン・マグスはイエスの側に移され、薬を用いて蘇生させた。イエスは友人たちの助けを借りて洞窟から脱出した。
AD36年9月: イエスは、・・・娘の誕生後三年間隔離されて戻ってきた。
AD37年6月: イエスとマグダラのマリアの息子イエス・ユストスが生まれた。
AD58年:イエスを含むパウロの一党が、最後の訪問としてエルサレムに戻り、予言の成就を期待する。
AD61年3月: イエスを含む一党全員が、ローマに到着。
AD64年: ペトロとパウロが処刑される。パウロは死の直前に、イエスは「繋がれていない」という秘密のメッセージを送った。このとき、イエスは70歳であった。二人の息子を含む彼の家族は、南フランスのヘロデ家の領地に向かって、北へ旅立ったものと推測される。

本の帯カバーのキャッチコピー(日本語版へのまえがきより)も参考に紹介しておこう

“われわれは、「死海文書」から、新約聖書を取り扱う新しい情報を得た。福音書は表面においては奇跡物語を提供していて、特別な知識が適用されるならば、イエスについての詳細で、完全な実際の歴史が示されるのである。だが彼は、奇跡など行わなかったし、処女から生まれたのでもなかったし、死人の中から甦りもしなかった。そこには彼の実際の歴史が描かれているのであり、それは端的には人間の歴史の一部にすぎないのである。”

ところが、「訳者あとがき」では、上記のようなことを全然取り上げていない。それにこの本についての反感や議論を聞いたことがなかった。そしてこの本は、NHKの出版文化賞のようなものを受けているはずです。ですから、このとき私は、このようなことはキリスト教研究者にとっては常識的で、特に事上げするほどのこともないのだが、一般の人には単に知らないだけ、と理解せざるを得なかったわけです。
もちろん、著者の国オーストラリアでは、テレビドキュメンタリーが放映されたこともあって、大きな論争が巻き起こった、ということなのだが。
世の中、一般大衆が知らないことはいくらでもある。携帯に代表されるような最先端技術の具体的な内容を知っている人はほとんどいないだろう。
後半の付録は本文以上のボリュームで読みきれていないが、、聖書などの記述に潜む真実の意味の解明に使われたペシェルという技術の説明に割かれている。内容は、あまりにも煩雑で、書かれていることが正しいかどうかが実感できるようになるためには、研究者の心がけで臨まないと無理だ。しかし、いわれていることが真かどうかは、技術的な詳細を検討することのほかに、歴史的な問題なのだから、他の人たちの独立した、ペシェルの技術によらない研究結果との符合があるかどうかが、ひとつの検証になると思う。

との感想を持っていたところに、ダ・ヴィンチ・コードが現れたわけです。