「私の従軍記」 子供たちへ

平成元年父の誕生日に贈ってくれた本、応召されて帰還するまでの4年間の従軍記を今感謝を込めてブログに載せてみたいと思います

コタラジャ(現、バンダアチェ) 1

2006-06-27 22:49:12 | Weblog
 9月7日、展開の為、メダン出発。 
 分隊長 藤森秀治軍曹、浅野栄太郎兵長、渡辺千代治上等兵、大島 実上等兵、飛鳥馬(アスマ)五一郎上等兵、井ノ口茂次一等兵、西村仁作一等兵、斉藤永松一等兵の8名。
 宮原中隊長に申告して、コタラジャ(現、アチェ州最大の都市)に向けて出発。申告に行ったまでは記憶にあるが、輸送は多分、軍用トラックだったと思う。
 9月9日、スマトラ島最北端のコタラジャ着。北部防衛司令部(元、オランダ軍司令部後)の中の一舎が与えられた。オランダ軍将校の独立宿舎で、道路に面して、3部屋と調理室の付いたこじんまりした綺麗な建物だった。
 早速、藤森分隊長は司令部へ申告。帰ってから一室に器材を運び込んで、通信所の開設を急ぐ。通信器は道路から見えないように、次の部屋にする。それから空中線張り。
 「メダンはどの方角か?」と、磁石を手にして、延ばす方向を決めた。その時、空中線が一寸見慣れないものだったので、藤森分隊長に聞くと、
 「そこにあったから、引きちぎってきた」と言ったが、後でその部隊の人が
 「油断のならない奴らだ。あれは無理に要るものじゃなかったが、一口言えばくれてやるのに」と言ったとか聞いた。
 接地線(アース)は空中線とは反対方向に芝生の上に長く這わせた。接地棒を打ち込まなくても良いのですかと聞いたら、
 「いや、この方法が良いんだ」と言った。
 通信は藤森分隊長、浅野兵長と私が回り当番でやって、後の人が航空機監視をした。監視硝は本部の高い屋根の上に作ってあった。3階建の屋根位の高さであった。