山口県光市は昭和17年に誕生
昭和13年に始まった海軍工廠建設によって軍都光は誕生したのです。
島田川の伏流水を取水口とした工業用水としての水利施設も30万人都市のキャパを備え
光海軍工廠に繋がる光駅のホームは名古屋駅に匹敵する長さを誇り
光駅ー室積間に電車を走らせる予定の道路幅50メートル、飛行機が緊急着陸できる直線1000メートルを走る区間もある道路
も一気に完成されました。
工廠工員の通勤のために光駅ー室積間に国鉄バスも走るようになりました。
汽車が止まらない室積バス停はなぜか室積駅と呼ばれていました。
人間魚雷「回天」の基地は、徳山の大津島と平生にもありましたが、光基地が最大の規模を誇っていました。
そうした軍都の夢も、昭和20年8月14日、B29の空爆によってあっという間に崩れ去りました。
戦後は光海軍工廠の跡地に日本製鉄・武田薬品工業という二大企業が入ることによって光市は大きく発展することができました。
農業・漁業従事者が80%以上を占める室積も雇用が促進され豊かな生活が保障される住民が増えました。
反面、
工業用水汚染で漁業被害に対応しようと、たくさんの室積の漁業従事者の子弟が二大企業に雇用されていました。
私の叔父は高卒で二大企業に勤務でしたが、70歳になってすぐ病で亡くなりました。
自治会で仲良くつき合っていた方も二大企業勤務でしたが、つい先日70半ばにして病で亡くなりました。
二大企業に勤務された、主に製造現場に携わった方の中には、謎の病で亡くなる方が多いという噂は以前から流れていましたが、このように身近に起きると、光市発展に大きく寄与している大企業の功罪について考えてしまいます。
今回のブログは暗い話題になりました。
あしからず!