鍼灸庵の独り言

西宮市で小さな鍼灸院を営むおじさんのつぶやきです。

ケチな見栄

2013-01-31 16:40:02 | 日記
 マイカーを持つようになってから、30年以上になりますが、ずっと三菱の軽自動車に乗っています。今は、EKワゴンに乗っていますが、なかなか気に入っています。

 街中を走るのは軽自動車で十分。特に、この頃の軽自動車は、高速道路でも不便を感じないぐらい(と言うか、覆面パトやオービスで捕まるぐらい)によく走るので、経費はかかるし運転にも気を使うような大きい車に乗ろうとは思いません。

 でも、時々「そろそろ年齢と見た目にふさわしい車に乗ろうかな・・」と思うこともあります。<賢明な読者の皆様には言うまでもありませんが、『見た目』というのはあくまでも冗談です
 
 で、私のように風格のある人間<しつこいようですが、冗談ですはやっぱりベンツでしょう と思うのですが、年齢と見た目にはふさわしくても、年収には全然ふさわしくありません。

 いつか宝くじでも当たったら・・ という程度に思っていますが、うちの近所にある中古車屋さんでこんなのを見つけてしまいました。




 なんと、77万円のベンツ これなら何とかなりそう と思うと、さりげなくベンツを乗り回す自分の姿が浮かんできたりして・・ むふふ・・

 たとえ77万円でもベンツはベンツ、さりげなく乗ってる分には値段なんてわからないし・・ うひひ・・

 な~んて、ほんとにケチな見栄ですね~ 新車のベンツをさりげなく乗り回せるご身分ならともかく、77万円の中古のベンツで見栄を張ろうとするなんて、どこまで行っても庶民やな~ と、我ながらあきれてしまいます(^_^.) 
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適度と適当(^^)

2013-01-30 16:16:37 | 日記
 患者さんから、こんな話を聞きました。
 お友達が肩こりに悩まされ、どこかの整骨院へ行ったそうです。行ってみると、二十歳前後の若いお兄さん2~3人でしているようで、そのうちの一人がマッサージをしてくれたとか。

 かなり強い力でぐいぐい押されたようで、楽になるどころか痛みに耐えるのがやっとだったそうで、おまけに家に帰って気がつくと、押されたところが青あざになっていたそうです。

 そのお友達は、「あんなとこ二度と行かへん<`ヘ´>」と怒っていたそうですが、そりゃそうですよね~。青あざになるぐらいきつく押さえられたら、患者さんには苦痛でしかないですから。終わりまで我慢するのも大変だったと思います。

 この若いお兄さんも、別に患者さんに苦痛を与えようと思ってやってる訳ではなく、初診の患者さんに満足してもらえる成果を出そうと、一生懸命だったのでしょう。とにかく力一杯マッサージすることで、楽になってもらおうと思ってがんばったのでしょう。よく陥りがちな勘違いです。

 鍼灸でもそうですが、とにかく刺激を与えれば良くなるというものではありません。体の状態は人それぞれ、千差万別です。その状態をしっかり把握し、必要な部位に適度な刺激を与えてこそ、ちゃんとした治療をすることができます。

 そのために最も大切なことは、どこに鍼を打つべきか、刺激が適度かどうかを確認する確かな指標を持つことです。鍼を打つ前とどのように変わったか、その状態が納得できるものなのかどうか、それを客観的に判断できる指標をしっかり持っていないと、適度ではなく『適当』な治療になってしまいます。

 決して、患者さんが体感的に満足したかどうか・・ということが指標になるのではありません。もちろん、結果として患者さんが楽になり、治療に満足するということではありますが、「患者さんが楽になった=ちゃんと治療ができた」ではないのです。

 感覚というのは、あくまでも主観的なものです。体の中には、患者さん自信も感じていない問題点が潜んでいることも往々にしてあります。そういうものも含めて、患者さんの体の状態を客観的に把握し、一つ一つの問題点を改善していく。そして、その効果を客観的に確認してこそ、本当に納得できる治療と言えるのだと思います。

 な~んて偉そうに書きましたが、全て師匠から教えを受けたことです。まだまだ生半可な理解かもしれませんが、少なくと私が師匠から学んだ『反応点』という考え方は、治療を行う上での確かな指標として信頼できるものだと確信して、毎日の治療を行っています。

 私があれこれ説明するよりも確かだと思うので、『反応点治療研究会』のHPも覗いてみてください。


反応点治療研究会ホームページ http://www.hannoten.com/




 

 

 

 

 
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体調管理

2013-01-29 15:52:45 | 日記
 先週の火曜日から「くしゃみ・鼻水・鼻づまり」と、まるで風邪薬のCMのようにわかり易い症状に悩まされています。な~んて、大層に書く程のこともないような鼻風邪をひいてしまいました。

 あれから1週間、何とかくしゃみと鼻水は治まったようですが、鼻づまりだけがどうしても治りません。おかげで、今日は朝から涙目・耳閉感・頭重感という新たな3点セットまで加わり、珍しく体がふらふらする感じです。

 幸い熱はなく、咳も全然出ないので、念のためマスクをして仕事をしていますが、やっぱりいつもより疲れる感じ。暇を見て自分で顔周辺に鍼を打ち、ローラーをかけ続けた結果、ふらつきや涙目は殆どなくなりましたが、頭が重い感じはまだ続いており、何とも不快です。

 わかってはいることですが、こういう時にはサラリーマンとは違う「一人親方」の大変さをひしひしと感じます。「風邪ひきました~(>_<) 今日は休みます(^_-)」では済まされない環境。まだ鼻風邪でしんどいぐらいなら何とかなりますが、インフルエンザにでもなったら、既に入っている予約をこちらからキャンセルする羽目になるでしょう。

 そうなると、患者さんには迷惑かけるし、1週間~10日分の収入は無くなるし、踏んだり蹴ったりの状況になってしまいます。

 開業してからこっち、何となく体調がすぐれないことはありましたが、これほど「体調管理」の大切さを実感したのは初めてです。ある意味、いい勉強になりました。

 『体調管理も仕事のうち』 このことをしっかり頭に叩き込むのに、ちょうどいい機会に恵まれたということでしょう。

 一人で仕事をするというのがどういうことなのか、そのことが本当にわかるには、まだまだいろんな経験が必要なようです(^_^;)
 
 
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本気の話

2013-01-28 16:31:47 | 日記
 昨日は、専門学校の『卒後プログラム』というものに参加しました。

 卒業以来久しぶりに恩師の講義を聞いたのですが、これまで曖昧に考えていたことがすっきりと整理できた部分もあり、また、これまでとは違う視点での話もあったりで、得るところの多い講義でした。

 どんな内容だったのか、それをどう聞いたのか、そういう具体的な話をブログに書くのはマナーに反すると思うので、敢えて書きません。ただ、一つだけ書くならば、「本気」ということを改めて意識させられたということです。

 2~3日前のブログで、鍼灸治療にもしっかりした理論が必要ということを書きました。当たり前のことですが、どこにどういうふうに鍼を打つのか、どれぐらいの刺激が必要なのか・・ ただ経験の積み重ねではなく、どうしてそうなのかという理論の裏付けがあってこそ、初めてちゃんとした治療ができるものです。

 日頃からそういうふうに思ってはいても、実際には、これまで恩師から教えられたことの上に胡坐をかいているだけではないのだろうか? 十分理解できてもいないのに、わかったつもりで安心しているだけではないのだろうか? 何よりも、その理論をしっかり学び、真に自分の身につけるために本気で努力してるだろうか? 

 恩師の講義を聞く中で、そんな想いが大きくふくらんできました。

 患者さんの喜ぶ顔、楽になったという言葉は本当に嬉しく、ありがたいものです。ただ、その嬉しさに慢心してしまったのでは、鍼灸師としての成長が止まってしまいます。そのことをしっかりと心に刻み、鍼灸師としてさらに高まっていくよう、『本気』ということを改めて意識させられた想いです。
 

  
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やっぱり同級生

2013-01-27 20:27:55 | 日記
 昨夜は、鍼灸専門学校時代の仲間が3人我が家にお泊り
 同級生ではあるけれど、まだ20代の若者ばかりで、私とは親子よりもさらに歳の差があるという不思議な取り合わせです。まず居酒屋で学生時代の馬鹿話に花を咲かせ、我が家に舞い戻ってからも、あれやこれやと途切れることなく話題が続きました

 親子以上に歳が離れてはいても、ずっと一緒に勉強や鍼の練習をし、遊びにも行った仲間です。よく我が家に集まって勉強したものですが、特に約1年前、学校の卒業試験を目前に控えて必死に勉強していた頃、そして、その後に控える鍼灸師国家試験の合格目指してがむしゃらにがんばっていた頃の思い出は、今となってはまるで遅まきの青春絵巻のように感じられます。

 1年経った今では、みんな患者さんから『先生』と呼ばれる立場です・・あの頃を思い出すと、何となく「ほんまかな~」と、思わず笑ってしまいますけど・・

 歳の上下には関係なく、鍼灸師としては同じスタートを切った仲間達。同級生でもあり、ライバルでもあるけれど、これからも共に歩む仲間です

 何と言っても、やっぱり同級生。。みんな一緒に、どこまでも高まって行こうぜ
 
 
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ものは言い様、考え様

2013-01-26 16:43:03 | 日記
 今朝の朝日新聞土曜版(土曜日だけ別についてるbeというやつです)に、『ネガポ』の特集が載ってました。『ネガポ』とは、『ネガポジ変換』の略で、ネガティブ(否定的)な言葉をポジティブ(肯定的)に言い換えることらしいです。

 例えば、「いいかげん→おおらか」「頭が固い→芯が強い」「鈍感→打たれ強い」「一匹おおかみ→自主性がある」などなど。。
 こんな言い換えをまとめた『ネガポ辞典』なるものがスマホのアプリになったり、出版もされているようです。 

 要するに、同じ意味なら否定的な表現よりも、前向きになれる表現の方がいいということですね。でも、こんな考え方は今に始まった訳ではなく、昔から伝えられていることです。まさに『物は言いよう、考えよう』という言葉のとおりですね

 確かに、誰でも否定的に評価されるのは嬉しくないものです。「あいつは仕事が遅い。」と言われるより、「あいつはじっくり慎重に仕事をする。」と言われる方が嬉しいのは当たり前。人間関係に角が立つこともないでしょう。

 また、考え方ひとつで気分が楽になるのも間違いないようで、例えば、母親というものは何かにつけて子供にあれこれ言うもので、子供の方は「もう~。。うるさいなあ」と腹の立つことがあったりするものですが、これも自分のことを心配してくれる愛情の表れと考えると、腹も立たないというぐらいなもんです。

 でも、世の中それだけでは回っていかないこともあるもので、「約束を守らない」というのを「おおらか」とか、「物事にこだわらない」と言い換えたところで、何の足しにもなりません。むしろ、約束を守らないことを前向きと考えてしまうような、実に都合の良い勘違いを生じる逆効果さえあります。

 人の気持ちを考えずに行動する人を、「マイペース」とか「自分に正直」などと言い換えても、けっして前向きのイメージにはならないものです。

 大切なことは、単に言葉を言い換えるということではなく、侮蔑的なニュアンスや傷つけるための毒を含んだ表現は使わないということだと思います。そして、誰かに迷惑をかけることが無い限り、人や物事を肯定的に見たり考えたりするのが、ポジティブに生きるコツということになるのでしょう。

 同じ言葉でも、言い方ひとつで肯定的にも否定的にもなるもの。また、同じ現象でも考え方ひとつでどちらにも受け取れるものです。「物は言いよう、考えよう」とは、実のところは自分自身の物の見方や考え方の尺度になる言葉なのかもしれませんね。


 

 

 
 

 
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はらだくさい

2013-01-25 16:56:34 | 日記
 山形弁だそうです。うさんくさいとか、何やら怪しい、あるいは変人を指す意味もあるとか。そう聞けば何となくわかるよな気もする響きです。

 最近、faceboookの友達リクエストがよく届くのですが、知り合いでもないし、共通の友人がいる訳でもない人からのものが殆どです。そして、共通しているのがメッセージもなく、ただ友達リクエストだけが届くこと。それこそ、「はらだくさい」感じ

 そういう類の友達メッセージは全て無視するようにしていますが、何となくすっきりしないものが残ります。ネット社会についていけない哀しさなのかも知れませんが、警戒心が先に立ってしまうような・・

 でも、これって若者にとっては当たり前の風潮なのでしょうかね

 別に深いおつきあいをする訳ではないし、ただネット上で差し障りの無い情報をやりとりするのに、メッセージのようなうるさい手続きは必要ないのでしょうか

 SNSの使い方は人それぞれ。、友達を増やすのが嬉しい人もいるだろうし、お仲間同士のやり取りを楽しむ人もいるでしょう。しかしながら、一方では明確なルールというか、マナーが確立しているとは言い難い世界でもあります。

 facebookを巡るトラブルも種々生じているようですが、ネットを通じての人との関わり合い、適度な距離感が結構難しいものですね。


 

 

 

 
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理屈じゃないというけれど・・

2013-01-24 16:11:52 | 日記
 最近、全国のあちこちで教師による体罰が告発されているようです。桜ノ宮高校の事件以降、この手のニュースを見かけない日はありません。

 これだけの事例が報道されている以上、おそらくどこの学校でも体罰は厳禁されているでしょう。そのあおりで、特に強豪校と言われる学校の運動部の顧問や監督の中には、一番簡単で安直な指導法が使えなくて困っている人もいると思います。

 先日、ラジオで元読売ジャイアンツの桑田真澄投手の話を紹介していました。彼は、高校野球の強豪として全国に知られたPL学園の出身。もちろん、小学生の頃から地元の少年野球チームに所属していたのですが、小・中学生の頃は、練習のたびに訳もわからず殴られたり怒鳴られたりの連続。野球をするのが面白いどころか、嫌でたまらなかったそうです。

 それがPL学園に入ってみると、まず硬式野球の打球の速さになれるために全員が外野の守備につくことから始まって、物理の先生からキャッチャーが投球を受けるときの衝撃の強さや、打球がどういう角度で飛べば一番遠くまで飛ぶか、その角度を打球に与えるためにはどのようにバットを振ればいいかなどを教えられたそうです。

 訳もわからず、とにかくしっかり練習せい、エラーするな、ちゃんとバットを振れと怒鳴られ、できなければ殴られるような指導とは大違い。

 桑田投手は、PL学園で初めて野球の楽しさ、面白さに目覚めたそうです。しっかりした理屈を教えられ、どうすればうまくできるのかが理解できると、自分自身で考えて練習するようになります。そして、そのことが、訳もわからず、ただやみくもにする練習とは全く違う結果に結びつくのは、誰でもわかることです。

 スポーツに限らず、何かを教えるというのはそういうことですよね。どうしたらうまくできるか、どうすれば合理的なのか、そんな大切な事をしっかり理解させられずに、ただできないことを責めるだけで、もはや指導とも言えない、ただの傲慢です。
 
 よく、「理屈より実践」などと言う人がいます。たしかに、理屈だけ振り回していても、実践が伴わなければ何にもならない。でも、理屈はどうでもいい、とにかく実践することが大切と思っているのなら、それは大きな間違いだと思います。

 鍼灸の仕事でもそうです。しっかりした理論もなく、理屈もわからずに、ただやみくもに鍼を打つなんてそんな馬鹿げたことはあり得ません。原因は何か、どこにどのように鍼を打てばいいのか、どうすれば症状が改善するか、常に考えながら治療します。しっかりした理論や理屈があってこそ、初めてできることです。


 ・・少し長くなり過ぎたようです。本当は、ここのところをもっと拡げていきたいのですが、また後日に譲ることにします・・

 世の中理屈ではないというけれど、理屈が無ければ成り立たないのもまた世の中。いたずらに精神論を振り回すのではなく、このことをしっかり考えたいものです。

 
 

 

 

 
 
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阪神電車

2013-01-23 21:57:54 | 日記
 今日は、夕方人と会う用事があって、久しぶりに阪神電車に乗って三宮へ。

 ちょうど学生さんが帰る時間なのか結構混んでいましたが、一つだけ席が空いていたのでスッと座ったのはいいけれど・・

 隣に座ってる女の子、どういう訳か手には指揮棒(オーケストラで指揮者が使っているあれです)、膝の上にはスコア(オーケストラの全パートが載っている楽譜)を拡げ、ウォークマンを聞きながら小さく指揮棒を振っています。

 音大の学生さんかなと思っていると、いつのまにか目をつぶり自分の世界に入っている様子。指揮棒の動きがだんだん激しくなって、私の顔に何度も当たる始末。

 ちょっとむかついたので、肩を叩いてイヤホンを外したところで、一言だけ、「迷惑!」と言ったのですが、とたんにものすごく恐い顔で睨まれてしまいました。

 さらにむかついて、思い切り睨み返したら、なんとなんと! 思い切り あっかんべ~ をされました。

 何でやねん<`~´> という感じ。あっけにとられているうちに、席を立ってどこかへ行ってしまいました。腹が立つやらおかしいやらで、しばらくは脱力状態。

 立ち直ったと思ったら、今度はその空いた席に荷物を一杯持ったおばさんが座りました。荷物があんまり多いので、私の膝の上にまで荷物が乗っかります。またまたイラッとしてその荷物を押し戻すと、あろうことかまたまた恐い顔で睨まれました。

 2~3年前に『阪急電車』という映画が話題になりましたが、阪急電車は男女の心の機微を映し出すラブストーリー。

 一方の阪神電車は、男女の機微どころか、世の中を疑いたくなるような現実が展開します。どなたか『阪神電車』というタイトルのラブストーリーを映画にしてくませんかね~(*_*)



 
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優しい人、輝く人

2013-01-22 16:36:35 | 日記
 どこかでたった一度耳にしただけで、誰の何という曲なのかもわからないのですが、その歌詞の一部分だけが忘れられない歌があります。

 あなたが美しいのは愛されようとするときでなく、ただ愛そうとするとき

 メロディーをお伝えできないのが残念ですが、こんな歌詞です。(もしかしたら少し違っているかもしれませんが・・)

 他の部分の歌詞は全然覚えてないので、これだけでは何という歌なのかわからないのですが、この歌詞は素晴らしいです。

 どれほど自分を飾ろうが、どれほど自分の魅力をアピールしようが、それが自分が愛されたい、誰かにかまってほしいという気持ちの表れである限り、虚しさや淋しさを伴うものです。輝きもしないし、誰かへの優しさも感じられない。

 でも、誰かを想う気持ちを胸に秘めるとき、人は誰でも輝きます。誰かを愛するということもそうだし、優しい気持ちを持つというのもそうです。

 前にも書いたことがあると思いますが、『優』という感じは、にんべんに憂鬱の『憂』。人のことを憂うる気持ちが、優しいという言葉になっています。

 一番わかり易い例えが、自分の子供に対する親の気持ち。とにかく、子供のことをいろいろ心配します。それは、ただ可愛がるということではなく、時には厳しさも伴います。けっして甘やかすのではなく、自分の子供が社会で生きて行けるよう、とにかく心配し、我が身を捨ててでも子供を守ろうとします。
 
 それ故に、一生懸命子供を育てる親は輝いています。それは、何の見返りも求めない関係でありながら、子供を心配し慈しむ中で、子供からも大きな愛情をもらっているからではないでしょうか。

 誰かを愛するということは、ひたすら誰かのことを想う気持ち。相手を心配し、慈しむ気持ちを持つことだと思います。

 自分のことを好きになってほしいなんて、そんな見返りを前提としていたのでは、本当に誰かを愛し、優しくすることなどできるものではありません。

 などと、頭ではこんな風に考えていても、本当に誰かに優しくするというのは難しい。日常の生活の中で、誰かを想う気持ちよりも、自分の感情や価値観などが先に立ってしまうことが往々にしてあるものです。

 自分で書いていながら、ほんまにそうやなあ などと感じ入ってる場合ではありませんが、この歳になっても、なかなか実践できていない課題でもあります。

 いつの日か、言ってる事と行動が一致するよう、私にはまだまだ修行が必要なようです
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