2020-11-14 06:18:58 読了
2019-12-26 04:31:41
2019-12-22 00:21:30
原文の語順をいかにして維持するかが、翻訳という仕事における重要な課題の一つである。と少なくとも私は思っている。なぜなら、人間が文章を読むとき、ひとつひとつの語は当然ながら書かれている語順の通りに脳に入力されるのだから、語順が変わったら原文とは異質の認知方法で理解することになる。そして、特に文学作品の訳では、原文の意味だけでなく雰囲気を伝えなければならないから、語順は特に重要な要素になる。しかし言語の構造上、外国語の語順をそのまま訳文に反映させることは不可能である。この難題をどう処理するかに翻訳者の技術がある。
その観点からすると、この冒頭部分の訳は秀逸である。極限まで原文の日本語に近づけた英文が綴られている。そもそも『金閣寺』という小説は、この冒頭の一行が、いわば呪縛のように主人公の心理を規定し、行動を展開させ、ついに作品の収束に至るという構造を取っている。
2019-12-23 22:43:48
家族が目を通してほしい書類を渡したりすると、常にではないですが、時に支離滅裂な批判を細かい字で何枚にも渡りびっしり書き込んで返してくる、などといった状況です。書類の現物を見せてもらいましたが、未知の単語がふんだんに文章に盛り込まれ、検索してもいずれもヒットしませんでした。どうやら知人が独自に編み出した単語だったようです。奇怪で不可解なその文章を一ページ読んだだけで、車酔いに似た気分に陥ってしまいました。
唯一の趣味である古本集めでは、他人が手を触れることはもちろん、何の本を読んでいるのかと質問することも禁止で、買った本は「他の客の手垢を落とす」ためとして、カバーがぼろぼろになるまで紙やすりで磨いてから本棚に飾っています。彼の部屋には数千冊近くの本が読みもせず、部屋全体を囲うように置いてあります。
Haruki Murakami
村上春樹『ノルウェイの森』
ところで、上記英文には誤訳がある。ストーリーの上では些細な誤訳だが、論理としては重大な誤訳である。原文の日本語と並べて示す。
もちろんそうなったとしても治療のための一時的な『出張』ということで、またここに戻ってくることは可能です。
That isn’t to say that she couldn’t come back here for treatment on a kind of temporary “leave of absence”.
最初、私はこれが誤訳だと思った。読み直してみて、もしかすると自分の読みのほうが間違っているのかとも思った。しかしやはり誤訳だという結論に達した。論理としての重大な誤訳。それは、「出張」する先が、他の病院だといっているのか、それとも阿美寮だといっているのか、ということである。
日本語の原文によれば、出張先は他の病院である。阿美寮がホームで、しかし治療が必要になったので一時的に他の病院に出張するという意味である。
しかし英文のほうではそれが逆になっている。阿美寮に戻ることを「出張 leave of absence」としている。この英文が誤りであることは、treatmentという単語の使い方からもわかる。阿美寮で行っていることは、治療treatmentではないと、原文には明記されているし、英訳でもここより前の部分にはその通り訳されている。したがって、
back here for treatment
ということは、阿美寮という施設の性質上、あり得ないはずだ。
なぜこのような誤訳が生じたのかと、もう一度原文に目を向けると、
もちろんそうなったとしても治療のための一時的な『出張』ということで、またここに戻ってくることは可能です。
この日本語は、よく読むと実は文法的には曖昧であることがわかる。 「治療のための一時的な『出張』ということで、」の直後に 「またここに戻ってくる」という文があるから、文法だけから読めば、「出張としてここに戻ってくる」と読むことも可能だし、正当ですらある(私が最初に誤訳だと思い、読み直して自分の読みが誤っていると考え直したのはそれが理由である。文法にこだわれば、この英訳は正しいと読める。しかし結論としては誤訳である)。だから訳者は誤解したのであろう。翻訳とは実に細心の注意が必要な作業であることがよくわかる。
2019-12-26 04:31:41
Freud
全然理解できないことを、「わけ (理由) がわからない」というように、どんなことでも理由や原因がわからないと本当にわかったという気はしないものだ。病気の治療も、原因がはっきりしないまま始めると、見当違いなことをしてしまうことだってある。熱が上がったら熱さましをのめばいいのなら簡単だけれど、熱の原因は肺炎かもしれないし、髄膜炎かもしれない。そういうときに、ただ熱が下がったからといって安心していると、病気はどんどん悪化していくことになる。何事も表面だけを見ていては判断を誤る。だから医者はいろいろな検査をして原因をつきとめようとする。けれども、原因はいつもみつかるとは限らず、その一方で検査法はどんどん進歩しているから、あまりムキになって追求すると、これでもかというほど検査をすることになってしまう。原因が全然わからないというのも問題だけれど、こだわりすぎてもかえってよくないこともある。
フロイトがこころの病気の原因を執拗に追究したことはよく知られている。
フロイトは元々は神経細胞の研究をしていた人だ。しかし、いくら顕微鏡をのぞいていてもこころの病気を治すことはできないと考えて、独自の精神分析という学問を打ち樹てた。こころの病気の原因を、無意識という暗闇の中に発見したのだ。無意識という新しい宇宙に目を向けたことは、たぶん永久に揺るがない業績だけれど、治療ということになるとあまり役立たないことがいまでははっきりしてしまった。
ただし、だからといってフロイトの理論が間違っていると言いきれる人はこれまで誰もいなかったし、これからも出てくることはないだろう。なにしろ無意識とか幼児体験をトリデにしているから、検証するのはほとんど不可能である。幼児に戻ることはできないし、無意識に到達することもできない。到達できたらそれはもう無意識ではない。検証しようにもそもそもの材料に手が届かない。そういう理論は批判する方も力が入らないから、しばらくはどんどん肥大していくことになる。そのかわり土台のもろさが表面化すると崩れるのもはやい。特に、精神分析が発達したアメリカで、精神分析療法に対する批判が盛んになっている。
いま、こころの病の原因としてはっきりわかっているのは、脳の中の物質の変調ということだけである。その物質が何であるかはまだまだ研究段階だし、変調自体の原因もよくわからない。これが解明されればもっといい治療法が開発できる。だからこの物質をターゲットにして、精神科医は日々研究を続けている。フロイトの時代には顕微鏡はあまり役に立つようには見えなかったかもしれないが、情報のスピードがケタ違いになって、状況は変わった。顕微鏡を通してわかったこと、試験管の中でわかったこと、臨床でわかったこと、そういう情報をすぐに交換することができるようになった。うつ病の原因が解明されるのも時間の問題になった。ただし今はまだわからない。
2019-12-26 04:31:41
2019-12-22 00:21:30
原文の語順をいかにして維持するかが、翻訳という仕事における重要な課題の一つである。と少なくとも私は思っている。なぜなら、人間が文章を読むとき、ひとつひとつの語は当然ながら書かれている語順の通りに脳に入力されるのだから、語順が変わったら原文とは異質の認知方法で理解することになる。そして、特に文学作品の訳では、原文の意味だけでなく雰囲気を伝えなければならないから、語順は特に重要な要素になる。しかし言語の構造上、外国語の語順をそのまま訳文に反映させることは不可能である。この難題をどう処理するかに翻訳者の技術がある。
その観点からすると、この冒頭部分の訳は秀逸である。極限まで原文の日本語に近づけた英文が綴られている。そもそも『金閣寺』という小説は、この冒頭の一行が、いわば呪縛のように主人公の心理を規定し、行動を展開させ、ついに作品の収束に至るという構造を取っている。
2019-12-23 22:43:48
家族が目を通してほしい書類を渡したりすると、常にではないですが、時に支離滅裂な批判を細かい字で何枚にも渡りびっしり書き込んで返してくる、などといった状況です。書類の現物を見せてもらいましたが、未知の単語がふんだんに文章に盛り込まれ、検索してもいずれもヒットしませんでした。どうやら知人が独自に編み出した単語だったようです。奇怪で不可解なその文章を一ページ読んだだけで、車酔いに似た気分に陥ってしまいました。
唯一の趣味である古本集めでは、他人が手を触れることはもちろん、何の本を読んでいるのかと質問することも禁止で、買った本は「他の客の手垢を落とす」ためとして、カバーがぼろぼろになるまで紙やすりで磨いてから本棚に飾っています。彼の部屋には数千冊近くの本が読みもせず、部屋全体を囲うように置いてあります。
Haruki Murakami
村上春樹『ノルウェイの森』
ところで、上記英文には誤訳がある。ストーリーの上では些細な誤訳だが、論理としては重大な誤訳である。原文の日本語と並べて示す。
もちろんそうなったとしても治療のための一時的な『出張』ということで、またここに戻ってくることは可能です。
That isn’t to say that she couldn’t come back here for treatment on a kind of temporary “leave of absence”.
最初、私はこれが誤訳だと思った。読み直してみて、もしかすると自分の読みのほうが間違っているのかとも思った。しかしやはり誤訳だという結論に達した。論理としての重大な誤訳。それは、「出張」する先が、他の病院だといっているのか、それとも阿美寮だといっているのか、ということである。
日本語の原文によれば、出張先は他の病院である。阿美寮がホームで、しかし治療が必要になったので一時的に他の病院に出張するという意味である。
しかし英文のほうではそれが逆になっている。阿美寮に戻ることを「出張 leave of absence」としている。この英文が誤りであることは、treatmentという単語の使い方からもわかる。阿美寮で行っていることは、治療treatmentではないと、原文には明記されているし、英訳でもここより前の部分にはその通り訳されている。したがって、
back here for treatment
ということは、阿美寮という施設の性質上、あり得ないはずだ。
なぜこのような誤訳が生じたのかと、もう一度原文に目を向けると、
もちろんそうなったとしても治療のための一時的な『出張』ということで、またここに戻ってくることは可能です。
この日本語は、よく読むと実は文法的には曖昧であることがわかる。 「治療のための一時的な『出張』ということで、」の直後に 「またここに戻ってくる」という文があるから、文法だけから読めば、「出張としてここに戻ってくる」と読むことも可能だし、正当ですらある(私が最初に誤訳だと思い、読み直して自分の読みが誤っていると考え直したのはそれが理由である。文法にこだわれば、この英訳は正しいと読める。しかし結論としては誤訳である)。だから訳者は誤解したのであろう。翻訳とは実に細心の注意が必要な作業であることがよくわかる。
2019-12-26 04:31:41
Freud
全然理解できないことを、「わけ (理由) がわからない」というように、どんなことでも理由や原因がわからないと本当にわかったという気はしないものだ。病気の治療も、原因がはっきりしないまま始めると、見当違いなことをしてしまうことだってある。熱が上がったら熱さましをのめばいいのなら簡単だけれど、熱の原因は肺炎かもしれないし、髄膜炎かもしれない。そういうときに、ただ熱が下がったからといって安心していると、病気はどんどん悪化していくことになる。何事も表面だけを見ていては判断を誤る。だから医者はいろいろな検査をして原因をつきとめようとする。けれども、原因はいつもみつかるとは限らず、その一方で検査法はどんどん進歩しているから、あまりムキになって追求すると、これでもかというほど検査をすることになってしまう。原因が全然わからないというのも問題だけれど、こだわりすぎてもかえってよくないこともある。
フロイトがこころの病気の原因を執拗に追究したことはよく知られている。
フロイトは元々は神経細胞の研究をしていた人だ。しかし、いくら顕微鏡をのぞいていてもこころの病気を治すことはできないと考えて、独自の精神分析という学問を打ち樹てた。こころの病気の原因を、無意識という暗闇の中に発見したのだ。無意識という新しい宇宙に目を向けたことは、たぶん永久に揺るがない業績だけれど、治療ということになるとあまり役立たないことがいまでははっきりしてしまった。
ただし、だからといってフロイトの理論が間違っていると言いきれる人はこれまで誰もいなかったし、これからも出てくることはないだろう。なにしろ無意識とか幼児体験をトリデにしているから、検証するのはほとんど不可能である。幼児に戻ることはできないし、無意識に到達することもできない。到達できたらそれはもう無意識ではない。検証しようにもそもそもの材料に手が届かない。そういう理論は批判する方も力が入らないから、しばらくはどんどん肥大していくことになる。そのかわり土台のもろさが表面化すると崩れるのもはやい。特に、精神分析が発達したアメリカで、精神分析療法に対する批判が盛んになっている。
いま、こころの病の原因としてはっきりわかっているのは、脳の中の物質の変調ということだけである。その物質が何であるかはまだまだ研究段階だし、変調自体の原因もよくわからない。これが解明されればもっといい治療法が開発できる。だからこの物質をターゲットにして、精神科医は日々研究を続けている。フロイトの時代には顕微鏡はあまり役に立つようには見えなかったかもしれないが、情報のスピードがケタ違いになって、状況は変わった。顕微鏡を通してわかったこと、試験管の中でわかったこと、臨床でわかったこと、そういう情報をすぐに交換することができるようになった。うつ病の原因が解明されるのも時間の問題になった。ただし今はまだわからない。