中山道の一里塚、関所①
中山道:武州路&信州路(江戸~下諏訪宿)で見れた一里塚、関所跡を掲載します。
◇志村一里塚
徳川家康は街道整備のため、慶長9年(1604年)に諸国の街道に一里塚の整備を命じました。志村一里塚は中山道の第3番目の一里塚として築かれたもので、明治以降多くの一里塚が消滅するなか、今日、2基一対で残っている一里塚は全国的にも大変少ないものです。現在は国の史跡に指定されています。
◇新島の一里塚(熊谷宿~深谷宿)
ここは17里目で、植木の一里塚とも云われる。樹齢300年の欅の大木がある。ここには「従是南忍藩 安永九年」の領界石がある。 また、向かい側には「摩多利神改修の碑」の石碑もある。
◇高崎宿離れの一里塚
◇碓井峠の関所跡(碓氷坂関所)
上州と信州の国境にある関所跡。当時、江戸を守るために「入り鉄砲に出女」を厳しく取り締まった。門柱2本と門扉、屋根材、台石が当時も使用されていたものです。
◇追分の一里塚
日本橋から40番目の一里塚。今は、この街道の塚が大部分崩壊してしまったが、この追分一里塚はよくその原形を保っており、当時を偲ぶことのできる貴重なものである。
◇追分宿の分去れ
◇御代田一里塚
追分一里塚の次に位置する一里塚です。
◇笠取峠一里塚
47里目の一里塚。形はほとんど留めていないが、塚木のアカマツが往時を残す。
◇西餅屋一里塚
和田峠にある一里塚で、江戸より53里に位置します。
◇下諏訪宿の一里塚(55里塚)
江戸から55里に位置する一里塚です。
05/22中山道の一里塚&関所跡①