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説明

選考

2020-11-18 09:36:53 | 翻訳
三島由紀夫に関しては、後日ドナルド・キーンが興味深いエピソードを披露している。東京都知事選を舞台にした『宴のあと』をキーンの英訳で読んでいたデンマーク人の作家が、選考委員会に助言を求められた際、「三島は左翼」だから授賞はふさわしくないと言ったために三島は受賞を逃し

東野圭吾

2020-11-14 06:58:22 | 翻訳
加賀恭一郎シリーズ

登録日:2015/12
現在11作品となっている。

【作品の変遷】
1986年に刊行された『卒業』(刊行当初は『卒業―雪月花殺人ゲーム』)で、当時は大学生であった加賀がたまたま巻き込まれた事件に探偵として挑んでいくのだが、それから3年後に刊行された『眠りの森』にて、(「作者のちょっとしたイタズラ心」で)警視庁の刑事として再登場することになった。
それから少し経った1990年代に展開された『悪意』や『嘘をもう一つだけ』などの作品内では、彼が主体でなく脇役的な位置づけがなされていたが、2006年に描かれた『赤い指』以降の作品内では『新参者』を除くと、彼自身の家族関係と向き合いながら、事件に挑むような作品になっていった。

【映像化】
2010年4月、阿部寛を主役に据えて、『新参者』が TBSの「日曜劇場」枠で連続ドラマ化された。以後、『新参者』の名を含んだ阿部寛主演のシリーズとして、『赤い指』が2011年にSPドラマで放送され、同年には劇場版『麒麟の翼』が放映され、それから3年が経った、2014年1月にはSPドラマ2作目として『眠りの森』が放送された。
加賀恭一郎そのものがドラマ化されるのは実に17年振りとなる。

【主な登場人物】

加賀恭一郎
初登場作品である『卒業』の時点では国立T大学の4年生で後に教師になったが、最終的に父と同じ警察官になった。
警視庁捜査一課(『眠りの森』)→練馬署(『どちらかが彼女を殺した』~『赤い指』)→日本橋署(『新参者』~『祈りの幕が下りる時』)と移り、階級は巡査部長→警部補(『新参者』以降)となっており、さらに最新刊『祈りの幕が下りる時』のラストで再び警視庁に異動した。
年齢については『赤い指』の時点で30代半ばの為、現在は恐らく40前後。
文系出身ながら理系関連の知識も深く、他にも剣道六段で、全日本選手権で優勝
父親である隆正との関係はあまり良好なものではなかったが、『赤い指』のラストの松宮とのやり取りで実は二人の間には深い絆があった事が示された。

加賀隆正
演:山崎努(2010)
加賀の父親で、『卒業』『眠りの森』『赤い指』に登場。
元刑事で退職後は警備会社のアドバイザーをしていた。
甥である松宮からは慕われる一方、実の息子である恭一郎との関係は母親である百合子の一件が原因で疎遠になっていた。
『卒業』では事件のアドバイスをし、『眠りの森』では縁談を持ちかけたり、身の回りでおきた事件の事について電話したりしていた。
『赤い指』では胆嚢及び肝臓の癌で入院していたが、物語のラストで安らかに息を引き取る。

松宮脩平
演:溝端淳平(2010)
加賀の従弟で警視庁捜査一課の刑事で、『赤い指』『麒麟の翼』『祈りの幕が下りる時』に登場。
母親の克子と二人暮らし。中学に上がる時に東京へ引っ越してきた際に叔父である隆正が彼ら母子に援助をしてくれた事から、隆正を慕うようになり、彼と同じ刑事を志すようになった。
『赤い指』でコンビを組む事になった従兄の恭一郎に対しては、父親の見舞いに行こうとしない事に対して不満を持っていた。
しかし、隆正が息を引き取った後の恭一郎の言葉から、彼と隆正との絆を知る事になる。
普段は彼の事を「恭さん」と呼んでいるが、彼から捜査の間は「加賀さん」と呼ぶ様に指示された。
なお、ドラマ版では『新参者』にも登場している。

金森登紀子
演:田中麗奈(2010)
病床の隆正の担当をしていた看護師で、『赤い指』『麒麟の翼』『祈りの幕が下りる時』に登場。恭一郎のメールの指示通りに将棋の駒を打つことで、隆正と恭一郎との将棋の勝負を取り持っていた。隆正が亡くなった後も、彼とはメールのやり取りをしていた。
『麒麟の翼』では隆正の三回忌に積極的でない加賀に厳しく当たる。

田島百合子
加賀の母親。『卒業』『赤い指』などで、恭一郎が12歳の頃に蒸発した後、仙台のアパートで亡くなっていた事は書かれていたが、正式な名前が示されたのは『祈りの幕が下りる時』。
恭一郎は彼女がいなくなったのは父親の多忙さが原因だと考えた結果、隆正と彼との関係は疎遠になっていった。
蒸発した原因や、蒸発後の動向などについては、『祈りの幕が下りる時』の中で明らかになっていった。

青山亜美
演:黒木メイサ(2010)
原作では『新参者』に登場した半モブキャラだったのだが、ドラマ版ではメインの登場人物に変更された。『赤い指』『麒麟の翼』にも登場。
『赤い指』の時点では新聞記者だったが、何らかの理由で『新参者』ではタウン誌の記者になっていた。
加賀の通っていた大学、さらに言うと彼が所属していた茶道部の後輩で、『赤い指』から本格的に交流を持ち出す。
加賀の事を理想の記者像として尊敬しており(記者じゃないけど)、過去の事件で取材中にインクが切れた際、彼にもらったペンを大事にしている。なお加賀からは「三流記者」と揶揄されている。





【登場作品とあらすじ】

01.『卒業』
国立T大学に通う加賀の友人がアパート内で死体となって発見された。警察は当初は自殺と考えたが、幾つかの矛盾した供述から自殺と他殺の両方の線から捜査をする。一方で加賀もその友人の手記などをもとに捜査を行っていく…。


EX.『学生街の殺人』
とある大学への道は、新しい駅の完成で寂れてしまった。その街で働く男の友人が意味深な言葉を残して殺された。その後、密室の中で第2の殺人が起こり…。
厳密には加賀恭一郎シリーズではないが、加賀がゲスト出演している。


02.『眠りの森』
加賀はバレエ団のとある女性に恋をする。その後、そのバレエ団の事務所で男が殺された。被疑者はバレエ団の女性団員。バレエ団側は正当防衛を主張するが…。


03.『どちらかが彼女を殺した』
自殺に見せかけて殺された妹の復讐を誓う兄、加賀はそれを止めるべく奔走する。そして、容疑者は2人―「男」か「女」か。
…なのだが、この作品では犯人は最後まで明かされない。


04.『悪意』
有名小説家が自宅で他殺体となって発見された。加賀は、彼の親友である男が記した「事件に関する手記」に興味を持つ。加賀は聞き込みや推理を通して、手記に疑問を抱き始める。やがて犯人も明らかになるのだが、犯人は犯行の動機を決して語ろうとはしないのだった…。


05.『私が彼を殺した』
脚本家の男が、結婚式当日に毒殺された。容疑者として挙がったのは「被害者のマネージャー」、「花嫁の兄」、「花嫁の担当の敏腕編集者」の3人。事件後に3人は、密かに述懐する。『私が彼を殺した』と…。
タイトルで予想が付いた人もいるだろうが、やはりこの作品も犯人は最後まで明かされない。


06.『嘘をもうひとつだけ』
加賀恭一郎シリーズ初にして現在唯一の短編集。
5つの作品すべてが『嘘』に関連した作品となっており、加賀以外の人物の目線で話が進んでいく。


07.『赤い指』
少女の遺体が住宅街で発見された。捜査上に浮かんだ平凡な家族。加賀は様々な証拠から犯人の正体に近づいていったが、その家族は最後の一手として恐ろしい手段に出ようとしたのだった…。平凡な家庭を襲った悪夢の2日間。


08.『新参者』
日本橋のマンションで1人の女性が殺害された。加賀は日本橋人形町を歩き回り、事件の真相を追う。一見関係の無さそうな出来事の1つ1つが集まり、パズルの様に事件の真相は浮かび上がっていく…。


09.『麒麟の翼』
ある夜に巡査が声をかけた相手は腹部を刺された男だった。彼は傷を負いながら、何故か助けを求めず、麒麟像の所まで歩き続けてきていた。その行為にはある人物への願いがあったのだった…。


10.『祈りの幕が下りる時』←New!!
小菅のアパートで住人ではない筈の女性が殺されていた。松宮は事件に関する助言を加賀に求め、加賀もそれに応じていたが、その事件の線上に、何と加賀の母親に関する問題が浮かんできたのだった。


【備考】

加賀が警視庁から所轄に異動になった設定上の理由は『新参者』のラストで明らかになるが、作者サイドの理由は、『どちらかが彼女を殺した』の中での事件への扱い方が現実には捜査一課では行われないこと為に所轄に左遷したという事らしい。
上に書いた『どちらかが彼女を殺した』『私が彼を殺した』の次の作品のアイデアとして、作者である東野圭吾は『あなたが誰かを殺した』というものを挙げている。

そして誰もいなくなった

2020-11-14 06:56:21 | 翻訳
そして誰もいなくなった

登録日:2010/09/19(日) 14:09:16
更新日:2020/08/13 Thu 21:10:35
所要時間:約 5 分で読めます

▽タグ一覧
10人のインディアン DDD U.N.オーエン うみねこのなく頃に そして誰もいなくなった アガサ・クリスティ インシテミル クローズドサークル フランドール・スカーレット ホラー ミステリー リンクス戦争 代表作 全滅 名作 孤島 小説 怪奇大作戦 推理小説 東京ヤクルトスワローズ 死神の子守唄 毛利探偵「そして誰もいらなくなった」 洋館 疑心暗鬼 童謡 見立て殺人 連続殺人事件

十人のインディアンの少年が食事に出かけた。
一人が喉を詰まらせて、九人になった。

九人のインディアンの少年が遅くまで起きていた。
一人が寝過ごして、八人になった。

八人のインディアンの少年がデヴォン*1を旅していた。
一人がそこに残って、七人になった。

七人のインディアンの少年が薪を割っていた。
一人が自分を二つに割って、六人になった。

六人のインディアンの少年が蜂の巣を悪戯していた。
蜂が一人を刺して、五人になった。

五人のインディアンの少年が法律に夢中になった。
一人が大法院に入って、四人になった。

四人のインディアンの少年が海に出掛けた。
一人が燻製のにしんにのまれ、三人になった。

三人のインディアンの少年が動物園を歩いていた。
大熊が一人を抱きしめ、二人になった。

二人のインディアンの少年が日向に座った。
一人が陽に焼かれて、一人になった。*2

一人のインディアンの少年が後に残された。
彼が首をくくり、後には誰もいなくなった。

※本によって和訳に違いがある場合があります。





AND THEN THERE WERE NONE
そして誰もいなくなった








―――私にとって、これが「こんな作品が書きたい」という目標であることはいつまでも変わらないだろう。

赤川 次郎



〈概要〉

"そして誰もいなくなった"は、小説家アガサ・クリスティの書いた推理小説。
同氏の代表作の1つであり、全世界で1億冊以上を売り上げたとされる。
舞台は陸から1マイル程度離れた孤島、「インディアン島」に建てられた洋館であり、
「孤島の洋館で起こる連続殺人事件」と言われて、この作品を連想する人は少なくないと思われる。


ちなみに、発表当時の原題は「Ten Little Niggers (10人の小さな黒人)*3」という、表現的に危ないものであったため、後に「And Then There Were None (そして誰もいなくなった)」に改題された。
なお、冒頭の童謡の歌詞や島の名前も「Nigger」だったが、上記の通り「Indian」に変更されている。
また、最近では「Indian」も差別用語とする見解があることから、童謡のその部分が「Soldiers」に変えてあるものもあるとか。



〈ストーリー〉

互いに面識の無い十人の男女が、様々な理由で孤島「インディアン島」に招かれた。
しかしそこに招待主であるオーエン夫妻の姿はなく、そのまま夜になり夕食を済ませた時、どこからともなく客達の過去の罪を告発する声が響いた。
そこから一人、また一人と童謡に沿って殺されていく……。

果たして犯人は誰なのか? そして犯人の目的は……?



〈登場人物〉

〇アンソニー・ジェームズ・マーストン
遊び好きの若いあんちゃん。
友人から電報が来たんで、深く考えず遊びに来たらしい。
登場していきなりアームストロング医師の車と事故りそうになるなど、車の運転がめちゃめちゃ荒っぽい。
告発によると、その危険運転で2人の子どもを轢き殺したが事故として片づけられたとのこと。なお、反省の色ゼロ。
一人目の犠牲者。
オーエンの告発にも動じず、むしろ面白がっていたが、その直後に「喉を詰まらせた」の歌詞どおり酒に毒薬を盛られて窒息死した。

――― 一人が喉を詰まらせて、九人になった。


〇エセル・ロジャース
オーウェン夫妻に雇われたコックで、執事のトマスの妻。
料理の腕はとてもいい模様。
告発によると、かつて仕えていた老婦人の遺産を手に入れるため、夫と共謀して主人の持病による心臓発作をわざと放置した。
二人目の犠牲者。
アンソニーの死にショックを受けて気絶。そのまま寝室に運ばれたが、「寝過ごした」の歌詞どおり就寝中に致死量の睡眠薬を盛られる。

――― 一人が寝過ごして、八人になった。


〇ジョン・ゴードン・マカーサー
退役した老将軍。GHQの最高司令官とは何の関係もない。
「あなたの軍時代の旧友が、あなたをお呼びしたいとのことだから」と招かれたらしい。
告発によると、妻と不倫関係にあった部下をわざと死地に送り込んで死なせた。
三人目の犠牲者。
「デヴォンに残った」の歌詞どおり散歩に出た先で撲殺され、屋敷に帰ってくることはなかった。
犯した罪の影に怯える人生に疲れ切っており、殺される直前にはこれで「終われる」事に安堵の顔さえ見せていた。

――― 一人がそこに残って、七人になった。


〇トマス・ロジャース
オーエン夫妻に雇われた執事。エセルの夫であり、夫婦で使用人を生業としている。
なお、雇われたのは本編開始のわずか1週間前である。
告発によると、かつて仕えていた老婦人の遺産を手に入れるため、妻と共謀して主人の持病による心臓発作をわざと放置した。
殺された順番からして、おそらく彼の方が主犯。
四人目の犠牲者。
連続殺人が起こってからも使用人の仕事をこなしていたが、「斧で自分を真っ二つ」の歌詞どおり薪割りの最中に斧で頭をカチ割られる。

――― 一人が自分を二つに割って、六人になった。


〇エミリー・キャロライン・ブレント
カトリックの信仰篤い老婦人。
避暑地のホテルで知り合った人物に招かれたことになっていた。
何でもかんでも自分が正しいと思い込んでおり、それ故に標的に選ばれることに。
告発によると、不義の子を身ごもったメイドにつらく当たり、自殺に追い込んだ。
五人目の犠牲者。
生き残り達による捜査にも我関せずといった態度だったが、「蜂に刺される」の歌詞どおり首筋に毒物を注射される。*4

――― 蜂が一人を刺して、五人になった。


〇ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴ
元判事の老爺。有罪判決の多さから、一部では"首吊り判事"と呼ばれている。
インディアン島へは旧友の女性に招かれたらしい。
告発によると、誰もが無罪と信じていた被告を決定的証拠もないまま死刑にした。
六人目の犠牲者。
職業由来の毅然とした厳格さで一同を引っ張っていた彼も「大法院に入る」の歌詞どおり判事の正装に見立てた仮装をさせられ銃殺される。

――― 一人が大法院に入って、四人になった。


〇エドワード・ジョージ・アームストロング
ロンドンの名医が集うハーレー街に医院を構える医者。
黒船に搭載されてた大砲や、某筋肉錬金術師とは何の関係もな(ry
オーエン夫人の診察を頼まれていたとのこと。
告発によると、泥酔したまま手術を執刀して助かるはずだった患者を死なせた。
七人目の犠牲者。
深夜に行方不明になり、生き残り達は彼こそがオーエンだと色めき立つが、「海で燻製のにしんに呑まれる」の歌詞どおり何者かに海に突き落とされて溺死していた。

――― 一人が燻製のにしんにのまれ、三人になった。


〇ウィリアム・ヘンリー・ブロア
元警部の現探偵。
オーエン氏に来客者を見張るよう依頼されたと主張する。
告発によると、虚偽の証言で無実の男に強盗殺人の罪を被せて獄死させた。
控えめに言って外道。警察仲間からも嫌われていたらしい。
八人目の犠牲者。
腕力と体力に自信があったようだが、「大熊に抱きしめられる」の歌詞どおり熊の形をした大理石像を脳天に落とされてはひとたまりもなかった。

――― 大熊が一人を抱きしめ、二人になった。


〇フィリップ・ロンバート
元陸軍大尉。現在は、アウトローという名のプーな伊達男。
モリスと名乗る男の依頼でインディアン島へ赴く。
告発によると、東アフリカの任地で現地人の部下21名を見捨て、食糧を奪って死なせた。
九人目の犠牲者。
残り二人になったためヴェラとお互いに犯人と決めつけ合い、諍いの末に自分が持ち込んだ拳銃を奪われて撃たれる。
死体は歌詞どおりに「砂浜で陽に焼かれる」ことになった。

――― 一人が陽に焼かれて、一人になった。


〇ヴェラ・エリザベス・クレイソーン
秘書と家庭教師を職業とする若い女性。
秘書としてオーエン夫妻に雇われる事になっていた。
告発によると、体の弱い教え子に泳げるはずのない距離を泳ぐ許可を与えて溺死させた。
十人目の犠牲者。
恐怖からの解放と殺人を犯した興奮、過去の罪の意識等がないまぜになった錯乱状態の中、自室に戻ると首吊りのロープがセッティングされていた。
見えない何かに誘われるかのように、歌詞どおりに自分から「首をくくる」。

――― 彼が首をくくり、後には誰もいなくなった。



〇オーエン夫妻
彼ら十人を島に招いた富豪。
夫はユリック・ノーマン(Ulick・Norman)、妻はユナ・ナンシー(Una・Nancy)と名乗っており、どちらともU.N.オーエンとなる。



※以下真相を暴く為のヒント的なもの(微妙にネタバレ注意)



"燻製のにしん"とは、英語圏において「注意を他の事にそらす」という意味で使う慣用句。

なお戯曲化された際には結末が異なっている他、ゲーム化もされている。
また2017年にはテレビ朝日にて、舞台を日本に置き換えた仲間由紀恵主演の「事件編」、及び沢村一樹主演の「解決編」による前後編のSPドラマを放送。
渡瀬恒彦の遺作となった。渡瀬氏の役柄とリアルでの病状等とのリンクが洒落になっていなかったとも言われる。
上述した通り、原作とは違い「解決編」部分がオリキャラの刑事による推理シーンに変更されており、このオリキャラ刑事主役編として、ミス・マーブルシリーズを原作としたドラマも後に放送されている。

クローズドサークル及び見立て殺人の金字塔とも言える名作であるがゆえに、パロディも多く存在している。
特にクローズドサークルものの作品では、登場人物が自分たちの置かれた状況について「まるで"そして誰もいなくなった"のようだ」とこの作品そのものに言及することもしばしば。
また、見立て殺人ものにおいては、犯人がこの小説に見立てて殺人を行うという作品が一つならず存在している。

日本の推理小説においては、綾辻行人による『十角館の殺人』が特に有名だろう。
上述のとおりに、登場人物による「"そして誰もいなくなった"のようだ」という状況確認が何度も出てくるだけでなく、シチュエーションやプロットをほぼそのまま踏襲しているのは、旧版や新装版の巻末解説でも触れられている。
そしてもちろん、その踏襲こそがトリックのみならずドラマ面においても大きな役割を果たしている。
氏がその才覚によって新本格の先駆となるのは変わりなかったにしても、この"そして誰もいなくなった"がなかった場合、それは『十角館~』ではない全く違った小説によって成されていたはずで、そういった意味では日本の新本格ミステリ史を語るうえで外せない作品でもある。

村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

2020-11-14 06:39:11 | 小説
2019-12-26 03:16:24
2020-11-14 06:39:05 読了
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
ふと思い立って、村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の英訳本を読んでみた。

Colorless Tsukuru Tazaki and His Years of Pilgrimage
Haruki Murakami
Translated by Philip Gabriel
Alfred A. Knopf
Kindle版
1
一行目からこう始まっている。いきなり精神科的である。
p.3
大学二年生の七月から、翌年の一月にかけて、多崎つくるはほとんど死ぬことだけを考えて生きていた。
(『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』 村上春樹 文藝春秋 2013 より; 以下、日本語訳はこの本からの引用)
From July of his sophomore year in college until the following January, all Tuskuru Tazaki could think about was dying.
希死念慮が約半年持続。すると多崎つくるはうつ病だろうか。という精神科的な問いが一行目から発生するのだが、この小説を英訳で読む時にまず気になるのは、一行目よりさらに前の段階、すなわちタイトルをめぐる事項だ。色彩のない多崎つくる。Colorless Tsukuru Tazaki。そこまではいい。タイトルそのものの訳はやさしい。問題はこのタイトルに直接つながる本文の訳だ。「色彩のない多崎つくる」とは、彼の名前には色彩がないが、彼の友人達の名前にはみな色彩があることを意味している。これをどう訳すか。
p.8
また多崎つくる一人を別にして、他の四人はささやかな偶然の共通点を持っていた。名前に色が含まれていたことだ。二人の男子の姓は赤松と青海で、二人の女子の姓は白根と黒埜だった。多崎だけが色とは無縁だ。そのことでつくるは最初から微妙な疎外感を感じることになった。
And aside from Tsukuru Tazaki, they had another small, coincidental point in common: their last names all contained a color. The two boys’ last names were Akamatsu — which means “red pine”— and Oumi — “blue sea”; the girls’ family names were Shirane — “white root” — and Kurono — “black field.” Tazaki was the only last name that did not have a color in its meaning. From the very beginning this fact made him feel a little bit left out.
ここまでは名前の意味の説明であり、こう訳すしかないところであろう。そこには特に問題はない。
では彼らの呼び名についてはどうか。
p.8
他のみんなは当然のことのようにすぐ、お互いを色で呼び合うようになった。「アカ」「アオ」「シロ」「クロ」というように。彼はただそのまま「つくる」と呼ばれた。
Soon, the other four friends began to use nicknames: the boys were called Aka (red) and Ao (blue); and the girls were Shiro (white) and Kuro (black). But he just remained Tsukuru.
Aka (red) というように括弧を使うのは、たぶん翻訳者としては不本意であったのではないかと思うが、他にやりようもないところ。
さらに「多崎つくる」という名前について、後にこう書かれている。
p.59
本名は「多崎作」だが、それが公式な文書でない限り、普段は「多崎つくる」と書いたし、友だちも彼の名は平仮名の「つくる」だと思っていた。母と二人の姉だけが、彼のことを「さく」とか「さくちゃん」と呼んだ。その方が日常的に呼びやすいからだ。
The first name “Tsukuru” was officially written with a single Chinese character, though usually he spelled it out phonetically in hiragana, and his friends all thought that was how his name was written. His mother and two sisters used an alternate reading of the same character for Tsukuru, calling him Saku or Saku-chan, which they found easier.
この部分も訳しにくいのではないかと予想していたのだが、訳文を見ると、何のことはない、ただの説明文になっている。しかしこれもこう訳すしかないところなのであろう。日本語そのものの性質がストレートに出ている部分は、訳文を工夫する余地はほとんどなく、ただ日本語がわからない人にも理解できるような説明文にする以外にない。翻訳としてはかえってやさしいのかもしれない。
名前についてはさらにこう書かれている。
p.59
ただし「つくる」という名前にあてる漢字を「創」にするか「作」にするかでは、父親はずいぶん迷ったらしい。同じ読みでも、字によってそのたたずまいは大きく違ってくる。母親は「創」を推したが、何日もかけて熟考した末に、父親はより無骨な「作」を選択した。
When it came to which Chinese character he would choose to write out “Tsukuru,”however — the character that meant “create,” or the simpler one that meant “make” or “build” — his father couldn’t make up his mind for the longest time. The characters might read the same way, but the nuances were very different. His mother had assumed it would be written with the character that meant “create,” but in the end his father had opted for the more basic meaning.
漢字について語るこの部分も説明文にするしかないと言えるが、それでも翻訳者の苦心の跡が見られる。原文の無骨なをbasicとしたことだ。漢字で書けば「作」は「創」より無骨と言えるが、makeがcreateより無骨とは言えまい。だがよりbasicとなら言える。そしてここは文脈上、「名前の漢字としてよりbasicなものを選んだ」と言い表しても、原文にかなり近いニュアンスを保つことができる。些細なことのようだが良訳と言えよう。
2
小説本文の冒頭に戻ろう。多崎つくるの希死念慮についてである。つくるは小説の語り手であるから、もちろん自殺を実行はしなかった。
p.3
それらの日々、自らの命を絶つことは彼にとって、何より自然で筋の通ったことに思えた。なぜそこで最後の一歩を踏み出さなかったのか、理由は今でもよくわからない。そのときなら生死を隔てる敷居をまたぐのは、生卵をひとつ呑むより簡単なことだったのに。
Taking his own life seemed the most natural solution, and even now he couldn’t say why he hadn’t taken this final step. Crossing that threshold between life and death would have been easier than swallowing down a slick, raw egg.
自殺という重大な行為をするからには、悩みに悩み抜いてのことと人は考えがちだが、確かにそういう自殺者も存在するものの、ある一群の人々は、いとも簡単に自らの命を絶ってしまうものだ。そこに至るまでは深く悩んでいたとしても、最後の一歩は実にあっさりと踏み出されることがある。「生卵をひとつ呑むより簡単」という表現が当を得ている簡単さである。ここで生卵の訳が a slick, raw egg となっていることが目を引く。slickという単語の付加はちょっと考えつかないが、呑み込むことの簡単さを強調するためには適切な付加だということなのであろう。
p.3
つくるが実際に自殺を試みなかったのはあるいは、死への想いがあまりにも純粋で強烈すぎて、それに見合う死の手段が、具体的な像を心中に結べなかったからかもしれない。具体性はそこではむしろ副次的な問題だった。もしそのとき手の届くところに死につながる扉があったなら、彼は迷わず押し開けていたはずだ。深く考えるまでもなく、いわば日常の続きとして。しかし幸か不幸か、そのような扉を手近な場所に見つけることが彼にはできなかった。
Perhaps he didn’t commit suicide then because he couldn’t conceive of a method that fit the pure and intense feelings he had toward death. But method was beside the point. If there had been a door within reach that led straight to death, he wouldn’t have hesitated to push it open, without a second thought, as if it were just a part of ordinary life. For better or for worse, though, there was no such door nearby.
自殺防止は精神医療の重要な課題の1つである。有効な防止方法の1つは、「自殺の手段になり得るものを本人の周りから除去する」というものである。たとえば刃物や紐を隠す。その程度のことで自殺が防止できるのか、隠したって探せば見つかるに決まっているし、それに見つからなければ買ってくれば簡単に手に入るのだから無意味ではないか。理屈ではそう思いがちだが、現実は違うのだ。しばしばあっさりと踏み出される最後の一歩が、あっさりとは踏み出せないような環境を作ることで防止できる自殺はたくさんある。
だからここで、
もしそのとき手の届くところに死につながる扉があったなら、彼は迷わず押し開けていたはずだ。深く考えるまでもなく、いわば日常の続きとして。
If there had been a door within reach that led straight to death, he wouldn’t have hesitated to push it open, without a second thought, as if it were just a part of ordinary life. 
というのは現実の自殺をかなり正確に反映した描写なのである。そして多崎つくるが自殺を実行しなかったのは、
しかし幸か不幸か、そのような扉を手近な場所に見つけることが彼にはできなかった。
For better or for worse, though, there was no such door nearby. 
ということが大きい。
なおここで、
それに見合う死の手段が、具体的な像を心中に結べなかったからかもしれない。

he couldn’t conceive of a method that fit the pure and intense feelings he had toward death.
と訳されていることが目を引く。この原文でのポイントは「具体的な像」であるが、訳文は「具体的な像」に一対一で対応する単語を持って来るのではなく、一文としてのひとまとまりの中に「具体的な像」という意味を溶け込ませている。殊更に「具体的」という単語に拘泥するよりも、このような形の訳文のほうが原文を正確に反映しているし、おそらく英文としても自然なのであろう。
そして直後の文は、これを受ける形で
but method was beside the point. 
となっている。原文は
具体性はそこではむしろ副次的な問題だった。
と、「具体性」ということの重要さが維持される表現になっている。それに対して訳文は単にmethodだから、いわば文学的にはやや厚みが薄れていると言えるのかもしれないが、自殺という行為の実体とその防止という精神科的観点からは、単にmethodとなっても違和感はないところである。

p.4
彼はその時期を夢遊病者として、あるいは自分が死んでいることにまだ気づいていない死者として生きた。日が昇ると目覚め、歯を磨き、手近にある服を身につけ、電車に乗って大学に行き、クラスでノートを取った。強風に襲われた人が街灯にしがみつくみたいに、彼はただ目の前にあるタイムテーブルに従って動いた。用事のない限り誰とも口をきかず、一人暮らしの部屋に戻ると床に座り、壁にもたれて死について、あるいは生の欠落について思いを巡らせた。彼の前には暗い淵が大きな口を開け、地球の芯までまっすぐに通じていた。そこに見えるのは堅い雲となって渦巻く虚無であり、聞こえるは鼓膜を圧迫する深い沈黙だった。

It was as if he were sleepwalking through life, as if he had already died but not yet notices it. When the sun rose, so would Tsukuru — he’d brush his teeth, throw on whatever clothes were at hand ride the train to college, and take notes in class. Like a person in a storm desperately grasping at a lamppost, he clung to this daily routine. He only spoke to people when necessary, and after school, he would return to his solitary apartment, sit on the floor, lean back against the wall and ponder death and the failures of his life. Before him lay a huge, dark abyss that ran straight through to the earth’s core. All he could see was a thick cloud of nothingness swirling around him; all he could hear was a profound silence squeezing his eardrums.

多崎つくるの暗黒の日々の描写が続く。訳文は原文を正確に反映している。
ひとつだけ気になるのは、
堅い雲

thick cloud
となっていることだが、この訳語の適否は私の判定能力を超えている。
p.5
死について考えないときは、まったく何についても考えなかった。何についても考えないことは、さしてむずかしいことではなかった。新聞も読まず、音楽も聴かず、性欲さえ感じなかった。世間で起こっていることは、彼にとって何の意味も持たなかった。部屋に閉じこもっているのに疲れると、外に出てあてもなく近所を散歩した。あるいは駅に行ってベンチに座り、電車の発着をいつまでも眺めた。
When he wasn’t thinking about death, his mind was blank. It wasn’t hard to keep from thinking. He didn’t read any newspapers, didn’t listen to music, and had no sexual desire to speak of. Events occurring in the outside world were, to him, inconsequential When he grew tired of his room, he wandered aimlessly around the neighborhood or went to the station, where he sat on a bench and watched the trains arriving and departing, over and over again.
うつ病の診断基準(DSM-5, “Major Depressive Disorder” = 「うつ病(DSM-5)/大うつ病性障害」)に、
・死についての反復思考
Recurrent thoughts of death
があるが、まさにそれにあたる経験である。
さらに
・ほとんど1日中、ほとんど毎日の、すべて、またはほとんどすべての活動における興味または喜びの著しい減退
Markedly diminished interest or pleasure in all, or almost all, activities most of the day, nearly every day
もはっきりと認められる。
するとこの時期、多崎つくるはうつ病だったのか。もう少し見ていこう。
p.5
毎朝シャワーを浴び、丁寧に髪を洗い、週に二度洗濯をした。清潔さも彼がしがみついている柱のひとつだった。洗濯と入浴と歯磨き。食べることにはほとんど注意を払わなかった。昼食は大学の食堂で食べたが、あとはまともな食事はほとんど取らなかった。空腹を感じると、近所のスーパーマーケットで林檎や野菜を買ってきて囓った。あるいは食パンをそのまま食べ、牛乳を紙パックから飲んだ。
He took a shower every morning, shampooed his hair well, and did the laundry twice a week. Cleanliness was another one of his pillars: laundry, bathing, and teeth brushing. He barely noticed what he ate. He had lunch at the college cafeteria, but other than that, he hardly consumed a decent meal. When he felt hungry he stopped by the local supermarket and bought an apple or some vegetables. Sometimes he ate plain bread, washing it down with mild straight from the carton.
おそらく大学で彼を目にした人の目にも、彼には何らかの異変が起きているように見えたであろう。しかしそうはいっても彼は淡々と生活している。清潔は維持し、授業に出席している。「どこか変だな」と思いながらも、「たいしたことはないだろう」と人は結論しがちである。だがこうした表面的な平穏さの裏に、病が深く潜行していることがしばしばあるものだ。食事も大学で見る限りはきちんと取っているが、一日の食事全体を見れば全く不十分であることも象徴的である。
p.44
死の間際をさすらったその半年近くのあいだに、つくるは体重を七キロ落とした。まともな食事をとらなかったのだから、当然といえば当然のことだ。
In the half year when he wandered on the verge of death Tsukuru lost fifteen pounds. It was only to be expected, as he barely ate.
現に体重が落ちている。体重減少もうつ病の診断基準の項目にある。
・食事療法をしていないのに、有意の体重減少、または体重増加(例: 1カ月で体重の5%以上の変化)
Significant weight loss when not dieting or weight gain (e.g., a change of more than 5% of body weight in a month)
p.5
眠るべき時間が来ると、ウィスキーをまるで薬のように、小さなグラスに一杯だけ飲んだ。ありがたいことにアルコールに強くなかったせいで、少量のウィスキーが彼を簡単に眠りの世界に運んでくれた。当時の彼は夢ひとつ見なかった。もし見たとしても、それらは浮かぶ端から、手がかりのないつるりとした意識の斜面を虚無の領域に向けて滑り落ちていった。
When it was time to sleep, he’d gulp down a glass of whiskey as if it were a dose of medicine. Luckily he wasn’t much of a drinker, and a small dose of alcohol was all it took to send him off to sleep. He never dreamed. But even if he had dreamed, even if dreamlike images arose from the edges of his mind, they would have found nowhere to perch on the slippery slopes of his consciousness, instead quickly sliding off, down into the void.
不眠をアルコールで解消。これは小説だから、アルコールはいわば不眠解消の手軽な手段としてだけ記されている。現実はそうとは限らない。不眠をアルコールで解消することは、アルコール依存症への道の第一歩ということもよくある。
冒頭一行目の
p.3
大学二年生の七月から、翌年の一月にかけて、多崎つくるはほとんど死ぬことだけを考えて生きていた。
から始まり、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の最初の数ページは、このようにこの7ヶ月間の多崎つくるの苦悩が描写されている。あらためてうつ病の診断基準と照合してみると、
・死についての反復思考
Recurrent thoughts of death
・ほとんど1日中、ほとんど毎日の、すべて、またはほとんどすべての活動における興味または喜びの著しい減退
Markedly diminished interest or pleasure in all, or almost all, activities most of the day, nearly every day
・食事療法をしていないのに、有意の体重減少、または体重増加(例: 1カ月で体重の5%以上の変化)
Significant weight loss when not dieting or weight gain (e.g., a change of more than 5% of body weight in a month)
・ほとんど毎日の不眠または過眠
Insomnia or hypersomnia nearly every day
さらに最初に引用した箇所は次の項目にあたる:
・その人自身の言葉(例: 悲しみ、空虚感、または絶望を感じる)か、他者の観察(例: 涙を流しているように見える)によって示される、ほとんど1日中、ほとんど毎日の抑うつ気分
Depressed mood most of the day, nearly every day, as indicated by either subjective report (e.g., feels sad, empty, hopeless) or observation made by others (e.g., appears tearful).
(ちなみに、上記「涙を流しているように見える」は公式の訳文であるが、誤訳である。appearという単語はこのようにしばしば誤訳されている)
この時期(7ヶ月間)の多崎つくるは、上記5項目を満たすから、診断基準上はうつ病と診断できることになる。
(もっとも診断基準のこのような使い方は本来は誤りである。診断基準とは、あくまでも精神科を専門とする医師が本人を直接診察したうえで、基準を満たすか否かを判定するものである。だが多崎つくるについてそれが実現できるはずはないから、「把握可能な情報に基づけばうつ病の診断基準を満たすと推定できる」というのが正確な言い方になる)
ただし、多崎つくるがこのような状態になったことには、明確なきっかけがあった。この小説の主題はここからである。

3
p.5
多崎つくるがそれほど強く死に引き寄せられるようになったきっかけははっきりしている。彼はそれまで長く親密に交際していた四人の友人たちからある日、我々はもうお前とは顔を合わせたくないし、口もききたくもないと告げられた。きっぱりと、妥協の余地もなく唐突に。そしてそのような厳しい通告を受けなくてはならない理由は、何ひとつ説明してもらえなかった。彼もあえて尋ねなかった。
The reason why death had such a hold on Tsukuru Tazaki was clear. One day his four closest friends, the friends he’d known for a long time, announced that they did not want to see him, or talk with him, ever again. It was a sudden decisive declaration, with no room for compromise. They gave no explanation, not a word, for this harsh pronouncement. And Tsukuru didn’t dare ask.
多崎つくるの「うつ」には、はっきりしたきっかけがあった。

削除

DSM-5
p.166
Stressful life events are well recognized as precipitants of major depressive episodes, but the presence or absence of adverse life events near the onset of episodes does not appear to provide a useful guide to prognosis or treatment selection.
この記載は公式とされている日本語版では次のように訳されている。
p.166
ストレスの多い人生上の出来事は、よく知られた抑うつエピソードの発病促進因子であるが、エピソードの発症の前後での好ましくない人生上の出来事の存在の有無は、予後もしくは治療選択の有用な指標にはならないように見える。
上記、「エピソードの発症の前後での」は誤訳であろう。原文は near the onset of だから、「発症の前後」でもよさそうにも見えるが、直前に Stressful life events are well recognized as precipitants of major depressive episodes と明記されている以上、この near はエピソードの前を限定して指していると解されるし、現実の経過と文脈に即して考えてみても、ここで発症の「後」の出来事に言及されるのは不合理である。また、appearを「見える」と訳すのもここでは不適切である。「好ましくない人生上の出来事」も、直訳としては正しいが、かえって意味がわかりにくくなっている。適正な訳文は次のようになろう。
エピソードの発症前の頃に遭遇したネガティブな出来事の存在の有無が、予後もしくは治療選択の有用な指標になるという証拠はない。
つまり、ネガティブな出来事があってもなくても、治療選択の指標にはならないということである。治療選択とはたとえば薬を飲むべきかどうかということである。ということは、DSM-5によれば、ネガティブな出来事があったことに引き続いて現れたうつ状態すなわち適応障害であっても、内因性のうつ病であっても、それは薬を飲むべきかどうかの決定には無関係ということである。


削除

5
多崎つくるの症状の描写を続けよう。
p.4
しかし同時に、なぜ自分がその時期、それほどぎりぎりのところまで死に近づかなくてはならなかったのか、その理由もつくるには本当には理解できていない。具体的なきっかけはあったにせよ、死への憧憬がなぜそこまで強力な力を持ち、自分を半年近く包み込めたのだろう? 包み込む —– そう、まさに的確な表現だ。巨大な鯨に呑まれ、その腹の中で生き延びた聖書中の人物のように、つくるは死の胃袋に落ち、暗く淀んだ空洞の中で日付を持たぬ日々を送ったのだ。
At the same time, Tsukuru couldn’t fathom why he had reached this point, where he was teetering over the precipice. There was an actual event that had led him to this place — this he knew all too well — but why should death have such a hold over him, enveloping him in its embrace for nearly half a year? Envelop — the word expressed it precisely. Like Jonah in the belly of the whale, Tsukuru had fallen into the bowels of death, one untold day after another, lose in a dark, stagnant void.
きっかけは確かにあった。だがなぜそれがこうも彼を死に近づけたのか。その理由が彼自身にも理解できない。
先に(3)私は次のように書いた。
多崎つくるの「うつ」には、はっきりしたきっかけがあった。そしてそのきっかけは、彼にとってこのうえなくつらい性質のものであった。多崎つくるに突然一方的に絶交を通告した4人が、彼にとって他の誰よりも大切な友人であったからである。多崎つくるがひどく落ち込むのは当然である。
ここまでは異論のないところであろう。「当然である」は私の見解としての表現であるが、大多数の人々が「当然である」と了解されるものと思う。
だがそれが死への希求に直結することが了解できるかどうはまた別の話である。「ひどく落ち込む」と「自殺を考える」の間には大きなギャップがある。さらに言えば「自殺を考える」と「自殺を遂行する」の間にはさらに大きなギャップがある。自殺を遂行してしまった人を見た時、その人にひどく落ち込むだけの理由があることを見た時、その人が自殺した理由はそれに違いないと人はすぐに納得しがちだが、自殺の心理はそう簡単に了解できるものではないのである。
なぜ自分がその時期、それほどぎりぎりのところまで死に近づかなくてはならなかったのか、その理由もつくるには本当には理解できていない。
はまさにそのことを示している。
ここで、本当には理解できていない の 本当に を自然な英語に訳すのはかなり難しいと私には思われるところだが、Gabrielが出した答は couldn’t fathom であった。Fathomという単語が原文のニュアンスを正確に反映しているかどうか、判定できるだけの英語力を私は持たないが、原文を深く読んだうえでの単語の選択であることは感じられる訳である。
自分でも本当は理解できていないまま、多崎つくるは前記診断基準の死についての反復思考 Recurrent thoughts of death にとり憑かれ続ける。
p.40
東京に戻ってからの五か月、つくるは死の入り口に生きていた。底なしの暗い穴の縁にささやかな居場所をこしらえ、そこで一人きりの生活を送った。寝返りを打ったら、そのまま虚無の深淵に転落してしまいそうなぎりぎりの危うい場所だ。しかし彼はまったく恐怖を感じなかった。落ちるというのはなんと容易いことか、そう思っただけだ。
For the five months after he returned to Tokyo, Tsukuru lived at death’s door. He set up a tiny place to dwell, all by himself, on the rim of a dark abyss. A perilous spot, teetering on the edge, where if he rolled over in his sleep, he might plunge into the depth of the void. Yet he wasn’t afraid. All he thought about was how easy it would be to fall in.
原文がそのまま浮かぶような、正確な訳文である。
p.41
まわりは見渡す限り、荒ぶれた岩だらけの土地だった。一滴の水もなく、一片の草も生えていない。色もなく、光らしい光もない。太陽もなければ、月も星もない。おそらく方向もない。得体の知れない薄暮と底のない闇が、一定の時間をおいて入れ替わるだけだ。意識あるものにとっての究極の辺境だ。しかし同時にそこは豊潤な場所でもあった。薄暮の時刻には、刃物のように尖った嘴をもった鳥たちがやってきて彼の肉を容赦なくえぐり取っていった。しかし闇が地表を覆い、鳥たちがどこかに去るとその場所は、彼の肉体に生じた空白を、無音のうちに代替物で満たしていった。
All around him, for as far as he could see, lay a rough land strewn with rocks, with not a drop of water, nor a blade of grass. Colorless, with no light to speak of. No sun, no moon or stars. No sense of direction, either. At a set time, a mysterious twilight and a bottomless darkness merely exchanged places. A remote border on the edges of consciousness. At the same time, it was a place of strange abundance. At twilight birds with razor-sharp beaks came to relentlessly scoop out his flesh. But as darkness covered the land, the birds would fly off somewhere, and that land would silently fill in the gaps in his flesh with something else, some other indeterminate material.
これもまた、村上春樹の日本語を読んでいるかのような見事な訳文である。
この後、原文は、死の間際をさすらう多崎つくるの心理を7ページにわたって描写し、次の文にたどり着く。
p.48
あとになって思い当たったことだが、多崎つくるが死を真剣に希求することをやめたのは、まさにその時点においてだった。彼は全身鏡に映った自らの裸の肉体を凝視し、そこに自分ではない自分の姿が映っていることを認めた。その夜、夢の中で嫉妬の感情(と思えるもの)を生まれて初めて体験した。そして夜が明けたとき、死の虚無と鼻先をつきあわせてきた五か月にわたる暗黒の日々を、彼は既にあとにしていた。
Tsukuru Tazaki only understood this later, but it was at this point that he stopped wanting to die. Having shared at his naked form in mirror, he now saw someone else reflected there. That same night was when, in his dreams, he experienced jealousy (or what he took for jealousy) for the first time in his life. And by the time dawn came, he’d put behind him the dark days of the previous five months, days spent face-to-face with the utter void of extinction.
多崎つくるは自らの内部にある自然治癒力により回復した。適応障害である以上、人間の正常な心理的反応である以上、人はこのように回復力を持っている。と考えるのは残念ながら感傷的な理想論である。人は正常な心理的反応の延長で自殺してしまうこともある。正常の心理的反応と見えたものが、実は脳の病気である内因性うつ病の発症だったということもある。多崎つくるが自力で危機を脱したのは、これが小説であり、彼がその主人公だったからにすぎない。彼がここで自殺してしまっては「彼の巡礼」は実現せず、小説は成立しない。
p.48
たぶんそのとき、夢というかたちをとって彼の内部を通過していった、あの焼けつくような生の感情が、それまで彼を執拗に支配していた死への憧憬を相殺し、打ち消してしまったのだろう。強い西風が厚い雲を空から吹き払うみたいに。それがつくるの推測だ。
He speculated that, just as a powerful west wind blows away thick banks of clouds, the graphic, scorching emotion that passed through his soul in the form of a dream must have canceled and negated the longing for death, a longing that had reached out and grabbed him around the neck.
人は自分に生じた心理的変化の原因として納得できる理由を求める。だが本人が納得できる理由が、本当にその心理的変化を引き起こしたものであるとは限らない。むしろ本人の想像だにしないことが真の原因であることはしばしばある。だがそれでは小説は成立しないから、切迫した自殺の危機を脱した主人公に、何らかの洞察を持たせるのはある意味当然である。それは人間の心理学としては不正確だが、小説の価値を何ら落とすものではない。
p.49
あとに残ったのは諦観に似た静かな思いだけだった。それは色を欠いた、凪のように中立的な感情だった。空き家になった古い大きな家屋に彼は一人ぽつんと座り、巨大な古い大時計が時を刻む虚ろな音にじっと耳を澄ませていた。口を閉ざし、目を逸らすことなく、針が進んでいく様子をただ見つめていた。そして薄い膜のようなもので感情を幾重にも包み込み、心を空白に留めたまま、一時間ごとに着実に年老いていった。
All that remained now was a sort of quiet resignation. A colorless, neutral, empty feeling. He was sitting alone in a huge, old, vacant house, listening as a massive grandfather clock hollowly ticked away time. His mouth was closed, his eyes fixed on the clock as he watched the hands move forward. His feelings were wrapped in layer upon layer of thin membrane and his heart was still a blank, as he aged, one hour at a time.
この描写はおそらく多崎つくるの成長を暗示していると読むべきなのであろう。彼の巡礼の年の準備がこのとき整ったのだ。凪のように中立な感情が の 凪のように が訳出されず、neutral, empty feeling と原文にないemptyが挿入されているのがやや不満ではある。 (凪という単語をそのままは訳さないとしても、凪という比喩で示されている意味はemptyとは違うであろう。tranquilやsereneのほうが適切のように思うがどうか) これは些細なことにも思えるが、他の部分が完璧とも言える翻訳になっていることからすると、やはり気になるところである。

林公一

2020-11-14 06:19:26 | 事件
2020-11-14 06:18:58 読了
2019-12-26 04:31:41

2019-12-22 00:21:30

原文の語順をいかにして維持するかが、翻訳という仕事における重要な課題の一つである。と少なくとも私は思っている。なぜなら、人間が文章を読むとき、ひとつひとつの語は当然ながら書かれている語順の通りに脳に入力されるのだから、語順が変わったら原文とは異質の認知方法で理解することになる。そして、特に文学作品の訳では、原文の意味だけでなく雰囲気を伝えなければならないから、語順は特に重要な要素になる。しかし言語の構造上、外国語の語順をそのまま訳文に反映させることは不可能である。この難題をどう処理するかに翻訳者の技術がある。
その観点からすると、この冒頭部分の訳は秀逸である。極限まで原文の日本語に近づけた英文が綴られている。そもそも『金閣寺』という小説は、この冒頭の一行が、いわば呪縛のように主人公の心理を規定し、行動を展開させ、ついに作品の収束に至るという構造を取っている。


2019-12-23 22:43:48
家族が目を通してほしい書類を渡したりすると、常にではないですが、時に支離滅裂な批判を細かい字で何枚にも渡りびっしり書き込んで返してくる、などといった状況です。書類の現物を見せてもらいましたが、未知の単語がふんだんに文章に盛り込まれ、検索してもいずれもヒットしませんでした。どうやら知人が独自に編み出した単語だったようです。奇怪で不可解なその文章を一ページ読んだだけで、車酔いに似た気分に陥ってしまいました。



唯一の趣味である古本集めでは、他人が手を触れることはもちろん、何の本を読んでいるのかと質問することも禁止で、買った本は「他の客の手垢を落とす」ためとして、カバーがぼろぼろになるまで紙やすりで磨いてから本棚に飾っています。彼の部屋には数千冊近くの本が読みもせず、部屋全体を囲うように置いてあります。


Haruki Murakami
村上春樹『ノルウェイの森』
ところで、上記英文には誤訳がある。ストーリーの上では些細な誤訳だが、論理としては重大な誤訳である。原文の日本語と並べて示す。
もちろんそうなったとしても治療のための一時的な『出張』ということで、またここに戻ってくることは可能です。
That isn’t to say that she couldn’t come back here for treatment on a kind of temporary “leave of absence”.
最初、私はこれが誤訳だと思った。読み直してみて、もしかすると自分の読みのほうが間違っているのかとも思った。しかしやはり誤訳だという結論に達した。論理としての重大な誤訳。それは、「出張」する先が、他の病院だといっているのか、それとも阿美寮だといっているのか、ということである。
日本語の原文によれば、出張先は他の病院である。阿美寮がホームで、しかし治療が必要になったので一時的に他の病院に出張するという意味である。
しかし英文のほうではそれが逆になっている。阿美寮に戻ることを「出張 leave of absence」としている。この英文が誤りであることは、treatmentという単語の使い方からもわかる。阿美寮で行っていることは、治療treatmentではないと、原文には明記されているし、英訳でもここより前の部分にはその通り訳されている。したがって、
back here for treatment
ということは、阿美寮という施設の性質上、あり得ないはずだ。
なぜこのような誤訳が生じたのかと、もう一度原文に目を向けると、
もちろんそうなったとしても治療のための一時的な『出張』ということで、またここに戻ってくることは可能です。
この日本語は、よく読むと実は文法的には曖昧であることがわかる。 「治療のための一時的な『出張』ということで、」の直後に 「またここに戻ってくる」という文があるから、文法だけから読めば、「出張としてここに戻ってくる」と読むことも可能だし、正当ですらある(私が最初に誤訳だと思い、読み直して自分の読みが誤っていると考え直したのはそれが理由である。文法にこだわれば、この英訳は正しいと読める。しかし結論としては誤訳である)。だから訳者は誤解したのであろう。翻訳とは実に細心の注意が必要な作業であることがよくわかる。


2019-12-26 04:31:41

Freud


全然理解できないことを、「わけ (理由) がわからない」というように、どんなことでも理由や原因がわからないと本当にわかったという気はしないものだ。病気の治療も、原因がはっきりしないまま始めると、見当違いなことをしてしまうことだってある。熱が上がったら熱さましをのめばいいのなら簡単だけれど、熱の原因は肺炎かもしれないし、髄膜炎かもしれない。そういうときに、ただ熱が下がったからといって安心していると、病気はどんどん悪化していくことになる。何事も表面だけを見ていては判断を誤る。だから医者はいろいろな検査をして原因をつきとめようとする。けれども、原因はいつもみつかるとは限らず、その一方で検査法はどんどん進歩しているから、あまりムキになって追求すると、これでもかというほど検査をすることになってしまう。原因が全然わからないというのも問題だけれど、こだわりすぎてもかえってよくないこともある。

フロイトがこころの病気の原因を執拗に追究したことはよく知られている。
フロイトは元々は神経細胞の研究をしていた人だ。しかし、いくら顕微鏡をのぞいていてもこころの病気を治すことはできないと考えて、独自の精神分析という学問を打ち樹てた。こころの病気の原因を、無意識という暗闇の中に発見したのだ。無意識という新しい宇宙に目を向けたことは、たぶん永久に揺るがない業績だけれど、治療ということになるとあまり役立たないことがいまでははっきりしてしまった。

ただし、だからといってフロイトの理論が間違っていると言いきれる人はこれまで誰もいなかったし、これからも出てくることはないだろう。なにしろ無意識とか幼児体験をトリデにしているから、検証するのはほとんど不可能である。幼児に戻ることはできないし、無意識に到達することもできない。到達できたらそれはもう無意識ではない。検証しようにもそもそもの材料に手が届かない。そういう理論は批判する方も力が入らないから、しばらくはどんどん肥大していくことになる。そのかわり土台のもろさが表面化すると崩れるのもはやい。特に、精神分析が発達したアメリカで、精神分析療法に対する批判が盛んになっている。

いま、こころの病の原因としてはっきりわかっているのは、脳の中の物質の変調ということだけである。その物質が何であるかはまだまだ研究段階だし、変調自体の原因もよくわからない。これが解明されればもっといい治療法が開発できる。だからこの物質をターゲットにして、精神科医は日々研究を続けている。フロイトの時代には顕微鏡はあまり役に立つようには見えなかったかもしれないが、情報のスピードがケタ違いになって、状況は変わった。顕微鏡を通してわかったこと、試験管の中でわかったこと、臨床でわかったこと、そういう情報をすぐに交換することができるようになった。うつ病の原因が解明されるのも時間の問題になった。ただし今はまだわからない。