あああー、あーっと、叫んで、移民が完了した。
朗善先生も私も無事、終点の松山にたどりつく。
先生は「オーバーロード、オーバースティミュレートだよ」と、言ってるけど、おおむねハッピー、住む家が見つかった。姉が、温泉の前の一軒家を見つけといてくれた。「庵」的なものを想像してたんで、それには大きすぎるが、古さはジャストライト。朝も夜もチェロを弾くという条件ではなかなか見つからない、日本は家が建て込んでるから。
家の中を見て、先生は「ジーズ、マイガー」という。あごが落ちる。
「冷蔵庫も、ガス台も、洗濯機もなし、キッチンにお湯もなし、暖房すらなしで、どうやって暮らしていくんだよ」と、肩を落とす。日本じゃ普通だよ、と慰める。
昨日は、先生の日本語学校を見学に行った。帰り、落ち込んでる先生を、高島屋の屋上の観覧車に乗せて励ます。やや元気になり、「ここでエッチするカップルがきっといるだろうなあ」などと言う。お城山と、雪をかぶった石鎚をはればれと見ながら、「大きな町だなあ」と感心する。ここは終点じゃなくて、これから本当の奥の細道が始まるんだよ、と私は心につぶやく。
役所の手続きのため、先生のラストネームの漢字を正式に決める。姉に相談したら、「朗らかで善きジューイッシュということで、朗善がいいんでないの」、という。やっぱそれかな。決まり。
写真はNY最後の朝陽。