東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

中曽根康弘氏の靖国参拝

2005-06-30 21:16:37 | 靖国
今日の産経新聞朝刊『正論』欄に屋山太郎氏が書いている。中曽
根氏が首相時代の1985年8月15日に靖国神社に参拝したが、
中国などの反対で翌年から参拝を中止した。これが今日の靖国問
題の混乱の発端だというのだ。そのとおりである。

中曽根氏は5年にわたり首相を務めた硬派の政治家と評価されて
いるが、実際は小派閥のボスで田中角栄の後ろ盾が必要であった。
後藤田正晴氏が官房長官として田中派から横目付けとして派遣さ
れていた。

金権問題で首相をやめ、ロッキード疑獄で逮捕起訴されていた田
中角栄は闇将軍として次々とロボット首相を立てたが、それまで
は自民党総裁選挙のたびに福田赳夫というライバルと熾烈な戦い
となり、せっかく立てたロボット首相も急死したりして安定しな
かった。

そこで小派閥の中曽根に恩を売って政局を支配しようというウル
トラCを演出した。中曽根氏もたしかに、そうした制約の中で並
みの首相よりかは仕事をしたが、肝心なところになると角栄から
チェックが入った。なにも靖国参拝問題だけではないのである。
『目白の意向』は依然として政界、官界、財界の行動を左右して
いたのである。

今日、90年代の日本の態度を振り返ると、昔の沖縄のいわゆる
『両属』関係を思い出させる。つまり、日本の役人が来たときに
は日本に税を納める。シナの船が入った時にはシナに臣従朝貢の
礼をとる。

日本とシナの役人は、両者がたまたま沖縄でかち合ったときには
お互いに直接あわないように身をかくしたという。武力をもたな
い通商国家の悲哀である。

竹下のpuppet首相が連続した90年代の日本はまさにシナ
とクリントンに両属関係にあったのである。悲しいかな、情けな
いかな。