アジャアジャ☆ファイティング!

自分自身に「頑張れ!」って呟いて、毎日頑張って生きていこう!

お千代保さん

2011-02-20 14:04:06 | 毎日の出来事
久々にお千代保さんに行って来ました

小さい頃、お父さんが「どこかに連れて行ってくれる」って言ったら
ここ「お千代保さん」だったなぁ・・・・

行ったらまず参拝前に、なまず料理屋さんに行って、
『このなまず』ってなまずのご指名
そんでもって、参拝して帰ってくる頃にはさっきご指名したなまずの蒲焼が出来上がっているのですよ
それを持ち帰って家でみんなでつついて食べるってのが我が家の「お千代保さん」の思い出
別に美味しい訳でもなかったけど、なんか毎回しきたりのようにしてたなぁ。
懐かしいなぁ

今は、まず参拝して、串かつ&どて食べて、たい焼き買って帰るのが定番

いくつになっても「お千代保さん」に行くと子供の頃の思い出を感じることが出来るから
なんだか特別面白い場所でもないんだけど、無性に行きたくなるんだよね





朝までぐっすり

2011-02-15 09:22:55 | お父さん
お父さんの具合が悪くなり、亡くなる前1週間は24時間体制で家族の誰かが常に付き添っている状態が続いた。

私は翌日自分の仕事があったり、学校や旦那さんを仕事に送り出さなければ
ならないので、夜通しの付き添いは出来なくて、病み上がりのお姉ちゃんやお母さんに本当に体に無理をさせてしまった。

石原家の中で私が一番丈夫で元気なのに・・・・申し訳なかったです。


夜12時半頃におねえちゃんと交代し、家に帰って「さあ、寝よう」となるのが
だいたい1時頃。
4時30分過ぎには起きなければならないので、ベッドで寝ると絶対に寝過ごしそうなので、いつもファンヒーターの前で寝てた。
枕元にはいつ電話が掛かってきてもいいように、携帯電話を家電と目覚まし用の携帯電話の3台を置いて

そんな不安な夜を過ごすことがなくなって、毎日ぐっすり眠れるようになった。
減った体重もあっと言う間に元にもどりつつある・・・・・
体重だけはそのままでいいのに・・・・

法要の意味

2011-02-10 13:19:48 | お父さん

なんでも、仏教では、死後七週間(7日×7週間=49日)はまだ故人があの世とこの世の間を彷徨っていて、
この四十九日間を「中陰(ちゅういん)」と呼ぶらしい。
死後七日目から七日ごとに七回、閻魔大王(えんまだいおう)をはじめとする十王から、
生前の行いに対してお裁きを受け、四十九日目で来世の行き先が決まるとされているらしい。

残された家族は故人が極楽浄土に行けるように、故人に善を送る(追善)ために法要を営むのだそうだ。
この49日間の法要を忌日法要(きびほうよう)と言い、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌などに行う法要を
年忌法要(ねんきほうよう)と言うそうだ。
年忌法要は極楽浄土に行った故人がさらなる精進の道へと導くために営むものだと言う。

特に初七日は故人が三途の川のほとりに到着する日で、激流か急流か緩流かのいずれを渡るかがお裁きで
決まる大切な日なので残された者は緩流を渡ることができるように祈ってあげなくてはならない。


  難しくてよく分からないが、まとめてみると、
  ************************************************************************************************
  
  仏教では輪廻転生(りんねてんしょう)という考え方があり、命日から四十九日の間に、
  故人が次に生まれ変わる世界(来世)が決まるとされています。        
  来世とは、「天」「人間」「修羅」「畜生」「餓鬼」「地獄」の六道のことです。
  この間故人は七日ごとに、生前の行いに対して閻魔大王をはじめとする十王からお裁きを受ける
  とされています。
  しかし、この六道の世界はどこへ行っても煩悩の苦しみがあり、それを超越した世界が極楽浄土です。
  残された家族は故人が極楽浄土に行けるように、このお裁きを受ける七日ごとに故人に善を送る(追善)
  法要を営みます。
  十三仏は初七日から三十三回忌までの合わせて十三回の法要の守護仏です。
  故人は十三の仏様に守られて極楽浄土に導かれ成仏するとされています。
  十三仏は、【初七日】不動明王(ふどうみょうおう)
       【二七日】釈迦如来(しゃかにょらい)
       【三七日】文殊菩薩(もんじゅぼさつ)
       【四七日】普賢菩薩(ふげんぼさつ)    
       【五七日】地蔵菩薩(じぞうぼさつ)
       【六七日】弥勒菩薩(みろくぼさつ)
       【七七日】薬師如来(やくしにょらい)
       【百カ日】観音菩薩(かんのんぼさつ)
       【一周忌】勢至菩薩(せいしぼさつ)
       【三回忌】阿弥陀如来(あみだにょらい)
       【七回忌】阿閃如来(あしゅくにょらい)
       【十三回忌】大日如来(だいにちにょらい)
       【三十三回忌】虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)です。
 
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                                          こういう事らしい。

お父さんの法要は

初七日(しょなのか)・・・・・ 2/9(水)
二七日(ふたなのか)・・・・・ 2/16(水)
三七日(みなのか)・・・・・・・ 2/23(水)
四七日(よなのか)・・・・・・ 3/2(水)
五七日(いつなのか)(三十五日)・・・・3/9(水)
六七日(むなのか)・・・・・・・・3/16(水)
七七日(なななのか)(四十九日)・・・・3/16(水)
百か日(ひゃっかにち)・・・・・5/13(金)
一周忌(いっしゅうき)・・・・・2/3(金)

お父さん、今まで全く信心なんてなかった私達家族だけど、
ちゃ~んとお父さんが極楽浄土へ行けますようにって祈ってるからね。

何だか寂しい

2011-02-10 12:16:01 | お父さん
お父さんに会えなくなって1週間が過ぎた。

一緒に暮らしてた訳じゃないけど、優輔の送迎でほぼ毎日顔は会わせてたよなぁ
もういくら会いたくても会えないんだよなぁ・・・・・って実家に行くたびに感じる。

お父さんが入院してから2ヶ月間毎日朝と夜の2回病院に会いに行ってたし、
具合が悪くなってからはご飯を食べさせてあげたり、着替えさせてあげたりしてて、
仕事のある日は結構忙しい毎日だったなぁ。

氏神さまに27日間毎日お祈りをすると願いが叶うと聞いてからは、毎日神社に通って
「お父さんの病状が良くなりますように。家に帰れますように」って通ったなぁ。
その27日目の夜、「もうダメかも知れないので、会わせたい人がいれば呼んで下さい」
って言われたにも係らず、持ち直したのは氏神様があと少し家族との時間を持たせて
くれたんだと思う。

そんな結構忙しい毎日だったから、今の病院にも行かず、神社にも行かない日々って
なんとも言えず寂しい。
お父さんが居るからこそ忙しかったのに・・・・・・


お父さん、会いたいね。

葬儀終了後

2011-02-05 18:28:38 | お父さん
2月5日(金)  PM5:30 初七日法要終了後「しろ石」にて食事


はしもと会館で食事をお出しすることが出来なかったので、近くの料亭「しろ石」に場所を移動して
「精進落とし」


通常、故人を偲び、粛々と宴は開かれる・・・・・・・であろう。

ところがどっこい、さすがは石原家6姉妹。

お酒が入るにつれて、ほとんど「大宴会」と化していた

みんな大笑いで、帰るときには「こんなに楽しい初七日法要は初めてだぁ」なんて言って
帰って行った。


湿っぽくならず、悲しいんだけど、それを忘れさせてくれた叔母さん達、本当に救われました。
ありがとうございました



最強ツインズ参上






告別式

2011-02-05 16:22:09 | お父さん
2月5日(土) PM13:00~ はしもと会館にて告別式


戒名:寶石院釋浄俊

今日で本当に最後のお別れ

言葉に出来るほど単純な心境ではない・・・・・


お父さん、本当に会えなくなっちゃうんだね・・・・・
寂しいよ、悲しいよ、会いたいよ。



元気でね、お疲れ様でした。



お葬式なのに、なぜだかみんな笑顔
元気に送り出してあげなくちゃね







お通夜

2011-02-04 22:49:35 | お父さん
2月4日(金) PM6:00~はしもと会館にてお通夜

最後のお別れまであと少し。


棺の中のお父さんは軽く微笑んだように見える。
三つ揃いのスーツを掛けて、ちょっとお出かけモード。



夜、会館で夜を過ごしてくれるお母さんの姉妹の方々。
な~んか「本当にお通夜?」ってくらい笑いあって、盛り上がって、楽しいお通夜だった。


湿っぽくなくていいよね、おとうさん
みんなで笑って送り出してあげるね



●お父さんのパチンコ大好きだったよねぇ~なんて言いながら棺に入れる「パチンコ玉」製作中







●ティッシュとアルミホイルで作った「パチンコ玉」完成

永眠

2011-02-03 19:19:48 | お父さん
朝、仕事へ行く前に病院に寄って
「お父さん、おはよう!」「仕事いって来るね」
って声を掛けたらニコッと微笑んでくれた。


夕方、「ただいま!」って声を掛けたけど、眠ったままだった。
昨日1日中話してたから疲れたんだねって言ってたのに・・・・・・・・・・・・・・


お母さんを残し、一旦帰宅。

それから30分程・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


意識のないお父さん、息はかろうじてしている状態。


【 2011年2月3日(木)19時19分 永眠 】



お母さん、お姉ちゃん、私、優輔に見守られて旅立って行きました。


苦しむことなく、すぅ~~~っと


ちょっと微笑んでいるような顔で

家族のためによく働き、自分のためによく遊び
本当に80年間お疲れ様でした。

みんなお父さんが大好きでした。



1月28日(金) 足がパンパンに腫れている



1月29日(土) なんとか持ち直してくれた



1月29日(土) 髭剃り中



1月30日(日)