今日は大晦日。年に一度だけの年越しそばの日です。
このあたりで年越しそばと言えば、だしの入った暖かい天ぷらそばが多いですが、東京方面では盛りソバが多いようですね。というか、お江戸では蕎麦と言えば盛りソバが当たり前のようで、落語の世界でも蕎麦は盛り、うどんは鍋焼きと相場が決まっていて、だしの入った暖かい蕎麦は、「時ソバ」などに出てくる屋台の二八蕎麦ぐらいなもんです。
お江戸の豪商『奈良屋茂左衛門』という人は、『紀伊国屋文左衛門』と並ぶ材木商で、巨万の富を誇る商人だったそうですが、ある夜、吉原の蕎麦屋を全部買い切った上で、花魁と二人で蕎麦ふたつをゆっくり食べたという伝説があります。これなんかも、どう考えても盛りソバでなければ場の情景が納まらない雰囲気ですね。
お芝居の世界でも、忠臣蔵の赤穂浪士の吉良邸討ち入りの前に、浪士揃って盛りソバを食べる場面を見たことがありますが、雪の降る寒い夜なのに、赤穂の浪人なら暖かい蕎麦を食べたらいいのに・・ などとお芝居とは全然関係の無いことを思ったものです。
もっとも、お江戸は濃口醤油の文化で、今でも東京でだしの入った暖かい麺類を食べると、そのだしの色の濃さ、味の濃さにびっくりすることがままあります。あれでは、蕎麦と言えば盛り、となるのもうなずけますね。。
よく生粋の東京人という人が、蕎麦の粋な食べ方という蘊蓄を語っているのを見かけますが、蕎麦つゆにちょっとつけて、あとはズズズと喉越しに蕎麦の香りを味わうなんていうのも、蕎麦だけを食べる江戸の食文化の現れでしょう。
対する大阪は、かつおと昆布と薄口醤油の文化。麺と、だしの微妙で絶妙な色合い、味わいを楽しみます。(ちょっと大げさやけど・・)
冬の夜に鍋焼きうどんをとって、うどんや具には手をつけずに、だしを啜りながら熱燗をやるのが本当の通人というのを聞いたことがありますが、これをやるならやっぱり大阪でしょう。あの何とも微妙なだしの味わいを舌に残しながら、熱いのをキュッと流しこむのは本当にいいものです。
さてさて、あと何時間かで年越しです。盛りソバ派の人も、だしの入った暖かい天ぷらソバ派の人も、それぞれに蕎麦の味を噛みしめながら、良いお年をお迎えくださいませ!(^^)!
このあたりで年越しそばと言えば、だしの入った暖かい天ぷらそばが多いですが、東京方面では盛りソバが多いようですね。というか、お江戸では蕎麦と言えば盛りソバが当たり前のようで、落語の世界でも蕎麦は盛り、うどんは鍋焼きと相場が決まっていて、だしの入った暖かい蕎麦は、「時ソバ」などに出てくる屋台の二八蕎麦ぐらいなもんです。
お江戸の豪商『奈良屋茂左衛門』という人は、『紀伊国屋文左衛門』と並ぶ材木商で、巨万の富を誇る商人だったそうですが、ある夜、吉原の蕎麦屋を全部買い切った上で、花魁と二人で蕎麦ふたつをゆっくり食べたという伝説があります。これなんかも、どう考えても盛りソバでなければ場の情景が納まらない雰囲気ですね。
お芝居の世界でも、忠臣蔵の赤穂浪士の吉良邸討ち入りの前に、浪士揃って盛りソバを食べる場面を見たことがありますが、雪の降る寒い夜なのに、赤穂の浪人なら暖かい蕎麦を食べたらいいのに・・ などとお芝居とは全然関係の無いことを思ったものです。
もっとも、お江戸は濃口醤油の文化で、今でも東京でだしの入った暖かい麺類を食べると、そのだしの色の濃さ、味の濃さにびっくりすることがままあります。あれでは、蕎麦と言えば盛り、となるのもうなずけますね。。
よく生粋の東京人という人が、蕎麦の粋な食べ方という蘊蓄を語っているのを見かけますが、蕎麦つゆにちょっとつけて、あとはズズズと喉越しに蕎麦の香りを味わうなんていうのも、蕎麦だけを食べる江戸の食文化の現れでしょう。
対する大阪は、かつおと昆布と薄口醤油の文化。麺と、だしの微妙で絶妙な色合い、味わいを楽しみます。(ちょっと大げさやけど・・)
冬の夜に鍋焼きうどんをとって、うどんや具には手をつけずに、だしを啜りながら熱燗をやるのが本当の通人というのを聞いたことがありますが、これをやるならやっぱり大阪でしょう。あの何とも微妙なだしの味わいを舌に残しながら、熱いのをキュッと流しこむのは本当にいいものです。
さてさて、あと何時間かで年越しです。盛りソバ派の人も、だしの入った暖かい天ぷらソバ派の人も、それぞれに蕎麦の味を噛みしめながら、良いお年をお迎えくださいませ!(^^)!