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コラム記事 【4/23】

2022年04月23日 07時02分55秒 | マリーンズ2022
≪4/23≫
 

日刊スポーツ評論家の鳥谷敬氏(40)が、ロッテ佐々木朗希投手との再戦を控えるオリックス打線に「相手が嫌がること」「最悪を削る作業」の徹底を提案した。12球団で唯一チーム打率1割台の打線はこの日、防御率0点台前半のロッテ先発ロメロに幻惑され、今季6度目の完封負け。24日には2週間前に完全試合を許した「令和の怪物」との再戦が待つだけに、さらなる工夫の大切さを強調した。【聞き手=佐井陽介】 

オリックス打線はもう少し「相手が嫌がること」を意識しても良かったかもしれません。ロッテ先発は防御率0点台前半のロメロ投手。走者なしの場面では頻繁にテンポを変えてくる。一方で、走者を背負うとテンポが一定になりがち。そんな難敵に対して、やや工夫が足りなかったように映りました。

タイミングを崩すために、わざとタイムをかけてみる。セーフティーバントの構えを繰り返して揺さぶりをかけ続ける。相手が嫌がる方法はいくらでもあります。打線が点ではなく線にならなければ、好投手からはなかなか点を取れません。たとえアウトになっても次の打者を楽にする作業の積み重ねが、もう少し必要だと感じました。

この日に限れば、最低限の役割を全うできない場面も目立ちました。1点を追う3回1死一、三塁では2番福田選手が二塁左への強いゴロで併殺打。一塁走者の俊足、佐野皓選手がスタートを切っていた1球。いい当たりではありましたが、センターラインさえ外せばゲッツーは防げる場面でした。3点を追う7回1死一、三塁では代打杉本選手が1度もバットを振ることなく見逃し三振。ボテボテのゴロでも1点をもぎ取れば、また流れは変わっていたかもしれません。

オリックス打線は現在、チーム打率が12球団で唯一の1割台。レベルの高い投手から得点を奪うためには、今まで以上に「相手が嫌がること」「最悪の結果を削る作業」の徹底が必要ではないでしょうか。2日後の24日には、2週間前に完全試合を許した佐々木朗投手との再戦が待ち受けています。どれほどの強力打線でも力負けする可能性が高い投手。チームとしても、個々としても、絶対に工夫が欠かせません。

この日のロッテ中村奨選手のように、無死二塁であれば右打ちを徹底する。ひたすらフォークを狙い続けて投げづらくする。追い込まれたら「粘り」に専念する。佐々木朗投手との再戦では、次の打者を楽にさせる意識をさらに強める必要がありそうです。(日刊スポーツ評論家)
 
(日刊)

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■4月23日 プロ野球・ロッテの佐々木朗希が、八回まで一人の走者も出さない投球を続けながら降板。物議を醸した17日の試合に、2月末に定年で調教師を引退した藤沢和雄氏の至言「一勝より一生」を重ね合わせた。

馬の2、3歳は人間でいえば中高生。体が完成しないうちに多くのレースに出走させれば競走生命を短くする。競走馬としての〝寿命〟を全うさせたいと、JRA通算1570勝を誇る伯楽は先の言葉を胸にレースを選んでいた。出走権を持つ3歳最高峰のダービーをあえて見送ることもあった。

佐々木朗希のこれまでの歩みも「一勝より一生」に通じる。夏の甲子園の岩手県大会決勝で、大船渡高の国保陽平監督は佐々木を出場させなかった。理由は「肘や肩の故障を防ぐため」。ロッテも目先の結果を求めず長期的ビジョンを持って焦らず育ててきた。ともに佐々木が類いまれな才能の持ち主であり球界の宝と確信していたからだろう。

それを分かっているからか、ファンの多くがロッテ首脳陣の選択に肯定的なのはなによりだ。しかも一人の走者も出さない、いわゆる完全投球は継続中。そもそも完全試合はチームが勝たないと成立しない。九回も投げて3人で仕留めても降板後負ければ完全試合にならない。九回も続投して出塁を許したら…。球団の選択のおかげでわくわく感も続いている。

21日に同じ岩手出身の大谷翔平が六回1死まで完全投球でメジャー自己最多12奪三振&2打点の大活躍を演じた。佐々木の快投に触発されたわけではないだろうが「自分も励みにしたい」と語った。今度は偉大な先輩に佐々木が刺激される番。24日の登板でどこまで記録を伸ばすのか。楽しみしかない。(鈴木学) 

(サンスポ)

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記録か、それとも選手生命か。

 4月17日に行なわれた日本ハム戦、史上初の2試合連続完全試合を目前にした佐々木朗希(ロッテ)は8回を投げ切って降板した。試合後に井口資仁監督は「もし(味方が)点を取っていても8回で代わってました。7回が終わった時点で朗希がへばりつつあったので」と、マウンドから下ろした理由を説明。「郎希が1年間ローテーションでしっかり回ることが大事」と強調した。あくまで記録ではなく佐々木の健康を優先したのである。

 井口監督の決断には賛否両論が起きた。筆者は降板賛成派だが、“否”の意見も理解できる。たしかに2試合連続完全試合を目の当たりにするチャンスなど、おそらく今後100年間でも一度あるかないかだ。

 だが、選手生命よりも記録を優先した結果、決定的に壊れてしまった投手を1人知っている。伊藤智仁(ヤクルト)だ。 

 1992年バルセロナ五輪の日本代表として活躍した伊藤は、同年のドラフト1位でヤクルトに入団。当時の球団首脳陣は松井秀喜と迷った末に伊藤を選び、23歳の右腕も1年目からその期待に応えた。開幕当初こそ二軍にいたが、4月中に一軍へ昇格すると、150キロを超えるストレートと「消える魔球」とも称された高速スライダーを武器に好投を続けたのだ。

 そして、石川県立野球場で行なわれた6月9日の巨人戦で、伊藤は歴史的なピッチングを見せる。5回までの15アウトのうち、12個が奪三振。8回までに15三振を奪い、セ・リーグ最多記録にリーチをかけた。プロ野球史上最多17奪三振(当時)の更新も可能とあって、野村克也監督はためらいなく伊藤を9回裏のマウンドへ送り出した。この時点でスコアは0対0だった。

 伊藤は1死から8番の吉原孝介から三振を奪い、1試合16奪三振のセ・リーグタイ記録を樹立。だが、直後に運命は暗転する。途中から9番に入っていた篠塚和典への初球が高めに抜けた。2度の首位打者に輝いた篠塚はこの失投を見逃さず、打球は巨人ファンがひしめくライトスタンドに飛び込むサヨナラ本塁打となったのだ。

 この時、グラブを叩きつけて悔しさを露わにした伊藤は、その1か月後に故障を余儀なくされた。7月4日の同カードに先発した後に右ヒジの不調を訴え、この年はそれ以降、一度も登板できなかった。 

 ただし、たった3か月で残した数字は圧巻の一語だった。14登板で109.0イニングを投げ、7勝2敗。123三振を奪い、防御率は0.93で、新人王にも輝いた。だが伊藤は結局、この年の快投を二度と再現できなかった。翌年の春季キャンプで右肩を痛めるなど、キャリアを通じて右腕の故障に悩まされ、11年のプロ生活で通算27勝に終わっている。

 当時はまだ「先発投手は完投」という風潮が残っていた時代で、93年の伊藤は12先発のうち11試合で100球以上投げていた。「あの試合」だけで伊藤が壊れたとは必ずしも言えないが、記録達成のための続投で選手生命が、少なからずむしばまれたと言える。

 野村は、伊藤の酷使をのちのちまで悔やんでいたという。2018年に出演したテレビ番組で本人と再会した際には、「俺以外の監督の下なら、もっと凄い記録を絶対に残していたと思う。俺が邪魔したみたいだ。申し訳ない」と謝罪していた。
  
 これに対して伊藤は「(怪我は)自分の責任だと思ってますし。そういう風に思ってほしくない」ときっぱり言い切った。「先発したら、その試合は最後まで投げるのが使命だと思っていた」とエースの責任感を口にしたように、本人にも投げたい気持ちが強くあったのだろうし、今となっては野村の決断の成否をとやかく言っても意味がない。

 ただ、佐々木のように首脳陣が配慮していたら、伊藤にはまた違う野球人生があったかもしれない。

 93年前半戦の快投を根拠に、「史上最高の投手」の議論に伊藤の名を挙げる人は今も存在するが、そこには「故障さえなければ」という但し書きがつく。「史上最高の投手になれなかった」という意味では、その他大勢の選手と変わらない。

 その一方で、佐々木はいまだ史上最高の投手になるだけの可能性を秘めている。あれだけの快投を見せてくれた彼に、できればそうなってほしいと思っているのは私だけではないはずだ。ならば、降板と続投のどちらが正解だったのかは言うまでもないだろう。
 
文●筒居一孝(SLUGGER編集部)

(THE DIGEST)
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