凡人だって悟れるもん

自我は幻、大体そんな感じ。

青天井

2018年11月25日 | どうでもいいこと
どうも、僕です。
最近思うことは、あらゆることは先人に語り尽くされているんだなということ。
それは、格言やことわざといったものの中にふんだんに残されています。

「上を見れば方図がない」

例えばこのことわざ。意味はそのまま、上を見ればキリがないということです。
上限というものがこの世にはないのだから、節度をわきまえて生きよということわざなのですが、
現実にまさしくその通りだなと感じる事例が身の回りで見受けられます。

具体的には、生活の充実度という抽象的なものや、収入や生活水準といった形あるものを他人と比較して苦しんでいる人や、
仕事場であいつの方が優れている、おれの方が劣っているといったコンプレックス混じりの感情を抱いている人がそこかしこにうじゃうじゃといます。

僕も普通の人間なので、時にそういった気持ちになることもありますが……。
彼らの愚痴や嫉妬の類を聞くと、それが生きる上で自分を構成する大きな価値観になっていることが分かり、そこから一歩も抜け出せずにいて、じれったいような切ないような気持ちになってしまいます。
人間はどうでも良いことでぐるぐる回転し続けてしまう生き物なのだと実感します。

結局はどれも、自分という確固たる基準があって、一人相撲をしているだけ。
目に見えないはずの上下を見出して喜んだり苦しんだりしているに過ぎないのではないでしょうか。
もっと言えば、本質的には上下左右のない世界で、究極に狭い世界を自分自身が創造してしまっている。
どんなものだって創り出せる、どんな世界にも見方を変えられる自由を放棄してしまっているんです。
それはとても、もったいないことだと思います。

僕らは死ぬまでこの自分というものからは逃れられない運命を背負って生まれてきていますが、
(ああ、自分は得体のしれない自分を背負っているんだな)と気づくことは出来ます。
世の中、どこを見たって方図がない。
自由で混沌とした世の中で、全てを見出しているのは一体誰なのかということです。