海外製。
全長約1,320mm。
重量約3.5kg。
ストラップ本革。
収納ケース無。
刻印無。
インターナショナル・タッグ王座
インターナショナル・タッグ王座(エヌダブリューエーインターナショナル・タッグおうざ)は、かつて日本プロレスがWWAに働きかけてアメリカで設立。後に全日本プロレスに管理権が移りPWF認定のタイトルとなった。現在は世界タッグ王座を構成する2本のベルトのうちの一つである。長期間NWAの認可だった事もあり、日本以外ではNWAインターナショナル・タッグ王座と呼称される。
概要
フリッツ・フォン・ゲーリング&マイク・パドーシスが、1966年9月の日本プロレス参戦前に王者チームとして認定された。初代王者チームはアル・コステロ&ロイ・ヘファーナンのファビュラス・カンガルーズで、ゲーリング&パドーシスは第6代王者とされるが、ゲーリング組が来日するまでの変遷はフィクションと見られている。
G SPIRITS vol59によると、インタータッグのベルトは鷲の大きさや鷲の羽根の開き方など多少の違いはあるものの、基本デザインとベースはインターシングルやアメリカスヘビー級王座ベルトとほとんど一緒となっており、これはカップやトロフィー、メダルなどを製造する元浅草の老舗松本微章工業株式会社の作品として知られる。日本プロレスはインタータッグ王者を新設するにあたって、同社製造のシングルの黒革に青字を張ったベルトに少し似せた雰囲気の黒革のみのベルトを日本で作らせ、それをケースに入れて梱包し羽田からロスへ空輸する手続きをしたと日本プロレスで担当した三沢正和が答えている。
そのベルトをロサンゼルスで最初に巻いたのはビジランテスというタッグチーム、ジェリー&ボビーのクリスティ兄弟としており、つぎにゲーリング&パドーシス組に移動させ、こうしてしばらく泳がせてアメリカでの既製ベルトのように見せかけ箔をつけさせた。選手権の様子はロスの特派員である吉本栄が随時写真を日本に送って東京スポーツの一面を飾っていく。
南カリフォルニアを地盤とする往時のWWAは提携する日本プロレスのために、自分たちとほとんど無関係なよそ者レスラーを使って、ストーリー作りに協力していたようである。
同年11月5日にジャイアント馬場&吉村道明がゲーリング&パドーシスを破って王座について以来、日本を代表するタッグベルトとして幾多の名勝負を生んだ。
歴代王者には馬場&アントニオ猪木(BI砲)、坂口征二(東京タワーズ)、ジャンボ鶴田(BJ砲)のコンビや、ディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキー、ザ・ファンクス、大木金太郎&キム・ドク、タイガー・ジェット・シン&上田馬之助、ロード・ウォリアーズ、鶴田&天龍源一郎(鶴龍コンビ)、長州力&谷津嘉章などの名コンビが名を連ね、挑戦者チームも、フリッツ・フォン・エリック&ワルドー・フォン・エリック(フォン・エリック・ブラザーズ)、スカル・マーフィー&ブルート・バーナード、ダスティ・ローデス&ディック・マードック(テキサス・アウトローズ)、キング・イヤウケア&ブル・ラモス(ザ・タイクーンズ)、アブドーラ・ザ・ブッチャー&キラー・トーア・カマタ、スタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディ(ミラクルパワーコンビ)、ミル・マスカラス&ドス・カラス(マスカラス・ブラザーズ)、マイケル・ヘイズ&テリー・ゴディ(ファビュラス・フリーバーズ)などプロレス史上に残るタッグチームや、ハンス・シュミット&バディ・オースチン、マッドドッグ・バション&キラー・カール・コックス、ジン・キニスキー&ジョニー・バレンタイン、ブルーノ・サンマルチノ&キラー・コワルスキー、ビル・ロビンソン&ワフー・マクダニエルといった即席ながら強豪外国人同士のドリーム・チームまで、幾多の名レスラー・名コンビの名前が並んでいる。大木&ドクの戴冠時には、当時の国際プロレスの最強コンビだったラッシャー木村&グレート草津も挑戦した。
馬場&吉村の王座獲得から1973年4月までは日本プロレスの管理下にあったが、日本プロレス崩壊後の1973年5月から1975年2月まではファンクスがタイトルを保持し、本拠地のテキサス州アマリロや全日本プロレスにおいて防衛戦を行っていた(アマリロでは、1974年に馬場&パク・ソンやザ・ブラックジャックスの挑戦を受けている)。1975年2月5日、テキサス州サンアントニオで馬場&鶴田がファンクスを破って王座を奪取、以降は全日本プロレスのフラッグシップ・タッグタイトルとなった。1982年8月30・31日にプエルトリコのサンフアンで行われたNWA総会では「NWAは東洋シェアでの実績と信用を評価し、インターナショナル・ヘビー級王座、インターナショナル・タッグ王座、インターナショナル・ジュニアヘビー級王座の3つの王座は、今後はPWFと全日本プロレスに半永久的に管理および運営を一任する」(総会に出席した馬場・談)という決定がなされ、NWAから全日本プロレスに管理権を委託したことが正式に発表された。
1988年、インターナショナル・タッグ王者のウォリアーズとPWF世界タッグ王者の鶴田&谷津の間で統一戦が行われ、鶴田組が勝ったことにより両王座は世界タッグ王座として統一された。
Wikipediaより
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