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井上もやしの日常

ほぼ「つぶやきの墓場」となっております。ブログやSNSが多様化して,ついていけないのでございます。

井上ひさしさんが死去

2010-04-11 20:12:24 | Weblog
 こんなに早くお別れがやってくるなんて、想像もしていませんでした。

 昨日、ガソリンスタンドで車にワックスを掛けてもらっている時に読んだスポーツ紙では「脚本家の井上氏が夏に新宿の紀伊国屋サザンシアターで上演予定だった『木の上の軍隊』の脚本執筆を延期して肺がんの治療に専念する」という記事が載っていたので、快方に向かっているとばかり思っていました。

 それが、今朝のニュースでは「亡くなった」ですから…。ちなみに、私の「井上もやし」は「井上ひさし」にあやかって名付けたものです。井上さんを最初に意識したのは朝日新聞連載の「偽原始人」でした。高校1年生の時に勉強というものに非常に疑問を持っていた時に読んだ文章でしたので、彼の考えはすうっと私の心に入ってきました。「勉強ばっかりの日本の現代っ子って、未開の土地に住む子どもたちよりも果たして幸せなのか」がこの小説のテーマです。男ばかりの普通高校でテストの点数を気にし続ける私には、小学校担任をつるし上げる教育ママたちに反乱を仕掛ける連載小説に登場する小学生3人組がとてもまぶしく感じられ、他の短編も読むようになりました。読んでいくうちに、井上さんはNHK「ひょっこりひょうたん島」や教育テレビの小学生向け番組の脚本を書いていたことやてんぷくトリオのコント台本を書いていることも知りました。私の思考の根幹部分を作り上げてくれた人と言っても過言ではありません。特に、当時の多くの子どもたちは「ひょっこりひょうたん島」を毎日見ていたはずです。福島県には民放テレビ局が1つしかなかったので、ほぼ10割の子どもがこのNHK番組を見ていました。兎に角「諦めないで希望を持つこと」を教えてくれたのがこの番組です。

 私が大学生になった頃には、週刊朝日等で井上さんが「国鉄論」や「農業論」を寄せているのをよく読みました。憲法前文を巡って、石原慎太郎とやり合ったのもこの頃です。石原氏は「憲法前文は悪文の見本。意味不明。」というようなことを言い、井上さんは「人類の希望がある」というようなことを言っていたと記憶しています。

 また、文章論や身の回りのことをさらっと書いたエッセイも素敵でした。昨年秋には山形県川西町の「遅筆堂文庫」で井上さんが丁寧に書き込んだ付箋紙や色分けして引いているサイドライン等を実際に見て、いつの日にか生活者大学か講演会でお姿を拝見したいと思っていただけに残念です。

 心よりご冥福をお祈りいたします。