凡人だって悟れるもん

自我は幻、大体そんな感じ。

俺の肉しみは消えない

2014年04月11日 | 悟りのこと
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あなたの周りに嫌いな人間、許せない人間、受け付けない人間がいませんか?

「あいつさえ消えてくれれば。」

「あいつなんか不幸になればいい。」

心に黒い炎を燃やしてませんか?

よくスピ系で言われるように、全ては自分を写す鏡です。

これは別にうさんくさい話ではなく、そのまんまのことを表しています。

結果には必ず原因があります。

感情や思考には、土台となる価値観が必ずあります。

非常識な奴が嫌いなら、自分の思う常識という価値観があります。

金持ちが嫌いなら、金というモノや、金を持つ人間への何かしらの強い思いがあります。

試しに、この世で一番許せないような憎い奴が居るなら、そいつを思い浮かべるといいかもしれません。

その人は、あなたの持つ価値観や抵抗をそのまんま全身で表現してくれています。

不快な嫌悪感の原因となるものを、これでもかと教えてくれています。

あなたの持っている価値観を、執拗なまでに披露してくれています。


(´自ω我) 「分かったっす!それを認めて手放せばいいっすね!これこそがカルマだったんすね!」


別にそうは言っていません。

憎ければ、憎いでいいじゃないですか。

その感情を良いとか悪いとか、手放すべきだとか何だとか。

それを決めているのだってまた自分です。

もちろん手放したければ手放せばいいと思います。

許したければ、許せばいいと思います。

それは重い荷物を降ろすようで、とても楽になることでしょう。

でも、それを手放せないから、憎いあいつを許せないからって自分を責め始めたら本末転倒です。

それだって、それが良いことだという価値観に縛られているに過ぎません。

もっと土台を見てください。

良いと思うこと、悪いと思うことを自然と決めている土台。

それこそが、僕の気づいて欲しいただ一つのことです。


ちなみに僕にもどうしても許せない奴、憎い奴が居ました。

しかし、根っからの面倒くさがりな僕の場合、そんな感情すら絶対的じゃないと分かった途端に、全てがどうでもよくなっちゃったんです。

大嫌いなあんな奴が、別に許せない訳でもなく、憎い訳でもない、どうでもいい奴になってしまいました。

不思議とそれから、僕の周りに許せない奴も憎い奴も現れなくなりました。

これを引き寄せの法則だ、とかマインドの力だ、とか何とか言うのは簡単なことかもしれません。

しかし、僕はそうは思いません。

認識が変われば、世界が変わる。

それは特別でも何でもなく、至極当然なことなんです。


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呉 「きっとキリストやブッダにも、『こいつうぜえ・・・』と思う奴は居たと思うよ。」

(´自ω我) 「そんな無責任なこと言うもんじゃないっす!!」