凡人だって悟れるもん

自我は幻、大体そんな感じ。

スピリチュアルは優しいけれど

2015年09月25日 | 悟りのこと
それは一時的にあなたを満足させるだけの麻薬みたいなものです。

麻薬という表現がきつければ、魅惑の炭水化物でもいいかもしれません(糖質制限ダイエット中なのでw

スピリチュアルは、どうしようもなく詰んだ状況にある人、混乱し冷静さを完全に失った人にとっては最適の避難所になり得ます。

頼るものがなく、すがりつく相手もなく、やっとの事見つけた藁の一束。

そこにはもっともらしい言葉や、優しい希望に溢れた言葉があり、あなたを癒やし、時に許したりするでしょう。

しかし、その満足は長くは続きません。そうでしょう?

次々と渡り鳥のように、癒やしや希望を求めてスピリチュアル知識を貪り続けるうち、疲弊していませんか。

まあ、それでも全然いいんですけどね。

でも、もしこのループを回り続けるのは嫌だというならば、「それならもうやめておけ」とだけ言っておきます。

回り続けても、これ以上得る物は何もありません。

今流行のミニマリストじゃないですが、そうやって集めてきた知識や思い込みの全てを、一度捨ててみる時期が来たんじゃないでしょうか。

どれだけ特別な言葉で飾り立てられた言葉で、癒やされ、全て認められ、許され、何もかも完璧な気分になろうと、そんな非日常が続くはずはありません。

特別な気分でなくなるとまた不安になって別のスピリチュアルという麻薬(炭水化物)に頼るというループ。

そこから脱出するのが不安なのは分かります。

今決断しても、またループするのかもしれません。

しかし最終的にあなたなりの答えが見つかったなら、凡人の日常に戻る時がやってきます。

そんな日常の中、ふとした時に色々な知識が腑に落ちる、そんな事の方が多いのではないかと思います。少なくとも僕はそうでした。

「疲れたら一休みだ、スピリチュアルにこだわらなくてもいい、結果上手くいけば何だっていいじゃないか。」

そんな考え方を持つ事も、また許されてますよ。


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