ミセスローゼンの道後日記

朴落葉一枚選び持ち帰る

「考えるエクササイズ二つ」

先日NHKで放送された「終わらない人 宮崎駿」の中で「人工知能で映像処理する技術」(痛覚とか普通の歩き方を学ばせていないAIが、頭で歩いたり手を足のように使ったり、「人間が想像できない動きをさせる」というCG)

を見て、宮崎駿監督が、「僕はこれを面白いと思って見ることが出来ない」「生命に対する侮辱を感じる」と激怒した事件である。私もそのCGを以前見た時は、正視するに忍びない、醜い、と思ったが、何度か見るうちに、人類は進化あるいは退化しても何とか生きて行ける適応能力があるんだなあ、偉いもんだ。醜くても生きていればいいじゃないか、頑張れ、と最後には応援する気持ちになれた。若い世代は倫理観も若い。生命に対する侮辱という感覚はCG製作者には無かったと思う。生命に対する興味や価値観が変わってきているのだ。またそうなってゆかなければ人類は今後サバイブして行けないだろう。その時代にはこれが美となるやもしれぬ。


一方、死んだ魚を氷漬けにしたスケートリンク場問題は、倫理観をうんぬんするよりもっと単純。 これがアートであったならば、私が未来人間的CGを見た時のように、想像を膨らませ考えることができただろうが、スケートリンクという遊びの中に持ち込んでしまうと、アートとしての価値が無くなり、人々は立ち止まって考えなくなってしまう。スキー場のスロープに鹿の剥製のアートを転々と置かれても邪魔なだけ、みたいに。作る前からそんな事想定出来ただろうに。例えば誰か有名なプロデューサーが言い出したら誰も疑わずにやっちゃう、アタマも心も使わない怠惰な人が増えている、という現象の方が問題ではないか。
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