国際情勢について考えよう

日常生活に関係ないようで、実はかなり関係ある国際政治・経済の動きについて考えます。

映画 『シリアナ』

2006-09-08 | 書籍・映画の感想

架空の中東産油国「シリアナ」における石油利権の獲得をめぐって、アメリカ政府、石油コングロマリット、金融コンサルタント、アラブ王室、イスラム過激派などが暗闘を繰り広げる様子を描いた作品です。ノン・フィクションの世界を、フィクションに仕立てた味わい深い映画です。最後までネタバレなしで所感を書こうと思います。 

アメリカは古くから、中東油田の確保をめぐって、中東諸国政府、反政府勢力などにさまざまなアメとムチを振るったり、90年代後半からは、新たに見つかったカスピ海沿岸の油田のパイプラインの敷設経路をめぐって、ロシアやトルコ、周辺各国と、激しい綱引きをしてきた経緯があるわけですが、この映画の中では、こうした現実世界と微妙に重なる話が随所に出てきます。したがって、こうした意図されたリアリズムを考慮すると、この映画が提示しているテーマというのは、大まかに言って以下の二つのようなものではないかと個人的に感じました。

 

一つ目のテーマは、私たちの生活があまりに中東原油に依存し過ぎているということです。この映画の筋書きは結構複雑なところがあるのですが、すべての登場人物の動機と目的が、シリアナの石油権益を独占的に獲得しようとする一点に絞られている点はきわめて単純です。複雑な筋書きが、すべてこの一点に向けて進行していくのです。そして、その中で多くの人々が傷つき、命を落としていきます。

このような様子を見ると、思わずアメリカの政府や企業のエゴイズムに腹が立ってしまいそうになるのですが、よく考えると、アメリカがこうして中東を力ずくで仕切ってくれているお蔭様で、日本をはじめとする世界中の石油輸入国の多くが、潤沢な中東原油への安全で安定的なアクセスを享受できているという現実があります。このことは、日本の原油総輸入量における中東依存度が約90%であるのに対し、アメリカの中東依存度は20%程度でしかないことからも、明らかであるように思います(統計 B-6)。

ですから、石油利権の獲得をめぐる熾烈な競争の陰で、もし誰かが命を落としているとすれば、それはアメリカ政府や企業だけでなく、アメリカのお蔭様で豊かな消費生活をエンジョイしている私たちも、共犯なのではないかという気がしました。 ― 今後、世界の中東原油への依存度が緩和されるかどうかという見通しについては、あまり芳しい話はありません。いまのところ、石油に代わる安価で便利なエネルギー資源が大量に確保できる見通しはなく、また石油も中東以外の場所で多く安定的に採掘できる見通しがないため、今後も中東原油への依存度は、むしろ高まっていく可能性が強いようです(統計 222-1-8)。

 

そして、この映画の二つ目のテーマは、アメリカ政府や企業と、アラブ王室、イスラム過激派は、お互い全然違うようで、もしかしたら本当は似た者同士なのではないかということです。どこが似ているのかというと、自分の利得のためには、いくらでも人を殺しても構わないという、人命を奪うことに全く躊躇がない点が、似ているのではないかということです。私たちは、焼肉を食べるときに、その背後で牛がされていることをいちいち考えたりしません。この映画に出てくる人々も、それと同じように、自分が石油権益を追求する過程で、対立軸にいる人々がバタバタと殺されていくことに、全く躊躇していないところが印象的でした。

この映画はフィクションですが、現実にもブッシュ政権の態度や、いわゆるアルカイダ・ネットワークの態度というのは、この点において、ともによく似ています。たしかに、アルカイダ・ネットワークのテロリズムと、ブッシュ政権の対テロ戦争は、前者がプロアクティブな無差別殺人であり、後者がそれに対するリアクティブな対抗策であるという点で、互いに全く次元の違うものです。しかし、その戦術レベルにおける双方の手法には、人命の犠牲を最小に抑えて、自分の利得を最大化するというソロバン勘定さえ見えてこないほど、放縦なものを感じます・・・。この映画は、そうした点も描きたかったのでしょうか。そんなことを、ラストシーン近くのある登場人物の回心から感じました。

 

この映画を見終わっての感想というのは、一言で言うと、地道に生きて行きたいということです。何か大きな訳の分からないことに深入りすることなく、地味にマジメに生きて行きたいと思いました。気の小さい私です。