
続きを書くのも3回目です。
上田市を後にし、長野市松代町へ向かいました。
長野ICを降りて、順調に・・・ん?、迷いましたw
目的地の松代城への道は、意外と細くわかりづらかったです。
(城の目の前は長野電鉄の駅なのに・・・)
さて、松代城!
またの名を「海津城」といい、武田信玄が上杉謙信の侵攻に備え造られたと言われております。
江戸時代以降は真田信之(真田幸村の兄)の居城でしたので、さぞかし観光化されているのかと思いきや、現在は石垣や門だけが補修された公園になっておりました。

ただ、近辺には真田家ゆかりの品々を展示している「真田宝物館」や「真田低」、また昔の武家屋敷を残した街並みなど、歴史を感じさせるには十分なトコだと思います。
・・・余談ながら、駅前の「池田満寿夫記念館」も何気に印象的w
★ ★ ★
松代を出発するころには、時計の針は2時を過ぎておりました。
本来、帰路につかなければ今日中に自宅に到着しない時間です。
しかし・・・
しかしですよ・・・w
旅は人の決断を違う方向に向かわせますw
車は南下しましたww
(だって、花見なのに桜が咲いてないんですもんww)
1時間ほど走らせ、着いた場所もまたお城でした。
名は、松本城!
日本で3番目に古い天守閣です。
桜は、1分咲きといったところでしたが、薄いピンクのつぼみの中に浮かぶ黒い天守閣は感動しました。
(満開であれば、もっとすばらしいでしょうね)
ホント、無理して来た甲斐があったと思います。
(おそらく自分だけでしょうがww)
★ ★ ★
帰り道、上信越自動車道~関越自動車道~北陸自動車道と通って帰ったワケですが
途中の「碓氷」「妙義」「渋川」「赤城」のひとつひとつ地名に反応して帰ったコトは内緒ですww
総走行距離約1000km!27時間。
とにかく、無事に帰ってこれて良かったですw
上田市を後にし、長野市松代町へ向かいました。
長野ICを降りて、順調に・・・ん?、迷いましたw
目的地の松代城への道は、意外と細くわかりづらかったです。
(城の目の前は長野電鉄の駅なのに・・・)
さて、松代城!
またの名を「海津城」といい、武田信玄が上杉謙信の侵攻に備え造られたと言われております。
江戸時代以降は真田信之(真田幸村の兄)の居城でしたので、さぞかし観光化されているのかと思いきや、現在は石垣や門だけが補修された公園になっておりました。

ただ、近辺には真田家ゆかりの品々を展示している「真田宝物館」や「真田低」、また昔の武家屋敷を残した街並みなど、歴史を感じさせるには十分なトコだと思います。
・・・余談ながら、駅前の「池田満寿夫記念館」も何気に印象的w
★ ★ ★
松代を出発するころには、時計の針は2時を過ぎておりました。
本来、帰路につかなければ今日中に自宅に到着しない時間です。
しかし・・・
しかしですよ・・・w
旅は人の決断を違う方向に向かわせますw
車は南下しましたww
(だって、花見なのに桜が咲いてないんですもんww)
1時間ほど走らせ、着いた場所もまたお城でした。
名は、松本城!
日本で3番目に古い天守閣です。
桜は、1分咲きといったところでしたが、薄いピンクのつぼみの中に浮かぶ黒い天守閣は感動しました。
(満開であれば、もっとすばらしいでしょうね)
ホント、無理して来た甲斐があったと思います。
(おそらく自分だけでしょうがww)
★ ★ ★
帰り道、上信越自動車道~関越自動車道~北陸自動車道と通って帰ったワケですが
途中の「碓氷」「妙義」「渋川」「赤城」のひとつひとつ地名に反応して帰ったコトは内緒ですww
総走行距離約1000km!27時間。
とにかく、無事に帰ってこれて良かったですw
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