< 土用の丑の日を過ぎたので書きます >
土用の丑の日以外でも今は結論から言うと食べません。
一時期は食べていた事もありましたが今は「全く」です。
それは小さい頃に見ていた事に起因ます。商店街で育ったので「うなぎ屋」(〇〇商店)というお店があり、年間を通して鰻を捌いていました。
開け放たれたガラス戸の入り口から職人である店主が見事なまでに次から次へと鰻を蒲焼にするのを感心して見ていたものです。
カゴかオケのような入れ物からピチピチ跳ねる鰻をまな板の上に乗せてから、踊る鰻の頭近くに楔のようなものを打ち付けおとなしくさせ尻尾の方をもって一気に割いていくんですね。
この間数秒だったように記憶しています。その後骨を取り除き、重箱の形に整えるまでものの数分。
この一連の過程を怖さ半分で見ていて、子供心に鰻を可哀想に感じていました。痛いんじゃないかなぁと。それに加え、捌かれるのを嫌がって跳ねているように感じたので。
やはり出血もしますから、それが印象的で食べる気がしなかったのです。値段も手に届くような物ではなかったし。
簡単に言えば、小さい頃に見たトラウマかもしれません。
赤塚不二夫の「ウナギイヌ」は好きでした。
土用の丑の日以外でも今は結論から言うと食べません。
一時期は食べていた事もありましたが今は「全く」です。
それは小さい頃に見ていた事に起因ます。商店街で育ったので「うなぎ屋」(〇〇商店)というお店があり、年間を通して鰻を捌いていました。
開け放たれたガラス戸の入り口から職人である店主が見事なまでに次から次へと鰻を蒲焼にするのを感心して見ていたものです。
カゴかオケのような入れ物からピチピチ跳ねる鰻をまな板の上に乗せてから、踊る鰻の頭近くに楔のようなものを打ち付けおとなしくさせ尻尾の方をもって一気に割いていくんですね。
この間数秒だったように記憶しています。その後骨を取り除き、重箱の形に整えるまでものの数分。
この一連の過程を怖さ半分で見ていて、子供心に鰻を可哀想に感じていました。痛いんじゃないかなぁと。それに加え、捌かれるのを嫌がって跳ねているように感じたので。
やはり出血もしますから、それが印象的で食べる気がしなかったのです。値段も手に届くような物ではなかったし。
簡単に言えば、小さい頃に見たトラウマかもしれません。
赤塚不二夫の「ウナギイヌ」は好きでした。