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日和山めぐり ~郷土「室積」を見つめる~

旅の再開は2024年度春に開始、中途半端だったゴルフの基礎練習は現在も継続、猛暑や寒さを避けて旅をする予定です。

回天の碑と光井冠天満宮

2024年12月26日 | 室積の街並み・風景
光回天基地跡に建てられた回天の碑に足を運んでみました。
小学校1年となった孫も連れて行きました。
光井地区から室積半島を望んでいます。
慰霊碑には花も供えられていました。


この碑は平成8年(戦後50年)に設置されています。
大津島の回天基地は戦後大きくクローズアップされ、立派な記念館もあります。
平生の回天基地も潜水学校があったことから、実物大の回天のレプリカもある記念館があります。
三つの基地の司令塔があった回天の最大基地だった光基地は、戦後50年間ずっと存在が閉ざされていました。
平成8年にやっと基地の存在・概要が明らかになり、回天の碑も設置されました。

予断になりますが、
光回天基地は光井地区にあり
光井地区には光井(冠)天満宮・菅原神社という郷社があります。
菅原道真公太宰府左遷時、暴風雨を避け光井港に立ち寄ったということです。
道真公は地元民からお世話になったお礼として冠を差し出されたとのこと。
よって、光井菅原神社から冠天満宮に改名されました。
菅原道真公は防府にも立ち寄られ、その時のお礼は靴でした。
防府にも防府天満宮・菅原神社があります。
光井は冠、防府は靴。
当然、神社の格は冠天満宮の方が上だと、光井地区民は今でも誇りをもっています。
防府天満宮は、今では日本三大天満宮の一つになり、
たくさんの人が訪れる超有名な神社となりました。
決して、防府菅原神社から靴天満宮と改名することはないでしょうね。
光井地区の波止場のわずかな場所に片隅にたたずむ、光の回天の碑を眺めながら不遜な思いを抱いてしまいました。

白砂青松と光海軍工廠

2024年12月25日 | 室積の街並み・風景
光はかつて(戦前まで)、室積ー光井ー島田ー浅江の海岸地帯は一面白砂青松でおおわれていました。
下図の海軍工廠埋立工事開始前の光井地区の地籍図からも
白砂青松の松原であったことがよくわかります。
この一帯は明治時代初期まで綿花栽培が行われていました。
地籍図の上側に紺屋浴(現在は光高校の下側)という地名があり、藍染が行われていた場所でした。
染料は藍の産地は徳島から室積まで船で運ばれていたと思われます。
光海軍工廠建設後の写真からも松原のあった様子が伺われます。
室積から浅江までの松原は、萩毛利本藩によって松の保護育成・維持管理が行われていました。
昔は太平洋・瀬戸内側を中心として全国津々浦々に白砂青松の美しい松原がありましたが、高度成長期の埋立工事によって工場が建ち並ぶようになってしまいました。
些細なことですが、このように伝承しておかないと、歴史は埋没・消滅してしまうということでブログに書き留めておきました。

景勝の地に広がる大規模な光基地

2024年12月24日 | 室積の街並み・風景
書斎に埋もれていた光海軍工廠関係の資料の一部をブログに残しておきます。
人間魚雷回天の光訓練基地は、光海軍工廠内の工員養成所の建物に開設されました。
大津島・光・平生・大神の4訓練基地の司令部は光基地に設置されていました。
訓練コースは室積牛島方面でした。




日本が滅びるのを見過ごすことはできないという痛切な気持ちから
人間魚雷回天は若人(黒木博司大尉・仁科関夫中尉)の考案で開発されたそうです。
ちなみに仁科関夫中尉は、小学校時代は山口女子師範学校附属小学校(現山口大学教育学部附属光小学校)に学んでいます。
光訓練基地からの出撃は12回(内未帰還3回)。
最後の出撃は8月8日、沖縄東方海面に向かったが、ソ連参戦のためウラジオストックへ命令変更。
北上中8月14日昼時長崎沖でグラマンの機銃掃射で搭載していた5基の回天は、全機破損。
修理のため寄港した佐世保に停泊中終戦の詔を聴いたそうです。
8月19日、呉鎮守府長官が水上飛行機で来光、「陛下のお言葉に従え、基地隊を解散する」との命令で回天特攻隊は終焉したと言われています。
でした。

私は回天の存在を否定も肯定もできません。
回天の光基地の存在は、戦後50年間封印されてきましたが、
こうした先人のおかげで、
今の平和な日本がある、平和に暮らせている
こうした歴史的事実を忘れることなく
これからも真の平和なあり方を模索しなければと
景勝の地・室積の海を見ながら
と思うことです。




大企業の功罪

2024年12月23日 | 室積の街並み・風景
山口県光市は昭和17年に誕生
昭和13年に始まった海軍工廠建設によって軍都光は誕生したのです。
島田川の伏流水を取水口とした工業用水としての水利施設も30万人都市のキャパを備え
光海軍工廠に繋がる光駅のホームは名古屋駅に匹敵する長さを誇り
光駅ー室積間に電車を走らせる予定の道路幅50メートル、飛行機が緊急着陸できる直線1000メートルを走る区間もある道路
も一気に完成されました。
工廠工員の通勤のために光駅ー室積間に国鉄バスも走るようになりました。
汽車が止まらない室積バス停はなぜか室積駅と呼ばれていました。
人間魚雷「回天」の基地は、徳山の大津島と平生にもありましたが、光基地が最大の規模を誇っていました。
そうした軍都の夢も、昭和20年8月14日、B29の空爆によってあっという間に崩れ去りました。
戦後は光海軍工廠の跡地に日本製鉄・武田薬品工業という二大企業が入ることによって光市は大きく発展することができました。
農業・漁業従事者が80%以上を占める室積も雇用が促進され豊かな生活が保障される住民が増えました。
反面、
工業用水汚染で漁業被害に対応しようと、たくさんの室積の漁業従事者の子弟が二大企業に雇用されていました。
私の叔父は高卒で二大企業に勤務でしたが、70歳になってすぐ病で亡くなりました。
自治会で仲良くつき合っていた方も二大企業勤務でしたが、つい先日70半ばにして病で亡くなりました。
二大企業に勤務された、主に製造現場に携わった方の中には、謎の病で亡くなる方が多いという噂は以前から流れていましたが、このように身近に起きると、光市発展に大きく寄与している大企業の功罪について考えてしまいます。

今回のブログは暗い話題になりました。
あしからず!

室積に近年アパートが増えた理由

2024年12月10日 | 室積の街並み・風景
室積に近年アパートが増えた理由を知人に尋ねてみました。
理由の一つとして、沖田アパートと武田アパートがなくなったことが挙げられるみたいです。
室積は昭和40年代以降、日本製鉄と武田薬品に勤務する家族のベッドタウンとしてにぎわっていました。
どちらも日本一の製鉄製薬メーカーです。
私が小中学校時代には、北九州の八幡製鉄からの転校生であふれていました。
【昭和30年代の航空写真】

【昭和40年代の航空写真】
2棟の武田アパートと24棟あった沖田アパート

合理化、IT化という時代の流れでアパートも閉鎖を余儀なくされてしまい、平成の終わり頃には大部分のアパートは解体され、昭和30年代の姿に逆戻りしました。
【平成30年代の航空写真】
近年、若い社員のための住居確保が必要になり、
会社、不動産屋、住宅建築業者、地主さんらを中心としてアパート経営が促進されるようになり
アパート建築が進められるようになったのでは、
ということらしいです。

風光明媚、夏は涼しく冬は暖かいのが室積の取り柄です。
今年からJRバスが廃止されたりと利便性は年々悪化の一途ですが、
若い人たちの子育て環境としては室積は最高の場所だと思います。

アパート散策の続き

2024年12月05日 | 室積の街並み・風景
ここ数年間に建てられたアパート散策も兼ねて
1時間余りウオーキングをしました。
赤丸印内を中心に新たなアパートができていました。
場所は正木・中央地区です。
道路沿いに見える石仏は、以前は反対側にありました。
畑だった場所にアパートができていました。
大町地区です。
ちょうど建設中、大東建託です。
大東建託の建屋は、お洒落な造りだけど騒音対策が不十分、という声もあります。
建設中の資材を眺めると、なるほど、と思いました。

西ノ庄地区に数年前できたアパートです。
ここは大和リビングでした。
室積の町並みで空き家が増え、
利便性がわるくなる
人口も8000人足らずになる一方で
新築アパートは増えています。
家賃が利便性がよい他地区に比べて安価なのか
アパートが増えている理由を追究してみたくなりました。

12月 庭まわりの風景

2024年12月04日 | 室積の街並み・風景
本日は好天気です。
12月 庭まわりの風景を記録に残しておきます。
今年は、
台風もこない
潮風の強風も少なく
そのおかげか、もみじの色付きが最高です。




各々の鉢は冬用の花に入れ替えました。

ケヤキの落ち葉もかなり増えてきました。
年末に一気にまとめて掃き掃除をする予定です。
ケヤキの落ち葉処理が大変で庭木にケヤキも利用されなくなりました。
レモンの実も黄色に色付いてきました。
今年は少ないかなと思っていましたが、
50個くらいは実っているようです。

昨日から散歩もかねて、
室積の町並みに新たにできたアパートの確認作業を開始しました。
赤丸印内に最近できたアパートが五箇所もありました。





最近まで田園地帯だった所ばかりで、風景が一変しました。
女子プロゴルフ大会主催している大東建託のアパートが多いですね。
地主さんのアパート経営ってどうなのでしょうか。
他人事ながら気になります。

散歩を開始

2024年12月03日 | 室積の街並み・風景
最近、胆石症の症状が出るので病院で検査を受けました。
エコー検査結果では脂肪肝も少し見られるということでした。
型稽古中心のゴルフ練習では運度不足みたいです。
時々散歩することにしました
散歩の途中、面白いもの(蛇口の付いた色鉛筆)を目にしました。
こっそりと撮影しました。
室積の町並みを散策しながらしみじみと思うには
これまでなじみのあった高齢者が亡くなられ
空き家が年々急速に増えているのに対して
新築アパートの数も増加しているということです。
次回のブログでは、
ここ数年間にできた新築アパートを
こっそりと撮影しながら散歩してみようと思います。

むろづみ空想計画舎その2

2024年08月25日 | 室積の街並み・風景
以前のブログで「むろづみ空想計画舎」を紹介したことがあります。
普賢寺・如宝寺主催の灯籠流しについてネット検索していたら、
むろづみ空想計画舎のサイトに出くわしました。
スクリーンショットしたサイトの一部を引用します。












室積が活性化しつつある状況・室積の魅力がサイトにまとめられています。
感服しました。