囲碁と無我自然体

↑ クリックしてください
 旅行 花  囲碁対局 囲碁死活 で
 おまちしています
  

囲碁とギリシャ旅行アテネ考古学博物館

2010年04月24日 07時58分40秒 | 旅行 ギリシャ
                      
2010年3月 アテネ考古学博物館にて撮影

2010年4月23日 今日は雨のち曇りでした。
朝はいろんな小鳥のさえずりが聞こえました。
おはようございます。お元気ですか。
アテネ考古学博物館の2000年以上前の作品の
ひとつをご紹介します。

  旅行 国宝で。   旅行 富士山で。   旅行 城(除国宝)で。   旅行 海で。   旅行 湖で。
  旅行 ヨーロッパで。  旅行 京都御所で。  旅行 その他で。   花で。 
  囲碁と源氏物語五十四帖押絵展で。  囲碁死活で。  囲碁対局で おまちしています
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

囲碁とギリシャ旅行アテネ考古学博物館

2010年04月22日 21時55分10秒 | 旅行 ギリシャ
             
2010年3月 アテネ考古学博物館にて撮影

2010年4月22日 今日は静かな雨です。
おはようございます。お元気ですか。
2000年以上前の作品の1つをご紹介します。
やはり見とれてしまいます。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

囲碁とアテネ国立考古学博物館

2010年04月19日 09時28分35秒 | 旅行 ギリシャ
          

2010年4月18日 暖かく快晴無風です。
おはようございます。お元気ですか。
つい先日アテネ国立考古学博物館で撮った写真の1枚です。
2000年以上前の作品です。
見とれてしまいます。

  旅行 富士山で。   旅行 国宝で。   旅行 海で。   旅行 湖で。   旅行 城(除国宝)で。
  旅行 京都御所で。  旅行 その他で。   花で。  旅行 ヨーロッパで。 
  囲碁と源氏物語五十四帖押絵展で。  囲碁死活で。  囲碁対局で おまちしています
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

囲碁とアテネ考古学博物館特別展より

2010年04月16日 07時13分47秒 | 旅行 ギリシャ
 

2010年4月15日 快晴無風です。
おはようございます。お元気ですか。
今日は アテネ考古学博物館にて撮影した
一品のみ ごゆっくりご覧ください。
私の大好きな黄金です。
西洋ではどこへ 入館しても 
ストロボやフラッシュをたかなければ撮影は自由です。
なぜに日本だけが 問答無用で撮影禁止にするのでしょうか。
ご存知の方教えてください。

  旅行 国宝で。   旅行 富士山で。   旅行 城(除国宝)で。   旅行 海で。   旅行 湖で。
  旅行 ヨーロッパで。  旅行 京都御所で。  旅行 その他で。   花で。 
  囲碁と源氏物語五十四帖押絵展で。  囲碁死活で。  囲碁対局で おまちしています


             またボード碁の対局をしてみようと思われる方 コメントで連絡ください 
             めぐりあいは 何かのご縁 強い弱いにかかわらず
             どなたさまにも 無我が楽しくお相手します。          
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ギリシャ旅行7日目続き アテネ市内

2010年04月10日 14時19分13秒 | 旅行 ギリシャ
[午前]アテネ市内観光続き

国会議事堂
             

国会議事堂の衛兵交代
       

アテネ大学
       

                  

              

アリストテレスの像
              


アテネ国立考古学博物館
考古学博物館は1889年に完成しました。
   

アルテミシオン乗馬姿の少年像。BC2世紀。
   


アルテミシオンのポセイドン。BC460年。
アルテミシオン沖の海中から「乗馬姿の少年像」 といっしょに発見されました
   
   
サンダルを振り上げるアフロディーテ        
              

ミロス島のポセイドン。BC3世紀。
               

ミケーネの黄金のマスク。なんとBC16世紀のもの!   
             

アンティキセラの青年像。青銅製。BC340年頃。
             

★昼食はムサカ(ナスと挽肉の重ね焼き)
[午後]空路、カタール航空にてドーハ乗継ぎ、帰国の途へ 朝食:ホテル
昼食:ムサカ
夕食:機内食 機中泊

8日目 [夕刻]関西国際空港着後、空港にて解散 朝食:機内食
昼食:機内食
夕食:-
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ギリシャ旅行7日目 アテネ アクロポリス

2010年04月10日 14時18分52秒 | 旅行 ギリシャ
7日目 アテネ  夜<飛行機>
[午前]アテネ市内観光 アテネの象徴パルテノン神殿がそびえる
世界遺産アクロポリスの丘、新アクロポリス博物館、復元された
オリンピックスタジアム、ゼウス神殿などへ

フィロポパスの丘の上に、シリア出身の篤志家
「アンティオコス・フィロパポスの記念碑」(114-116年)が建っています。
アテネに多大な貢献をしたフィロパポスを称えてアテネ市民によって建立されたそうです。
  

ヘロデス・アティコス音楽堂
チケットチェックを抜けアクロポリスへの坂を上る途中、
右下にヘロデス・アティコス音楽堂があります。
パナシナイコ・スタジアムの改修もした富豪、ヘロデス・アティコスが寄贈した
5000人収容可能な音楽堂で、かつては戦争でぶんどった船の帆や柱を使って
作った天井があったそうです。
1961年に修復され、現在では夏にアテネ・フェスティバルとして、
演劇や音楽会が上演されています。
   

前門プロピュライア
前門は名建築家ムネシクレス作で、中央、左右の3棟からなります。
中央は正面に6本のドーリス式円柱が並び、
左右には3本づつイオニア式の柱が並んでいます。奥には門扉が5つありました。
かつては柱や壁一面に金粉が塗られ、
大理石で作られていた天井は空色に塗られていたそうです。
   

エレクテイオン
アクロポリスの丘の北側ぎりぎりに立つ神殿で、一番目を引くのは柱として屋根を支える6体
のコレー(乙女)像。カリアティディスと呼ばれ、高さは2.3m。1体はパルテノン神殿の彫像と一
緒に大英博物館に拉致。残り5体も近年空気汚染のため破損がひどくなったので複製と置き
換えられ、現在アクロポリス博物館で展示されています。
この神殿には次のような神話があります。
アテネの初代王は蛇の足を持ったケプクロスで、彼の国ケクロピアの守護神を決めることに
なりました。海神ポセイドンと知恵の女神アテナが立候補して、それぞれが贈り物をして喜ば
れた方が守護神になることになり、まずポセイドンが三つ又の矛をアクロポリスに突き刺して
エレクテイスという海水の泉をわき上がらせ、続いてアテナ女神がオリーブの樹を生やしまし
た。ケプクロスはアテナ女神を選び、国の名もアテナイと改めました。
    

   

   

パルテノン神殿(前449-前438)
古代ギリシャの象徴であり、女神アテナに捧げられたパルテノン神殿は、
聖なる丘アクロポリスの最も高いところに建っています
   

   

     

    

リカベトスの丘の頂上には、アギオス・ゲオルギオス教会、レストラン、カフェ「ディオニソス・ゾナース」があり、ここからアテネ市内を一望に見渡すことができます。
   

ディオニッソス劇場
古代アテネでは紀元前6世紀ごろからアゴラにて演劇が行われていましたが、
木造の桟敷席が崩壊する事故が起きたことから、
紀元前5世紀半ばにリュクルゴスによって
ディオニッソス(酒・演劇の神、ローマ神話のバッカス)の聖域であった現在の地に
石造りの劇場が建設されました。
15000人収容できる大きな劇場で、アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデス、
アリストパネスといった有名悲劇・喜劇作家の多くの作品がここで初演されました。
   

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ギリシャ旅行6日目

2010年04月09日 18時52分40秒 | 旅行 ギリシャ
6日目 アテネ<船>
[終日]紺碧のエーゲ海・サロニコス湾に浮かぶ宝石のような3島を巡る
エーゲ海ミニクルーズ 
               

   

   

   

   

パステルカラーの邸宅が立ち並ぶイドラ島。
オリーブに覆われるポロス島、
ピスタチオの産地として名高いエギナ島へ行きました。

イドラ島
島は自動車乗り入れ禁止となっており、観光客は徒歩かロバに乗るかして島を回る。
イドラという島の名前の由来は、古代ここに泉があったので、
その「水」(ギリシア語: Υδρέα、ローマ字:Hydrea)からきている。
現在は干上がってしまい、飲料水はボートで本土から運ばれてくる。
島内には荒涼とした丘陵地帯が広がり、その中に空き家となった農家や、
ギリシャ正教の修道院がある。

   


ポロス島
アテネのピレウス港を出てから約2時間でポロス島に着きます。
ボロス島は大小2つの島からなっておりますが、
滞在時間は1時間くらいしかなくゆっくり島内を散策することはできず、
下船した人の多くは日本語で「時計台」と書かれた案内板に従って
急な細い階段を登って、時計台で記念撮影

   

   

エギナ島はアテネから比較的近いため、サラミナ島と並んで、
アテネに住む人たちの手軽なリゾート地となっている。
また、ギリシャ人の間では、ピスタチオ・ナッツの産地として、
そしてまた聖ネクタリオス修道院のある島としても有名。
エーゲ海一日クルーズの行程になっているため、日本人のツアー客も多く訪れる。
島の中央にあるアファイア神殿だけではなく、
エギナ・タウンにあるコロンナの遺跡と考古学博物館も訪れたほうがよいだろう。
エギナ・タウンは、独立戦争中一時ギリシャの首都だったこともあるため、
ギリシャの現代史に興味がある人にとっても興味深い場所。

   

   

ここに建てられた最初の大神殿の建築は、前570年ごろに始まり、
前六世紀の半ばに完了したらしい。
他のギリシャの神殿同様、かつては彩色されていた。
しかし、最初の神殿は間もなく火災にあい、その後、さらに拡大して再建された。
この工事は、恐らく前六世紀の終わりに始まり、前490-480年にはまだ続いていた。
柱はドーリス式であるが、柱頭が大きく、柱が太い、
アーカイックなタイプである(コリントのアポロン神殿がこれに類似している)。
 柱の数は、前後に六本ずつ、側面に十二本ずつ、計三十二本だったが、
現在残っているのは二十四本。北側に立つ三本以外は、全て一本石でできている。
神殿は地元で産出する石灰石でつくられており、
古代にはストゥッコで赤く彩色されていた。
この場所でのアファイア崇拝は、前一世紀頃に廃れたとみられる。

★昼食は船内にて美しい景色を眺めながら 朝食:ホテル
昼食:船内
夕食:シーフード アテネ

パルテノン神殿の夜景
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ギリシャ旅行5日目 見事な修道院

2010年04月05日 17時39分01秒 | 旅行 ギリシャ
2015年5月3日 温暖無風快晴です
おはようございます。 お元気ですか。
見事な修道院を再度ご紹介します。


5日目 アテネ<バス>メテオラ<バス>アテネ  20100405
[午前]世界遺産メテオラの修道院観光

メテオラの修道院は、ビザンチン時代後期およびトルコ時代には、
迫害を受けたキリスト教修道僧たちの聖域でした。
彼らはこの不毛の人を寄せつけない高さ400mもの岩山に、
ビザンチン芸術の中心を築き上げたのです。その歴史は、11世紀に始まります。
しかし、既に9世紀頃より隠者たちが岩の割れ目や洞窟に住み着いていました。
そして時代とともに修行僧の数が増え、僧院が建てられるようになったのです。
15世紀から16世紀にかけて最盛期には24を数えた修道院も、
今日では5つの修道院にしか人が住んでいません。
これら修道院と、それを支える奇岩群が織りなす景観はまさに幻想的で、
世界中からの観光客を引きつけて止みません。


ヴァラーム修道院です。
隠遁者ヴァルラアムが建造した隠遁所跡に、1517年にイオアニナの裕福な一族出身の
兄弟修道士テオファニスとネクタリオスによって、建てられた修道院です。
付属の諸聖人教会堂のフレスコ画は、聖人伝画家フランコ・カテラノが1548年に描きました。

               

         

         

             

メテオラは9世紀頃から隠者等が、岩の割れ目や洞窟に住みついて、
宗教を守り抜いていました。
この頃、地中海沿岸地域ではキリスト教は迫害されていました。
メテオラの原語メテオランは“空中に浮いている”という意味です。
ビザンチン時代後期の11世紀頃、セルビア王国や、つづくオスマン帝国時代に、
戦乱や異教徒迫害を避けるため、多くの修行僧がメテオラにやってきました。
修行僧は「神との交信/合一」を求めるために、世俗との交信を一切断つ生活を行った。
メテオラの奇岩群(高さ20~600mくらい)は、こういう修行僧の聖域になり、
集団生活を行う僧院が建てられるようになりました。
統治者の保護もあり、僧院建築は15~16世に紀最盛期をむかえ、
その数は24。いづれもビサンチン様式で建てられました。
修行僧は、絶壁に垂直のハシゴを立てたり、張り出した滑車に縄袋を吊り、
これを上下させて、建築材料、食料、僧を運びました。
だがメテオラ一帯を治めていた統治者からの保護が受けられなくなってくると
(18世紀半ば~19世紀末)、修行僧は他の地に去っていきました。
今日では6つの修道院にのみにしか修行僧はいません(うちひとつは、尼僧院)。
1988年に世界遺産に登録されました。

         

                  
アギア・トリアダ修道院
際立って美しい奇岩上にあり、この岩の高さは525m。
絵ハガキなどによく使われます。
1458~1476年にかけて修道僧ドメティウスによって建造されました。
             

 イコンの部屋や眺めが
素晴らしいメガロ・メテオロン修道院へ。
メテオラの中で一番大きく重要な修道院です。
この修道院は多くの寄付により自治権を持ち、たくさんの貴重な美術品を所有しています。現在博物館になっている修道院の食堂や、写本や書籍が所蔵されている図書館などがあります。
その昔は梯子を繋いだり、滑車につるした網袋で修道院に登りましたが、
現在は、岩面に掘られた115段の階段を登りたどり着くことができます。
              
メガロ・メテオロン修道院の壁画です。
         

         

[午後]一路、アテネへ
★昼食はスブラキ(肉の串焼き) 朝食:ホテル
昼食:スブラキ
夕食:中華料理 アテネ 20100405
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ギリシャ旅行4日目

2010年04月04日 11時53分50秒 | 旅行 ギリシャ
4日目 デルフィ<バス>カランバカ
[午前]デルフィ観光 アポロンの神託で有名な世界遺産デルフィ遺跡、

デルフィの考古遺跡はギリシャ本土、
パルナッソス山のふもとにある古代ギリシャの聖地です。
現在も崇高な空気が漂うデルフィの遺跡は19世紀末まで
小さな村の下に埋もれてその存在が知られていませんでした。
やがてフランスの考古学隊により発掘されることとなったため、
村全体が移動され現在デルフィ村となり、デルフィ遺跡観光の起点となっています。
かつて予言の神アポロンのお告げが聞ける聖地として
大きな賑わいをみせたデルフィ威光「神託の地」。
紀元前8世紀頃からこの地でゼウスの息子であるアポロンを崇拝する信仰が始まります。
市井の人々からアレクサンドロス大王まで、人々はこぞって神託を授かるため
遺跡のアポロン神殿に集いました。
神殿の地下からは大地のへそと呼ばれる大理石の巨大な石が発掘されました。
当時、デルフィは世界の中心だと考えられていたのです。
人々は神託への感謝の気持ちを込めてデルフィに様々な貢物を贈りました。
ブロンズで出来た精巧な御者の像やスフィンクス、
ローマ皇帝が納めた像など幾多の美術品がアポロン神殿までの参道を飾りました。
世界最古の楽譜とも言われるデルフィ讃歌の楽譜も発見され、
当時のデルフィの威光を示す貴重な証拠となっています。

「アポロンの聖域」と呼ばれるデルフィ遺跡。わりと急な山道を登ります。
アポロンの神殿。今では6本の柱が残るのみ…
         
         
         

5000人を収容できる大劇場。
                 

現在はマルマリアと呼ばれるアテナの聖域には
紀元前370年頃に建造されたドーリス式のアテナ・プロナイア神殿
紀元前380年頃に建造された円形神殿(トロス)などの遺跡があり
特にトロスはデルフィの神殿の中でも最も美しいといわれています。
         
       
   

デルフィ遺跡に隣接して博物館がありました。
ギリシャでは重要遺跡の間近に博物館が在り、
そこで発見された遺品を展示していて とても便利です。
オリンピアもそうでした。

「青銅の御者像」で有名なデルフィ博物館へ。

アポロン神殿の破風彫刻前で現地ガイドの説明を聞きました。
この神殿は2回建て直されました。
         

この博物館最大の呼び物 青銅の御者の像。 BC478年の作品。 高さ180cm。
シチリア島ポリサロスの奉納品だそうで、1896年に発見された。
目や睫毛まで精巧に作られており、2500年前の作品とは とても思えません。
               

ナクソス人のスフインクス。 BC560年頃の作品。 高さ222cm。
この像も有名ですね。 ナクソス島の献上品。 今でもこの島の紋章となっています。
アポロン神殿の南、アテナイ人の回廊の西の岩に立っていたと考えられています。
    

アカントス柱上のテュイアス。 BC380年頃の作。 高さ379cm。(台座とも)
アカントスは地中海沿岸原産の植物ですが、豊かに繁る木柱は
豊穣を意味し、3人の乙女が祭りの舞を踊っている。 アテナイからの献納品。
                

眩く光る黄金の装飾具。 名称不明。
神域破壊時の略奪にも遭わず、長い間 盗掘されなかったのにも驚きました。
                

竪琴を弾くアポロンを描いた杯。 BC5世紀頃の作品。
この模造品はあちこちで見ます。これが原作だったのですね。
         

[午後]昼食後、カランバカへ
★昼食はカラマラキア(イカの唐揚げ)、夕食はスズカキャ
(肉団子のトマトソース煮) 朝食:ホテル
昼食:カラマラキア
夕食:スズカキャ カランバカ
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ギリシャ旅行3日目

2010年04月04日 11時51分42秒 | 旅行 ギリシャ
3日目  オリンピア<バス>デルフィ
[午前]オリンピックの発祥の地オリンピア観光
ゼウス神殿や古代オリンピック競技場などが点在する世界遺産
オリンピア遺跡、

フィリッペイオンです。
フィリッポス2世が紀元前338年のカイロネイアの戦いの
戦勝記念に献呈した建物です。柱の様式は、イオニア式。
         
      

下の写真は、有名な近代オリンピックの採火場です。
3本の柱が立っている辺りがヘラ神殿です。そのヘラ神殿をバックに記念撮影~。
ヘラ神殿は、ギリシャの中でも最も古いドリス式神殿のひとつです。
オリンピア博物館で見る「赤子のディオニソスをあやすヘルメスの像」は
ここで発見されました。

         
         
         

スタジアム入り口 には、ローマの暴君ネロ帝が建てたアーチ型の凱旋門があります。
         

オリンピア博物館へ。

赤子のディオニトスをあやすヘルメス像
ゼウスの使者ヘルメスが、嫉妬に狂ったヘラ(ゼウスの妻)からディオニソスを守るため、
ニンフたちに届けようとする姿、だそうです。
ゼウスの腹違いの子供である二人は ヘルメスの方が年上でヘラに母親を攫われた
ディオニトスをあやしているのだろうか。ディオニトスはいずれバッカスになる。
肌理細やかなまでに磨かれた肌と動きのある姿が美しい。

             

         

ガニメデスを攫うゼウス像
トロイの美少年ガニメデスは鷲に攫われて天に行き ゼウスの酒の酌をさせられた

             

神殿の破風
         

ゼウス神殿の破風 
こちらはラピタイを描いたものでまん中にアポロンが立つ(東の破風)
        
中央拡大
         
こちらはオイノマオス王とペロプス王の戦車競争を描いた彫刻(西の破風)
         
2000年以上前の多数の作品達のひとつです。見とれてしまいます。
              

                

[午後]昼食後、デルフィへ
★昼食はイエミスタ(トマトのライス詰め)をどうぞ 朝食:ホテル
昼食:イエミスタ
夕食:レストラン デルフィ
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ギリシャ旅行2日目まで

2010年04月04日 11時49分20秒 | 旅行 ギリシャ
日次 スケジュール 食事 宿泊地 毎日写真を追加していきます。

1日目 関西国際空港<飛行機>
関西国際空港 集合は22:00 朝食:- 昼食:- 夕食:- 機中泊

2日目 [0:25]空路、カタール航空にてドーハ乗継ぎアテネへ 朝食:機内食 昼食:機内食

<飛行機>アテネ<バス>オリンピア
[午後]アテネ着後、オリンピアへ 途中、エーゲ海とイオニア海を結ぶ
コリンソス運河を横断。
         
コリンソス運河:コリント地峡に設けられる。ギリシャ本土とペロポネソス半島を結ぶ。
長さ6343m、幅23m、高さ8m、深さ80m。沿岸航路船や遊覧船は曳航されて渡る。
運河を造る構想はBC7Cからあったが、難所のために実現はしなかった。
ローマ皇帝ネロはその実現を企てた最初の1人で、6000人のユダヤ人囚人を使って着手。
実際に運河が開通したのはフランスの運が建設会社によってで、1893.7。
エーゲ海のサロニコス湾とイオニア海につながるコリンシアコス湾が結ばれた。
かつてここを通る船はこの地峡で一端陸に引き上げられ、もう一方の港に下ろされていた。
                
         
その後、オリンピアへ 
         
夕食:魚料理 オリンピア
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする