最近空(クウ)との散歩で、境川を渡って町田市側によく足を延ばします。
そんな途中でお地蔵様を見つけました。
いつもきれいな花が供えられていて、その地域の方々がお地蔵様を大切にしていらっしゃるのがうかがえます。
よく見ると、台座は最近作り変えられたようですが、お地蔵様に刻まれた年号は「安永」と有り、その後ろにある石碑(?)には「天保」とあります。
調べてみると「安永」は1770年代、「天保」は1830年代・・・
あのお地蔵様は230年以上もずっとあの地域の方々を見守って下さっているのですね
私は特別の信仰を持っているわけではありませんが、お地蔵さんを見れば思わず手を合わせてしまいます、「昨日も一日ありがとうございました・・・」と・・・。
毎日時間に追われて生活している私たち、ともすれば「自分の力」だけで生きていると思ってしまいがちですが、お地蔵様でなくてもたとえば「お日様」とか「ご先祖」とか、あるいは身近な「パートナー」にでも、手を合わせ、生かしてくれている自分の周りの目に見えない力に、心を空っぽにして「感謝する」時間がほんの少しでもあった方が良いのではないかと思います。
そうすれば自分を過信することなく、おごらず謙虚になれそうな気がします。
何か、抹香くさいですか?
こんなふうに思うようになったのは病気のせいでしょうか?
う~ん、そうかもしれない・・・いや違うかも・・
自分でも良くわかりません・・・???
でも、初期ではない段階で癌が見つかったにもかかわらず、今こうして生きていることを、誰かにあるいは何かに感謝せずにはいられない自分が確かにいます。
まあ、お盆も近いことですし、少々抹香くさいのはお許しください
そんな途中でお地蔵様を見つけました。
いつもきれいな花が供えられていて、その地域の方々がお地蔵様を大切にしていらっしゃるのがうかがえます。
よく見ると、台座は最近作り変えられたようですが、お地蔵様に刻まれた年号は「安永」と有り、その後ろにある石碑(?)には「天保」とあります。
調べてみると「安永」は1770年代、「天保」は1830年代・・・
あのお地蔵様は230年以上もずっとあの地域の方々を見守って下さっているのですね
私は特別の信仰を持っているわけではありませんが、お地蔵さんを見れば思わず手を合わせてしまいます、「昨日も一日ありがとうございました・・・」と・・・。
毎日時間に追われて生活している私たち、ともすれば「自分の力」だけで生きていると思ってしまいがちですが、お地蔵様でなくてもたとえば「お日様」とか「ご先祖」とか、あるいは身近な「パートナー」にでも、手を合わせ、生かしてくれている自分の周りの目に見えない力に、心を空っぽにして「感謝する」時間がほんの少しでもあった方が良いのではないかと思います。
そうすれば自分を過信することなく、おごらず謙虚になれそうな気がします。
何か、抹香くさいですか?
こんなふうに思うようになったのは病気のせいでしょうか?
う~ん、そうかもしれない・・・いや違うかも・・
自分でも良くわかりません・・・???
でも、初期ではない段階で癌が見つかったにもかかわらず、今こうして生きていることを、誰かにあるいは何かに感謝せずにはいられない自分が確かにいます。
まあ、お盆も近いことですし、少々抹香くさいのはお許しください