どうも、僕です。
呉一郎だった頃の文体を忘れてしまっているかもしれないけれど……
物書きとしての進捗を自分に促す意味でも何かを書いてみようと思います。
◇
今も昔も、僕には不安が沢山あります。
経済的な不安や対人関係への不安。
こないだなんか部屋にゴ○ブリが出たのでまだ沢山隠れてるんじゃないかという不安に襲われました。
あれを1匹見たら30匹(!)いると思えなんて言いますもんね。
ちなみにこれは誇張表現ではないと思います、目撃後バルサンを炊いたのですが帰ってきたら……
おっとやめましょう。思い出すだけで不快になっちゃいますから。
ひとつ言えることは、賃貸住宅で大事なのは何よりも築年数と水周りってことです。
とまあ(?)、不安ってのは案外尽きないもんです。
それは人間が不安を求める生き物だからかもしれません。
というのも人が生きていると感じるには過去から未来への時間という矢印が必要で……
不安というのは常に不確定な未来に対するものだからです。
オギャーと生まれてからポックリ死ぬまでが人生である、という枠の中で生きている以上、
自分が自分である以上、これは仕方のないことでしょう。人間だもの。
だからといって、不安を道しるべのように使って生きていく必要はないと思うんです。
その不安自体に縛られて動けなくなっているのなら、そんなものは無視してしまっても良いんです。
これは一切考えるな、感じるなと言っているのではなく、
不安を感じたあとで、原因から逃げても良し、向き合っても良し、ただ感じるままに任せるも良し。
先に起こりうる全ての可能性が既に自分の中に内包されているのだから、
先のシナリオに身を委ねてしまっても良いという意味です。
心配しなくても以外と何とかなりますし、
仮に何ともならなかった、という結果だって、起きてしまえばもはや未来への不安ではなくなる訳です。
「だから、何とかならなかったじゃ困るっす、最善を尽くす必要があるっす!」
と思うのは勝手ですが、そもそも時間の流れを感じているのも、時間というルールで人生を作っているのもあなた自身なので……
元々あってないような未来に対する不安は、ああ不安だわと思う以上のパワーも意味もない、
いわば湧いては消える沢山の感情の一部に過ぎないってことでございます。
それでは、そろそろ歯を磨いて寝ようと思います。
虫歯になったら不安ですから。
呉一郎だった頃の文体を忘れてしまっているかもしれないけれど……
物書きとしての進捗を自分に促す意味でも何かを書いてみようと思います。
◇
今も昔も、僕には不安が沢山あります。
経済的な不安や対人関係への不安。
こないだなんか部屋にゴ○ブリが出たのでまだ沢山隠れてるんじゃないかという不安に襲われました。
あれを1匹見たら30匹(!)いると思えなんて言いますもんね。
ちなみにこれは誇張表現ではないと思います、目撃後バルサンを炊いたのですが帰ってきたら……
おっとやめましょう。思い出すだけで不快になっちゃいますから。
ひとつ言えることは、賃貸住宅で大事なのは何よりも築年数と水周りってことです。
とまあ(?)、不安ってのは案外尽きないもんです。
それは人間が不安を求める生き物だからかもしれません。
というのも人が生きていると感じるには過去から未来への時間という矢印が必要で……
不安というのは常に不確定な未来に対するものだからです。
オギャーと生まれてからポックリ死ぬまでが人生である、という枠の中で生きている以上、
自分が自分である以上、これは仕方のないことでしょう。人間だもの。
だからといって、不安を道しるべのように使って生きていく必要はないと思うんです。
その不安自体に縛られて動けなくなっているのなら、そんなものは無視してしまっても良いんです。
これは一切考えるな、感じるなと言っているのではなく、
不安を感じたあとで、原因から逃げても良し、向き合っても良し、ただ感じるままに任せるも良し。
先に起こりうる全ての可能性が既に自分の中に内包されているのだから、
先のシナリオに身を委ねてしまっても良いという意味です。
心配しなくても以外と何とかなりますし、
仮に何ともならなかった、という結果だって、起きてしまえばもはや未来への不安ではなくなる訳です。
「だから、何とかならなかったじゃ困るっす、最善を尽くす必要があるっす!」
と思うのは勝手ですが、そもそも時間の流れを感じているのも、時間というルールで人生を作っているのもあなた自身なので……
元々あってないような未来に対する不安は、ああ不安だわと思う以上のパワーも意味もない、
いわば湧いては消える沢山の感情の一部に過ぎないってことでございます。
それでは、そろそろ歯を磨いて寝ようと思います。
虫歯になったら不安ですから。