幻灯機や手回しの映写機等を持っている人がいて見せてもらうこともあったが
農村のことだから 活動写真つまり映画を見る機会等は殆ど無かった
手回し映写機で見せてもらうのは 漫画が多かった様に思う
活動写真と言うと
母方の祖父 喜次郎の思い出につながる
母の実家は岡谷市の駅からさほど遠くない十五社神社の傍にあった
大工の棟梁で 僕の子どもの頃は
隠居して 母の兄が家長となっていた
職人さんたちが大勢住みこんでいて
広い台所の板の間に御膳を並べて食事している様子は壮観だった
祖父は母屋を離れた別棟に住んでいたが
母に連れられて泊った夜は 夕食が終わると
「さあ 活動に行くぞ!」と声をかけてくれて
子ども 皆を連れて出掛けるのが常だった
そのころの映画館は活動写真館と呼ばれていたが 勿論 芝居と兼用だから
舞台があって 観客席は畳敷き 下足を預けて畳の上に座ってみた
おじいちゃんの連れて行ってくれるのは
勿論 チャンバラ物で
舞台に向かって左側の袖に小さな演台があってそこに弁士が立っていて
劇の進行に合わせ 「折から起こる剣劇の響き・・・」等と弁し立てていた
そのころ見たのは 多分 嵐寛寿郎の鞍馬天狗や 大河内伝次郎等のチャンバラだったと思うが
その他の活動を見る機会はなかった -続-
☆流石に 活動写真を実際に見たことはない
「おおかわうち」と読んだ後に 「おおこうちでんじろう」だと思い出す
活動は見なくても 役者の名前は知っていた
僕が初めて映画を見たのは
ディズニー映画 ピ-タ-パンだった
小学校2年で 半年ほど入院をしたが 東京の親戚から ピ-タ-パンの絵本を貰った
でも 中は 英語・・・
何がかかれているか解ったのは 中学の頃だたかな
貰った頃は 映画を見ていたので 運よく 文字は読めなくても内容はわかった
この絵本はボロボロになりながら
50代前半まで手元にあったが 最後は何もかもバラバラになり処分した
45年以上も 一緒に歩んできた絵本だった