なあんおばはんの日常

思うこと

 

私は今年で、「四柱推命」でいう大運20年間の「空亡」がやっと終了します。

今年が空亡最後の年です。正しくは来年2月の節まで、ですが。。

38歳から57歳までの20年間が私の「空亡」でした。

振り返ると、丁度東京に来てから20年になります。

空亡を背負って東京に出た、空亡のステージが東京だったのでしょう。

この20年、いろんなことがあったけれど

私は空亡の「修行」を成し遂げたました。きっと。多分。

 

今日は思うことを書きます。

 

先月末に、ダンナの高齢母を施設に入れました。

一昨年前にダンナ父が亡くなり、ダンナ母は一人暮らしでしたが

認知症が進んできて一人での生活は困難になっていました。

我が家は既に私の独居母を引き取っており、

ダンナ母の近所に住むシングルマザーのダンナ妹も

ダンナ母の生活支援が限界に来ており、

兄妹で話し合い、最初は渋っていたダンナ妹もダンナ母の施設入居を承知してくれました。

今回のダンナ母のグループホーム入居は施設の空きがあったので

とんとん拍子に入居がすぐに決まりました。

自然な流れで、物事がスムーズに進みました。

運がよかったと思います。

私は前夫の母親介護時には、施設入居までに相当な苦労をしたので

本当にラッキーでした。

 

ダンナ母の施設入居に伴い、ダンナ両親が永年住んでいた賃貸の部屋を

退去するために、家財道具一切を処分することになり、

自分たちの手に負えない大物家具等の処分は業者さんにお願いしました。

費用はかかりましたが、自分たちだけでは無理だったと思います。

 

家の片付けをすると、本当に「物」が多いと処分が大変だと

つくづく思います。日々の断捨離、必要です。

前夫母の住居片づけ、ダンナ母の家の片づけと

既に2件、家の処分を経験しましたが、

私には、まだ大阪の実家の片づけという大物案件が残っています。

 

現在、大阪の実家には息子が一人で住んでいますが、

息子に押し付けるのも、どうかと思います。

私はあの家の処分は私が自分でやりたいのです。

あの家に引っ越してから家族が次々亡くなりました。

まず祖母、次に祖父、そして父、弟。

あの家にいてずっと平気で生き延びたのは母だけです。

私はあの家は嫌いでしたが

それでも、あの家は私にとっての故郷なのです。

当時、近所の子供たちから「ピアノの家」と呼ばれていたあの家。

 

あの家の「物の処分」をするためには

自分でやるとしたら、まずは仕事を離れないと無理だろうし、

それとも、業者さんに依頼するか、、、

きっとかなりの費用がかかるんだろうな。。

でも丸々一軒家を空っぽにするのだから、

自分でできることには限界がある。

 

引越しを引越し屋さんにお願いするのと同じだ。

 

「あの家を片付ける」

 

多分、その時期が来ているのだと思います。

私自身も、56歳。

決断するために、まずは準備。


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