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白い死神

2023-11-23 09:21:14 | 事件

 

登録日:2022/02/24 Thu 00:33:00
更新日:2023/11/22 Wed 03:16:44
所要時間:約 10 分で読めます

 






生きものは死ぬときには自然に死ぬもんだ……

それを人間だけが……無理に生きさせようとする

どっちが正しいかねブラック・ジャック




ドクター・キリコとは、漫画ブラック・ジャック』の登場人物である。

 

CV山路和弘(OVA版)、速水奨(TVアニメ版)、鹿賀丈史(劇場版)、若本規夫(劇場版予告)、田中秀幸(インターネットアニメ)、清水紘治(ラジオドラマ)、諏訪部順一(『ヤング ブラック・ジャック』)
演:草刈正雄(ビデオ版)、森本レオ(本木雅弘版)、小澤征悦(『ヤング ブラック・ジャック』)



■概要

本作の準レギュラーキャラクター。
「ドクター・キリコ」は通称で本名は不明。長髪と左目の眼帯、およびこけた頬が特徴的な、不気味な雰囲気を漂わせる男性。年齢は不明だが少なくとも30代以上か。
一人称は原作では「おれ(俺)」だが、媒体や加筆によって異なる場合もある。

 

回復の見込みのない患者の安楽死を請け負う異端の医師で、「死に神の化身」の異名を持つ。
どんな命も救おうとするブラック・ジャック(以下「BJ」)とは対極の存在で、「医師の使命とは何なのか」「患者を延命させることが本当に幸福なのか」という本作品のテーマを、BJとは違う形で体現したキャラクターである。

 

200話以上あるエピソードの中でわずか9回しか登場しない*1が、安楽死に反対するBJとは対になる存在で人気は高く、キリコを主役に据えたスピンオフ作品『Dr.キリコ~白い死神~』も作られている。

 

 

親族には「ユリ」という名の美人のがいる。父もいたが……(後述)
また、山本賢治によるリメイク版ではピノコにあたるような幼女の助手を連れている。
ちなみに『99.9%の水』を原作とするエピソードでは妹も助手もBJによって全裸にされる。



■人物

元々は歴とした軍医として活動していた*2
しかし、満足に医薬品も用意できないような戦場でキリコが見たのは、手足がもがれ胸や喉が潰されるような重傷を負いながら、なお死ぬことができず苦しむ兵士達の姿だった。
もはや助かる見込みは無いからと、兵士達を毒薬で安楽死させたが、彼らは恨むどころか「ありがとう」と心から感謝しながら死んでいき、他の瀕死の兵も次から次へと彼に「救い」を求めてくる……。
この経験から「助かる見込みの無い患者を下手に苦しませ続けるのなら、安らかに息を引き取らせるべき」という信念を持つに至り、法律にふれないように安楽死を請け負うようになった。

 

安楽死に使うのは薬物から特殊な超音波を発する機械など様々で、使える物は何であれ積極的に取り入れる。
これらを調達する資金に充てるためか報酬も取るが、その金額については「いかに気持ちよく死ねるか」で上下するらしく、ある寝たきりの女性に依頼された際は100万円を要求していた。

 

BJからは「殺し屋」と侮蔑され、死神という異名から、一見安楽死させるのを楽しんでいるように思われる。
が、キリコは決して殺人に快楽を抱く殺人鬼や自らの行為を正しく認識できないサイコパスなどではなく、むしろ医師としての責任感・倫理観はしっかり持ち合わせている*3
キリコにとっての安楽死とは「本人が生き続けようとする意志を持たず、かつ、医学的にも手の施しようの無い患者に対する最終手段」で、事実、作中で彼が安楽死させようとしたのは、BJでもなければ手に負えない末期患者のみ。
ただBJにとっては「まだ助かる見込みがある相手」であるため、彼からの批判も間違ってはいない*4

 

では本来のまっとうな医療技術についてはどうなのか、というと腕はむしろ良い方。後述のキリコの父親の件では、BJも
「キリコの腕前であればありとあらゆる方法で治療を試みた筈であり、この患者の治療するのは並大抵のことではない」
と覚悟していたことからしても、彼程の医師もキリコの腕前には一目置いていることが窺える。

 

そもそも、キリコ本人も「治せる患者は治す」としっかり明言している。
『死への一時間』では、誤って安楽死用の薬を服用してしまった患者を助けるために尽力し、救命後にBJから「どうだい大将 殺すのと助けるのと気分はどっちがいい?」と皮肉られた時には、



ふざけるな おれも医者のはしくれだ

 

いのちが助かるにこしたことはないさ……



と答えており、BJとは確かに思想的には相容れないながらも、本質は彼と同じく命を尊ぶ医療人なのだ。
『浦島太郎』では55年間肉体の老化が止まったまま昏睡していた患者を巡って、意地を張り合うような形でBJ→キリコの順で処置をすることになった際も、患者の訃報を聞いて*5驚いた様子を見せている。結果的に二人とも患者のことを考え切れていなかったことを突きつけられ、「おれたちはばかだっ」と叫ぶBJと共に落胆することとなった。

 

なお安易な自殺の幇助は絶対にしない。
「普段やっている事も結局はそうじゃないか」と思いがちだが、キリコにとっての安楽死とは、先述のようにたとえ延命したとしても物理的に苦痛以外に有り得ない絶望的な人間に対する「救済」で、健康な人間の一時の落ち込みなどからの「逃避」とは別物。
実際『小うるさい自殺者』にて、中二病を拗らせた甘ったれた動機で自殺したがる少年をBJが当て付けのように寄越してきた際、キリコは「おれの仕事は神聖なんだ!」と激怒し拒絶した。*6
少なくとも「学校でクラス中からいじめられてもう生きるのが嫌」「これ以上頑張っても極貧生活から抜け出せそうにないから」程度の理由では、どれだけ懇願されようと金を積まれようと引き受けはしない。

 

一方で「安楽死させるかどうか」の線引きはしっかり行うものの、一度そうするべきと判断した場合は「少しでも早く楽に」という考えから、迅速に安楽死を強行しようとする悪癖がある。*7
『弁があった!』にて、自身の父親が縦隔気胸で苦しんでいた際も、5年に渡って最善を尽くすも原因が特定できず安楽死を決意。
実行前に妹のユリの依頼でBJが執刀し、今まで誰にも分からなかった気胸の原因をなんとか見つけ出し、後は治すのみだった。
……が、立ち会っていたキリコは原因を見つける直前に見切りをつけて毒薬を注射してしまうという大失態を犯していた。
異変に気付いたBJによる懸命の処置も虚しく父親は死亡。成功を確信して嬉し涙まで流していたユリは違う涙で泣き崩れ、助けられたはずの患者を殺されたBJは「命をなんだと思ってやがるんだ!!」と激昂してキリコを張り飛ばし、彼もこの時ばかりは自身の行いを後悔し項垂れるしかなかった。
しかし根本的なスタンスは変えず、『99.9%の水』では自分自身が奇病で死の淵に立たされた際も拡散を防ぐために自ら安楽死する気だった*8

 

ちなみに、初登場エピソードである『死に神の化身』初掲載時は「なおして役に立ちそうな病人はかならずなおす そのかわり なおしても役に立たんやつはえんりょなく殺す!」「自殺したがっている奴も殺した」などと、今のキャラクターとは大分かけ離れた発言をしている。
このエピソードは単行本化された際に『恐怖菌』と名前を変え内容も大幅に変わったが、その際に前者のセリフは「俺だって殺してばかりはいやしない なおせる相手ならなおすよ やせてもかれても一応は医者だからな」と改変され、また後者のセリフはカットされた。



■OVA版

出崎統が監督を務めたOVAシリーズでは、カルテⅣ『拒食、ふたりの黒い医者』にて登場した。
原作と違い、常に敬語で話す落ち着いた印象の人物になっている。自分で作曲したり名前を求められたりした時に「モーツァルト」と名乗って「…良いじゃないですか、それで」と捨て台詞を置いて立ち去るなど気障な所も。

 

このエピソードでは、冒頭で登場した際こそ、BJが受け持っていた大富豪を翌日に手術する予定があったにも関わらず安楽死させたものの*9、原因不明の拒食症に苦しむ女優・ミシェール・ロシャスを助けるため、いち早く原因を突き止めその情報をBJに提供し彼の手術の手助けをする、ミシェールから苦しみのあまり(当人と知らず)安楽死を請け負う医者を教えて欲しいと尋ねられた際に「お金がかかるんでしょう?(=BJに手術費を払うので自分に払う分は残らない)」と遠まわしにそれを断るなど、「治せる患者は治す」スタンスが特に強調されている。
中盤でミシェールが単独で外出するも衰弱のあまり事故を起こした際は、彼女を介抱し点滴で応急処置をしたり朝食を勧めたりと世話焼きな面も見せており、その中で彼女の身体に出来ていた特徴的な斑点で彼女の拒食症の原因に勘づいて資料を読み漁り、それが大戦中に開発された生物兵器の生き残りであることを特定。
「毒物のプロ」としてこの情報を提供しなければ、BJ単独ではどう足掻いても彼女を救う事は出来なかった。
その為かBJとも原作ほど険悪な関係ではない。



■TVアニメ版

アニメ本編にはOPに映っていたにもかかわらず未登場だったが、映画『ふたりの黒い医者』ではBJと共に主役を務める。
TVアニメ2期『ブラック・ジャック21』にもユリ(CV:久川綾)と共に登場。父親が永遠の命を求める「ノワール・プロジェクト」の関係者になるなど設定が追加されている。



■実写版

ビデオとしてリリースされた単発ドラマシリーズの3作目『ブラック・ジャック3 ふたりの黒い医者』に登場。
「人間は死には勝てない」と絶望から理想主義を捨てた経緯を語るなど、退廃的な雰囲気を漂わせる。
原作の『浦島太郎』を元にしたエピソードでは、BJと共に絶望した原作とは一転、患者を結果的に死に追いやった彼を嘲る。
しかし、BJが医者としての決して譲らない信念を示すと穏やかな表情で再会を誓うなど、かつての自分と違い理想を追い続ける彼に対する敬意の一面も覗かせた。
BJもキリコに対して、原作での敵意むき出しの態度とは異なり最後まで真摯な態度で応じていることから彼を認めている節が伺え、原作以上に複雑な関係として描かれている。

 

TVドラマの本木雅弘が主役を務めた単発ドラマシリーズでは、カルテⅢ『悲劇の天才料理人』にて登場。
BJの手術に立ち会って煽ったり、手術の成功後にかつての患者が死んだことを伝えたりするなどライバル心をむき出しにしている。
最終的にBJに対して敗北を認めるが、「生きることが辛い患者に対しては俺の方が上だ」と語り最後までブレないライバルキャラを貫いた。

 

岡田将生主演のTVドラマ『ヤング ブラック・ジャック』にも登場。
しかし、こちらはもはや完全に別物となっており、原作の面影はほとんどない。



ところで……この記事はだれが追記・修正してくれるのかな ずーっとたどってみるとどうもおまえさんらしいな

 

ばか せっかくの気分をぶちこわすな!!
 
 
 

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登録日:2022/03/06 Sun 22:01:00
更新日:2023/03/09 Thu 22:26:25
所要時間:約 6 分で読めます

 



 

『Dr.キリコ~白い死神』(原作:手塚治虫 脚本:藤澤勇希 漫画:sanorin)とは、手塚治虫の漫画『ブラック・ジャック』のスピンオフ作品。
同作に登場する安楽死専門医ドクター・キリコを主役にした1話完結型の医療漫画。全5巻。

 

概要

安楽死専門医が主役の医療漫画という事もあり、人の生死を巡る人間ドラマが展開されることが多い。原作のエピソードが回想として語られるシーンはあるが、世界観は現代社会がベースになっているためノートパソコンやスマートフォンも普通に登場する。
また、幽霊や精霊などのオカルトが度々登場するが、実は原作からして心霊手術などそういう存在は登場していたりする。
なお、本作にブラック・ジャックはほとんど登場しない。



登場人物

「よく勘違いをされるんだが…確かに私は金次第で安楽死を請け負う”死神”などと呼ばれていますがね……。俺は死神ではあっても殺し屋じゃない。人に頼まれて他人の命を奪うなんてなぁ、医者のやる事じゃありませんや…」

ドクター・キリコ

主人公。手の施しようのない患者を救済する方法の一つとして安楽死を請け負う元軍医。
日本だけでなく世界中にその名は広まっており、日本の田舎町から海外の戦場まで幅広く活動している。

 

安楽死を請け負ってはいるものの本質的には患者を救いたい医師であり、治せる見込みのある患者であれば治すという原作のキャラクターはしっかりと踏襲されている。
本作ではキリコが依頼を受ける条件として
①助かる見込みがないこと
②生きているのが苦痛であること
③本人自らが死を望んでいること
が設定されていて、特に重い病気というわけではない相手に自分の安楽死を依頼されたり、患者の関係者に本人に無断で安楽死を依頼されても上記台詞のように断るシーンが多い。
一応全く融通が利かないというわけではなく、相手の状況次第では上記の条件に当てはまっていなくても引き受けることはあるが、非常に稀。

 

眼帯の下に義眼代わりに高性能カメラを仕込んでおり、それを使って密かに撮影した映像を武器に窮地を脱することがある。



「父ちゃんを殺したのはキリコだろ?」

白河郁馬

ピノコ枠その1。貧乏な父子家庭に育った小学4年生。
郁馬が幼い頃に母が病に倒れ、その治療費と葬儀代で預金は消滅。父も体を壊してしまい日雇い仕事しかできないという家庭で育ったために家事が得意で勉強が苦手。
初登場時に虫垂炎と腹膜炎を併発していたところをキリコに手術されて回復した。

 

しかしその治療代130万円を払うために頑張っていた父が糖尿病性腎炎に倒れ、保険に入っていなかった彼は大病院に治療代として2520万円を請求されてしまう。
ひとまずキリコが立て替えることになったが、郁馬にこれ以上苦労を掛けたくなかった父は密かにキリコに自分の安楽死を依頼。
キリコは病院側のミスに見せかけて依頼を遂行したため、病院は医療ミスの発覚を恐れて3000万円の口止め料を郁馬に渡すことになる。

 

実はキリコと父の会話を郁馬は聞いていた。
父の遺志を尊重してキリコを憎むことはせず安楽死の料金を払おうとしたが、キリコはバレにくさを重視して安らかに死なせなかったとして料金を請求しなかった。
その後はキリコの家に押しかけて同居を認めさせ、家事を担当することになる。



「死んでない!約束したんだから!あたしが医者になって絶対母さん治すって!!それまで絶対生きてるって!!」

存尾美亜

ピノコ枠その2。郁馬が転入した小学校のクラスメート。
貧乏な母子家庭に育ち、その貧乏さを理由にクラス内で避けられていた。彼女の苗字は「ありお」と読むが、同級生たちには「ゾンビ」と呼ばれている。
本人は気にするそぶりも見せていなかったものの、長期間そうされてきたためか人間不信なところがある。

 

2年前に母親がALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病を発症。闘病の甲斐なく3ケ月ほど前に帰らぬ人となってしまう。
しかし美亜は母の死を受け入れることができずにその後も遺体と一緒に住み続け、その死臭が身体に染みついたことでクラス内での扱いがさらに悪化。
父親を失ったばかりで人の死に敏感になっていた郁馬はその臭いによって美亜の母が死んでいることに薄々勘付き、キリコにそれを相談。
キリコが大病院に押しかけてカルテを見た上で美亜を「お母さんは自分のせいで娘に辛い思いをさせている事に苦しんでいる」と説得し、遺体に注射することで『安楽死を施して安らかに死なせてやった』という形にして弔った。
その後は転校したのか、郁馬と共にフリースクールに通う傍らでキリコ宅に入り浸るようになる。

 

実は彼女の母は資産家の娘であり、結婚を反対されたために家を出たという過去があった。
叔父たちが迎えに来たことでそれが発覚するも、自分が祖母の遺産の相続人に指定されていること、叔父たちはその遺産を目当てに近寄ってきたことを知って見切りをつけ、祖母の「お前はお前が一緒にいたい人のそばにいればいい」という遺言に従って遺産を放棄。
キリコ達のもとへ帰ってきた。



「意志薄弱はね。一生治らない不治の病さ」

六道善優

六道ファイナンスのイケメン社長。
表向きは真っ当な経営者を装っているが実は裏社会に通じており、自ら他人を射殺しても顔色一つ変えない。
善人とはとても言えないが、どこか憎めない性格で悪人であるとも言い切れない人物。

 

金融業で貸し付けた客のうち、返済が滞って改善の見込みもない者を殺し保険金で回収するビジネスを考案して実行していたが、自分達よりも確実な実行者としてドクター・キリコに目をつけスカウトしようとする。
しかし安楽死はあくまで患者を救うための医療行為という信念を持つキリコにはにべもなく断られた。上記の台詞はその際に債務者を指して言った言葉。
その後も度々キリコの前に現れてはあの手この手でスカウトしようとするもキリコにはかわされている。

 

物語終盤、いつものように保険金ビジネスで殺害した人物が実は海外マフィアのボスの親戚だったために追われる事態に陥ってしまう。
繋がりのあったヤクザもマフィアとの取引の方をとって六道を見捨ててしまったため、キリコのもとへ逃げてくる。彼の目的はマフィアによる生き地獄を味合わされる前にキリコに安楽死させてもらうことだったがキリコは拒否。
すると自分との繋がりをマフィアに話すと脅し、郁馬たちを人質に取る形でキリコ邸に居つくことになる。

 

その後、つかの間の平穏な日常を楽しんでいた六道だったが、マフィアの手はキリコ邸にも伸びてきた。
郁馬と仲良くなった六道は彼を守るために覚悟を決めてキリコ邸を去ろうとするも、その姿を見たキリコが六道の顔に整形を施したために逃げ切ることができた。
しかし六道本人は安楽死をしてもらうつもりだったのに無断で整形をされた上に、整形された顔が不細工な中年男性だったために感謝しつつも苦言を呈している。



「兄さん!!あなたにこれ以上人を殺させたくないの」

ユリ

原作にも登場したキリコの妹。
キリコの稼業をやめさせたい一心で医学の道へ進み、カナダで心理療法と麻酔を学んで終末医療緩和ケアのエキスパートとなる。
しかし皮肉にも医者となったことでキリコのやっていることの意味とそれを求める人々のことを理解できるようになってしまった。

 

後に海外で医療に従事するようになるが、とある中東の村での活動中に不法投棄された核燃料イエローケーキによって被爆し、全身を癌に侵されてしまう。
昏睡状態になる前に最後の意識で夫にキリコへの依頼を託し、キリコに再び「肉親の安楽死」という試練を突き付ける。
キリコはこれを父を殺した自分への復讐だととらえたが、彼女の真意は……。






「お引き受けするには条件があります。改善の見込みがない事、記事を読むのが苦痛である事、そしてなにより本人の意志である事。その条件を満たすなら安らかな追記・修正を約束しましょう…。記事の幸福と尊厳のために死神キリコが―…ね」

Darwin Awards

2023-11-08 00:44:08 | 事件

2021-05-05 19:27:19

 

The Darwin Awards
The Darwin Awards salute the improvement of the human genome by honoring those who accidentally remove themselves from it in 

Darwin Award: Boomerang Drone Zone: An ISIS fighter in Iraq was killed by hxx own drone, launched to attack UK Troops based near Mosul. A security source reported, 'This idiot wired up a drone with explosives, but was killed when the batteries...

dynamite explosion in grassUtah Blast From The Past: in 2009 Brent, 59, found a stash of dynamite in a shed on his 5000-acre ranch, which was three miles from ATK Thiokol booster rocket testing area. The dynamite, unwilling to be shot with a bullet, fought back...

2018

The Missionary Position
John Allen Chau, a self proclaimed world explorer inspired by Livingston and Jesus, was killed by the very tribe of natives he was offering eternal life.

Wacky Welder
The tale of Howard Miller, 39, professional welder, illustrates the pitfalls of ignoring high school chemistry with a time-saving invention. Miller spent his last moments helping weld an exhaust pipe onto a classic Holden Kingswood sedan...



Focus On The Bear
While driving himself and some passengers back home from a wedding, Prabhu Bhatara parked the car on the roadside to relieve himself in the woods when he spied an INJURED bear. Instead of calling the authorities t

Mind The Cone Zone
A Wanaquer man died in a vehicle fire after he drove around barricade cones and onto live power wires in Franklin Lakes morning. A good son, Anthony G. was en-route to his father's house to shovel the driveway...

Dead On Valentines Day
A 19-year-old and his soon-to-be-ex were walking along the beautiful Havel River, quarreling. The frustrated man suddenly shoved the woman into the icy river! She could swim, he could not...



A Gun Named 'Lorena'
The Buckeye Police Department reports that a man accidentally shot his own sausage while shopping in the meat aisle at Walmart. Arizona law does not require a permit to carry a firearm, so o

Reticulated Python
Zaim Kosnan spotted a twelve-foot reticulated python dozing on the side of the road. 'That sizeable snake is worth money!' realized the 35-year-old, and he swung by his house for gloves and a sickle. Sweet succes

Abu Hamam
A sexagenarian was examining his personal weapon in his home when he inadvertently discharged it into his face! Twenty-one days after accidentally shooting himself, Abu Hamam, 62, succumbed to the self-inflicted head-bang...



GEOcaching Out!
Meteorologist warning of storms and torrential rains did not deter four geo-cache seekers from climbing into an underground waterway in the Czech Republic in search of a cask of treasure. Lest you think them innocen

Road-Rage-Aholics
A Darwin Double! After a road collision near Stary Krzew, two men emerged from their damaged cars and began arguing over the incident. The argument grew into a physical fight that lurched from the verge into the ad

Booze Cruise Loser
Boston friends fondly confess that there ARE Boston Harbor Booze Cruises. It's a thing. But for Aaron D., it's a thing of the past. Join me in mourning the colossal misjudgment that doomed this 21-year-old spark of light.

Darwin Award Shorts - Old Folks Reunion
MARCH 2018, BIRMINGHAM ENGLAND || Man suffers a fatal heart attack after getting his head stuck beneath an electric footrest at the cinema while retrieving his cellphone from the floor:

Lovestruck Louis III
Blindly following lust, the world came crashing down upon the head of King Louis III, overzealous ruler of Francia. Despite great military success, great loss followed on its heels when a comely lady caught his eye...

Fumble Tumble
Like a plot out of Sherlock Holmes, officials found a dead body mysteriously crumpled at the bottom of an UP-escalator at an Amtrak station at the New Carrollton stop at 2AM. Perplexed...

Killer Whalebone
Historic Darwin Award! Statesman Gouverneur Morris, a signatory to the Articles of Confederation and U.S. Constitution, died in 1816 from an infection caused by shoving a whalebone into his urethra to clear a blockage.



Mammoth Morons
Today's Group Darwin Award is for the males of the Woolly Mammoth species, Mammuthus primigenius, an elephant species extinct for about 10,000 years... in part due to the males' penchant for fossilization...

Bag-atelle
The ban on shopping bags has taken a terrible toll! A 58-year-old woman was run over by her Mazda CX7 after she pulled over to check whether the grocery bags were in the trunk. The car, evidently not secured by the parki

Not A Darwin Winner
Dozed To Death: A deadly game of hide-and-seek with a bulldozer happened after a county maintenance worker discovered a dozen hidden pot plants and called police. Here's why this is NOT A DARWIN AWARD...

2017

Steamy Buns (1741) 84%

Let There Be Light! (312) 84%

Amphetamines And Aerobatics (156) 84%

Red Evolution (2413) 83%

Snapchat Prat (1117) 80%

Backseat Drivers (945) 80%

Golf Cart + Garden Hose (1056) 78%

#ElephantsWantPrivacy (1650) 77%

One Way Ticket (2652) 75%

Air Strike Out (2928) 74%

Pistol Of Justice (1310) 73%

Flat Hatting Pilots (1133) 72%

503 Server Overload (2343) 69%

Grim Roofer (0) 0%


1993 Wrong Time, Wrong Place Priapism Takes a Penis In A Pig's Eye Midnight Special Pancake Pantry Thief Fish Gag Hurricane Hangover Deadly Reading Habits Murderous Affair Death of Dracula


2021-06-02 19:36:59 | 事件
本当に義母死ね

デス書き込み
Ruru
クソババア散々嫌がらせをしておいて 今さらすり寄ってきても無駄だわ。 今、癌の疑いがあるらしいけど、さっさと手遅れになって死んで。 息子を恋人と勘違いして私と私の家族に執拗な嫌がらせをしてきたことを後悔しろよ。 本気で死んで欲しいしあんたさえいなくなれば平和だから。てかあんたさえいなければ平和だったんだよ。 老後の世話は一切しないと決めてあるのですぐ死んでて下さい。 その前に土下座して謝れ。謝っても許さないけど。
449共感されています10義父母・ウトメ・舅姑に死んでほしい2018/1/23(火) 12:42:4458 コメント2323
義母が死にました。義母に死んで欲しいと強く思っていたら義母が今日死にました

デス書き込み
するめ
死神さま今日義母が死にました。管理人さん、毎日のように書き込んでご迷惑をおかけ致しました。義母が死にました。突然死でした。義父母デスノートに書き込んでるみなさん、本気の方はどうかその日が来るまで諦めずに書き込んでください。最初は義母の愚痴を吐き出してスッキリするためにたまに書き込んでいましたが最近は私以外の家族にも酷い事を続けていた義母なので許せず毎日のように書き込んでいました。そしたら義母が今日死にました。義母死にました、なんだか頭がスッキリしていますが、嬉しいはずなのに素直に喜べていません。急な事で義母の葬儀の段取りで頭がいっぱいだからかわかりませんが正直なところ感情が追い付いていないのかもしれません。でもこれだけは伝えたかった。義母が死にました。義母に死んで欲しいと強く思っていたら義母が今日死にました。死神っているんですねありがとうございました。人に死んでもらいたいなんて二度と抱きたくない感情です呪えるぐらい私にも強い念があったみたいです。まずは義母の葬儀の段取りに戻ります、でも死神さまありがとうございました
4139共感されています17デスノート効果あり報告2019/5/19(日) 18:45:2354 コメント2010
とにかく早く死んでほしい義父

デス書き込み
dokuyome
25年我慢してきましたが、もう限界です。 私が壊れる前に(もう壊れてるかもしれない)どうか私の前から消えてください。
179死神が注目しています8義父母・ウトメ・舅姑に死んでほしい2017/10/31(火) 16:25:30110 コメント1734
完全同居の辛さは親にも友達にも経験者はいない。 せめて誰かと共感し合えたら

デス書き込み
______退会済みユーザ
糞ババァうざい。 死ぬほどうざい。 でもわかってくれる人いない。 完全同居の辛さは親にも友達にも経験者はいない。 せめて誰かと共感し合えたら。 腹の底から、愚痴り合える友達が欲しい。 『死ね』って言っても引かずに共感して欲しい。それくらい苦しんでいるんだから。 誰か聞いて。誰か助けて。 私も聞きます。ぶつけまくって下さい。
2478共感されています7義父母・ウトメ・舅姑に死んでほしい2018/12/18(火) 15:18:0943 コメント1418
もう姑との完全同居はほとほと疲れました。キッチンまで一緒です。顔を見るのも声を聞くのも足音を聞くのも同じ空気を吸うもの嫌でたまりません

デス書き込み
chiekoshine
死神様 もう姑との完全同居はほとほと疲れました。キッチンまで一緒です。顔を見るのも声を聞くのも足音を聞くのも同じ空気を吸うもの嫌でたまりません。 これから姑がお友達と大宮まで出掛けるそうです。 どうか、交通事故でも何でも死因は問いませんので、姑を突然死させてください。宜しくお願いします。
1376共感されています10義父母・ウトメ・舅姑に死んでほしい2018/8/2(木) 8:54:1037 コメント1312
義姉死ね

デス書き込み
qureo321
こんな性格が最悪な人間がいたんだとビックリする。 文句があるなら正面きって本人に言う? それを含め私の愚痴を弟(旦那)に言っちゃってる時点で矛盾してると思わないんですか〜? 言葉わかりますか〜? 何か少しでも長男嫁の私に文句を言ってやりたいんだろ。そんなお前は生粋の小姑だよ。生まれながらの小姑気質だよ。 たったワンフレーズ小姑について私が喋ると100倍になって返ってくる。 姑も小姑も硬い結束力があるからそれに敵う嫁なんていない。そんな勇者どこにいるんですか?もしいるなら私を是非パーティーに入れて下さい。 元ヤンか自称サバサバ系か知りませんがあなたはただ下品なだけでドロドロな人間です。 よそに嫁いだくせに実家に入り浸り、私が共働きで旦那にも手伝って欲しいと言ってると聞けば『私は文句言わずにやってる!』 いや、お前は旦那さんの家か実家に週3.4で帰って来てだろ。それに加えて外食習慣だろ。実家帰る度に飼った小型犬ペットホテルに泊まらせすぎだろ。そんな奴がペット飼う資格ねーよ。ただ自分の財力を見せ付けたくて購入したんだろ? 『飼えないでしょ?みたいな態度されたから一括で現金払いしてやったわ‼︎』ってなんでお前はいつでもどこでも喧嘩腰なんだよ。なんでお前はそんなに武闘派なんだよ。 てかお前のことはいいから。何でも直ぐに自分と比較したがる癖やめろ。 『私の時はもっと頑張ってた!』←はぁ? 私は!私は!って何歳ですか?本当に気持ち悪い。 私が世界の中心で、友達は諭吉って人だけとかつまんねーこと言ってるゲロ小姑は死んで下さい。くそつまんねーよ。 てか本当にあんた友達いねーから笑えねーんだよ! てか歯茎真っ黒できたねーよ。 死ね。
480共感されています1義姉妹・コトメ・小姑に死んでほしい2018/1/31(水) 15:05:3750 コメント734
早く死ねババア

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maikorin
バツイチの旦那。盛大に何百万もかけて何百人も呼んで結婚式を挙げたくせに離婚。 私が結婚の挨拶に行った時、姑のお前は「結婚式なんて挙げなくていいだろ。そんなに挙げたいんだったら元嫁と挙げた場所で小さく安く挙げてくれない?」って言ったよな。お前のその言葉あたしは一生忘れねぇかんな。 子供が生まれた時も病院までズカズカやってきて開口一番に「ダウン症?」って言ったよな。 それにくわえて「雛人形なんてもったいない!」「パンパースなんて高いから履かせたくない」って言ったよな。 何百万もかけて結婚式やって失敗してるほうがもったいねぇだろ! あたしと孫には一銭もかけねぇ気してんのかよ! それならそれで毎週のように日曜日の朝早くから連絡もなしにあそびにきて、堂々とソファに座んのやめてくんねぇかな。 金かける気ねぇなら近づくんじゃねぇよクソ女!
517共感されています3義父母・ウトメ・舅姑に死んでほしい2018/2/11(日) 1:16:0422 コメント686
もうあんた人として無理だわ(笑) 主人の親じゃなかったら絶対係わりたくなかったわ

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nallyeachet
お義母さんは自分が絶対に正しいと思ってるみたいですが、そんなわけないですよ。 だってお義母さん人の気持ち分からないですから。 他人の不幸を聞いては心配するフリして喜んで、自分より下だと思うのが好きなんですよね? 正直あなたみたいな人間には絶対なりたくないです。 外面は良いからほどほどに友達はいるみたいですけど、家で言ってるあなたの言葉録音して聞かせてあげましょうか? 身内だから本当に恥ずかしいんです。身内だとおもいたくないんです。 みず知らずの人を見てはあの人はデブデブでみっともない あの人は障害者だから可哀想 あの人はあんな似合わない服きて とか、本当に失礼ですよね。 あなたが1番可哀想ですよ。 敬語で一応敬意をはらおうかと思ったんですが、もう良いですか?あなたのことなんて1ミリたりとも尊敬してないんで。 クソババア見てる? あんたが毎日毎日、私の家事に文句言いたいように私もあんたの家事や性格に文句言いたいわ! 自分だけが我慢してると思ってる? そんなわけねーだろ! 私も主人もあんたの性格が理解できなさすぎてお手上げだわ! 一言目には「違う」「だって」ばっかりでいっつもいっつも全部人のせいだもんね? んなわけねーよ! お互い様とか考えたことある? 自分が悪かったとか考えたことある? 言い返さないからって変なことばっかり言うから最近あんたのことシカトしてんだよ! もうあんた人として無理だわ(笑) 主人の親じゃなかったら絶対係わりたくなかったわ。 あんたが自慢気に言ってることの半分くらい昔のことすぎて今と違うんだけど知ってた? 恥ずかしいね(笑) 訂正しないのは恥かいてほしいからだからね? せいぜい外で大恥かいてください(笑) あんたが死んだら、家中ぜーーーーーんぶ私と主人と子供が好きなもので埋め尽くして、あんたの形見は仕方ないから押入れにでも閉まっといてあげるね。 趣味の悪いラグとかホント早く変えたい(笑) 恥ずかしくて人呼べない(笑) あーもうホント嫌い。
101共感されています3義父母・ウトメ・舅姑に死んでほしい2017/9/14(木) 20:20:3625 コメント571
死神様ありがとうございます。義母が末期ガンであることがわかりました

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ahaha0987
死神様ありがとうございます。義母が末期ガンであることがわかりました。それにしてももともと卑しい人間は神経が逞しいですね。病院から処方された軟膏を顔に塗りたくって、1人エステしています。性格がひねくれて友達もいないので、1人エステをしているそのさまは、まさに(劇団1人)です。死に様は生き様と言いましょうか、これから友達もなく、ひねくれてロクにお礼も言えないのでわたしにも見放され、孤独死していくのかと思うと、先人の教えは正しいなあと感心するばかりです。
2713死神が注目しています0デスノート効果あり報告2019/1/12(土) 12:09:4623 コメント559
今どき同居とかなんの地獄だよ

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sakupaio
早く死ね 舅も姑もダブルで今すぐ死ね 今どき同居とかなんの地獄だよ早く!今すぐ死ね!明日起きたら二人とも死んてますように…てか死ねよ
721死神が注目しています2義父母・ウトメ・舅姑に死んでほしい2018/4/1(日) 21:34:5419 コメント520
今舅姑が事故って死にました\(^^)/

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tamakifam
今舅姑が事故って死にました\(^^)/ ありがとうございます死神様💕1日でも早く死んでもらえて幸せです(*´∇`)ノ💞
9602共感されています0デスノート効果あり報告2020/1/11(土) 12:29:5510 コメント470
流産したわたしに人間とは思えない発言をした義母

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immmmm
流産したわたしに「となりの〇〇君夫婦に元気な赤ちゃんが生まれたのよ!みに言ったらね、おっきくて元気に泣いてたよ!見に行く?」とのたまったクソ義母。 旦那が叱ると「こんなにわたしは気を使ってるのに!!!!あなたの嫁は頭がおかしいのね!すぐわたしのせい!!!」とヒスを起こし、号泣。え?泣きたいのはこっちですけど?赤ちゃんを亡くしたわたしに、元気な赤ちゃんの話しします?どこらへんが気を遣ってるのか一ミリもわからないんですけど? 翌日、「嫁さん、…おはよう…」とこれ見よがしにビクビクしながら小声で挨拶し、そのあとは旦那を通してわたしと会話。は?????????謝らないしお前自分が悪いと思ってないだろ。「嫁に悪く言われてビクビクしてるアタシ」を演出してるんだろうけどキモすぎて顔すら見れない。臭いし。わたしがトイレで声を殺して泣いてる時にお前はわたしの悪口を大声で叫んでたよな?流産はわたしが悪いの?義母がビクビク(演技)してるのもわたしが悪いの? 赤ちゃんじゃなくてお前が死ねばよかったのにね。 流産がわたし原因だとしたら、お前のストレスがわたしの体調不良の原因だよ。なんで大切な命がなくなってお前が生きてるの?なんで息してるの?そのあと、「流産のとき手術した?保険でお金降りるわよ!お金もらえるわよ!」とステキなアドバイスありがとう!お前は命より金が大事だってよくわかったよ!だって私たちの生活に口はだすけど金は一切出さないもんね!さすが金にがめついクソババアだ!! 今、空に帰った子どもがお腹戻って来てくれたけど、行事を仕切るの楽しそうだね!!!死んだ時は金としか見ないのにいざ戻って来たらおばあちゃんズラするんだね!顔の皮が厚いババアだ!うちの両親にも会わせたくないんだよね!!どうせ金は出さないんでしょ!ありがたいババアだ!!!!うちの子が生まれるのが9月だから、8月ごろまでには死んでね!人の命を軽んじた分もがき苦しんで死んでね!!!即死はダメだよ!ゆっくり、ゆっくり、苦しんで死んでね。お葬式は盛大にしてあげるから!お前の棺桶に唾吐いてあげる!冥土の土産ってやつ! あー!8月までには死ぬんだと思うと気が楽になるね!楽しみ!バイバイクソババア!
648死神が注目しています0義父母・ウトメ・舅姑に死んでほしい2018/3/15(木) 12:02:2315 コメント448
前回の投稿の15時間後に義父の容態が急変し死にました

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ご報告が遅れましたが、前回の投稿の15時間後に義父の容態が急変し死にました。死神様、管理人様本当にありがとうございます。 婚約した年から入れると今まで13年間、義家族から数々の仕打ちを受けました。旦那が居ないところで人格否定をされ、親の悪口を言われ、子どもまで差別されました。そのせいで一時期私自身がおかしいのではと錯覚し、精神状態も体調もおかしくなり、人間不信にまで陥りました。 二人目妊娠を機に義家族と距離を置き旦那と一緒じゃない限り会わないようになりましたが、今度は義父母が旦那が席を外した途端を狙い同じように子ども達や私に攻撃してくるようになりました。そして私の両親にまで旦那がいる時といない時で態度をあからさま変えるようになり私の両親まで怒らせしまいそれを機に義家族とは縁を切ろうと決めました。縁切りの神社に通ったり、塩おまじないをしたりいろいろ試しました、そしてこのページを見つけ同じ想いの人がいると知り自分の心に溜め込んだ憎しみや思いを吐き出したいスッキリしたいと書込みを始めました。 今までこんなに人を嫌いになり憎しみや死んでほしいという感情が出たのは初めてです。正直、誰に死んでほしいなんて二度抱きたくない感情です。義家族に関してはもう耐えられずこの感情が勝ってしまいました。 きっと私よりももっと辛い思いをされている方沢山いると思います。本気で思っている方は諦めずにぜひ書込み続けてください。 長文失礼いたしました。改めてお礼を申し上げます。恐らく義母と義弟でまたお世話になるかもしれませんがその時はまたよろしくお願いします。
15191共感されています0デスノート効果あり報告2020/6/15(月) 7:51:2511 コメント445
ジジイ、原因不明で死にました。 入院してわずか2週間足らず

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420077q
ジジイ、原因不明で死にました。 入院してわずか2週間足らず。 こんなに急に亡くなるのはおかしいので、解剖をもとめられたそうです。断ったそうですが。 ちなみに私の誕生日は、『7月7日』。 私の車のナンバーや電話番号など周りに 必ず『77』が入ってます。 ジジイは『77」歳で亡くなったので、私の呪いだと確信してます。死神様ありがとうございます。 私の声を聞いてくれたとしか思えません。
10052死神が注目しています0デスノート効果あり報告2020/1/25(土) 2:50:3312 コメント

事故一覧

2021-05-05 21:15:20 | 事件
事故の一覧
From Wikipedia
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事故の一覧(じこのいちらん)は、重大あるいは深刻な事故の一覧である。

Contents
1 交通事故
2 鉄道事故
3 航空事故
4 船舶事故
5 宇宙開発での事故
6 昇降機・輸送機など
6.1 エレベーター
6.2 エスカレーター
6.3 自動ドア
6.4 家財道具・ごみ屋敷
7 劇場・舞台空間での事故
8 遊具・遊園地設備事故
9 スポーツ
9.1 フォーミュラ1
9.2 スカイダイビング
10 医療事故
11 原発事故
12 炭鉱事故
13 爆発事故
13.1 花火事故
14 火災事故
14.1 車両火災
15 電気事故
16 群集事故
17 自然災害
17.1 火山災害
17.2 土砂災害
17.3 水没事故
17.4 落雷事故
17.5 洞窟事故
18 食品事故
18.1 異物混入
18.2 食中毒
19 製品・機器・器具事故
19.1 一酸化炭素中毒事故
19.2 発煙・発火・破裂事故
19.3 交通事故
20 建造物崩壊
21 その他
21.1 放送事故
21.2 一気飲み事故
21.3 一気喰い
21.4 誤食・誤飲事故
21.5 酸欠事故
21.6 有害物質・微生物の漏出事故
21.7 リング禍(格闘技の試合中における事故)
22 脚注・参考文献
23 外部リンク
交通事故[edit source]
詳細は「交通事故」を参照
鉄道事故[edit source]
詳細は「鉄道事故」を参照
航空事故[edit source]
詳細は「航空事故の一覧」を参照
船舶事故[edit source]
詳細は「海難事故」を参照
ただし、軍艦関係の事故については、軍艦の事故の項目を参照。
宇宙開発での事故[edit source]
詳細は「宇宙開発における事故」を参照
昇降機・輸送機など[edit source]
エレベーター[edit source]
1922年(大正11年)12月31日 - 東京都中央区の日本橋三越の従業員が、貨物用運搬中エレベーターに接触し死亡。
1927年(昭和2年)5月19日 - 東京都千代田区にある丸ノ内ホテルの女性従業員が、乗降口から転落死。
1954年(昭和29年)1月 - 愛知県名古屋市中区にある丸栄百貨店のエレベーターで、客を満載して8階から下降中ドアが開き、43歳の男性客が、エレベーターのかご部分と建物に挟まれる死亡事故が発生[1]。
1955年(昭和30年)6月29日 - 岡山県の同和鉱業柵原鉱業所で入坑用エレベーターのワイヤーロープが断裂、4人が死亡。
1963年(昭和38年)9月1日 - 東京都墨田区にある同愛記念病院の患者用エレベータのドアが故障、19人が40分間にわたり閉じ込められる。
1966年(昭和41年)9月10日 - 神奈川県川崎市のスポーツセンターのエレベーターで小学生2人が暴れて遊んでいたことから急停止、1人が非常口から脱出を試みるも転落し重傷。
1976年(昭和51年)
6月18日 - 愛知県名古屋市の自宅兼自社ビルでエレベーターが違った階に止まり、開いたドアから女性が転落死。
6月20日 - 東京都板橋区の高島平団地で幼児2人が誤って非常停止ボタンを押して急停止、非常口から脱出を試みるが転落して1人死亡。
1982年(昭和57年)12月4日 - 東京都豊島区にあるサンシャイン60の展望台直通エレベーターが57階付近で突然停止、28人が1時間45分にわたり閉じ込められる。
1984年(昭和59年)8月8日 - 神奈川県横浜市保土ケ谷区のニチイ天王町店(現・イオン天王町店)で乗降扱い中に突然かごが作動し、乳母車を引いて降りようとした主婦1名がカゴと建物の間に挟まれ死亡。事故を起こしたエレベーターは前日に点検したばかりだったが、その後の調査で設計の不備から安全装置が作動しなかったものと判明した。事故後エレベーターは撤去されている。なお、このエレベーターはフジテック社製であった。
1994年(平成6年)12月7日 - 神戸市の神戸質屋協同組合会館の貨物搬送用エレベーターが2階部分で停止、手動で作動させようとしたところワイヤーが断裂し、エレベーターが1階部分まで落下。乗っていた4人のうち、3人が軽傷・1人が重傷。
1999年(平成11年)7月31日 - 東京都中央区日本橋馬喰町の飲食店が入居しているビルでネズミが滑車に挟まりエレベーターが停止、乗っていた70歳の女性が一晩中閉じ込められ、翌日昼ごろに救出された。
2004年(平成16年)10月23日 - 東京都港区にある六本木ヒルズでエレベーター6機が新潟県中越地震の長周期地震動によって損傷。
2006年(平成18年)6月 - 東京都港区にある23階建ての住宅「シティハイツ竹芝」で高校2年生がエレベーターのかご部分と建物の天井との間に挟まれる死亡事故が発生。事故が発生したエレベーターの製造元であるシンドラーエレベータのずさんな体質が明らかになり、全国的に不祥事として報道された[2]。
2007年(平成19年)4月 - 東京都港区にある六本木ヒルズでワイヤーロープ破断からボヤが発生。
2012年(平成24年)10月 - 石川県金沢市にあるアパホテル金沢駅前支店で、清掃作業員の女性が、かご部分とエレベーター床に挟まれ死亡。このエレベーターは2006年に事故を起こしたシンドラー社製であった。
エスカレーター[edit source]
「エスカレーター#安全性」も参照
1957年(昭和32年)7月28日、8月1日 - 東京都台東区にある上野松坂屋のエスカレーターのステップがつかえて縦に断裂、けが人はなし。
1963年(昭和38年)3月11日 - 神奈川県横浜市中区にある氷川丸の船内エスカレーターで右側手すりだけが停止、見学中の中学生19人が将棋倒しとなり負傷。
1966年(昭和41年)
3月21日 - 岡山市のスーパーマーケットのエスカレーターで、4歳の幼児が転んだはずみで服を巻き込まれ首の骨を折って死亡。
6月1日 - 東京都大田区の蒲田駅ビルのエスカレーターが点検・清掃中に急作動、作業員1人がステップに首を挟まれて死亡。
1968年(昭和43年)4月14日 - 大阪府大阪市住之江区にある大阪国際見本市会場で展示中の東芝製エスカレーターが突然停止して逆方向に作動、7人が負傷。
1973年(昭和48年)1月12日 - 東京都板橋区にあるイトーヨーカドー上板橋店のエスカレーターで幼児がベルトと床の間の隙間に首を挟まれ、一時重体。
1984年(昭和59年)12月7日 - 東京都営団地下鉄有楽町線飯田橋駅の地上出口エスカレーターでベルトが急停止、ステップは作動したため乗っていた小学生ら28人が転倒し負傷。
1989年(平成元年)7月18日 - 名古屋市で開催されていた世界デザイン博覧会のメイン会場白鳥センチュリープラザでエスカレーターの手すり部が停止し、博覧会に見学に来た小学生36人が転倒・負傷。翌日にも事故を起こしたエスカレーターが再び停止し、主催者側は20日から2日間かけて会場内の全エスカレーターを停止し検査する事態になった。
2008年(平成20年)
5月 - 愛知県名古屋市中区の名古屋市営地下鉄の久屋大通駅で、エスカレーターが急停止して14人が負傷。
8月 - 東京都江東区有明の東京国際展示場で、ワンダーフェスティバル開催中に西ホールの1階から4階を結ぶ上りエスカレーターが急停止し、下り方向に逆走した。乗っていた約120人のうち60人が転倒し10人が軽いけが。
2014年(平成26年)1月8日 - 神奈川県川崎市中原区の武蔵小杉駅の上りエスカレーターが急停止の後に逆走し、11人が重軽傷を負った。
自動ドア[edit source]
1975年(昭和50年)5月5日 - 東京都新宿区にある新宿住友ビルディングの2階正面口の回転ドアで、幼児がドアと外枠の間の隙間に挟まれ重傷。
2004年(平成16年)3月26日 - 東京都・港区にある六本木ヒルズ森タワー2階正面口の自動回転ドアに、6歳児が挟まれて死亡。
家財道具・ごみ屋敷[edit source]
1947年10月21日 - ニューヨークハーレムのコリヤー兄弟邸で家財道具に埋もれていた形で兄弟が遺体として発見。検死によって兄は餓死・弟は防犯用の落とし穴に落ちた転落死と結論づけられた。
2008年6月18日 - 岩手・宮城内陸地震で、仙台市の会社員が積み上げていた蔵書の下敷きに遭い窒息死。蔵書数は500キロあったという。
2009年8月11日 - 静岡市の女性会社員が、地震で崩れた蔵書を収納していたプラスチック容器類の下敷きになり窒息死。
2011年7月11日 - 松本市の会社員が、地震で崩れた蔵書などで身動きが取れず熱中症で死亡。
2016年10月11日 - 郡山市で深夜に住宅火災が発生し全焼、焼け跡から住民の無職男性が遺体で発見された。全焼した家はごみ屋敷として近隣住民ともトラブルを生じており、同年3月末に市当局が行政代執行で散乱していたごみなどの撤去を行ったばかりだった。
劇場・舞台空間での事故[edit source]
※死亡事故のみ。
1958年(昭和33年)
2月1日 - 東京都千代田区の東京宝塚劇場(東宝劇場)で「アイヌ恋歌」上演中に火災事故があり、出演中の劇団若草所属児童俳優2名(15歳、9歳)、東宝劇団所属俳優1名(16歳)計3名が死亡、16人が負傷。
4月1日 - 兵庫県宝塚市の宝塚大劇場で、出演中の宝塚歌劇団月組に所属する香月弘美が舞台セリに衣装を挟まれて仕掛けに巻き込まれ、衣装の金属製ベルトで胴体を切断され死亡。舞台機構が原因の上演中劇場事故による日本国内唯一の死者。
1960年(昭和35年)3月2日 - 横浜歌謡ショー将棋倒し事故。
1978年(昭和53年)1月27日 - 北海道札幌市中央区の中島スポーツセンターで行われたレインボーのコンサートにて、聴衆がステージ前方に殺到し、観客1名が死亡。その後の日本のロック・コンサート会場の警備体制を大きく変更する契機になった。
1981年(昭和56年)11月 - 埼玉県所沢市の西武園ゆうえんち特設広場で行われたウルトラマンショーで、演出用の花火や爆竹の導火線の火花が怪獣ウーの着ぐるみに引火して火だるま状態になり、すぐに消し止められたものの中に入っていたスーツアクターの大学生が全身に火傷を負い焼死。この事故を契機に特撮ヒーロー物の舞台ショーでは爆竹や火薬類が使用禁止となった。観客にはけが人はなく、むしろ演出の一環だと思って拍手喝采であったという[3]。
1987年(昭和62年)4月19日 - ラフィンノーズ公演雑踏事故。
1988年(昭和63年)1月5日 - 六本木ディスコ照明落下事故。
1989年(平成元年)7月25日 - 東京都新宿区の新宿コマ劇場でミュージカル「ピーター・パン」「SFX=OZ」のフライング舞台技術者だった男性が、早朝帰宅直後に心臓発作を起こし、心筋梗塞で死亡。フライングは心身ともに緊張を強いられる仕事であるが、「SFX=OZ」公演の際は44日間の連続勤務となっており、長期間の過酷な労働の結果、疲労が蓄積したことによる過労死と認定された[4][5]。
1994年(平成6年)8月 - 東京都・新宿区の新宿コマ劇場で舞台の照明器具の撤去作業をしていた舞台照明会社の男性社員が、握っていたロープとともに約7メートル吊り下げられ、ロープを離して床に転落、首の骨が折れ間もなく死亡。
1996年(平成8年)12月10日 - 愛知県名古屋市東区の愛知県芸術劇場大ホールで、舞台照明をローリングタワーにて調整中に照明技師が転落し死亡。
1999年(平成11年)7月27日 - 東京都渋谷区の新国立劇場でミュージカル「新ピーターパン」リハーサル中に、アメリカ人技術者通訳の女性がセットに引っかかった袖幕を取り除こうとして奈落に気づかず、15.7メートル下に転落して頭部打撲で死亡。
2001年(平成13年)12月21日 - 東京都北区北とぴあさくらホールでセリ装置を定期点検していたメンテナンス会社「横浜技術サービス」の社員ら5人が舞台とセリの間にはさまれ、1人が頭蓋骨骨折で即死、その後2人が病院で死亡、2人が重傷。
2012年(平成24年)6月16日 - カナダのオンタリオ州トロント郊外で行われる予定だったレディオヘッドの野外コンサートで使用するステージが開演前に突然崩壊。コンサートスタッフの男性1人が死亡し、3人が負傷。
2013年(平成25年)6月29日 - アメリカ合衆国のネバダ州ラスベガスのホテルMGMグランドでシルク・ドゥ・ソレイユのショー「Kà(カー)」の上演中に、出演者の女性が高所から転落し死亡。シルク・ドゥ・ソレイユのショーとしては初めての死亡事故となった。「Kà」の上演は同年7月16日に再開された[6]。
遊具・遊園地設備事故[edit source]
1949年(昭和24年)4月3日 - 東京都大田区の多摩川園で雑踏に押された幼児が、豆汽車に轢かれて死亡。
1963年(昭和38年)9月1日 - 東京都台東区の浅草花やしきで、父親に抱かれた生後7か月の男児がローラーコースターから3メートル下に転落して死亡。
1964年(昭和39年)6月8日 - 東京都練馬区のとしまえんプールで準備体操せずに泳いだ小学生が、心臓マヒを起こして死亡。
1965年(昭和40年)6月5日 - 静岡県浜松市の浜名湖にある遠鉄舘山寺娯楽センター遊園地(浜名湖パルパルの前身、娯楽センターは1979年閉鎖)の観覧車で、遠足に来ていた5歳の女児が3歳の弟と観覧車に乗っていた際、誤ってゴンドラのドアを開けてしまい、5歳女児がゴンドラから転落して死亡。
1967年(昭和42年)10月22日 - 愛知県名古屋市千種区の東山動植物園で、ゴーカートに乗っていた33歳主婦の長髪がエンジンシャフトに巻きつき、背板に頭を強打して首の骨を折り即死[7]。
1971年(昭和46年)2月14日 - 東京都日野市の多摩テックで、ゴーカートに乗っていた13歳の男子中学生が、首に巻いていた長さ1.5メートルのマフラーの端が走行中に車軸に巻きつき、マフラーが引っ張られる形で首が絞まって即死。
1971年(昭和46年)8月18日 - 栃木県小山市の小山ゆうえんちで、アルバイト中の16歳高校生がジェットコースターの乗客が落とした財布を取ろうと線路内に入った際、高速で突っ込んできた4両編成のジェットコースターに撥ねられて死亡。
1972年(昭和47年)5月20日 - 山梨県甲府市の山梨県立愛宕山こどもの国で、当時未完成で立ち入り禁止になっていたジャンボすべり台で遊んでいた11歳の男児が勢い余ってカーブでコースを逸脱して転落、5メートル下にあった岩に頭を強打して死亡。なお、このすべり台は老朽化のため2005年3月に撤去されており現存しない。
1973年(昭和48年)6月1日 - 兵庫県宝塚市の宝塚ファミリーランド中庭の噴水池で、親の買い物中に1人で遊んでいた3歳女児が水死。
1992年(平成4年)8月13日 - 東京都練馬区のとしまえんで、開園前にフライングカーペットの試運転をしていた58歳男性作業員が遊具と床の間に挟まれて死亡。
1995年(平成7年)10月28日 - 兵庫県加東郡東条町(現・加東市)の東条湖ランドの回転式大型ゴンドラ「レインボー・アトラクション」で、制限を満たしていた小学1年生の少女が安全バーをすり抜け10メートルの高さから転落し死亡。
2002年(平成14年)11月13日 - 栃木県那須町のりんどう湖ファミリー牧場で遊戯用車のバギーカーに乗っていた仙台市の26歳の会社員の女性が、エンジン部分の歯車にマフラーを巻き込まれ窒息死。
2003年(平成15年)8月23日 - 三重県桑名市のナガシマスパーランドで10時50分ごろ、走行中のジェットコースター、スチールドラゴン2000の車輪88個のうち半分に相当する44個が落下し、乗客1名とコースター下のプールサイドにいた客1名の計2名が重傷となる事故が発生。事故1か月前の定期点検の際に請け負い業者が車輪の部品を不要な部分にまで取りつけていたことが原因と見られている。2006年8月12日より試運転を重ね、同年9月3日より営業を再開した。
2003年(平成15年)12月5日 - 千葉県浦安市の東京ディズニーランドでスペース・マウンテンが脱輪事故を起こし、2004年2月18日まで運転を中止した。時速5キロと低速で走行中だったため、けが人はいなかった。
2005年(平成17年)
4月18日 - 東京ジョイポリス転落死亡事故。東京都港区台場の東京ジョイポリスで、男性がスカイダイビングのシミュレーション機「ビバ・スカイダイビング」から転落し死亡。
7月21日 - 東京都豊島区のナムコ・ナンジャタウンのアトラクション「地獄旅館」で、開園前に旅館内にある演出物の点検を行っていた女性アルバイトが、誤作動を起こした装置に挟まれ意識不明の重体。
2006年(平成18年)7月31日 - 埼玉県ふじみ野市のふじみ野市立大井プールで、小学校2年生の女児が給水口に吸い込まれた。約6時間後に発見され、病院に搬送されたが、死亡が確認された。
2007年(平成19年)5月5日 - 大阪府吹田市のエキスポランドのジェットコースター「風神雷神II」で車軸が折れ脱線。乗客1名死亡、約20名が重軽傷。事故後、エキスポランドは8月9日まで休園、翌10日に「風神雷神II」を除き営業を再開したが、事故の影響で客足が減少したため、同年12月10日をもって再度休園し、そのまま閉園となった。
2008年(平成20年)5月7日 - 東京都練馬区のとしまえんのフライングカーペットに乗っていた埼玉県立所沢特別支援学校高等部1年の男子生徒が自ら安全バーから抜け出し、地上に落下して重傷。
2011年(平成23年)1月30日 - 東京都文京区の東京ドームシティアトラクションズのジェットコースター「スピニングコースター舞姫」に乗っていた男性が8メートルの高さから投げ出され転落死。
2012年(平成24年)5月28日 - 千葉県・浦安市の東京ディズニーシーのレイジングスピリッツで8席中1席の安全バーが上がった状態のまま発車し、この席に座っていた男性1名が身の危険を感じて降りようとした際、右足を捻挫するなどの軽傷を負った。パーク内のアトラクションによってゲストが負傷する事故は、東京ディズニーリゾートでは開業して初めて。東京ディズニーリゾートを運営するオリエンタルランドは同アトラクションを当面の間休止した。6月4日、オリエンタルランドは事故の原因を従業員の操作手順ミスと発表し、同社はマニュアルの見直しを進めるとともに、役員報酬について1か月10 - 30パーセント減額することを決定した。6月12日、安全が確認されたため6月14日に運営再開することを発表した。なお、安全確認を徹底するためにシングルライダーは当面休止となっている。
2017年 (平成29年) 8月12日 - 大分県・別府市の城島高原パークの木製ジェットコースター「ジュピター」で男性作業員2名が点検中、試運転車両にはねられ、1名が死亡。
2019年 (令和元年) 8月5日 - 栃木県・那須町の那須ハイランドパークのクライミングアトラクション「ノボランマ」で男性1名がおよそ5メートルの高さから落下し、頭を強く打って死亡。
スポーツ[edit source]
フォーミュラ1[edit source]
詳細は「F1死亡事故一覧」を参照
スカイダイビング[edit source]
詳細は「スカイダイビングの事故の一覧」を参照
医療事故[edit source]
詳細は「医療事故」を参照
原発事故[edit source]
詳細は「原子力事故の一覧」を参照
炭鉱事故[edit source]
詳細は「炭坑#炭鉱事故」を参照
爆発事故[edit source]
「人によって引き起こされた核爆発以外の大爆発一覧」および「粉塵爆発」も参照
1924年(大正13年)12月27日 - 北海道小樽市の国鉄手宮線手宮駅で、構内岸壁で荷役中の火薬(ダイナマイト)10トンが爆発。死者行方不明者94名、負傷者300名以上[8]。
1939年(昭和14年)3月1日 - 大阪府枚方町(現・枚方市)の陸軍禁野火薬庫で砲弾解体中に発火し、弾薬に引火して爆発。死者94人、負傷者602人。
1945年(昭和20年)
4月23日 - 玉栄丸爆発事故。鳥取県境町(現・境港市)で起きた爆発事故。山陰地方最大の戦災となった。死傷者424人、倒壊焼失家屋431戸。
11月12日 - 二又トンネル爆発事故。福岡県田川郡添田町添田の二又トンネルで、旧陸軍の隠していた火薬約532トンを米軍が焼却処分しようとしたところ爆発。山ひとつと多数の民家が吹き飛び、死者147人、負傷者149人。
1955年(昭和30年)
2月4日 - 秋葉ダム・ダイナマイト爆発事故。静岡県浜松市天竜区の秋葉ダム建設現場にて爆発事故。死者19名、負傷者多数。
8月2日 - 日本カーリット工場爆発事故。神奈川県横浜市保土ケ谷区の火薬工場で爆発事故。死者3名、重軽傷者19名。
1959年(昭和34年)12月11日 - 第二京浜トラック爆発事故。神奈川県・横浜市神奈川区の第二京浜国道でTNT火薬4トンを積んだトラックが交通事故に遭い爆発。半径500メートル内にあった民家31棟が全壊した。
1963年(昭和38年)11月9日 - 三井三池三川炭鉱炭じん爆発。福岡県大牟田市で発生した戦後最大の炭鉱事故。
1964年(昭和39年)7月14日 - 品川勝島倉庫爆発火災。東京都品川区に貯蔵されていたニトロセルロースが暑さのため自然発火。消防士19人が死亡、114人負傷。貯蔵品の中に有機過酸化物メチルエチルケトンペルオキシドが約2トンあり、それが誘爆して被害拡大。
1970年(昭和45年)4月8日 - 天六ガス爆発事故。大阪府大阪市北区で地下鉄の工事中にガス漏れし引火。野次馬が被害を拡大。
1980年(昭和55年)8月16日 - 静岡駅前地下街爆発事故。静岡県静岡市葵区で発生。メタンガスに引火し爆発したため、都市ガス管が破損しガスが漏れ、さらに大きな爆発が発生したとされる。死者15人、負傷者223人。災害救助法が適用される事態になった。
1983年(昭和58年)11月22日 - つま恋ガス爆発事故。静岡県掛川市のレクリエーション施設で発生。死者14名、負傷者27名。事故の原因は模様替えの際、作業員が末端のガス栓を閉め忘れて31か所の器具を撤去したため。営業再開後一斉にガス漏れが発生し大爆発となった。
2005年(平成17年)10月26日 - 大阪府・枚方市の産廃収集運搬業「大宝化成」と同「大昭産業」付近で爆発があり2人が死傷した。爆発は同じ敷地内にある両社の工場のうち、大昭産業の工場で発生。作業中、工場内の可燃性の産廃が何らかの原因で引火、爆発した。
2007年(平成19年)6月19日 - 渋谷温泉施設爆発事故。東京都渋谷区で発生。死者3名、重傷者3名。温泉の汲み上げの際に混入する天然ガスが充満し、何らかの原因で引火した疑い。この施設には、天然ガスを分離する装置の設備変更や「ガス検知器」が設置されていなかったなどの問題点が明らかになった。
2008年(平成20年)8月12日 - 大阪府枚方市の枚方第二清掃工場(東部清掃工場)作業員が爆風で飛ばされたが、けがはなかった。清掃工場の設備は焼却主灰貯留槽が変形して裂け、点検用の通路も変形した。
2009年(平成21年)12月24日 - 大阪市淀川区の森田化学工業の工場で、三フッ化ホウ素ガスを造る直径約3.2メートルの鉄製タンクが爆発、近くで作業をしていた従業員4名が死亡した。
2012年(平成24年)9月29日 - 兵庫県姫路市の日本触媒姫路製造所で、アクリル酸混じりの廃液を貯蔵するタンクの温度が異常上昇し爆発。隣のアクリル酸タンク、トルエンタンクにも延焼した。なお、この爆発火災で消火活動を行っていた姫路市消防局網干消防署の消防隊員1名が爆発に巻き込まれ殉職。そのほか、活動中の消防隊員、警察官、作業員など20名以上が負傷した。また、消火に当たっていた消防車数台にも延焼した。
2013年(平成25年)8月15日 - 2013年福知山花火大会露店爆発事故。京都府福知山市の「ドッコイセ福知山花火大会」で露店で使用されていた発電機に給油中、容器からガソリンが噴出し即座に爆発火災に至った。見物客ら59人が負傷、のち3名が重度の火傷により死亡。
2014年(平成26年)8月1日 - 高雄ガス爆発事故。台湾の高雄市で住民からのガス漏れの通報に対処中、地下に埋設されていたパイプラインから漏れたプロピレンガスが爆発。被害は2 - 3キロの広い範囲に及び、30名が死亡、2名が行方不明。
2015年(平成27年)6月27日 - 八仙水上楽園爆発事故。台湾の新北市のウォーターパーク「八仙楽園」で粉塵爆発があり、15人が死亡、400人以上が負傷。
花火事故[edit source]
1950年(昭和25年)7月31日 - 新潟県柏崎市で爆発、10人が死亡。
1955年(昭和30年)8月1日 - 墨田区花火問屋爆発事故。東京都墨田区厩橋近辺の花火問屋で爆発、住民18人が死亡。上記日本カーリット工場爆発事故の前日に発生した。
1958年(昭和33年)7月30日 - 小勝多摩火工爆発事故。東京都府中市の丸玉小勝花火製造所が爆発し、作業員ら13人が死亡。同社の関連工場は1953年(昭和28年)2月14日(死者21人)、1956年(昭和31年)12月29日(死者1人)と続けて爆発事故を起こしており、社長と工場長を労働基準法違反で書類送検した。
1959年(昭和34年)5月29日 - 上郷村花火工場爆発事故。長野県下伊那郡上郷村(現・飯田市)の内山煙火製造所で爆発、経営者夫婦と従業員、付近で爆風に巻き込まれた小学生の計7人が死亡。
1989年(平成元年)8月2日 - 神奈川県横浜市の山下公園で打ち上げが行われていた神奈川新聞花火大会で爆発、花火師2人が死亡。
1992年(平成4年)6月16日 - 茨城県守谷町(現・守谷市)の煙火製造工場内倉庫、薬品庫で爆発が発生。工場内で3人死亡、負傷者58名。
2003年(平成15年)4月11日 - 鹿児島県鹿児島市の南国花火製造所で、花火の詰め作業を行っていた最中に爆発。作業員10人全員が死亡。
2008年(平成20年)8月15日 - 高知県津野町の「津野町夏祭り」で暴発、10人が重軽傷[9]。
火災事故[edit source]
「火災の年表」も参照
車両火災[edit source]
1967年(昭和42年)3月6日 - 国道1号鈴鹿トンネルの三重県側入口より40メートル地点で大型トラックがエンジンのオーバーヒートを起こし、積載していたプラスチック製品に引火。死者はなかったものの、車輌13台が焼失した。
1979年(昭和54年)7月11日 - 日本坂トンネル火災事故。静岡県の東名高速道路日本坂トンネル内で乗用車2台とトラック4台による追突事故が発生、事故車両に可燃物を積んだトラックが含まれていたこともあって65時間にわたって延焼、173台もの車両を焼失した。人的被害は死者7名、負傷者2名。
2008年(平成20年)8月3日 - 熊野町ジャンクション火災事故。東京都板橋区の首都高速5号池袋線下りと首都高速中央環状線の合流地点を走行していたタンクローリーがカーブで横転・炎上した。死者はなかったが、首都高速道路の路線部は甚大な被害を受け、単独車両による事故としては国内史上最大規模の損壊事故となった。
2016年(平成28年)3月17日 - 広島県の山陽自動車道八本松トンネルで交通事故から渋滞していた車列にトラックが衝突、12台が玉突き状に衝突した上に5台が焼失し2人が死亡、71人が負傷した。
電気事故[edit source]
1926年(大正15年)4月30日 - 千葉県四街道市で電気会社の作業員8人が、風に煽られて高圧電線と接触・感電。
1929年(昭和4年)10月24日 - 東京都京橋区(現・中央区)で工員2人が感電し1人死亡、一帯が40分間停電した。
1950年(昭和25年)8月4日 - 千葉県富里村(現・富里市)で漏電していた電柱に犬を繋いだ中学生が感電、救助しようとした家族3人も巻き込まれ父親が死亡。
1999年(平成11年)11月22日 - 埼玉県狭山市で航空自衛隊の航空機が墜落、高圧送電線を切断。首都圏約80万世帯が停電。
2006年(平成18年)8月14日 - 2006年8月14日首都圏停電。東京都と千葉県の間を流れる旧江戸川で、クレーン船が東京電力の高圧送電線に接触し損傷。東京都心部など139万軒以上が停電[10]。
2008年(平成20年)8月1日 - 茨城県高萩市にある常磐線高萩駅構内で、16歳の少年が特急電車の屋根に登り感電、重症[11]。
2014年(平成26年)7月25日 - 熊本県芦北町にある肥薩おれんじ鉄道線たのうら御立岬公園駅で、海水浴帰りの高校生男女8名のうち、男子高校生1名が持っていた長さ約5メートルのカーボン製の釣り竿を振り回して遊んでいるうちに誤って架線に接触させ感電、両手両足に重い火傷を負い重傷[12]。
2014年(平成26年)11月15日 - 東海道新幹線新横浜駅に停車中の新幹線電車に25歳の無職男性がよじ登り、架線に触れて感電し火傷を負うなどして死亡[13]。
2015年(平成27年)7月19日 - 静岡県西伊豆町で漏電した電気柵に7人が感電し2人死亡[14]。
2017年(平成29年)4月21日 - ナイジェリア南部の都市カラバルで、人々が衛星放送でサッカーヨーロッパリーグを観戦していた建物に高圧線が落下し、少なくとも7人が死亡、11人が負傷して病院に搬送された[15]。
群集事故[edit source]
「群集事故」および「パニック」も参照
1807年9月20日(文化4年旧暦8月19日) - 現在の東京都中央区の永代橋の落橋事故。死者440人、負傷者・行方不明者を入れると1,400人以上[16][17]。「永代と かけたる橋は 落ちにけり きょうは祭礼 あすは葬礼」 (大田南畝)
1896年 - ロシアのモスクワで、皇帝ニコライ2世即位記念に配給された食物を求める人々が将棋倒しとなり、1,389人が死亡。
1897年(明治30年)8月10日 - 隅田川にかかる両国橋の崩壊事故。両国川開きの花火を見ようと詰めかけた見物人の重みで欄干が壊れ、見物人が川に落ちた。死傷者数十名を出し、花火は中止となった[18][19]。
1903年(明治36年)12月30日 - アメリカ合衆国のイリノイ州シカゴのイロコイ劇場火災。逃げ惑う観客がパニックとなり、焼死者の他に多くの圧死者を出した。火災全体で602人死亡。
1934年(昭和9年)1月8日 - 京都駅跨線橋転倒事故。京都府京都市下京区の京都駅で発生した海兵団入隊の見送り客による群衆雪崩事故。
1946年(昭和21年)3月9日 - バーンデン・パークの惨事。イギリスのイングランドグレーター・マンチェスターボルトンで行われたサッカー試合で将棋倒しが発生し33人が死亡、400人以上が負傷。
1947年(昭和22年) - 埼玉県秩父市の秩父夜祭の見物を終えた群衆が御花畑駅方面に殺到し、6人が圧死。
1948年(昭和23年)
8月23日 - 新潟県新潟市中央区の萬代橋で、新潟まつり前身にあたる「川開き」の花火見物に集まった群衆が殺到、欄干が落下し群集が転落した。
11月4日 - 東京都新宿区の明治神宮野球場で、プロ野球の読売ジャイアンツ創設15周年記念無料オープン戦(対戦は阪急ブレーブス、金星スターズ、急映フライヤーズの3球団からの選抜チーム)観戦に集まった群衆を時間を繰り上げて入場させたところ、将棋倒しが起き死者2人、重軽傷者29人が発生した[20]。
1949年(昭和24年)4月24日 - 兵庫県西宮市の阪神本線甲子園駅で、野球観戦のために集まった利用客が将棋倒しとなり、死者1人・重軽傷者46人を出す[21]。
1950年(昭和25年)5月5日 - 宮城県仙台市の宮城球場で、プロ野球公式戦観戦に集まった群衆を時間を繰り上げて入場させた際、入口のトンネルでの転倒により将棋倒しが発生、3人が死亡した[22]。
1954年(昭和29年)1月2日 - 二重橋事件。東京都千代田区の二重橋で皇居の一般参賀に集まった群衆が将棋倒しとなり、16人が死亡した。
1956年(昭和31年)1月1日 - 彌彦神社事件。新潟県西蒲原郡弥彦村の彌彦神社で福餅撒きに集まった参拝者が将棋倒しとなり、124人が死亡した。
1959年(昭和34年)7月17日 - 韓国の釜山広域市にある釜山市民運動場で開催された野外市民コンサートの途中で突然の豪雨が降り、これにより3万人もの観客が屋根のある出口付近に殺到。67名が圧死した。犠牲者の大半は子どもだった。
1960年(昭和35年)
1月26日 - 韓国のソウル特別市にて旧正月の帰省客で混雑していたソウル駅で列車に乗ろうとした乗客が将棋倒し、31人が死亡。
3月2日 - 横浜歌謡ショー将棋倒し事故 。神奈川県横浜市中区の横浜公園体育館で行われた『歌謡曲ゴールデン・ヒット・ショー』公開録音の開門時に殺到した観客が将棋倒し、12人が死亡・14人が重軽傷。主催したラジオ関東(現・アール・エフ・ラジオ日本)が、会場の収容定員を上回る招待券を出していたことが原因。
1961年(昭和36年) - 岩手県岩手郡松尾村(現・八幡平市)の松尾鉱山小学校で行われた祝賀会のあとで、映画鑑賞会へ向かう小学生などが将棋倒しとなり10人が死亡、10人が負傷。
1964年(昭和39年)5月24日 - エスタディオ・ナシオナルの悲劇。ペルーのリマで行われたサッカーの国際試合の判定を巡って観客が暴徒化し、警官隊が鎮圧のため催涙弾を使用。出口に殺到した観客が将棋倒しとなり319人が死亡、500人が負傷。
1967年(昭和42年) - 大阪府大阪市北区の桜の通り抜けで一般開放していた造幣局本局で、観客の1人が転倒したことから観客が将棋倒し。女性1人が死亡し、27人が負傷。
1971年(昭和46年)1月2日 - アイブロックスの惨事。イギリスのスコットランドグラスゴーで行われたグラスゴー・レンジャーズFC対セルティックFCのサッカーリーグ戦の試合後、出口へ向かう観客が階段上で将棋倒しとなり10数メートル下まで転落。66名が死亡、負傷者約200名。
1973年(昭和48年)6月3日 - 千葉県千葉市中央区にある千葉県文化会館でNETテレビ(日本教育テレビ。現・テレビ朝日)の公開録画が行われたが、開門時に殺到した観客が将棋倒しになり11人が重軽傷を負った。会場の収容定員を上回る招待券を出していたことが原因。
1976年(昭和51年) - 年末ジャンボ宝くじの複数の販売所で買い求めに集まった客が殺到。長野県松本市と福岡県福岡市の会場で各1名が死亡、全国で40名以上が負傷[23]。この事故を受け、翌年より購入は往復はがきによる申し込み制に変更された(1995年まで)。
1979年(昭和54年) - 兵庫県西宮市の第51回選抜高等学校野球大会開催中の阪神甲子園球場で、入場券売り場前にいた群衆が販売が開始されたと思いこんで殺到、倒れた小学生2名が死亡。
1982年(昭和57年)
千葉県松戸市のダイエー新松戸店(現・イオンフードスタイル新松戸店)で当時大ブームだったアニメーション番組『ガンダム』のプラモデルを購入するため、開店と同時にエスカレーターに殺到した小中学生250人による将棋倒し事故が発生した。
ルジニキの惨事。ソビエト連邦モスクワのレーニン・スタジアム(現・ルジニキ・スタジアム)で発生した将棋倒し。公称の死者は66人と発表されたが、後年、死者340人超と推定されている。
1985年(昭和60年)5月29日 - ヘイゼルの悲劇。ベルギーのブリュッセルにあるヘイゼル・スタジアム(現・ボードゥアン国王競技場)で、暴徒化したサポーターが相手チームの観客席になだれ込み、老朽化した競技場の一部が崩壊。死者39名、負傷者400名以上を出す大惨事になった。
1987年(昭和62年)
4月19日 - ラフィンノーズ公演雑踏事故。東京都千代田区の日比谷野外音楽堂で行われたロックバンドLAUGHIN' NOSEのコンサート中に観客がステージ前に殺到、将棋倒しに。死者3名重軽傷者27人。LAUGHIN' NOSEは引責謹慎。担当していたラジオ番組も降板した。
12月10日 - 1987年上海陆家嘴轮渡站踩踏事故(中国語版)。中華人民共和国上海市の黄浦江にある陸家嘴渡船場で自転車に乗った乗客らが殺到、将棋倒しとなり66人が死亡、30人近くが重軽傷。現場は2014年に起きた群集事故(後述)と至近距離にあり、27年後に同様の事故が発生したことで、このときの教訓が生かされなかった。
1989年(平成元年)4月15日 - ヒルズボロの悲劇。イギリスのイングランドシェフィールドにあるヒルズボロ・スタジアムで、立見席に観客が詰め込まれ、圧死者96人、負傷200人以上のイングランドサッカー史上最悪の事故となった。これ以後、イギリスのスタジアムから立見席が廃止されることとなった。
1990年(平成2年)7月2日 - 1990年メッカ巡礼事故(アラビア語版)。イスラム教の大巡礼ハッジの群集がメッカからミナへ通じるトンネル内で将棋倒しを起こし、1,426人が死亡。ハッジでの群集事故としては当時史上最悪のものとなった。

事故発生地点は徳己立街(左)と蘭桂坊(右)の境界
1993年(平成5年)1月1日 - 蘭桂坊将棋倒し事故(中国語版)。午前0時過ぎ、香港のランカイフォン(蘭桂坊)にて新年を迎える人々が揉み合い状態になり徳己立街との境界地点で将棋倒しが発生、日本人1人を含む21人が死亡し62人が重軽傷を負った。
2001年(平成13年)7月21日 - 明石花火大会歩道橋事故。兵庫県明石市大蔵海岸の花火大会後にJR神戸線朝霧駅付近の歩道橋で発生した群集雪崩事故。
2003年(平成15年)6月11日 - 岐阜県岐阜市にある長良川球場で行われた中日ドラゴンズ対阪神タイガース戦の終了後(試合は阪神が7-2で勝利)に阪神ファンがグラウンドに乱入し中日ファンを挑発、中日ファンもグラウンドに乱入し乱闘となった。その際に防犯用の唐辛子系催涙スプレーとみられるものが噴射され、観客53人が目やのどの痛みで治療を受け、うち31人が病院搬送、7人が入院する事態となった。この一件以降、中日は阪神との主催地方試合の開催を2013年(平成25年)まで行わなかった[24]。
2005年(平成17年)
イラクのバグダードで巡礼者が移動中、自爆テロの流言が流れパニックとなる。将棋倒しにより965人が死亡。
10月3日 - 韓国の慶尚北道尚州市の競技場で行われたコンサートで将棋倒しが発生、11名が死亡し70名あまりが負傷。
2008年(平成20年)8月3日 - インドのヒマチャルプラデシュ州のヒンズー教寺院で将棋倒しとなり、約150人が死亡、50人以上が負傷。
2010年(平成22年)
3月26日 - 東京都渋谷区の竹下通りで芸能人が見られるとの噂が立ち、人々が殺到して将棋倒しとなる事故が発生。
7月24日 - ドイツのデュースブルクで行われたラブパレードで、2つのルートから会場に入ろうとする人と、会場に入れずに帰ろうとする人が一か所に押し詰められる状況となり、21人が圧死、500人以上が負傷した。この結果、ラブパレードは廃止されることとなった。
11月22日 - カンボジアのプノンペンで、年中行事「水祭り」で夜に行われたボート競技に集まった見物客が、メコン川にかかる橋の上で倒れるなどして、345人以上の死者と、300人以上の負傷者が生じた。この日は祭りの最終日で、全国から300万人以上の観客が集まっていた。
2014年(平成26年)12月31日 - 2014年上海外灘雑踏事故。上海市の外灘で年越しを迎えようとした市民が、広場の階段で揉み合い状態になった挙句に転倒。36人が死亡、47人が負傷した。
2015年(平成27年)9月24日 - 2015年メナー群衆事故。ハッジに訪れていた多数の巡礼者が将棋倒しとなり2,181人以上が圧死。ハッジでの群集事故として1990年の事故を上回り史上最悪となった。
自然災害[edit source]
火山災害[edit source]
「Category:火山災害」および「Category:日本の火山災害」を参照
土砂災害[edit source]
1586年1月18日(天正13年旧暦11月29日) - 飛騨国(岐阜県北部)の帰雲山が天正地震によって山腹が崩落。大量の土砂が近くにあった帰雲城および城下町を埋没させた。これによって城主内ヶ島氏理以下の一族郎党や領民たちが死亡し、日本史的にも類を見ない「天変地異による大名家の滅亡」となった[25][26]。
1926年(大正15年) ー 広島県安佐郡山本村(現・広島市安佐南区)で大雨から土石流が発生、家屋21戸が流出し24人が死亡。2年後の1928年にも、同様の土石流災害による被害を被った[27]。
1935年(昭和10年)9月25日 - 茨城県多賀郡日立町(現・日立市)で折からの豪雨で石灰山山腹が崩落、斜面を造成して建てられていた日立鉱山の鉱夫住宅が巻き込まれ30人が死亡。
1937年(昭和10年)11月11日 - 群馬県吾妻郡嬬恋村の三井物産北海道硫黄・小串硫黄鉱業所一帯が崩壊、鉱業所や事務所・鉱夫住宅や学校の分教場が埋没し245人が死亡。
1953年(昭和28年)7月26日 - 神奈川県足柄下郡箱根町の早雲山が崩落し最乗寺別院などが埋没。投宿していた荒井友三郎逗子町(現・逗子市)町長夫妻や学童など28人が死亡。
1961年(昭和36年)6月29日 - 大西山崩壊。長野県下伊那郡大鹿村の大西山が折からの梅雨前線による豪雨で山体崩壊、山裾を流れていた小渋川対岸まで被害が及び42人が死亡。
1963年(昭和38年)10月9日 - イタリアのフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州エルト・エ・カッソのバイオントダムの周囲の山で大規模な地すべりが発生。ダム湖の水が溢れ、下流の村落が飲み込まれる。死者2,125人。
1965年(昭和40年)6月26日 - 神奈川県川崎市久末(現・川崎市高津区久末)で住宅地裏に廃棄されていた石炭灰の山が突然崩壊し、4万立方メートルの石炭灰が住宅15棟を飲み込み60人が生き埋め、24人が死亡した。
1966年(昭和41年)9月25日 - 足和田災害。山梨県南都留郡にて台風26号による豪雨で大規模崩落が発生。足和田村(現・富士河口湖町)根場集落を襲い94人が死亡・行方不明。また静岡県静岡市葵区の梅ヶ島温泉でも山津波から旅館9軒が倒壊し、宿泊客など32人が死亡。
1968年(昭和43年)8月18日 - 飛騨川バス転落事故。岐阜県加茂郡白川町の国道41号で、2台のバスが集中豪雨に伴う土砂崩れに巻き込まれて増水していた飛騨川に転落。死者104名。
1971年(昭和46年)11月11日 - 川崎ローム斜面崩壊実験事故。神奈川県・川崎市多摩区の生田緑地で科学技術庁・通商産業省(現・経済産業省)・自治省建設省が合同して行った斜面崩落実験が、当初想定以上の崩壊を起こす。実験の関係者や取材陣が巻き込まれ、15人が死亡。
1972年(昭和47年)7月5日 - 繁藤災害。高知県香美郡土佐山田町(現・香美市)の追廻山が湿舌による集中豪雨から断続的に崩壊。最初の小崩壊で巻き込まれた消防団員を捜索していたところに大規模な崩壊が襲い(二次災害)、救援活動にあたっていた関係者や土讃本線繁藤駅の駅員さらには駅に停車中の列車の乗客・乗員など60人が死亡。
1978年(昭和53年) - 新潟県中頸城郡妙高高原町(現・妙高市)で雪解け水から白田切川河岸一帯の地盤が緩み、泥流が発生。断続的に地滑りが発生し、救助隊も巻き込まれる二次災害も発生した。
1985年(昭和60年)7月26日 - 地附山地滑り災害。長野県長野市の地附山で集中豪雨から地すべり発生。戸隠バードラインが寸断され、中腹にあった老人ホームが崩壊し26人が死亡。
1999年(平成11年)6月29日 - 6.29豪雨災害。梅雨前線の活発化による豪雨から真砂土の崩壊による土石流が広島市安佐北区佐伯区と呉市を中心に発生。広島県下だけでも31人が死亡し、1人が行方不明。
2006年(平成18年)2月17日 - フィリピンの南レイテ州サンベルナルドで地震の後に地滑りが発生し、村一つを飲み込む。50人の死者を確認、また約1,500人が行方不明となった。
2009年(平成21年)8月8日 - 台湾の高雄県甲仙郷小林村(現・小林里)で、台風によって山が崩壊(深層崩壊)。大量の土砂が村を埋没させた。これにより491人が行方不明となった。
2013年(平成25年)10月15日 - 東京都大島町の三原山からの噴出物からなる地盤が台風26号による大雨によって崩落。元町地区を中心に建物が損壊し、47人が死亡・行方不明となる。
2014年(平成26年)8月20日 - 平成26年8月豪雨による広島市の土砂災害。広島市安佐北区と安佐南区一帯で局地的豪雨により土石流が発生。
2018年(平成30年)9月6日 - 北海道胆振東部地震。震度7を観測した北海道厚真町を中心に被害が発生。厚真町の吉野地区では大規模な土砂崩れが発生し、住民34人のうち19人が死亡した。
水没事故[edit source]
1916年(大正4年)4月12日 - 周防灘沖を採掘していた東見初炭鉱で落盤から海水が流入し水没、235人が死亡・行方不明。
1920年(大正10年)12月30日 - 新浦炭鉱の坑道が落盤し周防灘の海水が流入、34人が死亡。坑道は閉鎖され、長生炭鉱の一部として採掘が続けられた。
1938年(昭和13年)6月29日 - 東京高速鉄道の建設現場が折からの豪雨で水没、作業員1人が死亡。
1942年(昭和17年)2月3日 - 長生炭鉱の坑道が落盤し海水が流入、183人が死亡。
1960年(昭和35年)9月20日 - 福岡県田川郡川崎町で、集中豪雨による中元寺川の増水から河底を採掘していた上尊鉱業豊州炭鉱が落盤。川の水が大量に流れ込み坑内が水没、67人が死亡。
1965年(昭和40年)7月27日 - 神奈川県小田原市の西湘バイパス新酒匂橋工事現場で潜函工法作業中のところ圧縮空気を送っていたポンプが故障、ケーソンが水没し作業員6人が死亡。
1969年(昭和44年)4月1日 - 東京都荒川に架かる新四ツ木橋の基礎工事作業中に水止めの鋼矢板が崩壊して水没、出稼ぎの作業員8人が死亡。
1976年(昭和51年)1月30日 - 東京都中央区日本橋室町での地下鉄半蔵門線工事現場で、日本橋川の水が流入。地盤沈下や建物にヒビが入る被害が出て、同地域一帯での工事は2か月以上中断した。
1980年 - アメリカ合衆国のルイジアナ州ジェファーソン島パイヌール湖にて、湖底下の塩坑に水が流入。島やメキシコ湾の海水も巻き込んだことで、湖が塩湖と化した。
1991年(平成3年)9月19日 - 国分川分水路トンネル水没事故。千葉県松戸市二十世紀が丘の放水路トンネル建設現場に氾濫した国分川の水が流れ込み、作業員7人が死亡。
2008年(平成20年)8月5日 - 東京都豊島区雑司が谷の下水道工事現場で、工事中の下水道内で急激な増水により5人が流されて死亡。
2012年(平成24年)2月7日 - 倉敷海底トンネル事故。 岡山県倉敷市水島コンビナート・JX日鉱日石エネルギー(現・ENEOS)水島製油所内でパイプライン用海底トンネルをシールド工法で施行中に、掘進中のシールドに海水が流入して水没。作業にあたっていた下請けの5人が死亡。
落雷事故[edit source]
「落雷」も参照
1955年(昭和30年)8月3日 - 長野県下伊那郡阿智村でキャンプ中のテントに落雷。4人死亡、5人負傷。
1963年12月8日 - パンアメリカン航空214便墜落事故。アメリカ合衆国のメリーランド州上空を飛行中の旅客機が落雷のため空中爆発し墜落。81人死亡。
1967年(昭和42年)8月1日 - 西穂高岳落雷遭難事故。長野県松本市の長野県松本深志高等学校2年生の登山パーティーが西穂高岳登山中に雷雨に遭遇、避難中に落雷の直撃を受け11人死亡、13人負傷。
1981年(昭和56年)7月21日 - 東京都あきる野市の秋川渓谷でキャンプ中に落雷。1人死亡、2人負傷。
1990年(平成2年)8月26日 - 宮城県柴田郡村田町で開催中のスーパーバイク世界選手権で、午後のレース待ち時に雷雨。主催者の用意したテントに入りきれなかった一部観客が松林で雨宿りしていたところに落雷が直撃、15人が負傷。
1996年(平成8年)
4月27日 - 新潟県北魚沼郡広神村(現・魚沼市)で風呂場付近の落雷が原因で火災が発生、小学生2人が焼死、4人負傷。
8月13日 - 大阪府高槻市でサッカーの試合中に落雷、頭部に直撃を受けた土佐中学校・高等学校高校サッカー部男子生徒(当時16歳)が両眼失明、下肢機能全廃、上肢運動能力減弱、言語障害の重度後遺障害を負う。試合を主催した市体育協会などが3億円の賠償金を支払うことになった[28][29]。
2005年(平成17年)4月21日 - 中国の重慶市の火薬工場に落雷、直後に大爆発。作業員19人が死亡、10人負傷。
2007年(平成19年)5月23日 - 中国の重慶市開県興業村の小学校校舎に落雷。避雷工事が未実施の校舎で窓から2教室内に雷が侵入、窓近くの壁に体を接して着席していた学童7人が死亡、44人が負傷。
2013年(平成25年)10月5日 - インドビハール州で5日から翌6日にかけてモンスーンによる天候悪化から落雷が多発、子ども9人を含む32人が死亡。
2014年(平成26年)8月6日 - 愛知県丹羽郡扶桑町で誠信高等学校野球部所属の男子生徒投手(当時17歳)が試合中、ピッチャーマウンドで落雷を受け死亡。
洞窟事故[edit source]
「洞窟」も参照
2018年(平成30年)6月23日 - タイ北部のチエンラーイ県に位置するタムルアン洞窟にて、現地のサッカーチーム「ムーパ・アカデミー」のコーチ1人と少年ら12人の計13人が洞窟に閉じ込められる事故が発生した。この地域ではちょうど雨季に入っており、洞窟探検中に川の水が入り込んで水位が上昇して引き返せなくなったとされる。救助チームのダイバー1人が亡くなったが、翌月10日までに13人全員が無事救出された(参照)。
[30][31]。
食品事故[edit source]
「食の安全」も参照
異物混入[edit source]
1858年 - ブラッドフォード毒入り菓子中毒事件(英語版)。イギリスのイングランドウェスト・ヨークシャーブラッドフォードで屋台で売られていた菓子にヒ素が混入、児童ら200人以上が死亡しイギリスで食の安全に対する法的整備が進むきっかけとなった。
1933年 - ある業者が粕取り焼酎の嵩増し用にメタノールを混入。30名がメタノールの中毒で死亡し、失明など多くの被害者を生んだ。
1955年 - 森永ヒ素ミルク中毒事件。森永乳業が製造した粉ミルクにヒ素が混入。結果、1万3,000名もの乳児がヒ素中毒になり、130名以上が中毒死、多数に後遺症が残った。
1968年 - カネミ油症事件。食用油脱臭のために熱媒体として使用されていたPCBが配管作業ミスによる配管部から漏れて混入し、加熱によりダイオキシンに変化。結果、多数が健康被害を受けた。
1971年 - イラク穀物水銀中毒事件(英語版)。アメリカ合衆国やメキシコから輸入されたメチル水銀で消毒済みの大麦や小麦の種子が誤って食用に供せられ、公式発表で650人が死亡。実際にはその10倍以上もの死者が出たと推定される。
1981年 - スペイン変性油中毒事件(スペイン語版)。オリーブ・オイルに有毒な工業用の油が混入、スペイン全土で2万5,000人が発症し、600人が死亡。
2005年 - フィリピンボホール州にて露天商が販売していたキャッサバの揚げ物に誤って有機リン系の農薬が混入し、小学生ら27人が死亡し100人以上が入院。
食中毒[edit source]
詳細は「食中毒」を参照
製品・機器・器具事故[edit source]
PL法に絡む事故。
一酸化炭素中毒事故[edit source]
1962年(昭和37年) - 山梨県南都留郡山中湖村の山中湖畔の別荘で、準工業用のプロパンガス調整器を取りつけていたことから、不完全燃焼が発生。泊まりに来ていた10人が一酸化炭素中毒死。
2005年(平成17年) - パナソニック#FF式石油温風機の欠陥による死亡事故。松下電器産業(現・パナソニック)が販売したFF式石油温風機使用による一酸化炭素中毒事故で死亡者が出たことが発覚。対象機種の引き取りもしくは点検修理を継続して告知している[32]。
2006年(平成18年) - パロマ湯沸器死亡事故。パロマ工業(現・パロマ)が製造した屋内設置型のFE式瞬間湯沸器で、不完全燃焼による一酸化炭素中毒事故が多数発生していたことが経済産業省により発表され、最終的に28件、21人が死亡していた。前述のパナソニック同様、点検・回収作業の告知を継続して実施している[33]。
2008年(平成20年)7月30日 - 大阪府大阪市東住吉区の製パン店「石窯パンの店 ベーカリーファクトリー ゴッホ」で、強制排気装置をアルバイト店員が誤って止めたために、客と従業員計12人が一酸化炭素中毒となった[34]。
発煙・発火・破裂事故[edit source]
2001年(平成13年) - 日立アプライアンス、洗濯乾燥機において、発煙・発火事故 (2001年(平成13年)8月から2003年(平成15年)4月)[35]。
交通事故[edit source]
2000年(平成12年) - 2004年(平成16年) - 三菱リコール隠し。三菱自動車工業製の自動車に構造的欠陥があったにもかかわらず同社はリコールを隠蔽し、脱輪などに起因する人身事故が数十件発生。
建造物崩壊[edit source]

サウスフォークダム崩壊によるジョーンズタウン市街地の被害
1879年 - ロンドンビール洪水。イギリスのロンドンにて醸造中のビール樽が破裂して大量のビールが噴出、2棟が全壊し9人が死亡。
1879年 - ディー橋事故。イギリスのイングランドチェシャーチェスターにあるディー橋が嵐に襲われ、走行中の列車を巻き込んで崩壊。75人が死亡した。
1889年 - アメリカ合衆国のペンシルベニア州ジョンズタウンのサウスフォークダムが激しい雨のため崩壊し、2,209人の死者を出す大惨事となった。
1919年 - ボストン糖蜜災害。アメリカ合衆国のマサチューセッツ州ボストンにあった糖蜜貯蔵用の貯槽(容量約870万リットル)が崩壊し、糖蜜の津波(高さ2.5 - 4.5メートル、時速60キロ)が市街地に押し寄せた。21人が死亡、150人以上が負傷した。
1940年 - アメリカ合衆国のワシントン州ピュージェット湾タコマナローズ海峡に架かるタコマナローズ橋が、当時いまだ耐風設計技術が未熟だったことにより施工中から風により激しく揺られ、竣工後間もなく落橋。死傷者はなかった(ただし、橋上の車にいた犬が死亡している)。
1955年(昭和30年) - 安倍鉱業ボタ山崩落事故。長崎県佐世保市の安倍鉱業で集中豪雨からボタ山が崩壊。麓の炭住45戸を押し潰した。
1959年 - フランスのプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏ヴァール県のレイラン川にあったマルパッセダムが大雨で湛水中に基礎地盤の地すべりが発生しダム本体が崩壊、下流の村を巻き込む水害となり死者421人。
1975年(昭和50年) - 中国の河南省で豪雨に伴い淮河流域の河川が増水、板橋ダム、石漫灘ダムなど大小合わせて62か所のダムが連鎖的に決壊。流域の住民や救援活動を行っていた軍兵士ら1,827人が死亡、全体でも推定2万6,000人が死亡したといわれている。
1981年 - ハイアットリージェンシー空中通路落下事故。アメリカ合衆国のミズーリ州カンザスシティのハイアットリージェンシーホテルにあった空中通路が設計のミスにより崩壊。ダンス大会に集まっていた人々を直撃し、114人が死亡した。
1986年(昭和61年) - シンガポールのホテルニューワールドで、設計ミスから建物が倒壊。33人が死亡。
1989年(平成元年)
福井県丹生郡越前町玉川の国道305号脇の岩盤が崩壊。現場を走行中のマイクロバスを押し潰し、バスに乗っていた15人が死亡した。
北朝鮮の黄海北道(ファンヘブクト)の金川郡(クムチョングン)を流れる礼成江(レソンガン)で工事中の橋が崩壊し、橋上で工事中の軍人500人以上が死亡。金日成の誕生日までに完成せよとの指示を受け、無理な短縮工事をしたことが原因。
1994年(平成6年) - 韓国のソウル特別市にある聖水大橋が手抜き工事のため崩壊し、橋を通行中の乗用車やスクールバスが巻き込まれ、32人が死亡した。
1995年(平成7年) - 韓国のソウル特別市瑞草区にある三豊百貨店が営業中、突然5階建ての建物の半分が崩壊し、死者502人を出した。
1996年(平成8年) - 北海道古平郡古平町の国道229号にある豊浜トンネル平側坑口の約44メートルで岩盤が崩落して、乗用車1台と路線バス1台が下敷きになった。20人が死亡。
1998年 - アメリカ合衆国のニューヨーク州で建設中のペデトリアン橋が生コンクリートの流し込み作業中に崩落、1人死亡、10人が重軽傷。橋の構造や作業に問題はなかったが、乾燥した状態よりはるかに重い生コンクリートの重量に耐えられなかった(同様の事故は以前にも発生している)。
2001年 - イスラエルのエルサレムタルピオット地区にあった4階建てのベルサイユ結婚式場で、結婚式の最中に3階の大部分が1階まで崩落して23人が死亡し380人が負傷。違法工事が原因だった。
2002年 - アメリカ合衆国のフロリダ州マイアミ中心街の跳ね橋、ウェストフラグラーストリートブリッジのコントロールタワーが崩壊し、オペレーターが重傷を負った。のちの調査で建設計画の青図から構造上の欠陥が発見されたが、毎年定期検査を行っているにもかかわらず38年間崩落するまでその部分は問題とはならなかった。
2007年 - ミネアポリス高速道路崩落事故。アメリカ合衆国のミネソタ州にあるセントポール - ミネアポリス間を結ぶ州間高速道路35W号線ミシシッピ川橋が崩落。ラッシュアワーと重なり60台以上の車が転落、9人が死亡、4人が行方不明。
2009年 - マレーシアのトレンガヌ州クアラトレンガヌにて完成間もない5万人規模のスルタン・ミザン・ザイナル・アビディン・スタジアムの屋根が崩落。競技などは開催されていなかったため死傷者は出なかった。
2012年 - 笹子トンネル天井板落下事故。山梨県大月市の中央自動車道にある笹子トンネルで天井板のコンクリート板がおよそ110メートルにわたって落下。3台の車が巻き込まれ、9人が死亡。
2013年
ムンバイ近郊ビル倒壊事故。インドのインドマハーラーシュトラ州ターネーで建設中の7階建てビルが突然倒壊。74人が死亡した。
ダッカ近郊ビル崩落事故。バングラデシュのダッカ近郊の8階建ての商業ビルが崩壊。死者1,127人、負傷者2,500人以上。
リガスーパーマーケット屋根崩落事故。ラトビアのリガにあるスーパーマーケットの屋根が突然崩壊。二次被害の犠牲者も合わせて死者50人以上。
2014年 - 北朝鮮の平壌市平川区域の23階建てのアパートが建設中に崩壊。すでに入居中の労働党や軍関係者、新興資本家勢力ら多数の死者を出した。
2019年 - 台湾の宜蘭県蘇澳鎮にある南方澳大橋が崩落、5名が死亡した、12名が負傷[36]
その他[edit source]
放送事故[edit source]
詳細は「放送事故」を参照
一気飲み事故[edit source]
飲料品を、一気に飲んだりすることにより、中毒や呼吸困難になり窒息する事故。
詳細は「アルコールハラスメント#イッキ飲み」を参照
1988年(昭和63年) - 高崎経済大学の新入生歓迎会で、同大学の新入生が清酒約5合を一気飲みして急性アルコール中毒になって死亡。
1991年(平成3年) - 中央大学の学園祭で一気飲みコンテストに参加した、他大学の学生が心不全となり死亡。
2007年 - アメリカ合衆国のカリフォルニア州サクラメントでラジオ局が主催した大量の水を飲むことを競うイベントにて、7.6リットルの水をトイレに行かずに飲み干した28歳の女性が水中毒により死亡。
2008年(平成20年) - 一橋大学小平国際キャンパス内の自治学生寮で行われた新入生歓迎コンパに参加していた同大1年の男子学生が急性アルコール中毒で死亡。
一気喰い[edit source]
食料品を一気に食べることなどにより、中毒や呼吸困難になり窒息する事故。
2002年(平成14年)1月15日 - 愛知県尾西市(現・一宮市)の中3男児が、友人らとの早食い競争で給食パンをのどに詰まらせ窒息死。この事故は同年4月27日に報道されたが、これをきっかけに、当時放映されていた早食い・大食いを題材とした番組が制作をとりやめた。
2008年(平成20年) - 千葉県船橋市で小6男児が給食パンをのどに詰まらせ窒息死[37]。
誤食・誤飲事故[edit source]
乳幼児や高齢者に多く、食料品や飲料品以外のものを食べたり飲んだりして窒息や中毒を起こす事故。誤食・誤飲には、煙草、ボタン型電池、お金、薬などがある。
「誤飲」も参照
酸欠事故[edit source]
おもに、地下ピットや地下道などで酸素が欠乏して起こる事故。
工事にて作業を行う場合には、労働安全衛生法に基づく資格(酸素欠乏危険作業者または酸素欠乏危険作業主任者)が必要。
有害物質・微生物の漏出事故[edit source]
化学工場や保管所などから有害物質や有害微生物が漏れ出し、周囲に被害を与える事故。
「原子力事故」および「バイオハザード」も参照
1976年7月10日 - セベソ事故。イタリアのロンバルディア州モンツァ・エ・ブリアンツァ県セーヴェゾの農薬工場で爆発が発生。ダイオキシンが飛散し周辺住民や家畜が被曝。
1978年8月 - イギリスのイングランドウェスト・ミッドランズバーミンガムにあるバーミンガム大学で天然痘ウイルスが漏洩。大学職員のジャネット・パーカーが天然痘に罹患し死亡(天然痘による世界最後の死者)。
1979年 - ロシアのスヴェルドロフスク州スヴェルドロフスク(現・エカテリンブルク)の生物兵器研究所において、炭疽菌の流出事故が発生。詳細は「炭疽菌#生物兵器に関連するとされる事件」の「スヴェルドロフスクの研究所事故」を参照。
1984年12月3日 - ボパール化学工場事故。インドのマディヤ・プラデーシュ州ボーパールの化学工場からイソシアン酸メチルが流出し、数か月以内に3,500人以上、最終的には1万5,000人から2万5,000人が死亡したともされる。
1987年9月 - ゴイアニア被曝事故。ブラジルのゴイアス州ゴイアニアで廃病院に放置されていた放射線治療用機器から放射線源が盗み出され、放射線源と気づかれないまま解体業者に引き渡され放射性物質が漏出。同年12月までに249人が汚染され、20人が入院治療を要し、4人が死亡した[38]。
2012年9月27日 - 亀尾フッ化水素酸漏出事故。韓国の慶尚北道亀尾市の化学工場からフッ化水素酸が漏出。5人が死亡、消防隊員・周辺住民合わせて4,000人あまりが診察または治療を受けた。また、農地や家畜への被害のほか、500台以上の自動車の腐食が報告された。
リング禍(格闘技の試合中における事故)

Liste de morts insolites

2021-03-26 23:20:23 | 事件
Cette liste de morts insolites regroupe des décès ayant été considérés comme insolites ou sortant de l'ordinaire par des sources ou auteurs qui les ont répertoriés comme tels, dont Henri Pigaillem dans son Histoires insolites des morts célèbres et absurdes ou David Alliot, et al. pour La Tortue d'Eschyle et autres morts stupides de l'histoire. L'authenticité de certaines de ces histoires peut cependant être incertaine.

Ravisius Textor dresse dans l’Officina (de) une liste de morts insolites1 ; cette liste est utilisée par Rabelais2, de même que par Montaigne3.


Sommaire
1 Antiquité
1.1 Avant Jésus-Christ
1.2 Après Jésus-Christ
2 Moyen Âge
3 Temps modernes
3.1 XVIe siècle
3.2 XVIIe siècle
3.3 XVIIIe siècle
3.4 XIXe siècle
3.5 XXe siècle
3.6 XXIe siècle
4 Notes et références
5 Voir aussi
5.1 Bibliographie
5.2 Articles connexes
Antiquité[modifier | modifier le code]
Avant Jésus-Christ[modifier | modifier le code]
Attention, la plupart des morts rapportées pour cette période ont un caractère incertain, voire légendaire.


Le dramaturge grec Eschyle meurt après avoir reçu une tortue sur la tête4.
600 av. J.-C.
Auteur éponyme des législations draconiennes, Dracon serait mort étouffé par des vêtements, des tuniques, des manteaux, jetés sur lui par la population d'Égine5,6.
564 av. J.-C.
Pris dans un étranglement dans la finale olympique de Pancrace, Arrichion de Phigalia, réussit à déboîter le pied de son adversaire, le forçant à l'abandon, mais l'étranglement lui brise la nuque dans leur chute commune. L'adversaire ayant concédé la défaite, c'est le cadavre d'Arrichion qui est couronné vainqueur olympique[réf. nécessaire].
540 av. J.-C.
Selon certaines sources, Milon de Crotone, athlète grec connu pour sa force prodigieuse, aurait voulu tester celle-ci en achevant de fendre un arbre ouvert en deux. Mais il aurait présumé de ses forces et ses mains seraient restées coincées dans le tronc de l'arbre. Immobilisé, incapable de se défendre, il aurait été dévoré par des loups7,8.
476 av. J.-C.
Charondas, philosophe et législateur grec, se donne la mort parce qu'il a violé l'une des lois qu'il avait promulguées : pour éviter les violences lors des débats publics, il fait proclamer que quiconque portera une arme sur l'agora sera puni de mort. S'y présentant armé par inadvertance, il s'applique à lui-même la sanction prévue9. La véracité de cet événement est toutefois suspecte du fait qu’il a également été attribué à Dioclès10 et à Zaleucos11.
456 av. J.-C.
Le dramaturge grec Eschyle est tué par un rapace — probablement un gypaète barbu — qui laisse tomber une tortue vivante sur lui, confondant son crâne chauve avec une pierre4.
207 av. J.-C.
Chrysippe de Soles, philosophe stoïcien : au cours d'un banquet auquel il est invité, regardant un âne manger des figues il dit à la vieille femme qui possédait l’âne : « Donne maintenant à cet âne un peu de vin pur pour faire passer les figues » et serait mort d’un fou rire4,12. Il s'agissait vraisemblablement d'un jeu de mot entre âne (ὄνος) et vin (οἶνος). Cependant, cette version de la mort de Chrysippe de Soles n'est pas la plus probable ; il aurait également pu mourir d'avoir bu du vin non coupé d'eau, à l'occasion d'un sacrifice où un de ses élèves l'aurait invité13.

Le supplice de Crassus, qui aurait été forcé à boire de l'or en fusion, peint par Lancelot Blondeel au xvie siècle.


Le Suicide de Porcia, s'apprêtant à manger des charbons, par Pierre Mignard (1612-1695), musée des beaux-arts de Rennes.
53 av. J.-C.
L'historien Dion Cassius a relaté avec réserve cet épisode de la mort de Marcus Licinius Crassus, réputé pour son avidité, : les Parthes, du moins à ce qu'on rapporte, versèrent dans sa bouche de l'or fondu, en l'insultant par des sarcasmes14. Quoique douteux, l'épisode est repris en raison de son côté spectaculaire. Crassus est vaincu à la bataille de Carrhes par le général parthe Suréna. Pour moquer l'avidité de son prisonnier, Suréna lui fait couler de l'or en fusion dans la bouche en lui disant : « Rassasie-toi donc de ce métal dont tu es si avide ! »15. Puis le général fait trancher la main et la tête de Crassus et envoie ces trophées au roi Orodès II16.
42 av. J.-C.
Porcia, femme de la Rome antique et fille de Caton d'Utique, se suicide en avalant volontairement des charbons ardents lorsqu'elle apprend la mort de son mari Brutus17,18. Cependant, les historiens modernes ne croient pas à cette version et pensent que Porcia a fait brûler du charbon dans une pièce sans aération et succombé au monoxyde de carbone19.
Après Jésus-Christ[modifier | modifier le code]

Représentation de la mort de Pline l'Ancien pendant l'éruption du Vésuve en 79, parue dans Le Monde illustré en 1888.
Vers 20 ap. J.-C.
Claudius Drusus, fils de Claude et de Plautia Urgulanilla, meurt à Pompéi en s'étouffant avec une poire qu'il avait lancée en l'air et tenté de rattraper dans sa bouche20.
Marcus Gavius Apicius, riche citoyen romain amateur des plaisirs de la table, décide de mettre fin à ses jours en ingérant un breuvage mortel après avoir appris que sa fortune est tombée à dix millions de sesterces21.
79
Pline l'Ancien, naturaliste romain, meurt lors de l'éruption du Vésuve — qui provoqua la destruction de Pompéi. Voulant observer le phénomène au plus près et désirant porter secours à quelques-uns de ses amis en difficulté sur les plages de la baie de Naples, il partit avec ses galères, traversant la baie jusqu'à Stabies où il mourut, probablement étouffé22.
Moyen Âge[modifier | modifier le code]

Mise à mort de Brunehaut.
613
La reine mérovingienne Brunehaut, bien qu'âgée de plus de 60 ans et arrière-grand-mère, est mise à mort sur ordre de Clotaire II, un bras et une jambe attachés à la queue d'un cheval en furie23. Avant son exécution, elle est promenée nue sur le dos d'un chameau à travers le camp du roi23.
882
Le roi Louis III, arrière-arrière-petit-fils de Charlemagne, alors qu'il poursuit à cheval une jeune fille qui résiste à ses avances, heurte violemment un linteau de porte trop bas et se fracasse le crâne24.
932
Theinhko, roi birman, est tué par le fermier auquel il avait volé des concombres. Par peur du désordre, son épouse introduisit le meurtrier au palais et le revêtit des habits du roi. Il fut ainsi proclamé roi sous le nom de Nyaung-U Sawrahan et il fut surnommé « le roi concombre »25,26.
1131

Représentation de la mort de Philippe de France, tombé de son cheval qui avait été effrayé par un porc
Philippe de France (1116-1131), fils aîné et héritier du roi Louis VI, est tué à l'âge de 15 ans dans un accident causé par un cochon, qui aurait effrayé sa monture.
1190
Frédéric Barberousse, empereur germanique, se noie accidentellement dans le fleuve Göksu Nehri, dans l'actuelle Turquie, au cours de la troisième croisade. Barberousse portant son armure, l'hydrocution provoquée par le choc thermique (nous sommes au mois d'août) entraîne la noyade de l'empereur7.
1242
Enguerrand III de Coucy, dit le bâtisseur, se tue en tombant de cheval et en s'empalant sur son épée sortie du fourreau alors qu'il traverse un gué.
1277
Le pape Jean XXI meurt écrasé, victime de l'effondrement d'un plafond de la cathédrale de Viterbe dont il dirigeait les travaux27.
1380
Bertrand Du Guesclin, connétable de France, meurt d'une pneumonie ou d'une dysenterie, provoquée par le fait d'avoir bu trop d'eau glacée après avoir combattu en plein soleil4.
1478
Condamné à mort, George, duc de Clarence choisit d'être exécuté par noyade dans une barrique de vin de Malvoisie28,29,30.
1498
Le roi de France Charles VIII meurt après avoir heurté violemment un linteau de porte du château d'Amboise alors qu'il se rendait, à pied, au jeu de paume24.
Temps modernes[modifier | modifier le code]
xvie siècle[modifier | modifier le code]

Gravure de Hendrik Hondius I montrant trois femmes affectées par la peste dansante.
1518
Durant l'Épidémie dansante de 1518, 400 personnes dansèrent sans se reposer durant plus d'un mois, certaines d'entre elles décédèrent de crise cardiaque, d'accident vasculaire cérébral ou d'épuisement31.
1519
Le 12 janvier, l'empereur Maximilien Ier de Habsbourg meurt d'une consommation excessive de melon au retour d'une partie de chasse, tout comme son père, l'empereur Frédéric III 26 ans plus tôt27.
1556
Pietro Aretino, un écrivain et dramaturge italien, meurt par suffocation - ou par une chute lui fendant le crâne - causée par un fou rire incontrôlable32.
1559
Henri II, lors des joutes organisées pour le mariage de sa fille Elisabeth avec Philippe II d'Espagne, se mesure à Gabriel de Montgomery, capitaine de sa Garde écossaise. Il reçoit un coup de lance en plein visage, que la grille en or de son heaume n'arrête pas. La lance traverse l’œil. Malgré les soins d'Ambroise Paré et d'André Vésale, le roi meurt quelques jours plus tard33.
1567
Hans Steininger, le maire de Braunau en Autriche, meurt le cou brisé après avoir marché sur sa propre barbe. Sa barbe, qui faisait 4,5 pieds (soit près de 1,4 mètre de long) était généralement enroulée dans un étui en cuir34,35.
1599
Nandabayin, roi birman, meurt de rire en apprenant d'un marchand italien que Venise était une république et n'avait pas de roi25.
xviie siècle[modifier | modifier le code]
1601
Tycho Brahe, astronome danois, meurt d'une rétention urinaire. La cause de cette affection n'est pas définie avec exactitude. La première explication est que l'astronome, voyageant avec l'empereur des Romains Rodolphe II, s'est retenu durant un long trajet, n'osant interrompre le voyage de l'empereur pour satisfaire un besoin naturel. La seconde explication est que Brahe, invité d'honneur d'un dîner mondain, n'ose pas se retirer pour soulager sa vessie36. Quoi qu'il en soit, la mort du scientifique a inspiré une expression tchèque — « Je ne veux pas mourir comme Tycho Brahe » — pour indiquer un besoin pressant37,38.
1641
Louis de Bourbon-Soissons se tue accidentellement pendant la bataille de la Marfée. En effet, il avait la fâcheuse habitude de relever la visière de son casque avec son pistolet ; le coup partit, le tuant sur le coup.
1671
François Vatel, maître d'hôtel français au service du prince Louis II de Bourbon-Condé, se suicide pendant une réception donnée par le prince en l'honneur de Louis XIV, à cause du retard dans la livraison de la pêche du jour21.
1687
Jean-Baptiste Lully, surintendant de la musique de Louis XIV, meurt de la gangrène à la suite d'une blessure au pied due à son « bâton de direction », longue et lourde canne surmontée de rubans et d'un pommeau richement orné servant à l'époque pour battre la mesure en frappant le sol. Il se blesse durant une répétition du Te Deum prévu pour célébrer le rétablissement du roi21.
xviiie siècle[modifier | modifier le code]
1766
Stanislas Leszczynski, ancien roi de Pologne et père de la reine Marie, épouse de Louis XV, se réchauffe devant sa cheminée quand sa robe de chambre prend feu. Malgré tous les soins qu'on lui apporte, le roi meurt le 23 février 176639.
1771
Le roi Adolphe Frédéric de Suède meurt à la suite de problèmes de digestion. Il venait de faire un repas composé de homards, caviar, choucroute, kipper (hareng rouge) et de poisson fumé40. Le tout était arrosé de champagne. Il reprit 14 fois de son dessert favori, le semla, servi dans un bol de lait chaud. Les écoliers suédois se souviennent de lui comme « le roi qui mangea jusqu'à en mourir »41.
1780
Nicolas Gilbert, poète français, meurt après avoir avalé la clef de sa cassette au cours d'un accès de démence42.
xixe siècle[modifier | modifier le code]
1842
Jules Dumont d'Urville, explorateur français, décède dans la catastrophe ferroviaire de Meudon. L'homme qui fit plusieurs fois le tour du monde, qui découvrit la Terre Adélie et qui fit ramener en France la Vénus de Milo, meurt dans un accident de train en rentrant d'une promenade en famille39. Les compartiments sont — à cette époque — verrouillés de l'extérieur durant le trajet ; les voyageurs sont bloqués dans l'incendie déclenché par l'accident.
1864
George Boole, mathématicien et logicien à l'origine de l'algèbre de Boole, décède des suites d'une pneumonie, après que sa femme, Mary Everest Boole, l'aspergea d'eau au moyen de plusieurs seaux. Contemporaine et adepte des idées de Samuel Hahnemann, inventeur de l'homéopathie, elle pensait soigner son mari d'un banal refroidissement en appliquant certains principes homéopathiques (soigner le mal par le mal)43.
1871
Clement Vallandigham, un avocat et homme politique nord-américain, veut prouver d'une façon irréfutable l'innocence d'un de ses clients, accusé d'homicide lors d'une fusillade dans un bar. Il reconstitue les faits d'une manière si réaliste qu'il se blesse mortellement avec un pistolet qu'il croyait déchargé44.
1884
Allan Pinkerton, un détective privé, glisse dans la rue et chute sur le trottoir. Il s'est mordu la langue, mais n'y prête guère attention. La gangrène s'installe, amenant sa mort le 1er juillet 188439.
xxe siècle[modifier | modifier le code]
Années 1910[modifier | modifier le code]
Fichier:Reichelt.ogv
Vidéo du saut fatal de Franz Reichelt.
1911
Jack Daniel, fondateur de la distillerie Jack Daniel's, meurt d'un empoisonnement sanguin résultant de complications dues à une blessure à l'orteil qu'il s'était infligée en donnant un coup de pied à son coffre-fort, dont il avait oublié la combinaison… six ans auparavant45.
1912
Le tailleur Franz Reichelt, âgé de 33 ans, se tue en sautant du premier étage de la tour Eiffel alors qu'il veut tester en public son invention, le manteau-parachute46.
1916
Le mystique russe Raspoutine fut supposément empoisonné au cyanure, avant de recevoir trois coups de pistolet (dont un à la tête). Il fut ensuite enveloppé dans un sac pour être finalement jeté dans l'eau glacée de la Neva à Saint-Pétersbourg. À l'autopsie, on retrouva de l'eau dans ses poumons, prouvant qu'il respirait encore malgré le poison et les balles47.
1918
Augustin Trébuchon, soldat français de 1re classe et estafette du 415e régiment d'infanterie, meurt d'une balle dans la tête cinq minutes avant le cessez-le-feu, le jour de l'armistice de 1918, à Vrigne-Meuse, (Ardennes), en allant porter un message à son capitaine39. Il est le dernier soldat français mort au combat de la Première Guerre mondiale.
Henry Gunther, soldat américain, meurt de cinq balles de mitrailleuse à 10 h 59, soit une minute avant le cessez-le-feu, le jour de l'armistice de 1918, dans la Meuse. Il est officiellement le dernier soldat tué de la Première Guerre mondiale48.
Années 1920[modifier | modifier le code]
1920
Alexandre Ier de Grèce, roi des Hellènes, se promenait sur les terres du domaine de Tatoï (au nord d'Athènes) quand son berger allemand est attaqué par un singe domestique. Le roi tente de séparer les deux animaux, mais un second primate l'attaque et le mord profondément à la jambe et dans la région de l’estomac, lui causant une septicémie49. Il meurt trois semaines plus tard à l'âge de 27 ans.
1923
Frank Hayes, jockey américain, meurt d'un infarctus du myocarde durant une course hippique. Le cheval, Sweet Kiss, gagne la compétition, faisant de Hayes le premier jockey mort à remporter une course50.
Un pensionnaire du théâtre de la Porte-Saint-Martin est mort « parce qu'il ne savait pas se moucher ». Selon Le Matin, J. Daragon, grippé, a envoyé des microbes dans son oreille moyenne en se débouchant le nez, qui provoque une otite moyenne aiguë. L'infection qui, à l'époque, échappe aux médicaments, a gagné le cerveau, provoquant une méningite mortelle. Le docteur P.-L. Rehm explique que « pour se moucher sans danger, il faut […] appuyer tour à tour sur chaque narine, une seule chaque fois. »51
1926
Harry Houdini, célèbre prestidigitateur, décède d'une péritonite consécutive à une rupture de l'appendice, après que Joselyn Gordon Whitehead, étudiant de l'Université McGill de Montréal, l'a frappé au ventre plusieurs fois. En effet, au début de ses spectacles, Houdini avait l'habitude de demander à une personne du public de lui donner un coup de poing


1978
Georgi Markov, dissident bulgare, meurt assassiné par empoisonnement à Londres. Un inconnu lui injecte dans la jambe une petite bille métallique contenant de la ricine, un poison violent, à l'aide d'un parapluie bulgare77.
Kurt Gödel, mathématicien et logicien austro-américain, meurt de faim alors que sa femme a été hospitalisée78 : il était convaincu de l'existence d'un complot visant à l'empoisonner. Gödel souffrait de paranoïa extrême et refusait de consommer toute nourriture préparée par quelqu'un d'autre. Il pesait alors environ 30 kilos79.
1979
Robert Williams, ouvrier dans une usine Ford, est le premier homme à être tué par un robot industriel80. Il meurt après avoir été heurté en pleine tête par le bras métallique d'un robot81.
Années 1980[modifier | modifier le code]
1981
Kenji Urada, ouvrier dans une usine japonaise, est tué par un robot industriel défectueux sur lequel il travaillait dans une usine de Kawasaki au Japon. Le robot l'a poussé dans une machine à broyer82.
1982
David M. Grundman, 27 ans, s'amuse dans le désert, à la sortie de Phoenix en Arizona. Il tire deux coups de fusil sur un cactus Saguaro géant. Ses coups de feu font se détacher une partie du cactus, haute de sept mètres, qui lui tombe dessus. Il meurt écrasé83,84.
1983
Richard Wertheim, juge de ligne de tennis, meurt après avoir reçu une balle de tennis dans l'aine à l'USTA National Tennis Center de New York lors de la demi-finale du tournoi juniors de l'US Open opposant Stefan Edberg à Patrick McEnroe. Cherchant à éviter la balle d'un premier service du suédois, il tombe à terre et se fracture le crâne en heurtant le sol en ciment. L'arbitre décède 5 jours plus tard d'un hématome sous-dural85.
Tennessee Williams, écrivain américain, décède le 25 février dans sa chambre de l’Hotel Elysée (en) à New York, en s'étouffant avec le bouchon d'un vaporisateur nasal. L'abus de stupéfiants semble avoir joué un rôle dans l'ingestion du corps étranger86.
1984
Jon-Erik Hexum, acteur américain, meurt après s'être tiré dessus avec un pistolet chargé avec des cartouches à blanc. Il ne savait pas que les cartouches à blanc utilisent une bourre constituée de ouate de papier ou de plastique pour retenir la poudre dans la cartouche. Lorsque la cartouche est tirée, cette bourre est éjectée suffisamment violemment pour être mortelle à bout portant contre le crâne d'une personne87.
1987
Jaco Pastorius, bassiste américain de jazz, meurt après avoir été battu à mort par le videur d'un bar de Fort Lauderdale qui lui refusait l'entrée de l'établissement42.
1988
Clarabelle Lansing, une hôtesse de l'air, est aspirée et éjectée hors d'un Boeing 737 lors du vol Aloha Airlines 243 et disparaît dans le ciel quand une décompression explosive déchire une large partie du toit de l'avion88. Son corps n'a jamais été retrouvé89.
1989
Ole Bentzen, orthophoniste danois, meurt de rire en regardant le film Un poisson nommé Wanda. Son cœur a battu entre 250 et 500 pulsations par minute, avant que l'homme ne succombe à un arrêt cardiaque90.
Années 1990[modifier | modifier le code]
1990
Joseph W. Burrus, prestidigitateur de 32 ans, veut réaliser un tour de magie où il se fait enterrer vivant dans une boîte en plastique recouverte de ciment. Le ciment écrase le plastique, et il meurt asphyxié91.
1993
Garry Hoy, un avocat de Toronto, voulant prouver que les vitres du Toronto-Dominion Centre étaient incassables, se jeta contre l'une d'elles. Elle ne se brisa pas, mais se délogea de son cadre. Hoy fit une chute de 24 étages92,91.
1994
Un étudiant se tua en se déguisant en Dracula pour Halloween, il avait prévu de mettre une planche de pin sous son t-shirt pour y planter un couteau pour son déguisement. La planche se brisa lorsqu'il enfonça le couteau avec un marteau et le couteau se planta dans son cœur93.
1995
Un homme de 39 ans se suicide à Canberra, Australie, en se tirant dessus à trois reprises avec un fusil à pompe. Le premier tir a traversé sa poitrine, mais a raté tous ses organes vitaux. Il a rechargé et a tiré dans sa mâchoire. Il a de nouveau rechargé, et a tiré à nouveau sur sa poitrine. Ce dernier tir a pénétré la cavité thoracique et a détruit son cœur, le tuant sur le coup94.
1996
Sharon Lopatka, du Maryland, est tuée par Robert Glass. Ce dernier a affirmé que Lopatka l'avait sollicité pour la torturer et la tuer à des fins de meurtre sexuel95.
1997
Karen Wetterhahn, une chimiste américaine, meurt après qu’une goutte de diméthylmercure a traversé son gant protecteur en latex et sa peau96,97.
1998
Raman Lamba, joueur de cricket indien, reçoit en pleine tête une balle de cricket. Il succombe trois jours plus tard d'une hémorragie interne98.
Lors d'un match de football entre les équipes de Bena Tshadi et Basangana en République démocratique du Congo, la foudre s'abat sur le terrain. Tous les joueurs de l'équipe de Bena Tshadi sont tués par la foudre ; du côté de Basangana tout le monde est indemne, le choix des crampons moulés, plutôt que des vissés, ayant sauvé la vie des joueurs99,100.
Tom et Eileen Lonergan, deux touristes américains, sont abandonnés sur place par leur bateau alors qu'ils plongeaient au large des côtes de la grande barrière de corail, en Australie. Leurs corps n'ont jamais été retrouvés101.
Un cas de suicide par balle dans l'anus est rapporté dans l’American Journal of Forensic Medicine and Pathology (en)102.
1999
Betty Stobbs, une femme de 67 ans originaire de Durham, en Angleterre, est tuée quand un troupeau de moutons attaque son vélo. Elle tombe d'une falaise de 30 m. Elle survit à l'accident, avant d'être écrasée par la chute de son vélo103.
Le 1er novembre 1999, Jean Ducuing, directeur du zoo de Pessac (Gironde), est tué par Komir, un hippopotame qu'il connaissait pourtant bien et qu'il avait lui-même dressé. Les employés du zoo considèrent que l'animal était « jaloux » du nouveau tracteur104,105.
xxie siècle[modifier | modifier le code]
Années 2000[modifier | modifier le code]
2001
Bernd Jürgen Brandes est tué, puis mangé par Armin Meiwes, de manière consentante. Avant le meurtre, les deux hommes ont eu des rapports sexuels106,107. Armin Meiwes avait passé des annonces où il déclarait chercher un volontaire désirant être mangé107.
2002
Richard Sumner, artiste britannique schizophrène, part dans une zone rarement visitée de la Clocaenog Forest (en) dans le Denbighshire, au nord-est du Pays de Galles, pour se suicider. Il se menotte lui-même à un arbre et lance la clé hors de portée. L'enquête a révélé que, ayant à nouveau changé d'état d'esprit — la crise de démence qui l'avait poussé étant passée —, il avait essayé pendant des jours de se libérer sans y parvenir. Il est mort de soif et de faim. Le tronc de l'arbre était lacéré. Son squelette a été découvert trois ans plus tard en 2005 par une randonneuse108,109.
2003
Hitoshi Christopher Nikaidoh, un chirurgien américain, est décapité en montant dans un ascenseur à l'Hôpital Saint-Joseph (en) de Houston au Texas. Les portes de l'ascenseur se sont fermées quand Nikaidoh est entré, la tête piégée à l'intérieur de la cabine, le reste de son corps encore à l'extérieur. Celui-ci a été retrouvé au fond de la fosse tandis que la partie supérieure de sa tête, coupée juste au-dessus de la mâchoire inférieure, a été retrouvée dans la cabine110.
Brian Douglas Wells est un livreur de pizza mort à la suite de l’explosion d'un collier piégé accroché autour de son cou. Les assassins lui avaient promis que le mécanisme serait désactivé s'il braquait une banque précise. Wells fut arrêté par la police, le collier explosa, et sa mort fut filmée et relayée massivement par les médias américains.
2005
Kenneth Pinyan, un ingénieur américain, meurt à la suite d'une sodomie extrêmement brutale avec un cheval111,112.
2006
Steve Irwin, animateur de télévision australien et propriétaire de l’Australia Zoo au Queensland, mondialement connu pour son rôle de chasseur de crocodiles dans son émission The Crocodile Hunter, est mortellement blessé par une raie alors qu'il plongeait à Batt Reef, au large de Port Douglas dans le Queensland113,114.
2007
Jennifer Strange, une femme de 28 ans habitant Sacramento en Californie, meurt intoxiquée lors d'un jeu organisé par une radio afin de tenter de gagner une Wii. Elle devait boire de grosses quantités d'eau sans uriner. Elle a terminé en seconde position115.
2008
Gerald Mellin, un homme d'affaires britannique déprimé en instance de divorce, s'est lui-même décapité en s'attachant au cou au bout d'une longue corde reliée à un arbre dans un parc de stationnement. Il est ensuite monté dans sa voiture et a accéléré loin sur une route principale. Lorsque la corde s'est tendue, sa tête a été séparée de son corps116.
Adelir Antônio de Carli, un père catholique brésilien, meurt durant une tentative pour réaliser un vol à l'aide d'une grappe de ballons gonflés à l'hélium.
2009
Taylor Mitchell, une chanteuse canadienne âgée de 19 ans, meurt après avoir été attaquée par deux coyotes dans un parc national de la Nouvelle-Écosse, au Canada. Elle se promenait seule quand deux coyotes ont surgi et se sont jetés sur elle. Les policiers arrivés sur place ont tiré sur les canidés, blessant l'un d'eux et provoquant leur fuite. Le lendemain, après avoir été transportée par avion à Halifax, Taylor Mitchell succombait à ses blessures. Elle est la deuxième personne à avoir été tuée par des coyotes, la première étant Kelly Keen (en)117,118,119.
David Carradine, acteur, réalisateur et scénariste américain, meurt à la suite d’un jeu sexuel120,121
Vladimir Likhonos trouve la mort en mâchant un chewing-gum « explosif ». En effet, il avait l'habitude de tremper ses chewing-gum dans de l'acide citrique (acidifiant alimentaire), mais il aurait confondu cet acide avec une substance explosive. Le chewing-gum a explosé, pulvérisant sa mâchoire122,123.
Années 2010[modifier | modifier le code]
2010
Le docteur Sacha Baricevic, un médecin de la bonne société slovène, est retrouvé le corps affreusement déchiqueté, dévoré par ses trois chiens bullmastiffs, auxquels il faisait depuis longtemps subir des sévices sexuels. Selon les sources policières, le médecin, à l'arrivée des secours, était entièrement nu, un godemiché attaché autour du corps124.
Mike Edwards, un violoncelliste au sein du groupe de rock Electric Light Orchestra, meurt après une collision entre sa voiture et une balle de foin de 600 kg dévalant une colline125,126.
2012
Edward Archbold, un Américain de 32 ans, meurt après avoir remporté un concours de mangeurs de cafards et de vers. Après en avoir avalé une douzaine, il est pris de vomissements avant d'être transporté à l'hôpital, où il est déclaré mort. La mort résulte d'une « asphyxie due à un étouffement » causé par les parties du corps des arthropodes qui ont bloqué ses voies respiratoires127.
2013
En Australie, une jeune femme de confession musulmane est décédée d'une « asphyxie due à un étouffement » lorsque sa burqa s'est prise dans la roue du kart qu'elle pilotait128.
João Maria de Sousa, un Brésilien de 45 ans, meurt écrasé par une vache pendant son sommeil. L'animal d'une tonne, qui broutait de l'herbe sur le flanc de la colline, est passé à travers le toit de la chambre, la maison étant construite en pente129,130.
2014
Peng Fan, un chef cuisinier d'un restaurant de Foshan, en Chine est mordu à la main par la tête d'un cobra qu'il avait décapité vingt minutes auparavant pour la préparation d'une soupe de serpent. Le cuisinier est mort asphyxié en attendant les secours après que le venin du cobra a paralysé ses fonctions respiratoires131,132.
2015
Devon Staples, un Américain de 22 ans, allume une fusée de feu d'artifice sur son crâne à l'occasion de la fête nationale américaine du 4 juillet, alors qu'il avait bu. Il meurt instantanément133.
2016
Anton Yelchin, un acteur américain, est écrasé par sa propre voiture dont il était descendu134.
2017
En Indonésie, sur l'île de Célèbes, un villageois porté disparu depuis plusieurs jours est retrouvé mort, mais entier, dans le ventre d’un python de 7 m135.
2019
L'humoriste Ian Cognito (en) meurt sur scène en plein sketch d'une crise cardiaque sous les rires du public, qui croyait à une simulation faisant partie du spectacle136. Le Britannique de 54 ans meurt d'un infarctus après avoir consommé plus d'un paquet de réglisse par jour durant deux semaines, ayant entraîné un taux de potassium dangereusement bas due à l'acide glycyrrhizique présent dans la réglisse et des problèmes du rythme cardiaque137.
Années 2020[modifier | modifier le code]
2020
Un californien de 64 ans, Mike Hughes, meurt dans le crash de sa fusée artisanale à vapeur, le 22 février. Il espérait atteindre 1 525 m d'altitude pour prouver que la Terre était plate138.
2021
Un homme de 25 ans a eu la tête arrachée par un mortier de feu d'artifice lors du réveillon du jour de l’An dans le Bas-Rhin en France139.