探鳥チャンネル

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09/14甲州街道紀行-6日目(鶴瀬宿から猿橋:笹子峠越え)

2023-09-14 16:30:48 | 旅日記

先ず、駒飼宿を目指します。駒飼宿は鶴瀬宿と合宿で1.4kmの至近距離にあります。又、歴史的には武田滅亡の谷であるそうです。(勝頼親子が笹子峠を越し、駒飼の山中にひきこもった事を知った織田軍は一行を取り囲み、逃れがたいことを知った勝頼主従は秩父の天目山麓で自害して果てたとの事です駒飼宿に到着。

 

 県道212号線は、先の台風による道路の崩落があり、通行禁止となっていました。
 一旦、笹子川沿いの自然道に入りかけましたが、。自然道はもっと酷いだろうと判断し、212号線を歩行する事にしました。通行禁止の柵を乗り越えて歩行して行きます。ありました、一車線分完全に崩落しています。復旧
には相当の時間がかかると思われました。自然道も通行禁止の箇所がありました。約3時間かかり、峠への到着です

思った以上に、難なく着けたと思いました。昼食に持参した「おにぎり」の美味しかった事。

 暗くて長い、やや薄気味悪い笹子隧道を通過すると、下りとなります。崩落個所を避けながら、30分程下ると、「矢立ての杉」がありました。この地は風林火山のふる里で、出陣に出る武士たちが、この杉に矢を射立て必勝を祈願したと伝えられているそうです。下りは登りに比し道路の痛みが少ないせいか歩行スピードが上がります。 人形芝居が伝存していると言われる追分を通り、黒野田宿を見ながら、2時間程でJR笹子駅に着きました。しかしながら、猿橋まで行くとなれば、歩行に費やす時間がかなり不足する事が解り、大月まで電車で移動しました。

大月駅前で一服し、20号線を歩行しますと左手に大きな山が見えてきました。「岩殿山」です。戦国期の山城、岩殿城として知られているようです。(織田・徳川連合軍に追われた勝頼が落ちのびようとした城でした。その時、勝頼 は、群内を領した小山田氏に阻まれたようです)


 その後、第五甲州街道踏切を渡り、旧道に入りますと、東電:駒橋発電所がありました。又、山を背景にとした桂川の素晴らしい景観を望む事が出来ました。阿弥陀寺、三島大明神の前を通り、宮下橋南詰信号から左に入り、桂川沿いを歩行して行きますと、「猿橋」に到着しました。
 

 

 猿橋は、冨士山の溶岩流が長い年月をかけて侵食された深い谷にかけられた橋で、橋脚が立てられないため
両岸から刎木を四段に長く重ね、最上部の刎木の上に橋桁を渡して連絡した橋である。岩国の錦帯橋、木曽の
桟橋とともに日本の三奇橋と呼ばれています。猿がお互いに体を支えあって橋を作ったとの言い伝えがあり、国の名勝に指定されています。

 本日の行程を無事に終え、宿泊先のあるJR上野原駅へ向かいました。

09

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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