凡人だって悟れるもん

自我は幻、大体そんな感じ。

それぞれに真実がある

2014年02月08日 | 悟りのこと
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世の中に全く同じ自我を持つ人間というのは、世界中探してもどこにも存在しません。

それぞれが全く違う価値観や考え方を持っています。

他人どころか恋人、友人、家族のような近しい人とだって、まるきり同じ価値観、思考を持った人なんて居ないはずです。

そんな人の数だけ、それぞれの「違い」が生まれます。

それは人と人の間の違いだけでなく、時に常識という名の、実体の無い価値観が対象である場合もあります。

自分と他人との違い、世間や常識という見えないものとの違い。

そのギャップによって、悩み、苦しみ、時に争うこともあるでしょう。

僕だって、そんな違いに振り回されてきた一人でもあります。

僕は常に他人や世間に対して、自分の価値観との違いを探し、何かしらの敵意を持ちながら日常を過ごしていました。

繰り返される自作自演の苦しみの中、自分で苦しみを作っているとも気づかずに振り回され続けていました。

しかし、そんな悩みも苦しみも、ただ自分の中で起きているだけのことです。

自分と他人、自分と世間との違いを探すことにも何の意味もありません。

結局、その違いによる悩みも苦しみも、自分の中でしか起きていないことなんです。

そんな無意味な違いのギャップによって苦しむ必要は無く、その違いを気に病むこともありません。

みんなそれぞれ、違いがあって当たり前なんです。

この世の中に絶対的な一つの真実というのもありません。

自我の数だけ、それぞれの真実があります。

自我の数だけ、その違いがあるだけなんです。

あなたにとっての真実だって、他の誰が決めるものでもありません。

自分の信じたものこそが、自分にとっての真実になるだけです。

だったら、苦しい価値観や考え方をわざわざ信じる必要なんてないんじゃないの?ってことです。

それは、どれだけ他人が正しく、自分が劣っているように感じても同じこと。

そう信じているのもあなたですから。

もし、そんなもん信じることをやめようと思うなら、違いを認めてしまうことです。

自分の正当性を主張して、人や世の中との違いを拒むのではなく、ただ違いを認めてしまうんです。

違いを認め、違いをそのままにしておけるなら、そんなもの最初から無いのと同じになります。

人と違う、世間と違うというだけで、私たちが苦しんだり悩んだり、無駄なことをする必要は元々無かったんです。


スガシカオ / Progress



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呉 「昨日スガシカオのライブ行ってきた時に、ずっと周りのファン見てて思いついた記事だよ。」

(´自ω我) 「ちゃんと歌の方に集中するっす!」


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