凡人だって悟れるもん

自我は幻、大体そんな感じ。

俺がお前でお前が俺で

2014年04月07日 | 悟りのこと
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今日は、スピリチュアルでよく言われる「全てが自分である」という、いわゆるワンネスについてのお話です。

あくまでこれは僕なりの解釈であり、主観が混じっていることを念頭に置いて聞いて下さい。


まずいわゆるワンネス、今ここ、悟りと言われる様な境地に気づくと、こんな疑問が沸いてきました。

「じゃあ、今この思考をしている自分って一体何なんだ??」

自我が絶対だと信じて生きてきた僕が、それが大して絶対的でも無いことに気づいた。

そうなると気づいたという自分、気づいたことについて思考している自我だって絶対的ではないと知ります。

すると、上のようなジレンマに陥り、一体何をより所にしたらいいのか分からなくなってしまったんです。

絶対的な土台なんて無い。

そんな事に気づいた土台が、「じゃあ俺の存在意味って?」と悩むのも仕方ないことかもしれません。

そこで再び、答え探しの無限ループに入っていくこともあるでしょう。

まあ、答えなんてどこにも無いんですけどね。

そんな答え探しをやめた時。

自分の不確かさを知り、ただ自分があることを受け入れた時。

あるもんはあるんだから仕方ない、と諦めた時に、いわゆる「全ては自分」というワンネスへの理解が起きます。

自分で決めていた、自分という名の境界線があいまいになるからです。

それは、はっきりと実感することもあれば、ぼんやりと「こういうことかな?」と感じることもあります。

しかし、体験や実感は大した問題ではありません。

そもそも私達は、分離も何もしていないんですから。

元々どう感じようが考えようが「全ては自分」です。

スピ系にありがちな、分離しているとか、波動が乱れてるとか、そんなの全てあなたがそう思ってるというだけのこと。

あなたの中でだけ起きていることです。

そこに大した意味なんてありません。

そんなもん自作自演の幻です。

元から全ては完璧ですし、元から私達は全てと一体です。

「じゃあ一体どうすればいいの」 ですか?

そう思っているあなたが、そもそも何なのかってことです。


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呉 「そろそろ仕事が落ち着いてきたから、また更新してくよ。」

(´自ω我) 「プリズンブレイクも見終わったっすもんね!(ニヤッ」